第三話―4
その後、驚く周囲を無視してリリアに屋上まで引っ張って来られた。その間ずっとリリアは腕に抱き付いていたので、恥ずかしいかったし、周囲の視線も痛かった。リリアは全く気にしてないようだったが。
「えっと、リリア?」
リリアに促され、取り敢えず腰を降ろし、戸惑いながら開いた口は次の瞬間には閉じられる。
抜けるような真っ青な空が、赤く染まっていったからだ。それは昨日と同じ禍々しい紅。
「ま、まさか、また妖魔が!?」
身を強張らせて雅哉は辺りを見回すが、まだ抱き付いたままのリリアの姿しか見えない。
「もしかしてリリアが……?」
リリアは長い髪を揺らして頷く。
「やっぱり、リリアも魔術師なんだね?」
黙って首肯。
リリアを見てからある程度は予想していたが、やはりそうだった。リリアも義姉と同じ魔術師で、あのアルカディアの関係者なんだろう。
「結界を張ったってことは、僕に色々と説明してくれるってことだよね?」
こくんと可愛らしく頷く。
「どうやって?だってリリアは……」
そこまで言って雅哉は言葉を濁す。
リリアは喋れないのだ。それは生まれつきの病気で、絶対に治らないものらしい。前に会ったとき、リリアはそれを気にしていた。だから、雅哉は口に出すのを躊躇った。しかし、
[大丈夫だよ]
いきなり頭に声が響く。それは悪戯っぽく笑うような声だった。
[こうしてれば、思念で話せるんだよ]
また響いてきた声に目を落とすと、リリアはその声同様に、碧眼を細めて笑っていた。
「だから、こうしてくっついてるの?」
[それだけじゃないけどそうだよ]
そう言って、リリアは胡座をかいている雅哉の腿の上に座った。
「リ、リリア!?」
今まで腕に抱き付かれていたのでも、内心心臓が壊れてるのでは心配になるほど早鐘を打っていたのに、そんなところに座られては本当に壊れる。
[抱いて]
「はい?」
リリアが更にとんでもないことを言い始め、雅哉は間抜けな声を上げる。
[だから、こうやって後ろからぎゅっと]
リリアがジェスチャーを交えながら説明する。
「えぇぇー!?な、そん……なんで!?」
[そうしないと話せないから]
今正に話しているのだが、気が動転している雅哉は気付かない。
「う、うぅ……」
渋々といった感じで、雅哉は逸る心臓なんとか宥めて、リリアの強く抱けば壊れそうな体に腕を回した。
[ん……]
びくんっとリリアの体が震える。それも当然だ。雅哉が今手を当てている部分。それは女の子特有のもので――
「うわぁ!ご、ごめん!」
慌ててそのなだらかな膨らみから手を退ける。
リリアは微かに紅潮した顔で雅哉を見つめ、
[雅哉のエッチ……]
恥じらうような声を響かせる。
「え、う、あ、うぇ!?」
その台詞に雅哉はろれつの回らない、意味のない台詞まくし立てる。頭には完全に血が上りきり、目も宙を泳いでいた。
[後でいくらでも触らせてあげるから、今は説明が先]
そんな雅哉にリリアは笑い、彼の腕を取って自分の腹部に回した。
「うぇ!?」
ようやく現世に帰還した雅哉は、今の状況にまた飛びかけるが、リリアの真面目な瞳を見て、なんとか意識をつなぎ止めた。
[いい?これから話すことは誰にも言っちゃ駄目だよ]
「うん」
その瞳通り、頭に響く少女の声からは悪戯っぽさが消え、氷のように冷たい――まるで義姉のような声に変わっていた。
[もう里奈から少しは話を聞いたと思うけど、私達はあの機体――アルカディアを製作、運用する組織の一員なの]
聞いてはいなかったが、それくらいは容易く想像できた。
[私達はアルカディアに代表されるような、科学と魔術の混合、ひいては魔術師と科学者の共存を目指しているの]
「魔術師と科学者の共存?」
[そう。色んな漫画とかみたいに、この世界でも魔術と科学は相容れてないの]
そこで彼女は言葉を切り、紅く染まった空を見上げた。
[だけどね、やっぱり仲が良いほうが良いでしょ?何でも]
「そう……だね」
[でしょ!牙王なんてね、普通人間がどうにかできる存在じゃないの。だけど、魔術と科学を結集すれば、いとも簡単に倒せる]
興奮気味にリリアは続ける。
[だから、だからね。アルカディアのような物が増えれば、世界はもっと平和になる。理不尽な死も、少なくなると思うんだ]
最後は何故か悲しげに言い、リリアは髪を掻き上げ、吸込まれるかのように深い碧眼で雅哉を見る。
[ここからはお願い事。アルカディアを起動するには貴方が必要なの。だから――]
「言われなくても、そうするつもりだよ」 リリアの瞳に見とれていた雅哉は、頭に響く声に我に帰り、言葉の途中でその先に待つであろう言葉に答えた。
[えっ……]
「僕はもう知っちゃったから、理不尽に殺される痛みを、苦しみを」
あの夜、牙王に傷つけられ死を覚悟した時のあきらめ。助かった今になって思う。あれはなんて悲しいことなんだ。なんて苦しいことなんだと。
自分の生を諦めることほど辛いことはない。自分では辛いなど思わずとも、他人が見れば心苦しくなってしまうだろう。
自分があのとき生を諦めたと言えば、目の前の少女も、義姉も悲しむ筈だ。
そんな痛みを遺して逝くのは、きっと本人も辛い。
そんな風に消えていった命が幾つもある。それに苦しんでいる人が大勢いる。
それを救うことはできずとも、これから無くしていくことができるのならば、
「僕なんかが何かできるなら、それをやりたい。うぅんやらせて」
強い決意を秘めて雅哉はリリアに頭を下げる。
[本当にいいの?昨日や一昨日みたいにぼろぼろになったり、死んじゃうかもしれないんだよ?]
