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第2節

 彼女の四肢は美しい。

 急速に冷めて行く意識とは別の所で、やるせない疼きを残しながら、俺はビールをあおった。蜂の巣を砕くと、幼虫や蛹がポロポロとこぼれ落ちた。酔いが醒め、しおらしくなった彼女が、それを拾い集めた。

 そんな彼女の姿に、こちらが酔いたい気分になる。


 目をつぶってやっちまうか?

 いや、無理だ。そんな考えに俺は頭を振った。

 煙草に火をつけて荒い息を吐いたが、苦いばかりでちっとも美味くない。


「で、ヤケに絡んできたのは、それが見せたかったからか?」

 彼女はこっくりとうなずいた。その後に「それだけって訳じゃないけど」と続けた。

 つまり、怖かった訳か?

 人恋しくて肌を重ねたかった。たぶん、そういう事だろう。俺と彼女は、腐れ縁って奴でつながっている。お互い、恋愛感情など持ってはいない。

 まったく、こいつと関係するといつもろくな目に合わない。今回は未遂だが――。

 苛々する俺を気遣っているのか、彼女はお得意の上目づかいで、申し訳なさそうな表情を向けた。あげく「ねぇ。口でしよっか?」などと言い放った。普段ならそそるものもあるが、そんな気分などとうに失せてしまった。

「あほか。気にするんじゃねえよ。アバズレみたいじゃねぇか」

「それでもいいわ」

「もう言うな。そんな事より、それ、どうしたんだ?」

「話すと長いんだけど……。助けてくれるのよね?」


 そう言って彼女はにじり寄った。俺が目を逸らすと、うつむいた。

「聞かなければ分からん」

 彼女はため息をついて、人差し指で幼虫をいじっていた。

 拾い集めた幼虫がもぞもぞと動く皿の上、一匹の幼虫が細い指の下で転がされている。クネクネと形を変える塊に、ひどくイラついてしまう。俺は、彼女の手を乱暴に払いのけて、転がされていた幼虫を口にほうりこんだ。皿を引き寄せると、彼女は責めるような目で、こちらを睨んだ。

「ねぇ。助けてくれるのよね?」

「分かったから話せって」

「いいわ。でも、夜が明けるけど大丈夫?」

 彼女は、家主を見た。

「ああ、こいつは気にしない。居候の身でこんな事を言うのもなんだがね。こいつは鈍いんだ。おまけに、ネット漬けで二日ばかり寝てないからな。どうせ、昼まで寝てるだろ」


 俺はベッドの脚を蹴った。

 例え、女を連れ込み、一発かましたって気付きはしない。派手に立ち回ってゴタつくのは避けたいが、呆れるぐらい無関心なのだ。それなりに気を使っているつもりだが、俺自身、気を使うことが馬鹿馬鹿しくなる事もある。四六時中関わるのも嫌だが、気遣いどころか、俺の存在自体に関心が無いのではないか、そう気づくと逆に腹が立ってくる。おそらく、起きていたとしても、呆けた面で俺たちの横を通り過ぎるだろう。まあ、最近の連中は目の前に一生懸命で周囲を見渡すことをしなくなってしまった。誰も彼も似たようなものではあるが――。

「それならいいんだけど――。私ね。今の自己表現じゃ、このまま消えて行くんだろうってずっと思ってたのよ」

「それはさっき聞いた。しかしな。俺達はなるべくしてなっているんだぜ。そんな必死に自己表現してどうなる?」

「つまんない事言わないでよ。分かってるくせに。今の時代は、なんでもかんでも移り気。先手先手で攻めなきゃすぐに忘れ去られるのよ。あなただって、最近見ないじゃない。もう私たちの自己表現じゃナンセンスなのよ」

「まあな」


 言い返す事もできるが、俺は反論しなかった。事実、そうなのだ。

「それでね。新しい自分を探しに出たの。イギリスに住んでみたのよ」

「へぇ。それは知らなかった。どおりで音沙汰がなかったわけだ」

「すごく刺激的だったわ。帰ってくるのが嫌になるくらい。向こうの連中は、根本的に何かが違ってて――。なんて言うのかな、もっとずっと活気付いてた。みんながみんな生き生きしていて、端役でも映画とかドラマとか、それに絵本。分かる? 絵本よ。自分が出てるシーンを、何時間でも嬉しそうに話してくれるの。信じられなかったわ。心の底から愛されてるんだって――、満足感がにじみ出ていた」

