クン・ちゃん
「たのもー」
声に振り向くと聡子さん。なぜここに?
私は光紀さんを見やる。
「もしかして、連絡とってるんですか?」
「いえ。連絡先は教えてないし、私も知らないわよ」
私のが小声で訊くと、光紀さんも小声で答えた。
「聡子さん、どうしてここに?」
元神子同士の交流は、厳格に禁じられているわけでは無いけど、こんなカジュアルに会うのは具合が悪いと思う。
「えーっとね、車を買ったから、昨日から観光とドライブを兼ねて、お世話になった高瀬先生に挨拶をしに来たの。で、偶然、学祭のポスターを見かけたから、暇つぶしに来たというわけ。
ブラブラしてたら、合気道の護身術体験に銀髪のすごい美少女が向かったって、男子学生が話をしてたのを偶然聞いたの。そしたら、興味が出ちゃって。ホラ、私も一応、合気柔術をしてたから。
いろいろ偶然が重なったのよ」
聡子さんはしれっと応える。
いや、偶然じゃ無いでしょ。
学祭の日程はインターネットでも確認できるし、代表的な出し物も調べれば分かる。今日会えなかったら明日も来て、合気道とサブカル系をハシゴする気だったに違いない。
「えーっと、ボクたちはもう終わって着替えをするので、聡子さんはどうぞ護身術体験をしていって下さい」
「あー! 昌クン冷たい」
「光紀さん、汗もかきましたから、行きましょうか」
これって、知らなかったことにした方がいいのかな? 立場上、どうするのが正解なんだろう? いや、せめて順番が違っていれば、あるいは私が知らないところで会ってくれていれば……。
とりあえず、更衣室でシャワーを浴びて汗を流す。
会っちゃったものはしかたが無い。私が居ても居なくてもこうなっただろうし、これは不可抗力だ。
下着を着けて髪を乾かし、服を着る。
結局、禁じられているのは、神子との接触だ。目的は神子としての活動や秘密を守るため。元神子同士の接触は禁じられていないし、私が聡子さんと連絡先を交換しなければ、偶然だと強弁できる。
うん。決めごとは、それが出来た経緯や目的に基づいて判断すればいい。光紀さんと聡子さんが友誼を結ぶこと自体は、比売神子のあり方に影響しないし、決めごとにも触れない。
それに、親元から離れて別人として暮らし、先日、思春期を同じ立場で過ごした人たちとも別れた。でも、無理に別れる必要は無いはずだ。
聡子さんは更衣室の前で待っていた。とりあえずお昼にしよう。
私たちは三人で学内を歩くが、注目される。
光紀さんは立場上ミスコンに出られないけど、出れば間違いなく最終選考にまで残る。もしかしたら優勝だってするかも知れない。
聡子さんだって光紀さんに負けない美貌だし、私も客観的には美少女だ。いろいろ物足りないけど。
いや、いずれBも卒業できるはず。多分。神子は全員C以上なんだから私だって……。
遅めのお昼は、大学から少し離れたイタリアン。ここでは当たり障りの無い範囲で近況報告。本番は光紀さんのアパートに行ってからだ。
光紀さんの部屋で、元神子としての話。そして、沙耶香さんと私がそれぞれ筆頭と次席になったことも話した。
私が飛龍頭の出汁を作っている間も、二人はいろいろと話をしている。
二十分ほどかけて取った昆布出汁と、別鍋の八宝出汁――通販したもので、家でも滅多に使わない――を合わせる。
粉末の出汁も入れ、砂糖、塩、酒、ミリン、醤油で味を整える。光紀さんの味覚に合わせて、家で作るときより少し甘めの出汁。
味を確認してもらうと、案の定、二人そろって「お嫁さんになって」だ。
それにレンジで解凍した飛龍頭を入れ、落とし蓋をしたら、弱火でタイマー運転。
「ゆっくり煮含めれば、夕食には食べられますよ。
でも、冷めるときにも味が染みこむので、本当は明日の朝、要る分だけレンジで温めれば良いと思います」
「ありがとう、昌ちゃん。大事に食べるわね」
「日持ちしないんで、遅くとも明後日中には食べて下さい。あまり温め直しても味が悪くなりますし」
「じゃ、私も協力させて貰うわ!」
聡子さんは夕食をたかる気満々だ。
夕刻も近づいてきた。そろそろ帰る時間だ。
