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第4節

 目が覚めた時には、朝どころか昼も通り過ぎ、日が傾いていた。

 窓から差し込む夕日を浴び、家主がカチャカチャとキーボードを叩いている。新しい菓子袋と即席麺が、椅子の周りに転がっていた。ギトついたキーが、陽光を反射した。丸めた背中に、脂肪がもっこりと出っ張っている。もそもそと動いているようにも見えるが、実際は、腕と指しか動いていない。

 起き上がろうとして隣を見ると、彼女が、俺に絡みつくように眠っていた。露わにした胸を押し付けている。昨夜ほど嫌悪感は無かったが、それでも良い気分ではない。縫いつけた数十の釣り糸が、かろうじて胸の原型を留めさせていた。

 包帯ぐらい巻いてやるか――。


 立ちあがり医薬品用のボックスを覗いたが包帯がない。また隣家にくすねに行かなければならない。まさか、自分がここまでお人よしだとは、我ながら情けなくなってくる。玄関に向かって歩いてゆくと、ちょうどドアをコツンコツンと叩く音がした。

 誰だ、と聞くと郵便屋だと言う。

 仕方なく扉を開けると足もとで黒い目が見上げていた。ばさばさと羽ばたき、何を考えているのか分からない表情で見上げてくる。

 目と同じように黒い嘴には、紙切れを挟んでいる。

 郵便屋は、嘴を閉じたまま器用に、電報だと告げた。受け取ってみれば、家主や俺ではなく彼女宛だった。

 家主でこそないが、いまこの部屋を仕切っているのは俺だ。文字が並んだ紙切れを見て、俺は根っからの使い走りになってしまったな、などと思ってしまう。外に出ると夕焼けを背に、何匹も鴉が屋根に止まっていた。大した情報網だ。


 俺は、郵便屋を追い払って、隣家から包帯を仕入れた。

 郵便屋は、立ち去る時に小さな糞を落としていった。コンクリートの上に、べっちょりこびり付いている。どいつもこいつも、一体何を考えているのか――。

 彼女は、静かな寝息をたてていた。

 家主が幾分興奮気味なのは、半裸の女がそばで寝ているからだろう。徹底した無関心に、半ば呆れ、半ば感動したが、女の存在には反応するらしい。ディスプレイには、家主が好みそうな女、というより小さな娘が裸で立ち回っている。どうやら、怪物のような男に襲われる設定らしい。現実にはあり得そうにない大きな瞳が潤んでいた。

 包帯を巻くために抱き起こすと、彼女はしがみついてきた。

 それを払いのけ、なんとかグルグルに巻きつける。一息つく頃には彼女は完全に目を覚ましていた。血と脂肪にまみれる俺を、一体なんとみるのか、彼女の目には困惑が漂っていた。飲ませすぎたか――。一瞬苦痛に顔を歪めて、己の胸を見た。血に染まる包帯。寝ていた床には、血溜まりがあり、胸の肉と脂肪が散らばっている。


「終わった、の?」

「ああ……」

「ビデオ、撮った?」

「ああ……」

 俺の返事に、彼女は深いため息をついた。

 当然ながら、期待した礼はない。

「電報だ」

 糞を落としていった郵便屋が咥えていた紙切れ。それを彼女につき出した。

「私に?」

「差出人は……、お前の親父さんだ」

「なんて?」

「さあな。自分で読めよ」


 電報を受け取った彼女は、それを読んで、再びため息をついた。

「あの親父、もう消えるって――」

「そうか、じゃあ正式に襲名した訳か。おめでとう。これでお前も疱瘡神の頭領だな」

「そうね。なんだか荷が重いなぁ」

 などと言っているが、ここまで必死になれば当然の流れだろう。部屋にうっすら漂う無数の妖霊。その一匹や二匹が親父どもの目や耳であったとしても不思議ではない。

 彼女の父親は、全くと言っていいほど奮わなかった。

 神とは名ばかりだ。人類が編み出した医学に翻弄され、あっという間に消え去ってゆく運命だった。彼女の父が放った出血熱には、破滅的なパンデミックの再来を予感させた。しかし、人類の封じ込め作戦は周到かつ効果的だった。