 目を輝かせながら言う彼女は、昔、未来を語り合った頃と変っていなかった。

 栄えていた頃に憧れを感じている。そんな部分には、相変わらず憐憫を感じさせるが、熱を帯びた瞳は、色香ではなく香気を放っていた。俺は、彼女のすがすがしい瞳に、何度も振り回されたのだ。

 彼女の精彩さ。

 彼女とその血筋は、俺には眩しすぎる。今となっては、一般の人々、それも新しい世代には、どちらかと言えば俺の方がよく知られている。本来なら、俺なんぞ彼女の足元にも及ばない端役だ。俺にとって彼女は……、憧れの存在だった筈なのだ。

 それでも俺の自尊心は憧れるだけの怠慢を許さない。抵抗を続ける俺の自尊心が「愛、ねぇ」と茶化したが、彼女は意に介さなかった。俺はベッドにもたれ、彼女を見据える代わりに上に向かって煙を吐いた。

「愛なんていうと鼻白むかもね。でも、私、気付いたのよ。こちらではね。新しいモノはすぐに受け入れられるけど、感性だけが取り残されてるの。これは間違いないわ。とにかく昔を引き摺ってる。今の私の様にね」

 そう言った彼女の目付きに、俺は釘を刺された気分になる。


 今の私の様にね――。


 その言葉は、これ以上私を馬鹿にしないでね、そう言っているようだった。過去にしがみついていると蔑むのは、どうも控えた方が良さそうだ。居心地の悪さが、忍び寄って来ていた。

「まあ、いい経験なのは分かったが、結果がそれじゃあな」

「いいの。これはこれで――。ホント、あなたって全然分かろうとしないよね。私の話。真面目に聞いてないでしょ?」

「そんな事ないさ。ちゃんと聞いてる」

「まあ、いいわ。信じてあげる。イギリスはね、とてもスピリチュアルな国なの。こちらで『愛』なんて言えば白々しいなんて言われる事もあるけど、皆が平然と愛を語るのよ。私だって初めは可笑しくて笑っちゃった」

 彼女は、自嘲に顔を歪めた。

 何も答えずに煙草をふかしていると、彼女も煙草に火を付けた。煙草は何気なく床に置いたものだ。家主のものであるから、ケチを付けるつもりはないが――。

「だから、彼らが出ている映像は、存在感が全然違っていた。あなただってそうだと思うんだけど、私達ってイメージが古臭くて進歩がないのよね。お爺様達の時代から一歩も進んでない。というか、未だにお爺様達のイメージのまま。いつも同じじゃ見る方が慣れちゃうのに――。どこか馬鹿馬鹿しいのよね。存在感どころか、生きてるって実感もない。あなただって、全然変わり映えしないんじゃない? いつだって中途半端なヒール役。それに、端役どころか、今は全然出てないでしょ」

「嫌な事をはっきり言う奴だなぁ。まあ、お前の言うとおりなんだがね。しかしね。それが持ち味、つまりイメージだろう。仕方ないんじゃないか? よく見知っている方が、人は安心するんだ。そうでなければ、俺が俺でなくなっちまう」

「そぉお? ホント、嘘ばっかり。私が何も知らないと思ってる。何も気づいていないと思ってるでしょ? あなたがお父様から世代交代したのは、必然なのよ。ちゃんと分かってるんでしょ? これからは私達の時代なの。あなたが、先代や先々代のやり方をマネしてるだけじゃない事ぐらい分かってるわ。欲の無いふりしてトボケても無駄。あなたは、自分の住みかを変えた。自分の力を発揮できる場所をすでに探し当てた。違う?」


 俺は、考え事をするように下を向いた。

 煙を吐くと下によどんで、徐々に上に消えて行った。

 彼女の言うとおり、現状に甘んじていただけではない。このところ、俺の名前が人の口にのぼる事などなくなってしまった。もちろん、彼女の方がずっと深刻だが、もし彼女が、この世界から消えてしまっても、それは、時代が彼女を必要としなくなったからだと思っている。俺は、すでに行き場を見つけたのだ。

