秘密 一
車で近所まで送ってもらう。
いつもの、Uターンし易い最後の交差点で車が停まる。
「今日もありがとうございます。
何か、お返しできることがあれば良いのですけど」
「君のような人に、ずっと傍にいて欲しい」
「は?」
多分、いや、間違いなく間抜けな声だった。
「俺の傍にいて欲しい」
繰り返す。目がマジだ。
一人称も『私』から『俺』になってる。
それって、プロポーズ的な話? まだ、正式に付き合ってもいないのに。というより、私はその踏ん切りもついているとは言えないし。
目をやると彼もじっと見ている。
「俺の気持ちはもう決まっている。あとは、君の気持ちだ」
「それって、告白的な何かですか? 私はまだ高校生ですよ」
「高校でも、大学でも、君が卒業するまで待つ。結婚して欲しい」
「そんなに待ってたら、貴方はオジサンになっちゃいます」
「多分、これまでの俺の人生は、君に会うためにあった。あと何年か待つぐらい、誤差の範囲だ」
あー、ダメだ。この人、いい感じにダメになってる。手を握っただけの相手にこんだけ入れ込むなんて……。しかも口上は中高生レベルだし。
ぱっと見は『優良物件』だけど、いわゆる残念なイケメンだ。よくまぁ今まで他の女に騙されなかったもんだよ。
考えを巡らせていると、視線を感じる。じっと見られてる。
「まだ、返事をもらっていないんだが」
あ、返事か。こんな不意打ちじゃ、普通の人は返事できないよ。あるいは「NO」一択か。そういう申し込みって、もう少し関係を深めてからじゃないのかな。
ある意味「一回ヤらせて」よりも始末が悪い。
「答える前に、私の話を聞いていただけますか?
ただし、これから話すことは、他言無用でお願いします」
彼は無言で頷いた。
「貴方は、例えば相手がニューハーフとかでも愛せますか?」
案の定、怪訝な顔だ。そら、そうか。
「ですから、私が元は男性だったとしても、構わないかと訊いているんです」
「意味がよく分からないんだけど、何かの喩え?」
「言ったとおりの意味です。
具体的なことは口外しない指示を受けているので話せませんが、私は数年前まで男性として生活していました。年齢も見かけ通りではありません。今は、この姿ですけど……」
「……」
「今すぐの返事は期待していません。でも、今の話、他言無用でお願いします。……信用していますからね」
私は、返事を待たずに車から降りた。振り返ることなく、帰途につく。気づくと頬に涙が伝っている。
言っちゃったか。ま、仕方ないけど、私に恋は早すぎたな。
家に着いたら、何故か沙耶香さんが居る。
「やっほー、昌ちゃーん。夕食、先にいただいてるわ。
って、昌ちゃんはもう、済ませてきたみたいね」
何で、こんな日に限って居るんだろう。
「あ、こんばんは。ちょっと先にお風呂に入ってきますね」
風呂から上がると、沙耶香さんに呼ばれた。
「ちょっと、お話し、しましょっか。貴女の部屋に行きましょ」
沙耶香さんはさっさと部屋に向かう。ここ、私の家なんだけどな。ドアを閉めると沙耶香さんはベッドに腰掛け、左手でマットを叩く。私は素直に隣に座った。
「何かあったの?」
「……」
「言いたくなければ無理には聞かないけど、言って楽になることもあるわよ」
「……今日、失恋しました」
口火を切ったら、顛末をすべて話してしまった。ぼろぼろ泣きなからだけど。
「絶対に口外するなって、釘を刺しておいたわよね」
沙耶香さんは目を閉じた。呆れているんだろうか。
「でも、後で知られて別れることになったら……。
それに、子どもが出来たら出来たで、女の子だったらほぼ確実に神子になっちゃうんでしょ。そしたら、子どもは別人になっちゃうし、男の子でももしかしたら……。
一応、相手は社会的立場もあるし……。
子どもがみんな居なくなっちゃうなんておかしいし。
私は私で、齢をなかなかとらないし。
そしたら、一緒には居られないよ。
いつも、そんなことばっかり心配するのは、イヤだよ」
「昌ちゃん、うぅん。『ちゃん』付けはもう失礼ね。貴女、随分大人になったわ。女として」
「?」
私が見上げると、沙耶香さんはにっこり笑って私を抱きしめた。
「まず、貴女が女の子を産んだ場合だけど、子ども達は、早ければ十歳かそこら、遅くとも十三、四で血が出るわ。神子の血が濃いもの。だから、戸籍の書き換えという状況は起こらない。
そして、男の子で血が出るということは考えなくてもいい。そんなことって、何百年に一人出るかどうかの話しだし、記録に残っている限り、神子から生まれた男児が神子になった例は無いわ」
「本当ですか?」
「本当よ」
「でも、私は同じ時間を生きられないでしょ? あの人がお爺ちゃんになっても、子ども達が大きくなっても、私は……」
「昌ちゃん。それは、貴女が誰とともに生きたとしても、ついて回る話よ。それだけは受け容れなきゃ……、一歩も進めないわ。
それにさっきからいろいろ言ってるけど、貴女が一番心配しているのは、あの人と一緒に居られなくなることじゃないかしら」
あ、そうか。そうだったんだ。私は、あの人と、一緒に居たかったんだ。何で今頃気づいたんだろう。
「でも、私、あんなこと言っちゃったし」
「まだツーアウトよ。逆転のチャンスは十分あるわ。私に任せて」
「沙耶香さん……」
「本当は、私が嫁にもらうつもりだったんだけど、こんな顔したままじゃね。結婚するしないは別にして、こんな形で終わるんじゃ、次に繋がらないもの」
「まだその冗談、引っ張るんですか?」
「あら、三割ぐらいは本気よ。貴女はいいお嫁さんになれるわよ。私が男でないのが残念」
沙耶香さんって、時々、男前だ。男に生まれいてたら、どんな人になってたんだろう。
――とあるオフィスの給湯室――
給湯室では女子社員が三人、小声で話している。
「常務、こないだから元気ないわね」
「恋煩いじゃない?」
「ウワサじゃ振られたって話よ」
「じゃ、私が身体で慰めてあげようかしら」
「こら! 無駄話してないで、お茶を二つ準備して。
三番のミーティングブース、常務に来客よ」
扉が開く音と同時に凛とした声で指示がとんだ。
「すすすすす、すごい美女。すごい美女! 常務も、真剣な顔」
「マジで? どんな人?」
「すごいスタイル。美人。多分、ハーフ」
「常務のいい人?」
「そんな感じじゃ無いけど、あんなマジ顔の常務、久々に見た。
ちょっと、惚れそう」
「あ、一緒に出てく」
「どれ? あの背の高い? あ、こっち見た。
うぁー。絵に描いたような美女」
「でも、春が来たって感じじゃ無いよね」
「こら! いつまで無駄話してるの?」