「うん。努力はするし、それにそうなっても、リリアと義姉さんとアルカディアが守ってくれるから」
再度確認するリリアに冗談めかした声で答え、笑いかける。
すると、リリアは徐々に顔を綻ばせ、
[ありがとう雅哉!大好き!」
と、思い切り抱き付いてきた。
「うわっ!ちょっ、リリア!」
咄嗟に抱き留めた雅哉は、さっき触れてしまった柔らかな感触を胸に感じ、また鼓動が早まる。
[なぁに?]
「いきなり抱き付くのは……それと胸が……」
[触りたいんじゃなかったの?]
「違うよ!」
強く否定すると、リリアは満悦した顔から悲しげな顔になり、少し涙溜めた碧眼で上目遣いに、
[触りたくないの……?]
とても答え難い質問を放つ。
「うっ!それは……」
どう言えばいいのだろう。触りたくないと言えば恐らく泣かれる。かといえ、触りたいと言えば変態と思われる。
「えっと……触りたくないことはないけど……」
取り敢えず半端な答で茶を濁しにかかった。が、
[じゃ触って]
リリアは微笑みと上半身を逸して胸を突き出す。
「えぇぇー!」
事態は悪いほうに転がった。
[早く、この態勢キツいから]
リリアが催促する。
(あぁぁぁ!もう何とでもなれ!)
意を決しリリアの小さな胸に手を伸ばそうとした瞬間、轟音と共に辺りの色が戻る。
「リ・リ・アぁ!」
辺りが完全に常態に戻ったとき、この世のものとは思えぬ声が、雅哉の耳に入る。
見ればそこには、
「義姉さん……?」
右手に巨大なライフルを、左手に明らかに両手持ちの両刃の剣を軽々と携えた、里奈らしきものが居た。らしきというのは、それが放つ殺気が、人が放てるものの限界のニ倍は優に超えているからである。
「なにをしているのかしら?」
そう問う里奈の顔は、引きつった笑顔を作っていた。
「えっと、義姉さん?」
状況が全く飲み込みめない雅哉は戸惑いの声を上げるしかない。
[怖いよ雅哉ー!]
「……!?」
リリアはそれを見て怯えたように雅哉に抱き付いた。
それで里奈の理性は完全に失せ、両手の武器を投げ放ち猛然と雅哉達に向って走りだした。
里奈に投げられた剣とライフルは地面に着く前に消えたが、里奈はそれより早く雅哉とリリアの前にたどり着いていた。
「リリアぁ……!」
憎ましげな声で言い、里奈は雅哉に抱き付いた。
「義姉さん!?」
「こうしてれば間接的にリリアと話せるの」
憤怒の瞳で睨まれ、雅哉は何も言い返すこともできなかった。
[何をそんなに怒ってんだか。雅哉に嫌われるわよ]
リリアが自分に話し掛けるときとは明らかに違う声音で里奈に話し掛けるのが、雅哉にも聞こえた。
「な、雅ちゃんはそんなことで私を嫌ったりしないわ!」
目で同意を求めてくる里奈。
「は、はい」
その目が何故か不安に揺れているように見えて、雅哉は真剣な声で答えた。
[私のことは嫌いなの?]
と、こちらは明らかに涙目のリリア。
「えっと、好きですけど……」 そう答えると、
[やっぱり、雅哉は私のことが好きなんだって]
「この子は誰も嫌いになったりしないのよ!」
[嫌いじゃないじゃなくて、はっきり好きって言ったもん]
「それは貴女の好きとはタイプが違うわ!」
二人は口喧嘩を始めてしまった。
「どうかな、聞いてみる?]
「いいわ……」
どうしようかとオロオロしていると、不意に前後からの圧迫が消えた。
「どうなの?雅ちゃん」
「何がですか?」 何故か久し振りに感じる風を受けて、取り敢えず頭を冷やそうと思考を停止していた雅哉は、里奈の質問の意味が分らない。
「雅ちゃんの好きと、これの好きは同じかどうかってこと」
幾分か落ち着いたのかいつもの冷たい声で――しかしどこか緊張したような声で里奈が問い直す。
これ呼ばわりされたリリアが一瞬ムッとした顔で里奈を睨んだが、すぐに顔を戻し上目遣いで雅哉を見上げた。
(えっと、真面目に答えないと駄目なのかな?)
リリアも里奈も真剣な目をしているので明白だ。
(どうしよう……)
黙り込む雅哉に業を煮やしたリリアが振れようとした
「早く教室戻らないと!」
雅哉は棒読みで言い、二人が何か言う前に屋上から走り去っていった。
教室まで全力疾走で走りきった雅哉は、自分の机に俯せていた。
(何なんだろう、あの状況は……)
二人の美少女に抱き付かれ、好きかどうかなど質問される。男なら誰でも羨む状況だろうが、はっきり言ってキツい。
(なんか、魔術を知ってから、女の子とばかり縁があるな)
義姉とリリア、それにアルカディアも女の子だった。
(女難の相でも出てるのかな?)
雅哉がため息を吐いたとき、
「雅哉君」
妙に感情のない声で呼ばれた。
顔を上げると霧嗣が立っていた。声とはまるで違う怒りに満ちた顔で。
「あのリリアさんだっけ?あの人とはどういう関係?」
やはり平坦な声で表情は怒りのまま霧嗣は問う。周囲を見れば視線は全てこちらに向いている。さらに黒板には自習の文字。
(厄日だな……)
雅哉はまた深いため息を吐き、この状況を打破する言い訳を模索し始めた。




