外出 その三 お買い物
ここは男性が近寄ることを許さないサンクチュアリ。侵入を物理的に妨げるものは何一つ無いが、その禁を破ることは出来ない。
私はその禁を破ることとなった。
ドアをくぐると、華やかだ。男性用のそれには絶対にあり得ない空気が存在する。マネキンだトルソだと言い聞かせても正視するのが難しい。
若い店員さんが「いらっしゃいませ。何をお探しですか?」とか言ってくるけど、どう返すのが良いか分からない。自分が明らかに挙動不審だということは認識しているが、どう振る舞うべきか、どうするのが自然なのだろうか? 顔はきっと赤く染まっているに違いない。
「あ、こんにちは。えっと……、あの……」
「ごめんなさいね。この子、こういう店は初めてなのよ」
「あら、きれいな子ね。妹さん? それとも従姉妹かしら? 将来が楽しみだわ」
あ、さっき地雷を踏んだ様に感じたのはこれか。姉妹の様に見えるってのが正解の一つだったんだ。
女性は幾つになっても女の子でいたいと思うもの、か……。
思考を巡らしている私を余所に、沙耶香さんは店員さんとおしゃべりを始めた。
「……というわけで、今日はこの子に下着を見立てて欲しいの」
五分ほどの雑談の後、ようやく本題に入った。
「採寸お願いしまーす」
店員さんに手を引かれるままに試着室に行く。
広い! 一坪どころじゃない。私が知っている試着室といえば、せいぜい半畳だぞ。
三十ぐらいの店員さんが一緒に試着室に入ってカーテンを閉めた。なるほど、採寸するにはこれぐらいの広さが必要なわけだ。
「あら、スポーツブラを着けてるのね。はずしてもらっていいですか?」
一応「脱ぐんですか?」と訊くと、満面の笑みで頷いた。
私は渋々ワンピースとスポーツブラを脱ぐ。要するにパン一だ。靴下は履いているが、カウントには入れない。……ワンピースは失敗だった。
脱いでいる最中から店員さんは私をじっと見ていた。恥ずかしい。
「うわっ! 脚、長っ!」
店員さんが驚く。女性でこの股下は珍しいようだ。一ヶ月前までは今より十センチぐらい長かったんだけどね。あ、身長も二十センチ以上か。
脱いだ後も、上から下までじろじろ見る。
女の人って、こういうの平気なのだろうか? 私は顔を背けてうつむいた。羞恥で顔どころか胸まで赤くなる。
「ねぇ。あなた、モデルやってみない?」
「モ、モデルですか? それはちょっと……」
「やってほしいわぁ。顔も良いけど、こんなきれいな骨格した子、なかなかいないのよね。細身だけど、筋肉の付き方もいいし。もう少し大きくなったらお願い。ねっ」
「こ、骨格ですか? でも……」
「惜しいなぁ~、やってほしいなぁ~」
「はーい、そこまで。採寸はまだですかぁ?」
沙耶香さんが上手く切ってくれた。
「はい、計りますね~。手をこの向きに伸ばして下さ~い」
ぎくしゃくと言われた姿勢をとると、店員さんは胸囲だけじゃなく胸の下とかあちこち計る。計った挙げ句に、こんなに大きくなる前に、ブラを選びに来なかったことを注意された。
「あの、急に大きくなりだしたものですから。えっと、まだ入院していて、入院する前は、胸は無かったんです」
一応、ウソは言ってない。いや、何でこんなこと気にしなきゃいけないんだろう。こっちは客のはずなのに。
「ごめんなさいね。この子入院していて、ちょっと前まで本当に生死を彷徨ってたのよ」
「さっ、沙耶香さん。入るなら一言声をかけて下さいよっ!」
「あら、ごめんなさい。
で、やっと退院出来そうになったから、快気祝いにランジェリーショップ・デビューというわけ。初ブラはどんなの選ぶのかしら?」
沙耶香さんがフォローとも煽りともとれる発言をする。
「貴女の連れてくる娘っていっつも綺麗だけど、この子はピカイチね。顔も良いけど身体がすごく良い。将来が楽しみね」
「でしょ? だから下着も選び甲斐があるってものよ。昌ちゃん、こぉんなの、どうかしら?」
沙耶香さん、いきなりデンジャラスなデザイン。色が濃い赤。小豆色に近い。しかも、あちこちにひらひらが付いている。そのデザインはあなたの趣味ですか?
「ここここんなの着けませんよ。もっと地味なのでお願いします」
中学生サイズなのになんでこんなデザインのがあるんだろう。それとも、中学生でもこれぐらいはアリなのか?
「まずはオーソドックスにこの辺から行きましょう。他のデザインはこれでサイズを合わせてからにしましょうか」
店員さんは薄いベージュ色のを持って来ると、カップを胸に当てた。
「トップがちょっと高いから、持ち上げると不自然になるわね。
幅も若干広いけど、これは脇の肉を寄せれば……、はい、かるくお辞儀して」
肩紐やらを調整して再び着ける。今度は悪くない。
「あら? あなたかなり筋肉質ね。寄せるほど肉が無いわ。Bぐらい行くと思ったのに」
店員さんは残念そうに別のを持ってくる。今度のはさっきよりもしっくり来る。
「あ、これ良いですね」
思わず感想が口をついて出た。あれ?
それに、慣れないうちは締め付け感があるとか、聞いたことがあるけど、そういうことも特に感じない。サイズがきちんと合っているということだろうか。
結局そのサイズを中心にいろんなデザインのを買うことになった。こんなの必要ないと言っても、沙耶香さんは「勝負下着」とか言って構わず積み上げる。勝負する気も、まして一戦交える気もないですから。
下は上とそろえる形で選び、いざ支払いの段で価格にびっくり。女性用のって高い!
沙耶香さんは銀行の封筒から諭吉さんを何枚も出した。人のお金だと思って……。
「ではお包みしますから、その間に会員登録票に記入して下さいね」
店員さんに複写式の登録票を渡され、テーブルで記入する。
名前『小畑 昌』、フリガナ『オバタ アキラ』。性別欄は、数瞬躊躇して『女』の方に○をする。ところでこの店って男性の利用者いないと思うけど、なんで性別欄があるんだろう。その割に年齢の欄は無いし……。
続けて住所を書いたところで沙耶香さんが慌てて止めた。変なことは書いてないはずだけど……。
「すいませーん。書き損じたのでもう一枚頂けますかー?」
沙耶香さんは私から登録票を取り上げると、店員さんを呼んだ。
「どうしたんですか? 何か変なこと書きましたか?」
「変なのは貴女の字よ。どう見ても女の子の字じゃないわよ」
沙耶香さんは耳元で囁いた。
確かに。私の字は、達筆ではないがかなり書き込んだ字だ。例えば『東』などが典型的だが、中国語の簡体字風になっているものもある。少なくとも十代が書く字じゃない。
「今度は楷書で書きなさい」
油断すると、気付かないうちに昌幸として身についたものが出てしまう。これは注意が必要だ。客観的にそれを指摘してくれる人として、沙耶香さんは得難い人だ。あの悪のりとスパルタさえ無ければだけど。
私はなんとかテンプレイベントをこなした。あれ? この下着を着けることに抵抗がなかった。おかしいな。もしかして、順調に調教されてる?




