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「効率的に」や「速く」を目指している時に陥りがちな問題

作者: 山藤 陽由

「効率的に」や「速く」を目指している時に陥りがちな問題


仕事でも勉強でも、「速く」て「効率的に」こなすことが求められることが多いです。日本のお家芸である「改善」は、社員の満足度の改善というよりも、仕事の効率化に向かっていくことを意味していることが、ほとんどですよね。しかし、効率的にやりたいと思って真面目に取り組めば、本当に効率が上がるのでしょうか。


我々日本人は押しなべて真面目です。会社のやり方や上司に対して文句を言うこともあるでしょうが、その元は「もっと良くしたい」とか「期待に応える人でありたい」ということがベースにあって、それで会社の非効率や非生産的なやり方を変えたいと感じるのでしょう。上司が自分に対してスーパーマン級の仕事ぶりを期待してきたとしても、それに応えないといけないと思ってしまい、それが達成できない時に、逆切れして上司を嫌な奴だと思ったりするのではないでしょうか。


効率を良くして速くやることで、生産性が上がるという結果を期待するのは悪いことではありません。しかし、結果に先にフォーカスし過ぎても、結果は出ないのではないかと思うのです。


こんなことを言うと、怒られそうですが、人間は今やっていることに100パーセント集中できる時、一番効率が良いし、速くできると思うのです。


しかし、真面目過ぎるあまり、「効率よく」「速く」やろうという意識を頭の片隅に持つことで全集中力の20パーセントを使ったとすると、今やっている仕事への集中が80パーセントになってしまう。結果としてパフォーマンスは落ちます。


まして、「効率を意識しなくちゃいけない」とか「速くやらないと怒られる」なんてことを考えているとしたら、今やっていることに60パーセントしか集中できなくなる。それどころか、「怒られるかもしれない」という思いは、過度の緊張を強いるので、更にパフォーマンスは落ちるはず。


本当にパフォーマンスを上げたいのならば、リラックスできる環境で、今やっていることにただ集中することが一番だと思うのです。そうしながらも、何か良いアイデアがポンっと浮かぶこともあるでしょう。そうしたら、それを実行すればいい。


今やっていることに100パーセント集中することに長けているのは、幼児ではないでしょうか。幼児が遊びに夢中になっている時は、100パーセント遊びに夢中で、それが「効率的か」とか「速いか」なんて考えていません。


それでも小学生になるころにはミニ大人になっていて、100パーセント集中できなくなるようです。それは、ひとえに先に対する不安があるからだと思います。中学受験に合格しないといけないという恐怖。宿題をしないと先生に怒られるという恐怖。成績が悪いと親に叱られるという恐怖。親や先生だけでなく、友達からのバカにするような視線や直接的な人間性を否定するような言動も恐怖でしょう。


だから、本当に効率を上げたいのなら、不安を無くし、リラックスした状態で集中することがベストだと思うのです。


リラックスから遠ざかっていると、リラックスの意味を勘違いしている場合もあるので注意が必要です。リラックスとは、ダラっとすることではありません。確かにギューッと力を入れた集中を緩めると、一度は反対側に大きく振れて、ダラーっとなることも、あるでしょう。しかし、本当のリラックスは、幼児の遊びを手本とするように、ダラーっとすることではなく、力を入れないで集中することなのです。


昔、がり勉がバカにされる時代がありました。それは、がり勉の人が、リラックスしていないから、真のひらめきが発揮されないだけでなく、100パーセント勉強に打ち込めていない一方、日ごろリラックスしている人が本気で頑張ると、がり勉の人に追いついてしまう。そういう頑張っているけど結果が出せない人に対して、バカにしていたのではないでしょうか。しかし、その後、それが行き過ぎて、真面目な人を揶揄するところまで行ってしまったようで、適当に全力出さない方が格好いいという間違えた考えに行ってしまい、今度は全力を出すことを恐れる人もでてきました。


真に目指すのは、真面目にリラックスすることではないかと思うのです。過去にあったことに捕らわれず、未来を恐れず、今に集中する。今だけに集中すれば、恐れに集中することができないので、リラックスするしかないと思うのです。この先に聖者の言う「悟ったら、今しかない」という状態があるのだと思います。急にそこには行けないし、別に悟りを目指そうと言う話でもないのですが、仕事や勉強でも、最終的に向かう方向は、同じなんだと思います。


では、どうしたらリラックスできるのか…。ここが一番の問題です。色々な方法があると思いますが、思いつくところを挙げてみると、瞑想、ヨガ、散歩、単純作業あたりでしょうか。各自、個性があるので、自分で探っていくしかないと思いますが、大切なのは、リラックスに取り組もうとする決意でしょう。それさえあれば、きっと何か、自分にピッタリのものが現れると思います。そして、リラックスできた時は、誰かに「今、ちゃんと幼児のようなリラックスができているよ」と言われなくても、自分で分かるのではないかと思います。もしかすると、リラックスが出来るようになる前に、真面目に押さえつけていた感情や思考が洪水のようにあふれるかもしれませんが、その後きっとリラックスできると思います。


そんなわけで、自分自身でも他人でも、効率を上げたければ、叱咤激励して恐怖心から目標達成を目指すのではなく、もっとリラックスできるような環境を整えることが大切だと思うのです。


そして、もし恐怖心がないと、自分を律して生産性を上げようとか、目標を達成するために頑張ろうとか出来ないんじゃないかと不安になるのであれば、それは、深い部分で自分をダメだと思い込んでいるのでしょう。


自分も他人やこの世界の全てのものは一つであり、この宇宙を創った大元の存在も一つなのだと考えると、自分がダメなら全てダメだと思っているということです。すると、効率を良くしようとしても、最初からダメありきの中で効率を良くすることを目指すわけですから、ダメな結果しか生まれないに決まっています。少しは改善するかもしれないし、短い期間なら頑張ることもできるでしょう。でも、土台がダメなのに、強固な建物が完成するわけはないので、遅かれ早かれダメになるでしょう。


だから、そこに気づいたら、もっと深い部分で、全てを肯定する思考に戻す必要があります。ここで「戻す」と書いたのは、本来はダメなものなどないからです。宇宙を善と見るか、悪と見るかは自由です。絶対の善とか、悪とか証明不可能です。だとすると、自分で好きな方を選ぶしかない。だったら善を選べばいいだけの話じゃないですか。宇宙も善、自分も善、周りの人や物も善。そう考えた方がハッピーですよね。


実際、私は善というか愛あるものを体験すると、心地よく感じるのだから、それでいいと思っています。もし、あなたも愛を体験している時の方が、心地よく感じるのであれば、愛、つまり善なるものとして、この宇宙を決定すればいいと思います。そして、宇宙の一部であるあなた自身も、もちろん善であり、愛であると決めればいいのです。そこが決まれば、リラックスの元は出来たも同然です。


今変わる決心をしたとしても、今までの習慣に引っ張られることがあるかもしません。しかし、何度も繰り返し決意すれば、必ず正しいリラックスができるようになり、仕事や勉強、それ以外の活動でも勝手に効率化されると思います。


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