 彼女の父は、先進国の安穏とした『他人ごと感』すら揺るがせなかった。

 それに比べて彼女の祖父は偉大だった。

 たとえ道端に転がっていたとしても、誰も見向きもしない貧相な風貌だったが――。人々はその力を畏れ敬うのだ。何世紀もの間この世に君臨し続け、人類に死病を振り撒いた。その圧倒的な力量に、誰もが恐れたのだ。つまり彼女の祖父は災厄を司る神々、一括りに言えば厄病神の間では筆頭中の筆頭、超花形だった。疱瘡を司る彼女の祖父は、眼前に累々と横たわる屍をこともなく築きあげ、この世の終わりを人類の目に焼き付けた。疱瘡神を鎮めるために人間がこしらえた石塔の数は、他の厄病神を圧倒した。


「なあ、ふと思うんだがな。お前の爺さんなら喜んで蠅にたからせたんじゃないか? 蛆を無理やり取っ払う必要なんてあったのか?」

 俺の言葉に、彼女は蔑むような視線を投げてきた。

「あなた、ホントに真面目に考えてる? 私達は、成るべくして成ってるのよ。いい? 疱瘡って天然痘や麻疹よ。天然痘なんて、とうの昔に根絶されちゃってる。今の医学には全然太刀打ちできないの。ボツボツなんてもうお呼びじゃない。死病でもなんでもないの。今じゃ疥癬まみれの犬の方が、人々に恐怖を与えるわ。

 お爺様を祀った石塔なんて、邪魔にされて簡単に破棄されるご時世でしょ。私達に必要なのはイメージなのよ。今の人達は、災難や疫病なんかじゃ全然怖れない。死が遠いと思ってる――。国が何とかしてくれる。病院が何とかしてくれる。なんとかしてくれなきゃ、非難すればいい。そう思ってる。

 今の時代はね。苦労して手に入れたり、辛い事を押しつけられる時代じゃないわ。望むものを、出来るだけ簡単に手に入れながら生きてるんでしょう。それがただのコピーでもね。私達は、そんな人間と一緒に生き残っているの。だから私がしたい事は、世の中の流れと一緒。私達のありのままの姿は、彼らの欲望やイメージに直結している。だから私は、いつまでも自分の体をウジに食わせたりしない。

 昨日の話、まだ終わってないわよ」


 彼女は立ちあがり、家主の肩に手を置いた。

 何かを指示している。

 家主は『蓮コラ』と言うキーワードを打ち込んでいた。幾つかのサイトを閲覧すると、昨夜そのままのボツボツの映像が映し出された。彼女の胸と同じ――、肌の上にあいた幾つもの穴。

「これは私の胸の写真。蓮の実のようなボツボツが、おしりやオッパイを覆い尽くしてるのよ。でも、こんなものはあっという間に忘れ去られちゃった。見ててよ。私の胸。すぐに綺麗に治るから――。人々のイメージはどんどん変わっているわ。私だって負けてない。知ってる? お隣の国じゃ、蓮コラはずいぶん前から禁止画像よ。逮捕者まで出てる」


 そうか――、いままでもこれからも同じだったのだ。

 人間の怖れと、死病の狭間で、どう己を活かすか――。

 彼女の破滅的で強大なエネルギーが、もどかしい、もどかしい、と言いながら出口を探しているのだろう。人類に災厄をもたらす膨大な熱量が、彼女を突き動かしている。しかし足掻いたところで、彼女が生き残れる時代ではない。彼女にとって生き辛い時代なのだ。

「なるほどね。新しい自己表現ってのはそれか――。まあ、お前の執念は分かったんだがね。それを治しちまったら意味がないだろう」

 彼女はにやりと笑う。昨日までは切れ長だった目が、今日は丸く、大きくなったような気がする。彼女の言うとおり胸の張りが戻ってきているようにさえ思う。大人びた美人顔から、童顔の可愛いらしいタイプの女になろうとしている。

 おそらく、これは家主の影響だ。

 俺の特技をうまく媒介させて、自らを変えているのだろう。

「あなた、ホント飲み込みが悪いのね。私はね。もう古いって言ったのよ。それに、これ以上、私が力を使う必要なんてない。あなたの家主が勝手に広めてくれるんでしょ? 今は、あなたが一緒にいるんだから――」

 家主は嬉々としてボツボツ画像を集め始めている。蓮コラは、すでに過去の話題らしいが、家主にとっては目新しいのか、もしくは再燃か。


 そうだ――。

 彼女は、ただ足掻き続けている訳ではない。変わり続けているのだ。

 消えゆく運命を払いのけ、全身全霊で、時代に追いつこうとしている。

「私は疫病を司るのよ。医療に対抗しながらもね。ウェブにも色んなモノをばら撒いたわ。『検索してはいけない言葉』なんて、いくらでもあるの。でも、あなたには勝てなかった。あなたを見てはっきりと感じたわ。全てがメディアミックス。体の麻疹だけじゃ通用しない。心にも麻疹を起こしてやるの。分かる? 心よ。私達は一つになるの。恐怖と堕落、それと、不運は本来一つのもの。私達は、厄病、不運、災いをもたらす。私は、あなたの力を使って増殖する。あなたと私は災厄そのものなのよ」

