夏服増加現象と栗
◇Real◇2019/05/09 13:35◇
怪獣が巣に帰還したあと、俺はひとっシャワー浴びたりなんだりしてから、がちごちにこった肩を柔軟にほぐしつつ再び自室へ戻った。
部屋には香水かなんだか知らないが、俺の縄張りに似つかわしくない甘い香りがまだほのかに漂っていた。仮にもし麗菜と俺の状況が逆だったとしたら、あいつは俺が帰ったあとに消臭スプレーを一缶空っぽにしていたことだろう。
ちらばったミラーズパッドやらを拾い上げて装着からのログイン。
ローディング画面を眺め、あくびをかましつつふと振り返ると――――
「…………てか、ここで寝てたんだよな……」
香り染込んだシーツはいつごろ洗ってやろうか、とちょっと悩んだ俺はそうさ。
まだまだ思春期なのか、はてさてただの変態か。
考えるまもなくローディング画面は終了した。
◆Virtual◆2019/05/09 13:38◆
「っ…………」
画面を見ると喪失感が津波となって俺の心の中で荒れ狂う。何度見たって痛い、痛すぎる……。
白シャツ短パン。このゲームにおいての生まれたままの姿。まるで真夏の虫取り少年のごとく――といっても今じゃ虫取り少年なんて見かけない。かのカブトムシなども絶滅危惧種に指定された今、虫取りにもヴァーチャルの時代が到来しているのだ。
俺が突っ立っているこの広大な街には、様々な形状をしたフラットフロートが縦横無尽にかっ飛び、自由に行き交う無数のキャラクターが羽虫のようにひしめいている。これだけの人間を虜にしているものがゲームだということには驚かざるを得ない。
乱立するビルを燦々と照らし出す太陽。クリアーな青空を優雅に流れる白い雲。ランダムに吹く風はキャラクターの髪と服装をはためかせ、街路樹の葉をさらさらと揺らす。このゲーム専用のメモリなだけあって、リアルさの度合いは恐ろしいほどにまで現実に肉薄している。
――――などなど称賛したところで。
しょせん、ここは仮想世界。数年前までは一部のコアなゲームメーカーには存在したが、値段はともかくこういうゲームが一般世間に浸透したのはつい最近だ。
しかし人間様もすごい世界を創造してしまったものだ。数年前までは小説や映画の中で描かれ、"想像"して楽しむ域だったっていうのに、今じゃ完成されたその想像の中で遊んでるときたもんだ。
想像で終わらない――。それは素晴らしいことなのかもしれないが、世の中には"想像で終わってくれればそれで済んだこと"だっていっぱいあるだろう。
――と、百円ショップで売ってるような安っちぃ正義感を脳内で語ってみたりもする。ゲームをやっていても、時折そんなことを真剣に考えてみたりもする。ここにいると遠くて知る必要もない、現実のお話を。
「ちょっと君、職務質問いいかしら?」
不意打ちぎみの背後からのきびきびとした声に背筋が伸びる。ぽけーっと呆けてたぶん冷や汗モノだ。どこか小うるさい笑い声が含まれてるこれは麗菜か。
「どうぞお好きなだけ眺め回せ」
現実に顎を横に軽く振ると、キャラクターはすらりと振り向く。その先には麗菜こと女性型キャラクターのレイがいた。――こっちが職質したいわ。
「で、例の人とは連絡取れたの?」
「あぁ言われなくとも今するさ」
俺は連絡を取るべく………………あれ?