 新しい自己表現。

 彼女の言葉だ。肌色のシュウマイの意味は分からないが――。


「そうか。お前の言うとおりだ。俺は住処を見つけた。お前も、生きる道を見つけたんだな?」

 俺の言葉に、彼女はほほ笑んだ。返事を期待したが、彼女は立ちあがってデスクに置かれたPCの電源を入れた。家主のものだが、俺も自由に使っている。

 彼女はビールを飲みながらPCの起動を待った。フィーンンンという静かなハミングが心地よい。冷却ファンはなめらかに回り、潤沢な金を掛けたPCが目を冷ました。煙草を消して彼女の脇に立つと、ディスプレイには、すでにアカウント画面が映っていた。俺は、家主のパスワードを打ち込んだ。

 彼女は、満足そうだった。

 少なくとも、俺に話を聞く気持ちがある。そう判断したのだろう。

「あなただって同じでしょ? ネット以外にないんじゃないの?」

「ああ。いい線だ。かなり近い。しかし、お前のように現実派な奴が、ネットで一体どうしようって言うんだ?」

 彼女は答える代わりに、ウェブ閲覧のためにブラウザを立ち上げた。検索欄に『マゴットセラピー』と打ち込む。該当は、10万件ほどだった。それほど多くない。

「見て。これはイギリスの話よ」


 彼女が見せたのは、世界最大の動画サイトだった。

 イギリスの話。

 そう示された動画には、壊死した創傷に、ウジ虫をたからせている映像が映っていた。手のひらほどもある傷口は、赤黒く変色している。その傷口に、隙間なくウジ虫が蠢いていた。数百匹の幼虫が、壊死した患部を喰っているのだ。

「ウジ虫治療じゃないか。こんな物、昔の人間なら経験的に知っていた事だろう」

「そうね。だけどイギリスでは、1995年に医療保険の対象になったわ。分かる? ウジ虫治療が、医学的に認められているのよ。それにね。2004年には、アメリカでも保険が適用されるようになってる。生きた医療機器なんて言われて――。古臭い事なのに、対応は斬新なの。日本じゃ考えられないでしょ? 大事なのは、新しいとか、古いとかじゃない。利用価値の問題。そう思わない? あちらじゃ、現代医療でも進歩的なのに、こちらはイメージ先行。嫌悪感ばかり先立っちゃって――、キモいだの、グロいだの、ネット見てても、そんな話ばっかり」

「まあ仕方ないだろうな。それにしても、お前、ずいぶんインテリになったもんだ」

「茶化さないで。とにかく、今の時代は印象重視。古い物とか伝統に対する敬意もないし、新しければ、それだけでありがたがっちゃう」


 俺は驚いて彼女の横顔を見た。

 彼女は『新しい自分』を探しに出たのだ。古いやり方では駄目だとも言った。この期に及んで、過去に敬意と言われても、何が言いたいのか分からない。俺の視線に気付いた彼女はかぶりを振った。

「違うのよ。世の中が、どうかってこと。根本的には何も変わらないのに、新しいってだけで飛びつくんだわ。古い物はどんどん捨てちゃって、新しいモノとかヤリ方をなーんにも考えずにありがたがってる。見た目とか、感じ方だけ――。それってとても遅れてる。例えば、伝統とか大切にして、それで合理的に新しい物を取り入れるとか、そう言う発想なんか全然ない。それって感性が、古いのよ」

「まあ、そう言う所もあるかもしれないな。しかし、そんなものはどこだって似たり寄ったりだろう」

「違うわ。イギリスはスピリチュアルな国だって言ったでしょ。今でも、半分の人は『神』か『何か』を信じてるわ。たとえ宗教を見限っても、神を見限らない。この意味、分かる? 宗教は信じない。でも、神は信じる。もともと日本人だって、似たような気質なのに――、上っ面だけ西洋の真似しちゃってる。イギリスは伝統を重んじてるし、妖精だとかの話も、割と語られるのよ。知ってる? 向こうじゃ幽霊が出るって噂の不動産は、価値があがるの」

「へー。そりゃあ面白い。夢がある。幽霊は別にしても、妖精やら、妖怪の話なんざ、日常出てこないからな。アニメや小説が関の山だ」


 そう言って、俺は新しい煙草に火を付けた。

 少しばかり彼女の熱を冷まさないと、どうにも話が脱線しそうだ。海外にかぶれる者は多い。イギリス、イギリスと、どうやら彼女もかぶれてしまったようだ。

 己の本分を忘れてやしないか?

