初老
夏休みも終わりに近づく。そろそろ休み明け実力テストだけど、私にはあまり関係ない。大学出た社会人の知識を使えるのだ。量だけはムダに多い課題も、右から左の作業だ。
でも九月が近づくにつれちょっと憂鬱。原因は学校ではなく、神楽舞の練習だ。
私が住んでいる町では、秋分の日に初老のお祓いが行われる。そのときに小六の女子が神楽舞を奉納するのだけど、今年はその学年の女子がおらず、中学一年生も一人。というわけで、去年していない私と、その一年生が去年に続いて舞を奉納することになった。少子化はこんなところにも効いてくるのだ。
その練習を八月の末から九月の前半に行う。火~木の夜七時から九時だが、普段なら夕食の後片付けに洗濯、子ども達の寝かしつけと盛りだくさんなのだ。
私がいないとその負担が全てお母さんに行ってしまう。年中の周は、目を離すと何をしでかすか分からないし。
「初めまして。舞の指導をする樋野と申します」
指導にあたる方の自己紹介に、私達も挨拶をする。
神楽舞なのに、樋野さんは洋装だ。神職だといっても、普段から巫女装束ではないようだ。……当たり前か。
その日は全体的な流れの説明を受けたあと、公民館のホールですり足の練習で終わった。樋野さんからは足裁きを褒められた。柔術を習っているから、その応用だけどね。
練習を終えて家に帰ると、洗濯も後片付けもすっかり終わっていた。
「ごめんね、お母さん」
「仕方ないわよ。村の行事だもの。私が町内会のことを出来ないから、貴女がそういうことに参加してくれるだけで、私も助かるのよ。
婦人会の役員は、対外的には母子家庭ということで免除されてるけど、陰口はやっぱりあるみたいだし」
ごめん。私がこんなだから……
「昌クン、神楽舞ですか?」
お昼を食べながらその話をすると、紬ちゃんの食いつきがすごい。理由は大体分かるけど。
「もちろん、巫女装束ですね! 昌クンの巫女姿。美少年が巫女装束で舞う! うふふふふふ」
『ふ』が『腐』に聞こえるのは気のせいでしょうかね?
「でも、私だけ付け毛は無しなんだよね。色が合わないから
黒髪じゃない巫女なんて、御利益なさそうだよ。かといって、ウィッグの上からだともっと変だし」
「むしろ白子の巫女の方が有難いんじゃないの?」
詩帆ちゃんはあまり興味なさそうに言う。
「紬も神子装束、着てみたいです」
「だったら代わってあげるよ」
「着てみたいだけで、舞はしたくないのです」
紬ちゃんはいつも通りだ。
でも、どう考えても、詩帆ちゃんの方が神子装束は似合う。紬ちゃんみたいな少し茶色がかった髪とは違い、『烏の濡れ羽色』という表現がぴったりの緑なす黒髪。切れ長で涼しげな目元とすっきりとした鼻梁。ピンと伸びた背筋。
想像するだけで御利益がありそうだ。
あるいは、弓道とか薙刀でもすれば格好いいのに。
「でも、昌ちゃんなら舞なんて楽勝じゃない? 体育の創作ダンスとかも全然レベルが違うし」
おっと、想像で心が飛んでいた。
「由美香ちゃんもしたことあるの?」
「小六のとき。昔からの町は大体そうだよ」
「へー。私はしたことない」
「紬もできなかったのです。同学年が五人もいたのですよ」
詩帆ちゃんと紬ちゃんはしてないのか……。詩帆ちゃんは新興の町で、神社も申し訳程度のお社だからかな。でも、詩帆ちゃんの巫女姿はちょっと見てみたい。
「昌クン、詩帆ちゃんの巫女姿、見てみたいとか思ったでしょ」
「そうだね。紬ちゃんよりは間違いなく御利益ありそうな気がするし」
最近分かってきた。
紬ちゃんを相手にこういう場面で否定すると、絶対にイジられるのだ。正直が一番。
神楽舞の練習は順調だった。単に形を真似るだけなら三日でできたし、もう一人の子も去年の振りを思い出すだけだ。
そのおかげで、舞の練習は水木の週二になり、時間も七時半からに繰り下がった。これで夕食の後始末も余裕を持ってできる。
