お祖父ちゃんと対面
「比売神子様は、元気かな?」
ここはどう応えるのが正解だろう? 私たちのことを知っているのだろうか? 瞬時、迷う。
「姫皇女様と言われましても、皇族方とは縁もありませんし、お目にかかったこともありません」
私は目を伏せ、湯飲みを口につけた。
その瞬間、空気が変わった。
これは……、弱いながらも『格』だ。比売神子たるには不足だが、それでも神子に匹敵、と言うより光紀さんよりも強い。神子でもないのに、それ以前に女性でもないのに。
周囲りの顔がこわばっている。特にお母さんはガチガチだ。
神子でもない一般人に、これはキツいだろう。
「ほう。嬢ちゃんは驚いただけか。
齢をとると、いろいろ面白い芸が出来るものだろう。
一つ、儂と二人で話をさせて貰えるかな?」
私はお祖父ちゃんと仏間へ移動した。
仏間は十畳ほどの部屋。うち二枚の畳に切り欠きがある。茶室を兼ねているのかな?
座椅子にかけて、お祖父ちゃんと向かい合う。
「で、比売神子様は元気かな?」
私は伏せていた目を真っ直ぐお祖父ちゃんに向けた。
「比売神子様は筆頭からは退かれましたが、比売神子として残っておいでです。もちろん、元気ですよ」
「すると、今の筆頭は沙耶香嬢かな?
嬢ちゃんは幼く見えるが……、孫とそういう関係になったということは、あるいはその若さで既に比売神子なのかな?」
「はい。昨年春より沙耶香さんが筆頭となり、私は次席を拝命しております」
「そうか。
朴念仁かと思っていたが、慶一めは、これほどの女を射止めたか。
……孫のことを、よろしく頼む」
そう言うと、お祖父ちゃんは深々と頭を下げた。
「お、お顔を上げて下さい。こちらこそ、よろしくお願いします」
お互い、顔を上げると、揃って苦笑い。
「ところで、比売神子様のこと、どうしてご存じなんですか?」
「恋、だな。あれは、一世一代の恋だった」
お祖父ちゃんは遠い目をして続けた。
初めて会ったのは、お祖父ちゃんが十六歳、昭和も三十年になる前らしい。
お祖父ちゃんの、さらにお父さんの挨拶回りに連れられて東京に出たときに、手洗いの帰りに間違えて違う部屋に迷い込んだそうだ。
そこに居たのが、比売神子様。当時はまだ次席の立場で、首が据わったばかりの赤ちゃんに乳をふくませている最中だったという。
慌てて謝罪した当時一六歳のお祖父ちゃんを、比売神子様は笑顔で許し、行き先を案内してくれた。そのときの赤子にふくませた胸を隠そうともしない姿が、お祖父ちゃんには菩薩のように神々しく見えたそうだ。
「その笑顔と神々しいお姿に、儂の胸は高鳴ったよ。
もし天女がいるとすれば比売神子様がそうだ。儂じゃなくとも、誰でもそう思ったに違いない」
うーん。これは恋と言うより、もはや崇拝のレベルだ。
「今更ですけれども……、私たち比売神子について、ご存じなのですか?」
「詳しくは知らぬ。
日本中から集められた素質ある女子が、十二の齢で、親子の縁を切って里子に出され、神子として教育される。
その中でも何人、あるいは十何人に一人という才能を持った神子が比売神子となる、らしいとしかな。
いろいろ調べたのだが、それ以上のことは分からんかった」
「そんな大層なものではないのですけどね」
「いや、儂が柔術を教えた娘達は、皆、心技体、抜きん出た境地にあった。
神子は、知性と神性を兼ね備えた、当代一の美姫ばかりだったよ」
買いかぶりも、ここまで来るとすごいな。恋は盲目か……。
「最後に手ほどきした沙耶香嬢には、慶一と、などと不相応な……、いや、あそこに居ったどの娘でも、同じじゃな。そんな不相応なことを考えたが……、想いがこんな形で叶うとはの」
お祖父ちゃんは目を閉じると「孫を好いてくれて、ありがとう。改めて、孫をよろしく頼む」と頭を下げた。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
客間に戻ると、お母さんが口を開きかけた。が、お祖父ちゃんの一睨みで椅子に座り直す。それほど強くないとは言え、普通の女性が『格』を向けられたらこうなるのも仕方がない。
お祖父ちゃんは椅子に掛けると、慶一さんの方を向いた。
「慶一」
「はい」
「よく、これほどの娘を連れてきた。
世が世なら、お前なんぞが声をかけて良い相手ではないぞ」
「はい」
「昌さんや」
「はい」
「改めてお願いする。孫のことを、慶一のことを、よろしく頼む」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
互いに頭を下げる。このくだり、何回目だろう?
お祖父ちゃんが部屋に戻ると、リビングの空気が弛緩する。お母さんは、もう何も言えないようだ。
今後の日程は両家族の会食の場で、ということで、昼食となった。と言っても、割烹の仕出しだ。
ぼちぼちと食べ始める。あ、このハマグリのお汁、美味しい。
お父さんは、未だ半信半疑のようだ。お母さんも警戒したような、疑わしいものを見るような視線を向ける。
でも、お祖父ちゃんが認めたから、何も言えないというところか。
「昌さん」
お姉さんが話しかけてきた。このメンバーでは、一番好意的な人。
「あの気難しいお祖父ちゃんが……、一体、どんな話をしたの?」
「うーん。恋バナ?」
「恋バナ?」
「うん。恋バナ。お祖父ちゃんの初恋の話」
全員が顔を見合わせる。それもそうか。多分、家族にもしていない話だろう。
「それに『ヒメミコ』って」
「それについては、今は……、お話することを許されておりません。いずれ時期が来れば、お話しできるかも知れませんが……。
ただ、私はこの子を産み、育て、血を残すという責務も負っております。たとえ、結婚が認められなくとも。
先ほどお父様の問いに『産む』とお応えしたのはそれもありますし、それについては国からのサポートも得られます」
周囲りは顔を見合わせる。確かに、個人が国からサポートなんて、普通は考えられない。
「結局、結婚はOKということなんでしょうか?」
慶一さんとの車の中で訊く。
「祖父が認めた以上、だれも異議を唱えられないよ。
もっとも、認めなくても、俺の気持ちは変わらないけど」
「そういう格好つけは要らないですよ」
「別に、格好をつけたつもりはないけどね」
車を駐車場に入れ、私たちは宝飾品店に入る。指輪選びに始まり、式場を押さえたりも必要だ。それをここ一、二ヶ月ぐらいでやる必要がある。かなり慌ただしくなりそうだ。