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ひめみこ  作者: 転々
第十九章 急転
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退学届

 退学届を書く。

 こういう書類は書いたことが無い。パソコンで下書きするが、どこまで書けばいいんだろう。

 もう『一身上の都合』だけで、理由は口頭で十分な気がする。




 試験明け以後、私は体育を休んで保健室にいる。今週は既に二回目。来週はどう言い訳しようか……。


 保健室では問題集の解答作り。とりあえず、一年次のうちに前倒しされる部分までは、退学する前に作らないとだし。


「精が出るわね。休んでいるんだから、あまり無理しないこと」


「はい。でも、跳んだりはねたり出来ないだけで、じっとしている分には問題ありません」


 そう私が応えると、養護教諭は本に目を戻す。

『プラスチックの恋人』

 表紙には、性を感じさせない年齢の少年? 少女? の絵。

 特殊な性癖を持つ人向けの、愛玩用人形の本?


「先生、その本」


「ん?」


「学校で読むには、不適切な気がするのですけど」


「知ってるの?」


「知らないですけど、表紙が……」


「中身はSFよ。性にまつわる倫理観や社会通念がテーマの一つ。職業柄、こういう本も読んでおかないといけないのよ。

 これと合わせて読むと、視点の違いが面白いわよ」


 見せられた本の表紙は『徴産制』。

 徴兵じゃなくて徴産というあたり、『産む機械』発言を思い出す。これも学校で読むような内容とは思えない。赤い表紙は『赤紙』のメタファーか?


 題名から言って、それぞれ、性が人工物で代用される話と、出産を義務づけされる話だろうか? どっちにしても、女子の読む本じゃない気がする。




 私は意識を数学に戻した。

 三角関数の証明問題。普通の高校生が自明だと思って使っている定理だけど、いざ証明しようとすると難しい。特殊な場合は簡単だけど、一般角になると循環論法にならないようにするには注意が要る。

 よし、イイ感じに仕上がったぞ。注意すべき点と、循環論法に陥りやすい部分を赤でマーキング。


 一段落すると、ついお腹に手を当ててしまう。見た目には何の変化も無いけど、この内側には……。そう思うと気持ちが暖かくなる。

 さぁ、次の問題だ。




「ところで小畑さん。今、何ヶ月?」


「三ヶ月に入りました」


 そう応えた瞬間、指先が冷えていく。私は何を答えているんだ!


「産むつもりね」


「は、はい。

 でも、なんで判ったんです?」


「仕事柄、そういう生徒を何人か見てるのよ。

 貴女、今日この部屋に来てから、私が見てるだけでも十一回お腹に触れて、その度に幸せそうな顔をしていたから。

 でもね、そんな顔できる生徒は、まず居ないのよね」


 その後、相手の親とも話をしたこと、今月で退学すること、結婚することを話した。養護教諭からは、何かあったらすぐに保健室に来ること、退学届も含めて事情を担任に話すことを指示された。


「貴女から言い難かったら、私から伝えてもいいのよ」


「大丈夫です。今日にも伝えるために、退学届も準備してきましたから」


「へぇ。そこまで(はら)(くく)ってるの。さすが学年トップクラスの成績だけのことあるわね」


「そんなことまで知ってるんですか?」


「貴女は、新入生じゃ一番目立つから。見た目も成績も、そして戸籍上の年齢も。全職員が知ってるわよ。


 でも、本校で私しか知らないこともあるわ。次席比売神子様」


「え?」


「私も元は神子だったの。比売神子ではないけどね。

 私がこの春からこの高校に異動になったのも、筆頭比売神子様(竹内さん)の手配よ。

 こんなにあっさり退学することになるとは思わなかったけど。

 実は、診断書も預かっています」


 下段の引き出しから、鍵付きバッグを取り出す。ぱっと見はPCでも入っていそうだ。




 放課後、私は職員室に行く。手に持った学生カバンには、退学届。


「松本先生。お忙しいところ済みません」


「おう。小畑さんか。

 期末試験、頑張ったな。模試に続いて学年トップだ」


 よし。有終の美を飾れたか。


「あの、相談と言うか、連絡があるので」


「ん? 進路希望の変更か?」


「出来ればここではなく、相談室とか、他の目? 耳? が無いところがいいのですが」


 女子生徒と二人きりというのは良くないということで、第三者を立ち会わせることに。

 私は養護教諭をお願いした。内線で呼び出し、暫く待つ。


 三人で相談室に移動した。




「単刀直入ですけど……、私、妊娠したので、退学します」


 私は退学届と書かれた封筒を出した。当たり前だけど、松本先生は固まっている。

 そこから先は養護教諭も診断書を見せて説明する。


「退学届は学校長宛になってますから。校長先生には伝えておくべきでしょうけど……。

 他の先生方には、できれば、終業式まで黙っていて欲しいです」




 先生は、進学校を歴任しているそうだから、退学届を受け取ったのは初めてなのだろう。


 しばらく待って、ようやく落ち着いて話せそうな雰囲気だ。


「今後は……、進学はどうするつもりかな?」


 とりあえず、出産と子育てを優先すること、結婚も決まっていることを伝える。


「職員はともかく、生徒には産休も育休も無いですから。

 現実的に選択の余地は無いですよね。堕胎は論外ですし」


 松本先生は渋い顔。現代社会や倫理が担当科目なだけに、妊娠出産が、女子の教育機会を奪うことについて、思うところがあるのだろうか。


 いずれ、通信制でも高認でも、いくらでも方法はある。高校生活を満喫できなかったのは残念だけど、これは仕方がない。




 松本先生によると、学校長には話を通さざるを得ないけど、その後どこまで連絡するかは学校長と話してからとのこと。

 でも、どうせ一学期はあと幾日も無いのだから、連絡が少々遅れたところで、大した意味は無いと思う。職員会議もどうのと言っていたが、議決することなんて無いのに会議って……。


「とりあえず、私のプライバシーが侵されるようなことだけは、注意して下されば」


 私がそう言うと、そこだけは請け合ってくれた。そして「たとえこの学校の生徒でなくなっても、私たちの生徒であることは変わらないから、何かあったら気軽に来て欲しい」と。

 テンパっていても、教員という人種は、基本的に善人なのだ。




 高校生活も、あと一週間ほどか……。

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