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ひめみこ  作者: 転々
第十二章 新たな日常
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祖母

「昌幸」


 母が『私』を呼んだ。


「ん?」


「お祖母ちゃん、かなり進んでしまって」


 祖母は既に九十を超えている。記憶の混乱もかなり進んでいて、既に孫の記憶も怪しいらしい。


「会ったら、それが今生の別れになりそう?」


 母は無言で頷いた。


「会いに行かなきゃ、だね」


 祖母には今の私のことは伝えていない。伝えても意味は無いし悲しませるだけだ。いや、既に悲しむことも出来なくなっているかも知れない。




 母と電車に揺られる。

 叔父が県外に住んでいるので、祖母はそれについて行ったのだ。でも、引っ越して環境が変わったせいか、認知症が一気に進んだらしい。

 とは言え、引っ越した叔父を責めることは出来ない。会社がそういう私的な事情を考慮することはほとんど無い。


 電車の中では会話少なだったが、私が母を『お祖母ちゃん』と呼ぶのには、複雑な表情だ。

 とは言え、私の姿は十代。対して母は六十代。若く見えるとは言え、四十代に見られることはあり得ない。対外的に『お母さん』と呼ぶのは無理がある。

 母は母で、会う人会う人に「自慢の孫娘」と言うが……、慣れない呼ばれ方に戸惑ってしまう。もしかしたら、孫『娘』を強調するのは意趣返しかも知れないけど、私は既にその辺の心の整理は済んでいる。理屈ではとっくに理解しているし、心でも受け容れているつもり。

 でも、今日だけは祖母の孫の『昌幸』の心で接するべきだろう。




 休日なので病院内は閑散としている。それでも、私の容姿は目立つ。ときおりすれ違う看護師や患者の視線を感じつつ病室に着いた。


 祖母は寝台に上体を起こしたが、その表情は虚ろだ。「誰だったかねぇ」と母――自分の娘――すら判らない様子だ。話をしていて記憶が繋がったのか、突然スイッチが入ったように「あぁ、セッちゃん」と母を呼んだ。同時に、姿が変わった私を『昌幸』と認識した。


「昌幸ちゃん、学校では……」

「昌幸ちゃん、お友達は……」

「昌幸ちゃん、お嫁さんは……」

「昌幸ちゃん、仕事は……」


 それに、一つ一つ『昌幸』として答えていく。

 認知症が進んでも、『私』のことが心配なのだ。


『昌幸』として話していたのは三十分程だろうか。祖母は疲れて眠ってしまった。時系列がめちゃくちゃな質問に、私も少し疲れてため息をついた。


 振り向くと、少し困った表情の母と訝しげな表情の看護師。いつの間にか看護師が来ていた。


 これはマズい。今の私はパンツルックとは言え上はクレリックカラーのノースリーブにサマージャケット、どこから見ても十代前半の少女の姿。でも大人の男性の口調で会話していたわけで。看護師さんの表情から言っても、今来たばっかりって感じでもない。

 私は愛想笑いを浮かべるが、看護師さんはいろんなことを考えてそうだ。


「こ、こんにちは」


 私は看護師に挨拶する。挨拶は人間関係を円滑にする潤滑油、それ以前に、人間関係の第一歩。


「こんにちは」


 四十がらみの看護師も挨拶を返してくれた。

 年齢から言って婦長クラスか? いや、今は師長っていうのかな? でも看護師は当惑したような表情だ。


 いや、どう振る舞えばいいのか判らないのはこっちだよ。看護師さんは事務的に淡々と仕事をこなして、患者と関係者の秘密をきっちり守ってくれればいいだけです。ベテランでしょ?


「あの……、『昌幸』って、貴女? どう見ても……」


 どうやら、私の無言の訴えは通じなかったようです。この程度スルーできないということは師長でもないですね。て言うか、今のままじゃ一生かかっても師長にはなれませんね。


「『昌幸』は、私の『父』の名です」


 私は淡々と公式回答をした。それ以外の選択肢はないけど。


「この子は『昌幸』の娘の昌です。髪と目の色以外は『父親』の中学生だった頃にそっくりなので、母も間違えたのでしょう」


 母がフォローを入れてくれた。


「そう言うわけで、今は言葉遣いも『昌幸』で通したのよね、昌。なかなか似てたわよ」


 看護師さんは納得の顔だ。


「すてきな娘さんね。美人だし、相手のことを慮って『孫』として話すし、お父さんのことをしっかり理解しているし……。

 中学生ぐらいだと、お父さんとは口もきかない、って子も多いのに。きっとすてきなお父さんなのね。

 お父さんはお見舞いに来ないの?」


 今来ています、と言えないのが辛いとこだ。


「来たくても来られないのです。息子は去年……、親より先に……。でも、母はこんな状態でしょう。伝えるに伝えられなくて」


 ハンカチを出して目をぬぐう。


「まさか……」


「孝行息子だと思っていたのですけど、親より先に逝くなんてとんだ不孝ものでした」


 目頭をハンカチで押さえる。本人の前でそういう小芝居するかなぁ。


 看護師さんはこういう種類の話には耐性があるのか、ちょっと居づらそうにしながらも、事務的に仕事を始めた。




 電車で帰路についた。

 母はそのまま帰宅したが、私は少し買い物。先日買いそびれたスニーカーと、バックアップ用のHDD、それにヘッドフォンステレオとタブレットだ。

 近々、比売神子となることは、ほぼ確定している。そうなればあちこち『旅行』することが多くなるに違いない。情報端末と暇つぶし用の道具は必要だ。


 結局、ヘッドフォンステレオは見送った。タブレットと機能がかぶるし、行く先々でいろいろあるだろうから、お安めのタブレット。SIMとSSDの両方を入れられるタイプだ。

 ただし、セキュリティのことを考えると、比売神子にかかる情報は一切入れられない。連絡はガラケーのみだ。


 契約手続きをし、引き渡し前に、上の階へHDDを買いに行こうとエスカレーターに乗ったときだった。上から五歳ぐらいだろうか、何に足を滑らせたのか、男の子が倒れかかってくる。

 私は空いている方の右手で、男の子の腕を掴んだ。でも、このまま倒れれば後頭部をステップにぶつける!

 私は掴んだ腕をぐっと引っ張る。脱臼ぐらいするかも知れないけど、後頭部を打ち付けるよりマシだ。


 しかし、狭いステップでそんなことをすれば、今度は私が後ろに倒れることになる。

 咄嗟に、左手で手すりのベルトを掴んだ。持っていたレジ袋ごと。

 レジ袋が間にあるばかりに、滑る左手だけでは体重を支えきれない。


 周囲りがスローになる。

 後ろに倒れていくのが分かる。

 あ、これ、ヤバい倒れ方だ。後ろに誰かいたら、居なくてもシャレにならない。

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