でも、練習も本番も録音された――しかもテープで――雅楽に合わせて舞う。録音の音源では御利益が薄れそうだ。それに、私の出自……、本当なら、何年か後にはお祓いされる立場だったのだけど。御利益どころか、罰当たりにならないか心配になる。
衣装合わせも済み、本番の日。
少しでも御利益があるようにと、私は前々日から肉食を控え、お酒も断ち、前日は音楽さえもなるべく聴かず……、それなりに落ち着いた生活をした。当日の朝も、禊ではないけど沐浴をして身を清める。
よし、身も心も巫女だ。出自以外は大丈夫。
舞の奉納はあっという間に終わった。樋野さんからは、最高の出来と褒められた。本当に何かを降ろしているように感じたらしい。無心で、でも真剣に舞っただけですけど。
「昌ちゃーん」
「あれ? 光紀さん、それに沙耶香さんまで。二人一緒なんて、いいんですか?」
「たまたまここで会っただけよ。どっちも昌ちゃんの晴れ舞台を見に来ただけ」
「そうよ。
でも、昌ちゃん惚れ直したわ。彼氏がいなかったら、昌ちゃんをお婿さんにしたくなるところね」
沙耶香さんにはともかく、光紀さんには神楽舞のことは、あ、練習が面倒くさいって言っていたか……。
と、沙耶香さんが小声で耳打ちしてきた。
「神楽舞のとき、微妙に格が漏れてたわよ。あのレベルなら、オーラとか存在感がある、という程度で済まされるけど……。貴女、元々の格が全然違うから、何かに真剣になるときは注意して」
注意と言っても、真剣になっていたらそっちに意識が行かないし、かといって手を抜くわけにも行かないし……。難しいこと言うなぁ。
あ、樋野さんが呼んでる。私は急いで戻った。
「すみません。知り合いに声をかけられてしまって。急いで着替えて来ますね」
「それもあるのですが、今のお二人はどういうお知り合い? 三人とも、ものすごい存在感でしたけど」
「美人三人組で、アイドルできそうですか?」
「それもできるでしょうけど、舞っているときの貴女と同じような感じを受けたわ。あのお二人は、どういうお知り合い?」
「背の高い方は、柔術の先生です。もう一人も一緒に柔術をしていた人。大学に行くから柔術は辞めちゃったけど、並の人じゃ手も足も出ないです。もちろん私もあっという間に転がされます」
「何かを極めた人って、違うのね。貴女から感じるものも凄いけど、貴女以上にって、ちょっと想像が難しいわね。でもそういう人が身近にいて研鑽できるって、ちょっと羨ましいわ」
私が何らかの武術を学んでいることは、足運びや立ち方ですぐに分かったそうだ。樋野さん自身も高校から弓道、大学から合気道を学んでいたそうだ。
なんだか誤解されているけど、今はその誤解に乗っておこう。
着替えて、沙耶香さん光紀さんに合流。久々にこの組み合わせだ。この三日、動物性タンパクを避けていたことを言ったら、沙耶香さんの奢りでステーキ屋さん。
私自身はステーキも焼肉も自分からは食べないけど、百二十グラムで六千円近い肉は美味しかった。多分、これが『肉』って食べ物なのだ。
光紀さんを駅で降ろした後、沙耶香さんは真剣な顔になった。
「貴女の通過儀礼の日、決まったわ。急だけど今度の日曜。場所は光紀ちゃんのときと同じね。
格はもちろん、人間的にも貴女がなれないという要素は無いけど、体調だけは整えておいて」
「分かりました。
ところで、通過儀礼って毎回あそこなんですか?」
「いえ。受ける人が住んでいるところに近い所でするだけよ。その辺の負担は小さめにしておくことになっているから。
集合は九時。当日は準備があるから迎えに行けないけど、自分で来られる?」
「子どもじゃありませんから、大丈夫ですよ。私の『前世』のこと、忘れてません?」
「そう言われればそうね。
あと、来週の今頃は恋愛も解禁。今のうちにデートの約束をしとくのもアリよ」
沙耶香さんは余計なことを笑いながら言う。
まだ、そういう相手、いませんって!