 災厄そのものなのよ――。

 確かに彼女はその通りだ。病魔を振り撒き、人を死に至らしめる。

 だが、俺はどうだ。情けを掛けられて逆に人を幸運に導く事もある。人の情けが身に染み、陥れるどころか人を助けるのだ。彼女などとは比べ物にならない。


「お前なぁ。俺を買いかぶり過ぎてないか? 確かに、俺も災厄の神の端くれだがね。お前ほど破壊的な力は無いぜ。タダのおちゃらけた悪役。愛嬌が売りの小物だ。いいか? 貧乏神なんてものはなぁ、滑稽なだけだ」

「何言ってるの? 私の目は節穴じゃない。そんな事言いながら、着実に食指を伸ばしているでしょう。あなたの力は強くなってる。あなたの先代が消えた時、一体、何が起こった? 世界は、じり貧まっしぐらじゃない! それもこれも、あなたがヤリ方を変え始めたから――。もうこれ以上誤魔化さないで、私には通用しない!」


 彼女は高ぶっていた。

 それに呼応するように、家主が体を揺すり始める。貪欲な収集は終わらない。彼女が家主の耳に囁きかけ、家主は身を震わせた。背後に立った彼女に気付く事もなく、恍惚としながらキーボードを叩き続ける。額には、脂汗がにじみ出ていた。

 それは俺が持っていた力だった。

 怠惰と欲望。

 増大すれば、単調で、変化のない習慣的な行動に至る。

 没頭、のめり込む、浸る、とらわれる、一心不乱、忘我。

 一言で表わす言葉は幾らでもある。自分の世界に浸りきる。俺が撒き散らす人のサガだ。精神的な貧困は、いずれ現実の貧困となり本人を襲う。当然、不幸などたやすく招き入れられる。


「これがあなたの力でしょ。一晩一緒に居ただけで、私に入り込んでくる。あなたに感染力をあげるわ。だから私に、心を支配させて――」

「しかしなぁ。お前は体を支配する疫病の神だぜ?」

「もう! 頭の固い事言わないでよ。どんなボツボツをどんな場所に植え付けたっていいでしょ? 私は、疱瘡や麻疹を体にしか使っちゃいけないの? 人が一番手に負えないものって何だと思う?

 それは、やっぱり心。当然よね。

 人の精神は人にはどうにもならない。あなたは貧乏神。人に取り付いて堕落させる。それって心を支配できるってこと。私の病と感染力を、あなたの力で心に直接ねじこんでやるの――。あなたはすでに求めていたはずよ。私がここに来たのは必然なの」

 俺は観念した。


「分かった。お前の言う通りにしよう。だがな。俺は元来面倒くさがりなんだ。まあ、お人よしでもあるがね。昨夜みたいにややこしい要求するなよ」

「もちろんよ。あなたの性格ぐらいちゃんと分かってるわ。それにね。小手調べの準備ならもう済んでる」

「へぇ。そうかい」

「この部屋で、あなたがブツブツを治した事がヒントかな」

「どういう事だ?」


 彼女は楽しそうだった。

 大きく見開いた瞳に引き込まれそうになる。

「やっぱり、メディアミックスよね。昨日のビデオ、この男に渡して。あっと言う間に広まるわ。それから本も書いてよ。もっと広めなきゃ」

「なるほど、ビデオはそう言う事か――。自己顕示欲の強いマニア連中なら、広めたくてうずうずしている。インパクトなら十分だ。しかし、本はダメだ。俺に本は書けない」

「何言ってるの。そこの家主に書かせればいいじゃない」

「そうか、この馬鹿にやらせればいいな」

「でしょ。最初の犠牲者は、こいつね」

 そう言って彼女は嬉しそうに笑う。

 しかし家主が最初の犠牲者だと? 複雑な気分だ。俺は煙草を探した。苛立ちながらも不甲斐なさを感じてしまう。平静を装うには、何か小物が欲しかった。

 彼女は勘違いしているのだ。最初の犠牲者は、俺だ――。

 まあいい。それを言えば負けた気分にもなる。それに彼女の提案には、心が躍るものがある。「ああ、そうだな」と返したが、静かに歓喜が湧きあがってくる。


「そうよ。なんのためにこの男のそばでやったと思ったの? それに、あなたは未だに映画やアニメに出ているんでしょ? そこでチラっと私のおっぱい見せれば十分」

「それがな、最近はあまり出てないんだ。それにアニメじゃ無意味だろう。やれない事もないが、映像メディアは批判が集中しやすい。規制を早めるだけだ。俺の手口はな。気付いたら、手遅れってヤツだ」

