第3節
俺はカッターナイフとバスタオル、そして水を張ったボウルを用意した。
それと縫い針と糸。糸は細い釣り糸だ。針や釣り糸は、この部屋に無かったので他の住人から失敬してきた。消毒液ならこの部屋にもあるが、その程度なら自力で何とかするだろう。
ただ、彼女が一番気にしたのはビデオカメラだった。どういうつもりか、一部始終、全て撮ってくれという。俺は三脚にビデオカメラを据え、彼女に向けた。
「なあ、俺は医者じゃないんだぜ?」
用意したはいいが、目の前に寝そべる彼女を前にしたら、急速に憂鬱になってきた。
「いいのよ。私、言うとおりに、やってくれたら……」
そういう彼女の呂律は無茶苦茶だった。
麻酔の代わりに、しこたま酒を飲ませたのだ。
「で、どうするんだ?」
「虫をね、取って、みてよ」
俺はため息をついた。
彼女は胸を手で隠していたが、腕を持ち上げても何の抵抗もない。完全に脱力している。両胸があらわになった。改めて見ようとしたが、どうにも直視出来ない。
「ね。言った通り、肌色の、シュウマイでしょ……。言いたい事、分かった?」
俺の様子を察したのか、彼女が言葉を掛けてきた。何の慰めにもなっていない。
確かに、彼女の言う通り、グリーンピースを取ったシュウマイの穴にそっくりだ。
彼女の胸は、小豆ぐらいのクレーターに、覆われていた。ふくよかな胸、一面がクレーターに覆われている、ボツボツと並んだくぼみが、頂点を中心に、びっしりと密集している。一か所に集まったブツブツ。正常な部分を探すのが、困難なほど集まっていた。
無理だ――。
俺が悪役であるのは間違いない。だが、時には情けを掛けたり、逆に掛けられたりするような中途半端な悪役だ。そんな俺に、これはキツ過ぎる。自分の頭や、背中をかきむしりたくなる。いっそ彼女の皮膚を引っぺがして踏みにじり、火をつけて焼きつぶし、生ゴミにでも出したら――、どんなにすっきりする事か。俺は、掻きむしりたい衝動を抑えながら彼女の胸に顔を寄せた。彼女の言う虫を探すためだったが、見当たらない、
「虫なんてどこにいるんだ?」
聞いてみたが返事が返ってこない。
「おい。虫なんていないぞ」
彼女の頬を叩きながら聞くと彼女の頭がぐらんぐらんと揺れた。
目は虚ろになって薄笑いを浮かべている。
「おい。寝るな! 虫はどこだ?」
「むしぃぃ? んんと――。よく、見て、よねぇ」
そう言ってヘラヘラと笑った。
ちくしょう! 俺は罵った。
彼女の先端を摘まんでむりやり引っ張り上げ、穴ぼこを広げると彼女がうめいた。
「いやぁあん。やさしく、やってよぉ……」
「うるせぇよ!」
思わず怒鳴った。
まったく。笑えない冗談だ。くそったれ。
俺は、乳首をつまんだまま深呼吸を繰り返した。目を凝らしてクレーターを見る。喉の奥が引き攣った。度肝を抜かれるとはこのことだ。情けない事に、俺は「ひッ」などと声を立てて、飛びのいてしまったのだ。
彼女の胸。その穴ぼこの奥には、ごま粒のような白いツブツブが、みっしりとこびり付き、蠢いていた。穴ぼこの内側を小さな卵が、覆い尽くしていたのだ。そんな穴ぼこが彼女の胸を埋め尽くしている。どれもこれも小さな白い卵で一杯だった。
「マジかよ――。やめてくれよ。もう」
正直に告白するなら、そうつぶやいた俺は、半泣き状態だった。
胃がきゅうっと縮こまり、中の物を戻しそうだ。今まで経験した中で、これほど惨めな気分に陥った事は一度も無い。せいぜい感動にむせぶぐらいのものだ。
それが今は、得体の知れないブツブツを触ってしまった。それしか頭に無かった。しかもあろうことか、彼女は、俺を見てケタケタと笑っていたのだ。屈辱だった。とんでもない物に関わってしまった。
「中にね、巣、があると、思うのよね……」
「は?」
プライドだけでかろうじてその場にとどまっていた俺は、ずいぶん間抜けな声をだしていた。
「だぁかぁらぁ……、巣、だって」
いやいやいや。
一体、中とはどこの事なのか。幾らなんでも無理ってものだ。彼女は、ふわふわとした動作で顔を向け、事もなげに言う。俺の目には、間違いなく恐怖が宿っていただろう。彼女の言葉と、彼女の胸は恐怖そのものだった。
「蛆、なの……」
「なっ――、なにがだ?」
「ちっちゃい、の。白い、つぶ。入ってる」
「なんだって? どういう事だ? まさかこれ全部、蛆なのか?」
「そう、よ……。だから、ね、成虫が、いると、思うの……」
「まさか、中にか?」
「うん……」
「うん、じゃねぇよ。勘弁してくれよぉ。そんな事できるかぁ」
泣きごとを言い掛ける俺の腕に、彼女が触れてきた。訴えるような目だ。湿っぽく光る唇を動かし、つぶやいている。耳を近づけると彼女の口から「私達の時代なの。いいから、思いっきりやって」と聞こえた。この執念は、一体どこからくるのか――。彼女の言う『巣』を想像した。どこにあるのか分からないような巣を探し回れば、彼女の胸は西瓜のように砕け散ってしまう。スーパーに並ぶ精肉コーナーに並んでいるパック詰め。そんな肉塊にしてくれって言っているようなものだ。
