墜ちる 一
あ、ヤバい墜ち方だ!
後で冷静に考えれば、昇りだしてせいぜい一メートル。天井にもかなり余裕があったのだから、後ろを確認した上で自分から跳べば、余裕を持って着地できたはず。でも、そのときは後ろを見ることすら出来なかった。
次の瞬間、私の右手首を誰かが掴んでいた。スーツ姿の男性の後ろ姿。空いた右手で男の子の背中も支えている。助かった!
今頃になって、スニーカーが入った買い物袋がエスカレーターを五段ほど落ちていった。
男の子がちゃんと立ったところで、私の手を取った。
「や、久しぶり。電気屋さんでよく会うね」
私の手を取ったのは、社長の息子。右手を引っ張って、私を立たせた。このときばかりは感謝しか無い。
「ありがとうございます。えっと……」
「名刺を二枚も渡したはずだよ、昌さん」
「高橋 慶一さん」
「正解。やっと役職じゃなく名前で呼んでくれたね」
そう言うと、私から手を離した。
泣き出した男の子を抱きしめ、お母さんらしき人が高橋さんにお礼を言っている。
「お礼なら、彼女、昌さんに。
お子さん、腕や肩をを痛めているかも知れないですから、念のため整形外科を受診しておいて下さい。何かありましたら、こちらに」
エスカレーターを降りると、その女性に自分の名刺を渡していた。お母さんらしき人は、私にもお礼を言った。何にしても大きな怪我も無くなによりだ。
ふと、掴まれた右手を見る。高橋さんの手、大きかったな。
「昌さんも、腕とか、痛めてない?」
突然右腕を取られた。
「はっ、ひゃいっ!」
思わず噛んでしまう。何故か分からないけど、顔に血が上ってしどろもどろになる。高橋さんの顔をまともに見られない。
えっ? この顔の熱さは、まさか、私……。いや、違う違う。これは吊橋効果。一緒にスポーツをしたり、とにかく心拍が上がったときの生理反応。アウトドアな男の方がモテる理由の一つ。
「だだだ、大丈夫です。と、思います。
あと、危ないところを、ありがとうございます」
「大したことじゃ無いよ。本当は抱きとめればもっとかっこ良かったんだろうけどね。あ、何か登ってきたよ」
スニーカーが入った袋を渡してくれた。手が離れたことで指先が冷える。空調が効きすぎてるのかな。
私達はPC関連のフロアに行った。達? なんで並んで歩いてるんだろう? でも、手、大きかったな。もう一回、つないでくれないかな。……って、私、何考えてるんだろ。
「今日は、何を買いに?」
頭の中でグルグル考えていると、突然柔らかいハイバリトン。こういうのをイケボって言うのかな。
「あ、外付けのハードディスク、です」
「偶然だね。私もデータ用のHDDだ。録りためても視る暇が無くて」
売り場の棚をみる。とりあえず、二テラのを一つ。
「もっと大きいのもあるよ」
「家の機械、XPも現役なんです。三十二ビットのOSだと、これより大きいのを認識できないこともあるし、容量的には、これでも十分大きいので」
「へー、詳しいんだね」
「以前、ハードディスクの選択に失敗したことがあって、そのときに調べたんです」
その後、下の階に戻り、タブレットを引き取る。うん。ネット接続OK。SDカードもちゃんと認識している。帰ったら、改めて初期化と設定をしよう。
「その荷物じゃ大変じゃないかな? 近くまで車で送ろう。もし良ければ、一緒に食事でもどうかな?」
「あ、ありがとうございます。ちょっと、母に連絡しますね」
私は携帯電話を取りだした。発信履歴から渚を探す。すでに登録名は『渚お母さん』になっている。連絡すると、あっさりと許可が出た。でも、心配なのかいろいろと詮索してくる。とりあえず、八時までには帰ると伝えた。
「なにか、リクエストある?」
いきなり、ハードルの高い設問。
ここで、女子中学生として不自然でないリクエストは……。そもそも、そんなお店を知らない。女子力不足だ。正解はなんだろう? いや、こういうときはお任せにするのも正解か? でも、こういう場面で男性のチョイスはイタリアンが多いイメージがある。昼もイタリアンだったし、あっさりしたものが……。
