甘美な毒・1
夜明け前、目覚ましのアラームで目を覚ます。
未だ肌寒い空気に本能が布団から出るのを拒むのを抑えて飛び起きる。そうして僕のいつも通りは始まる。
だけど、今日の僕はいつもより少しばかり気分が軽い。
昨日、孤児院に帰って英気を養ったというのもあるけど、弟妹に貰った昇進祝いが一番の要因だ。
元々はアルルーの歓迎会だったはずなのに追加で僕の昇進祝いまでやってくれた。急いで用意された弟妹たちからのプレゼントは、僕の似顔絵と折り紙や包装紙で造られた花束。
帰宅後、早速枕元に飾って寝る前に眺めたのだ。
世の父親が子供からのプレゼントを貰った気分……とでも言うのだろうか。僕は父親を知らないけど、多分こんな感じなんだろう。
弟妹たちを想う感情が父性であることに思わず頬が緩む。
さて、今日はバス通勤なので途中でコンビニに寄る事が出来ない。なので、昨日の帰りに買っておいたパンを食べてから部屋を出なきゃいけない。
素早く身仕度を整えて朝食を済ませると丁度良い時間だった。うん、計算通り。
いつも通りの時間に部屋を出て、1つ目の信号を渡ればバス停はすぐだ。予定通りバスの発着時間15分前には着けた。
早めにバス停に着いたのはいいけど、待つ間が手持ち無沙汰になっちゃうんだよな。昔は小説を持ち歩いて時間を潰していたけど、今日はその事を失念していた。
結果、仕方なく道路を行き交う車を眺めたり、快晴とまではいかないが雲の少ない空を見上げたりボーッとしていた。
「あの、おはようございます」
ふと、その声で会釈程度に頭を下げ挨拶を投げ掛ける女の子に気付いた。
「あ、おはようございます」
反射的に挨拶を返してから最近バス停で見かけるようになった女の子だと思い至った。
「今日は車じゃないんですね」
「え?あぁ、今日はね。明日からはまた車だよ」
あれ?この娘とは初対面だよな?普通に話し掛けてくるけど、どこかで会ったことのある娘かな……?
「ふふ、急に話し掛けてすいません。実はいつも車に乗ってるのを見掛けてたので。
ココ、道路より高いからカーナビの画面が良く見えるんですよ?」
あぁ、なるほど。いつもこのバス停では既に減速して、数メートル先の信号機で停まる。それにこのバス停は、バスの乗り降りを考慮したバリアフリー設計の歩道で道路より30㎝程高いから車内が見えやすい。
「バス通学し始めたのはほんの数日前からですけど、毎朝見掛けるので覚えちゃって」
なんかすいません、とハニカムその娘に対して急に恥ずかしさをおぼえてしまいつい顔を逸らす。
「まず、毎日何かの映画を観ながら通勤してるなぁって気付いて。音が微かに聞こえてたりもして、その映画が何なのか気付く程度には私も映画好きなので……あはは」
そうだったのか。音量を気にした事は無かったけど、歩道にまで聞こえてたのは失態だ。
何せ、その日の気分で幼児向けアニメを観たりもしていたから…うわ、恥ずかしい!
「あ、すいません!覗き見なんてして気味悪いですよね……」
「い、いや!そんな事思ってないよ!!音量に気を付けなかった僕が悪いし、その…映画は子供向けのを観たりしてたのが恥ずかしいなって……」
頬をなぞる冷たい風が顔の紅潮を余計に意識させてくる。
「わ、私も!…たまに『プリフェア』見ます。恥ずかしい、事なんてないです!」
「言わないで…居たたまれない……」
フンスと両手で拳をつくりフォローをしてくれているが、番組名まで出されては追い打ちである。
『プリフェア』--プリティーでフェアリーでキュートな魔法少女アニメ。プリフェアシリーズは14代目が現在放送中で女児に大人気。因みに大きなお友達にも大人気。新人女性声優の登竜門とされている。
「まぁ、うん。妹が居るから話のタネになればと思ってね……弟も居るから『激隊シリーズ』なんかも観るし」
「あ、私も妹が居るんで分かります。そうですか、お兄さんですか。良いなぁ。弟妹思いなお兄さん良いなぁ…私の兄は全然そんな事無くて、いつもケンカばかりでした!」
目の前の女子高生は、自分のお兄さんとの出来事を思い出して頬を膨らませてつらつらと不満を呟いている。
僕はどうしたら良いのか分からず、苦笑を浮かべる他無くて乾いた相槌を打っていた。
その後、そんなに間を置かずにバスが着たので、2人で共に乗り込んで隣り合わせてシートに座り改めて会話を再開した。
彼女の名前は本野 晶子というそうだ。本野さんはやはり今年から高校生のようで、地元から少し離れた進学率の良い高校へ通っていると話してくれた。
趣味は前述の通り映画鑑賞。専らレンタルDVDを自宅で観るそうだ。
僕はジャンルや監督など気にせず棚にあるものを適当に取るタイプなのに対して、本野さんは毎回映画雑誌での論評を吟味したり、特定の監督の作品をじっくり色々と観るタイプらしい。
他には互いに家族の話や学校の話、仕事の話などをした。僕の仕事は機密事項もあるからそれに抵触しない範囲で。
☞
本野さんは会社の最寄りバス停よりも5つ先にあるバス停で降りるそうなので僕が先にバスから降りる事になった。
別れの挨拶を交わし席を立つ時に本野さんは少し緊張した面持ちで、もしよければ今度車に乗せて下さいね、と口にした。
僕は呆気にとられて即答は出来なかったけど出来る限りの微笑みと共に、じゃあまた明日ね、と返してバスから降りた。
会社には普段よりも少しだけ遅い時間に着いたが、それでも誰よりも早い出社でやることはいつも通りだ。
侵入者を拒む大きめの外門を開け玄関を開け社内の空調スイッチを押して清掃を始める。
さて、新人たちが来るまでに終わらせて今日の業務内容を再確認しなきゃな。
気付くと、前回の投稿から時間が経ちました。いつの間にか年も明けてますね。
今さらですが明けましておめでとうございます。