一章「曙」
亘理は、桜の蕾が膨らむ匂いを感じると必ず懐古に耽る。外は南東から日差しが差し込むが、どうやら眠りから呼び起こすことはしない。窓の外から鳥が数羽囀っているが、車のエンジン音は、亘理の住む街にしては珍しく聞こえない。
亘理は既に学生で、翌年には大学入試が控えているのだが、この頃は一体どうして、学問に身を置くことから自らを遠ざけている。
亘理は、女に困ったことはない。但し、白石晴乃を除けば。今も彼は、交際している女子こそいれ、この季節は白石を思い出してその女子とは暫く会わなくなる。初恋の呪縛とは恐ろしい。
「白石さんて、今どんな人になったんだろう。」
ふと、毎年の春は思わなかったが、何故か今年は気になってしまった。ネットが普及したこの時代、名前や関連したものを調べると、不思議と見つかるもので、亘理は荻沼(未だに彼とは仲が良いので)のアカウントから探りを入れ、遂に見つけた。やはり、あれから十年過ぎた。当時の容姿の美しさに年を重ねた、しかし勿論だが若く、つまり、美に磨きをかけた姿で写真が載っていた。
亘理は、何かに衝撃を加えられ、早速白石にメッセージを送る。
「亘理悠平って覚えてる?同じ小学校だったんだけど。」
直ぐには返事も来るはずもなく、亘理もこの時大学一浪して受験対策をしなくてはいけなかったので、メッセージを送ったあと、直ぐに家を出た。
いつも、彼は荻沼と近くの喫茶店で勉強している。荻沼も、浪人している。
「慎二、今日は早いんだね。早く起きた?」
「いや、寧ろ遅いんだよ。寝てない。寝られなくてね。」
笑いながら二人は話す。
「君は昨日の問題、分かったのかい?」
「いや、ごめん。やってない。慎二の出す問題は難しすぎるんだよ。」
「いやいや、悠平。医学部を目指す人間に、高校生が解く問題で難しいものなんて作っちゃいけないよ。」
「まぁでも俺はサ、高校の間勉強してなかったから。毎日のように遊んでたから。」
「して、結局悠平は二浪目突入を決めたんだったね」
「そう、今年は仙台の親戚の家に居候させてもらって、そこから予備校に通うんだ。もう、甘えていられないよ。」
「君は今年遊んでばかりだったからね。」
「否定できないんだよなぁ。」
この様な会話を続けて、やはり亘理は白石の件を忘れられず、荻沼に話したくて仕方がなかった。
「慎二サ、白石晴乃さんて小学校にいたじゃない?」
「うん。」
「あの人、今めちゃくちゃ可愛くない?」
「ああ、そうかもね。昔から可愛かったからね。」
「俺、メッセージ送っちゃった。」
「本気で?それは笑う。やはり女子へのアプローチは早いね、毎度の事ながら。」
そこから、白石春乃についての話題が止まらない。荻沼は、亘理がまた白石への慕情、恋情が10年越しに再び再燃したことに気づく。決め手は、
「俺、白石さんに会いに東京に行くわ、日帰りで。」
と、亘理が決心した顔で荻沼にした宣言。しかし、荻沼は白石の連絡先は前から持っており、白石が部活で時間があまりないことも知っていた。
「悠平。それはいいが、その日部活で余裕がないかもしれないじゃないか。先にアポを取らないと金が無駄になるぞ。」
だが、それが恋情だと気づかず、しかも認めない当の本人は、
「いや、会えなかったらそれはそれで仕方ない。観光してくるよ一人で。恋とかじゃなくて、会ってみたいだけなんだから。」
「でも、女一人のためにお前がなけなしの金を使って会いに行こうとするんだろう。それは、お前絶対に恋だよ。好きになってるよ。何故って、考えてもみろよ。お前がだぞ。あのお前がだ。自分の本当に好きな女に対して以外金など出すまいと言うお前が、何の迷いも無しに六千円もかけて東京へ行くはずがないだろう。それはお前、絶対に好きになってる。そして、絶対に会わずにはいられない。」
亘理は、いつもより頬に血を通わせて目を細めながら少し照れくさそうに、笑う。
「そうなのかな、好きになっちゃったのか。」
「そもそも、そのメッセージは返信来たのかい?」
荻沼に言われ、亘理は確認する。通知が一通。待望。白石から。
「覚えてるよ!」
亘理は興奮しながら喜ぶ。店員に注意をくらい、
「お前の所為で俺も注意されただろ。」
と荻沼からも諌められる。
「悠平、まずはもっと話してからだ。それで、会えそうな雰囲気になってから、東京行きを決めろ。まだ早い。早計だ。」
「分かった!先ずは晴乃ちゃんに気に入られないと!」
楽しそうに話す。
「調子にのるな、何を急にちゃん付けで呼んでるんだ。」
二人が気づくと、外は暗くなり、時計は午後六時を指していた。