外出 その二 散策
病院は丘陵地に建っているので、街へは坂を下るのだけど……。
「沙耶香さん! もうちょっと、もうちょっとゆっくり行きましょうよ」
「あら、怖いのかしら? でも今は縮み上がるモノが無いから大丈夫でしょ?」
なんか、この人ハンドルを持つと性格が変わるっぽい。また前の車を煽るような運転だ。
「おどきなさい! このホーテー野郎が!」
「さ、沙耶香さん、今なんて仰いました?」
「ホーテー野郎よ、ホーテー。法定速度未満で走るから法定野郎。あら、まさか別の言葉に聞こえたのかしら?」
うつむいて顔を赤くしている私を沙耶香さんはからかう。
この人、ドSだ。ハンドルを持つと性格が変わるんでなく、本性が出るに違いない。
あれ? どうして私がこの程度のことで赤くなってるんだろう。きっと沙耶香さんの運転の緊張感がそうさせているに違いない。
丘の麓につく頃には、私の手は悪い汗に湿っていた。左右に傾きやすい車で下りのS字カーブをとばすと、運転する方はともかく助手席は疲れる。こういう運転はダメ! 絶対!
「沙耶香さん、こういう運転するんだったら独車にしましょうよ。それか、国産でも脚のしっかりした車」
「独車はエレガントさに欠けるわ。国産も悪くはないけど地味よ」
沙耶香さんの運転がエレガントさに欠けます、と言いそうになって飲み込む。
「とにかく、沙耶香さんの運転は怖いです。帰りは私に運転させて下さい」
ハンドル捌きが中途半端に上手い人ほど、こういう道の運転は危ないのだ。
「貴女、免許証持ってないでしょ?」
「不携帯ですけど、一応、ゴールドですよ」
「『小畑昌幸』はね。でも昌ちゃんは無免許でしょ」
あ、そうか。子どもは不便だ。
ショッピングモールは平日にも関わらず、かなりの人出だった。
正直、人混みは好きじゃない。もっとも、大抵の人は仕方なく人混みに行くのであって、人混みが好きで行く人は少数派だろう。
歩くと視線が集まるのが分かる。まず、沙耶香さんのダイナマイツな胸、今日は歩行のリズムに合わせて容赦なく存在を見せつけている。そして私にも、背後から脚とお尻に向けられた視線を感じる。見えないのになぜ感じるんだろう?
ちょっと振り返るとあからさまに視線を逸らす。目を逸らすぐらいなら最初から見ないで欲しいと思う反面、見たくなる気持ちも分かる。
男の視点で言えば「見られて文句言うなら隠しとけ」だけど、今回の私には選択の余地が無かったのです。ゴメンナサイ。でも正直なとこ、じろじろ見られるのは……。
それとも、視線を当然のこととして受け入れ、あるいはそれに快感なり優越感を覚えられた方が良いのだろうか? でも、それこそ小説、しかも男目線で書かれたものの中だけの話だ。
「どう?」
思考を巡らしていると、沙耶香さんが小声で訊いてきた。
「どうって、何がですか」
「周りの視線よ。この私を差し置いて、貴女を見ている男がたくさんいるわよ」
「予想はしていましたから」
「へー、強気ね。ここで貴女を一人にしたら、ナンパ男が寄ってくるわよ」
「日本語がしゃべれないフリをします。幸い目の色がこれですし、私は英語もそこそこいけますから」
このときばかりはテンプレ……もとい、神子の血に感謝。
「そうね。貴女は髪も本来の色だったら、まず純粋日本人には見えないでしょうね」
「でも、古来から日本にいる一族の末裔なんですよね。親も祖父母もコテコテの日本人ですし」
「コテコテって関西人に使う枕詞じゃないかしら?」
「言葉は時代とともに変化するものです」
「……やっぱり、コミュニケーションが男の子寄りね。なんて言うのかしら、相手の言葉に乗っかって会話を続けるのが苦手ね」
「そうかも知れません。仕事柄かも知れませんが、理解が深まらなかったり情報が増えないやりとりは、ムダに思えちゃうんですよね。どっちかというと男性云々でなくて、技術で食ってる人間の多くにありがちな傾向だと思いますけど」
「その辺が、今後の課題かしら」
雑談って、ある意味一番難しい課題かも知れない。正直、仕草や言葉遣いは練習で何とかなるだろうし、女装にしても慣れれば大丈夫だと思う。視線だって幾分スルーできるようになってきたし。
「ねぇ、私たちって周りからどんな関係に見えているかしらね」
「うーん。親子と言うには歳が近すぎるし、姉妹と言うほど近くないし、生活指導の先生と補導された生徒?」
あれ? なんか地雷を踏んだ気がする。沙耶香さんが纏う空気がちょっと変わった気がする。
「先生と言うには私は美人過ぎるわね。それにあなたの清楚可憐な姿は、補導されるような生徒には見えないわ」
「自分で言うかなぁ。でも女の人は外見じゃ分からないですよ」
「へぇ。なにかあったんだぁ。外見に欺されたのかしらぁ? どんな経験があったか、ちょっとお姉さんに話してみそ?」
「嫌ですよ。昔のみっともない話は」
「それは昌幸さんの話で、昌ちゃんの話じゃないでしょ」
「誰にだって、話したくない過去の一つや二つあるもんです」
「じゃぁ、話したくなったら真っ先にお姉さんに聞かせて。相談にのるから」
「話したくなりません」
あれ? テンプレ的にはここだろうという店を通過してる。私の勘違いだったのかな?
「沙耶香さん、今日買う予定の日用品って何ですか」
「それは着いてのお楽しみ。って行き過ぎちゃった!」
この人が分からない。やっぱり天然だろうか。
行き過ぎた店というのは、男性が視線を向けることさえ許されない店。もうテンプレ通りです。
「ここならちゃんと身体に合ったのを見立ててくれますよ」
そう。お約束のランジェリーショップ。