「そっか、残念。でも本にはしてね」

「ああ、やってはみるが、この馬鹿はうだつが上がらない。まあ、俺のせいなんだがね。こんな奴の書いたものなんぞ、誰も読まないぜ」

「いいのよ、そんな事。ウェブに無縁な人間も巻き込めれば――。一握りの人間でいいの。今までとは違う人達に広まるから。それに、書いちゃえばどこだっていいんじゃない? 公開さえできれば――。そうだ。ねぇ。いっそ写真も載せようよ」

「おお、それはいいな。挿絵にお前の写真入れるか」

「みんなが私の胸見るのよね。ぞくぞくするわ。『次のページにあるわよ。じっくり見てね』なんて書いたらどうかな」

 なるほど。彼女の言葉はそのままでは使えないが、面白くなりそうだ。

 どうやら俺にも彼女の力が感染してきたようだ。問題を起こしたくなかった気持ちは薄れ、黒い塊が心の奥底から湧き出してくる。堕ちてゆく人間。想像するだけで喜びに打ち震える。歓喜と興奮がやってきた。これまで以上に力を奮ってやろう。

「言ったでしょ。蓮コラなんて手始め。そこの家主の趣味や嗜好、歪んだ感覚だって感染させてやれるのよ。ホントはね。それがメインだったの。これからは体の恐怖なんていらない。心に麻疹を起こしてやるの。心の感染症。あなたと私が組めば、現代医療なんて、クソの役にもたたなくなるわ。理解できない病に人間は慌てふためく。お爺様の時代のようにね」


 うむ、それは面白い――。


 CMには、童顔の二次元娘を登場させてやろう。

 首相のつぶやきに萌え言葉を混ぜてもいい。

 うすっぺらい映像と言葉に、全ての人間が麻痺する。

 みんなこの男の様になる。一緒にいても、携帯やPCで会話する連中。

 家主はあちこち歪んでいる。ほんの一時間、ネットから離れるだけで不安になり視線をさまよわせる。パニックになるのだ。流れ続ける話題が気になり、PCが無ければ携帯を探してスクリーンを開く。数行のやり取りだけで一日の大半を失う。心の病。


「あなたには、私が必要なの。もう気付いたでしょ」

 ああ、よく分かった。

 俺には、お前が必要だ。

 俺達は、どうせ腐れ縁なのだ。とことんやってやろうじゃないか。精神疾患だろうが、無気力だろうが、俺達が組めば心の病が感染する。より強い刺激、広く浅い関係、刹那の快楽は俺の専門だ。心を頽廃させてやろう。精神の貧困だ。それを疫病化して、世界にふりまいてやろう。


 ニート? ワーキングプア? ネカフェ難民?


 彼女の感染力が加われば簡単に増殖できる。誰も彼もPCの電源をちょっと入れて好きな物を探せばいい。携帯ならすぐに繋がる。どこにだって忍び寄ってやろう。不運と災難を撒き散らすのだ。

 知人のつぶやきだろうが、著名人の日記だろうが――、俺はSNSでこう囁けばいい。

 

 ―― 一つも見逃すんじゃない。今この瞬間、他の奴らは盛り上がっているぞ。ほらな、また取り残された。誰からも相手にされなくなる。孤独な奴だなぁ、お前は。独りで寂しい奴だ。もっともっと繋がっていけ。今なら間に合う。そこに居ないのはお前だけだ。一つも見逃すな ――。

 

 かつての鼠のように増え続け、中毒が蔓延する。皮膚にできた疱瘡を恐れて神を敬ったように、ささやかな繋がりにしがみつく。周りを見渡せば、刺激を漁る亡者ばかりになるだろう。これからは心の疫病が増殖する。災いが、いつまでも同じ形でやってくると思ったら、大間違いだ。

 

 いずれ意識の根底、頭蓋の内側にびっしりこびり付く。

 脳みその真上、頭蓋の裏にブツブツを感じたら、もう手遅れだ。



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