数瞬の間、思考を巡らせた後、正直に言うことにした。
「えっと、お昼はパスタだったので、出来ればあっさりしたものがいいかな。麺類じゃなくて、ご飯ものの方がいいです」
「食べられないものとか、ある?」
「普通のものは、大体食べられます」
「炊き込みご飯とかでもいいかな?」
「あ、それ、美味しそうです」
高橋さんはどこかに電話を入れている。なにか予約しているみたいだ。
「じゃ、行こうか」
連れていかれたのは、居酒屋寄りの小料理屋といった構えの店。盛り塩がしてある。
部屋に通されそうになるところを、高橋さんはあえて断り、普通のテーブルに。周囲りから見える席は、そういう関係じゃないというアピールと、私に不安を持たせない大人の配慮だ。確かに、成人男性と純粋日本人に見えない少女じゃ、変な目で見られかねない。
「この店は釜めしが美味しいんだ。ここじゃ普段、米は液体で摂ってしまうから、なかなか食べる機会が無くてね。とりあえず、釜めしは確定だから、あとは何を食べるか、こっちから選んで。
これがメニューで、こっちが今日のおすすめだね」
お経のように折られたお品書きと、少し厚めのかんなくずのような木札。いずれも毛筆だ。でも、値段が書いてない。どう考えても、中学生を連れてくる店じゃないぞ、ここは。
お勧めの揚げ物には、どぜうとか、さわがにとか。焼き物を見ると鮎なんてものも。ゆっくりお酒を飲むための、ちょっと苦みのある肴だ。
あ、蒸し物に蓮蒸しがある。これ、光紀さんの送別会で美味しかったんだよね。でも、具はなんだろう。定番はアナゴとかウナギだけど、蒲焼き用の具はちょっと苦手。
女将さんに蓮蒸しの具を聞くと、やはりアナゴ。でも、リクエストで変えられるそうだ。無難に「白身魚か海老あたりで」とお願いすると、高橋さんも「私にも同じのを」と注文。更に、本日のお刺身盛り合わせと揚げ出しナス、揚げ出し豆腐まで。食べ切れるのかな?
「初めて聞いたんだけど、蓮蒸しってどんな食べ物?」
「えっ、知らないもの、注文したんですか?」
「まぁ、この店だったら変なものじゃないだろうし、中学生の女の子が食べられるものだから。
蓮って言うからには、レンコンを使った料理だとは思うけど」
「だったら、来てのお楽しみで。
北陸に旅行したとき食べて、とっても美味しかったんです」
「北陸か。あっちはお魚が美味しいって言うね。
関東で仕事している友人は、北陸出張は夕食が楽しみだってよく言ってたんだが……」
「言ってたんだが?」
「新幹線が通ってからは、出張が日帰りになって楽しみが減ったってぼやいていた」
「あははは。適度に不便な方が、楽しい場合もあるんですね」
初めに来たのは件の蓮蒸し。仲居さんが「釜めしはもう少しお待ち下さいね」と言いながら、チラリと私の髪や目の色を視ていった。
手を合わせてからお椀の蓋を取ると、真ん中の蓮蒸しに、海老、枝豆、銀杏が乗り、椎茸と生麩が付け合わせ。そこに淡い色の餡がかかっている。美味しそう。
「ほぉ、これが」
高橋さんは早速一口。私もワサビをちょっぴりのせて一口。うん。金沢で食べたのより味はやや濃いめ。お酒のお供だからかな? でも美味しい。
「これは、勉強になった。蓮蒸しを知っただけでも、食事に誘った甲斐があったよ」
「こちらこそ、ごちそうさまです」
「ところで、私たちは周囲りからはどう見えているかな?」
「うーん。家族ではないし、カップルでもないし。
留学生に和食を振る舞うホストファミリー、かっこ・少し見栄っ張りな・かっこ閉じ、かな? 私は純粋日本人に見えませんから」
「うーん。その辺が妥当だろうなぁ」
なんて答えて欲しかったんだろう。でも、カップルとかはあり得ないでしょう。ねぇパパ、とっても美味しかったから、今日はうんとサービスするね、とか言ったら、事案発生ですよ。