 ふとそんな風に感じる。

 俺はベッドにもたれるように座ると胡坐をかいた。家主は、鼾で何度も喉を詰まらしている。間の抜けた奴だ。俺は蜂の子を盛った皿を引き寄せてビールを飲んだ。彼女は目の前に座り、退路を断つようににじり寄ってきた。ビールが、温くて不味い。


「それでね。私一つ思いついたのよ。昔のやり方は、今でも効果絶大よ」

「なんだって?」

 俺は顔をあげた。

「だからぁ、私は、今のマスメディアを見限ったの」

「それ本気か?」

 こいつも先が長くない。

 俺の脳裏に、彼女が消えてゆく様子が、ありありと浮かんだ。


「それは言いすぎかも知れないけど、映画とかドラマ、書籍だけに頼ってちゃ駄目。ネットを使えば口コミ――、つまり口伝えとか噂よね。その効果が半端じゃないのよ」

「まあ、メディアミックスってやつの一環だな。TVならTVだけ、本なら本だけ、ネットならネットだけって単独では効果が薄い。色々な宣伝法を織り交ぜて、広告効果を上げるやつだろ。口コミの重要性なら誰でも知ってるさ。今更どうってこともない。やって当然の事だ。それに口コミは、どちらかと言えば、低年齢層向けだぜ」

 俺は敢えて突き放すように言った。

 冷めた口調が気に入らないのか、彼女は「もう!」と非難だか不満だか分からない言葉を吐いた。彼女の口から別の感嘆詞が出てくる気配はなかったが、俺は素知らぬ顔で蜂の子を口に入れた。

 やはり味噌が合う。

 彼女は、立ちあがって新しいビールを取りだし、わざと音を立てて飲んだ。

 苛立ちを紛らわしたいのだろう。当然、これ見よがしな態度は、頭に来た事を知らしめるものでもある。俺は温まったビールと一緒に、苦笑いを飲み込んだ。


「なんでそんなつまんない言い方するのかなぁ。口伝えとか噂って、お爺様の時代じゃ当たり前だったのよ」

「そりゃあ、それしかなかったからな」

「確かにそうなんだけどさぁ。もうちょっとノッてくれてもいいんじゃない?」

「まあ、で、どうする。有名人ブログなんてやったって、モノ好きしか見に来ないぜ」

「そんなありきたりな事しないわ。これでも一応プロだし。それにあなた、わざと重要なモノ言わなかったでしょう?」

「うん? 何がだ?」

「低年齢層だけじゃないわ」

 俺は誤魔化そうとしたがやめた。

 彼女はもう分かっている。


「ああ、俺の後ろで鼾かいてるな」

「そう。どっぷり漬かってる。でも彼らが世の中を動かし始めてる――。影響力は、まだまだ上がるわよ」

 俺は、後ろを振り返って家主を見た。

 陰では、間抜けだのボンクラだの、言いたい放題言ってはいるが、実のところ俺と家主は切っても切れない関係だ。いずれ解消される仲ではあるが、部屋を貸してもらっている以上の恩恵を受けている。すでに世の中は、家主のようなコアなネットワーカーの動きを無視できない。一部では先導者にすらなっているだろう。ならばそこをうまく煽ればいい。彼女はそれに気付いていた。


「どう? お爺様の時代は口伝いね。それに地道に足で回ったわ。父の時代はメディアや交通機関。じゃあ、私達は?」

 人に認知される――。

 つまり有名になると言う事は、人の目に触れ耳に触れ、話題にならなければならない。コミュニケーションツールの発達した世の中、メディアばかりに頼っているのも時代遅れなのだ。

 彼女が一体どう立ち回るつもりなのか、俺は興味があった。


「うん――。まあ、その通りだ。それで俺は何をすればいいんだ?」

「そうね。まず、私の胸、治してよ」



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