俺は再び穴を広げた。
蛆だと言うその小さな粒を、カッターでほじると一つだけポロっと落ちた。
敷き詰められたツブツブに一つだけ穴が開いた。後悔が湧いてきた。
びっしり敷き詰められた小さなぶつぶつに、ぽつんと穴が一つ――。
ここまで来て、やめるなどとは言えない。落ちた一匹を拾ってよく見ると、明らかに蛆だった。小蠅の蛆。ごま粒のようだった。こいつらは頭を下にして傷口、つまり乳房にできた穴に隙間なく喰らいついているのだ。それを見ると今度は怒りが湧いてきた。彼女も蛆も、何もかも呪い殺したくなるような、どす黒い汚泥だった。どうとでもなれ。俺は腹を決めた。
部屋の中を漁ると、プラスドライバーとカセットコンロがあった。
カセットコンロは、ガスを止められた時、家主が拾ってきたものだ。カセットは、古い物の他に、余分に一本用意してあった。おそらくこれで十分だろう。俺は安堵した。なんとかなりそうだ。穴ぼこをじっくり覗かないで済む。
俺は青い炎を目いっぱいに大きくした。炙られたプラスドライバーは、真っ赤になって強烈な熱を放つ。肌に近付けると彼女は身を固くした。
白いつぶつぶが敷き詰められた、憎々しい穴ぼこだ。
俺は躊躇なく、ドライバーを押し込んだ。
彼女が跳ね上がったが、気にするものか。
絶叫――。
反射的に身をよじって逃げようとする彼女を俺は抑えつけた。
焼ける肌に叫びながら、彼女は、四肢をガクガクと痙攣させた。
それでもベッドの上では間の抜けた鼾が響いている。ここまで来ると天晴れというものだ。全く動く気配がない。俺は、彼女の胸に空いた穴を、一つ一つ徹底的に焼きつぶした。
とにかく――、穴に群がる蛆をどうにかしなければ、こっちの気が狂う。
出来るだけ何も考えず、憎しみだけで手を動かした。熱したプラスドライバーが、嫌な匂いを放ち、蛆と一緒に彼女の肉を焼いた。仰け反り、呻き、歯を食いしばり、脂汗を流し、激痛に悶える。知った事ではない。悲鳴だろうが、痙攣だろうが、何もかも無視してやる。容赦なくドライバーをねじ込み、全て焼き殺すだけだ。
部屋には、皮膚の焼ける臭気が充満した。
ひたすら手を動かし、半時もすると、ずいぶんと気が楽になってきた。蛆は、なすすべも無く焼かれる。蜂の子と同じなのだ。ねっとりとしたトロミさえ感じる。穴ぼこが、穴ぼこに見えなくなってゆく。手元が定まらず、周囲まで焼くのも仕方がないだろう。彼女が暴れるからだ。穴が穴に見えなくなる。忌まわしい蛆も、一掃される。
心が麻痺したのだろうか、次第に愉快になってきた。最後の一つを焼きつぶす時には、俺は快感すら覚えた。すっきりと晴れ晴れしい気分だ。ざまあみろと叫びたい。一つ残らず潰してやった。赤黒くただれた胸に、掻きむしりたい衝動はなくならなかったが、すくなくともびっしり覆い尽くす白い粒は消えうせた。
そして――、俺は、彼女が望むすべての処置を淡々と続ける。
ふくよかな、柔らかい乳房に巣食う小蠅。
切り裂いた乳房。その脂肪の奥に、黒いものが寄りかたまっていた。
肉にまみれた黒い塊は、もぞもぞと動き回り、蛍光灯の光にざわついた。一匹一匹が翅を震わせ、一つの大きな生き物が肉の中に蠢いているようだった。多分、あまりにも嫌悪感が高ぶると、恐怖よりも怒りが沸き起こるのだろう。
激しい憎しみが、再び、込み上げてきた。
俺は、掃除機の吸い取り口を乳房の奥にねじ込み、その黒い塊を吸ったのだ。
吸込み口を塞がれた掃除機は、我武者羅に肉に吸いついた。意地汚い奴が、汁をすする音が響き、その騒音に寧ろ救われた。俺自身、叫びたかったのだ。俺の代わりに、喚き散らしてくれた。
思う存分――。
容赦なく押し込んで、吸い取ってやった。
乳房は、見るも無残になった。
それも本望だろう。彼女は、処置の途中で気を失っていた。
道具は、片付けずに捨てた。カッターやドライバーだけでなく針や糸も、床に散乱したものは、全てゴミ袋に入れて玄関脇に放った。部屋の中になど置きたくはない。もちろん掃除機も例外ではない。気付いた家主が不信に思うかもしれないが、掃除など数年やっていない。
内部に巣食っていた蠅が、数匹逃げだして部屋を飛び回った。
たったそれだけで、恐慌に陥りそうになる。俺は、これでもかと言うほど平らになるまで叩き潰し、綺麗にふき取った。
まったく――。彼女はいつだって破滅的なのだ。
あらゆるものを恐怖のどん底に叩き込む。
人間ばかりか、俺までどうにかなってしまう。煙草が吸いたかったが、その気力もない。終わったという安堵感と共に、底なし沼に沈み込むような感覚が襲ってくる。面倒くさがりの俺を、よくもまあ、こき使ってくれた。