「昌クン、駅まで送るわ。
さすがに家までってのは拙いだろうけど、去年、クラスで集合していたあの駅までなら、送らせてくれるでしょ?」
「ありがとうございます。ところで、どんな車買ったんですか?」
「それは、見てのお楽しみ。カワイイ車よ」
十五分ほど歩いて行くと、聡子さんの車は黄色のコペン。しかも現行でなく初代だ。
「これね、お店で一目惚れしたの。ワンオーナーでナビ付きだったんだけど、マニュアルだったから売れ残ってたみたい」
「マニュアルで黄色なんて、ガチの人じゃないですか? 修理歴はありませんでした?」
「前のオーナーは丁寧に乗っていたそうよ。修理歴も無し。程度が良いから値段もあまり下げられなくて……。マニュアルじゃなければすぐに売れたんじゃないかって」
「ちょっと、ボクにも運転させてほしいところです」
「無免許運転は、だーめ」
シートにかけてベルトを締める。軽四という割に、車内は案外広い。エンジン音も軽四とは思えない。
「これ、排気系に手を入れてるんでしょうか?」
「オプションはLSD? だけで、後付けナビとホイール以外は、全部ノーマルって聞いてるわ」
走り出すと、聡子さんは初心者としては案外運転が上手い。車もいいのだろう。直進も旋回も安定している。
でも、この車だから無茶をやっても応えてくれるけど、普通の軽四だったら事故りそうな場面もあった。
「聡子さん。この車だからいいけど、他の車で同じ運転したら危ないですよ」
「大丈夫。他の車も運転したことあるし。正直、これに始めて乗ったときは、運転が上手くなったって勘違いしちゃった」
そうだろうな。そこまで分かってるなら心配なさそうだ。でも、こんな車高の低い車で、雪国は大丈夫なのかな?
「ところでさ、光紀ちゃん、いつの間にか『昌ちゃん』で、昌クンも『僕』じゃなくなったのね」
「光紀さんは、女性として接してくれているんです。
言ってなかったですけど……実は、光紀さんもボクの血が出る前のこと、知ってるんです。と言うより、とっくに気づかれてて、それを上手いこと確認された、ってのが正解かな」
私は概要を話した。さすがに具体的な出自の話はできないけど。光紀さんはそれを知った上で、私の心のあり方を見て、呼び方を変えたのだ。
「そっか。じゃ、私も今から『昌ちゃん』って呼ぶね。
本当はもっと前にそうしなきゃだったけど、タイミングがね」
「いいですよ。光紀さんにも聡子さんにも、ある意味それで救われてた部分がありましたから。
それに随分前から、女性をそういう視点では見られなくなりましたし、私もいずれは恋だってできる。子どもだって産みますよ」
「本当は、もう気になる人、いるんじゃない?」
「どうでしょうか? 学校では、クラス全員に義理チョコを配りましたけど、そういうアプローチは未だに受けたこと無いです。
この辺は、もう少し時間がかかりそうです」
「そうかもね。私だって、恋も彼氏もまだだし」
「聡子さんを放っとくなんて、見る目が無いですね」
「でしょ? 昌ク、ちゃんもそう思うでしょ?」
「私が同じ学校の男子だったら、きっと恋をしていますよ。アタックする勇気は、自信がありませんけど。
あ、そういうことです。聡子さんは高嶺の花過ぎるんですよ。
ちょっと趣味のこと臭わせたら、ハードルが下がって、グイグイ来る人が出るかも知れないですよ」
「それで来る男はちょっと嫌かも……」
「じゃぁ、地道にサークル活動ですね」
「やっぱり、それが結論かぁ」
駅まで送って貰ったが、結局、連絡先は交換しなかった。「光紀ちゃんとは交換したのに?」と、不服そうだったが、体裁は守る必要がある。交換するのは、改めて光紀さんを介してだ。
降ろしてもらった後、光紀さんに急いで連絡。それぞれ私の出自をある程度知っていること。そして『昌幸』が妻子持ちだったことは光紀さんしか知らないけど、それは伏せて欲しいこと。
光紀さんは「高いわよ」と。
いずれ、練習に行ったときに、料理の手ほどきをすることで手を打ってもらった。きっと、大隈さんに美味しいものを作りたいに違いない。