「……リューガさん、いないな。毎日いるはずなんだけど」
知り合いがゲームにログインしているかどうかは、『フレンドリスト』という機能で確認することができる。リストには登録した友達の名前が並んでいて、ログインをしていれば名前が光るというもの。
しかし現在リューガさんの名前は光っていない。マネージャーに話を聞いてくれると昨日約束したのだが……。いや、そもそもリューガさんがログインしていない時なんて"ない"のだ。睡眠時間ですらキャラクターは操作してないものの、お店を開いたりして放置している。
「"毎日いる"って考えの時点で歪んでるわね。まったく、アノ人って仕事してるのかしら?」
「"これが仕事"だろ、言わせるな恥ずかしい。毎日かわいそうに。真っ黒企業もびっくりだ」
しかしまぁ正直なところ、あの人がどうやって収入を得ているかは定かではない。金持ち息子ならではの特権なのかもしれないが。
「こういう仕事には就きたくないわね」
「でもどうだか? 俺らも学校行ってなかったら間違いなく"あっちの世界"の住人だぜ。現実と仮想の中にもこっちとあっちがあるんだ。不思議な世界だな」
まったくね、とあきれ返ったように麗菜はため息をつく。
「まぁいいや、他の人にもあたって――」
「シンさーん! それにレイさんも!」
俺の発言に割り込んで少し離れたところから若々しい声が飛んできた。おまけに――――
「おいおいおいおい……! 勘弁してくれよ? 白いのはもう見飽きたぜ!?」
――――"白い格好"の小柄なキャラクターが、道の向こうから人波掻き分けご主人見つけた子犬よろしくこちらに飛んできた。
「……栗原? どうした――――いや、言わなくていいな、"我が同胞"よ?」
目の前にすっとんできたキャラクターの名は『マロンジャー』。現実における部活の唯一の後輩である。名前の由来は本名の栗原の栗からとったらしく、いまだにジャーの部分がどうしてついたかを訊いてない。多分、炊飯ジャーのジャーだ。ほら、栗ご飯的なベクトル?
やたらガキっぽくて人懐っこい、わんぱく盛りの子犬みたいなヤツ。以前学校でいじめられているところを偶然助けてしまったヤツ。一番懐いてはいけない類の人間に懐いてしまった残念なヤツ。
ちょっと抜けててドジ。いつもへらへらニコニコ笑ってる。人懐っこく近くに寄ればすぐ話しかけてくる。そんないじめられる要素を全身にまとっている彼だが、俺にとってはその要素すべてが好ましい。
そりゃそうだ、栗原と完全真逆の強酸性の人間がいつも近くにいるからな。
「同胞……? ってシンさん! まさか!?」
「やられたよ、見事にね。カッコいいだろ? 流行るぜ、サマースタイル」
自嘲気味にこぼして栗原の隣に並んで肩を組む。そんな俺らに氷柱のように冷たく鋭い視線を向けてくるやつがいる。
「それ、ミラワー初心者の流行衣装よ。…………で、もしかして栗原クンも被害に?」
「え? 被害ってなんの話ですか? ええっと僕はただゲームの友人がちょっと、その、僕のキャラクターを使いたいっていうんで昨日貸してあげたんです。夜中でいいからやらせてくれって。それで貸してあげて、今日さっき学校から帰ってきたら……」
しゅん、とキャラクターの視線が下を向く。
「つまるところIDとパスワードを"他人"に教えちゃったのね?」
「はい、"友達"に」
他人を強調する麗菜と友達を強調する栗原。その双方には意味がある。
麗菜が他人と強調したのには、いくら友人といえども、しょせんは見ず知らずの一人の人間だということ。仮想空間における注意事項第一といっても差し支えないものだ。
その人が現実で小学生であろうが、大人であろうが、外国人であろうが、親であろうが、神様であろうが、ゲーム内では一括して『一人のキャラクター』なのだ。現実の自分のことなんて言葉でいくらでもごまかせる。ゲーム内で互いに情報を交わせるのは"声"と"文字チャット"のみ。俺と麗菜みたいに現実における双方の正体を知っているならば別だが、大半は現実情報ゼロの出会いなわけだし。
対して栗原が友達と強調したのは、信頼のできる人だから大丈夫だ、という安心感からきているのだろう。現実でもそうだが、長くつるんでたり幼馴染だったりすれば自然と信頼というものが付属品となってくる。互いの顔があらわになってる状況では嘘だってつきにくいし、よほど慣れた人でなければ動揺を隠せなくなったりするはず。
だがここは違う。ゲーム内ではごめんと謝りつつも現実で笑ってるヤツなんてごまんといるだろう。まだキャラクターの表情を現実の感情どおりに動かす技術は生まれてない。
「マロンジャーよ、多分そいつは二度とログインしないぜ。するとしてもおまえの知らないキャラクターだろうな」
ぽかん、としてる野郎に解りやすい説明をしてやれねばならぬか。かくいう俺も最初の反応がまさにコイツと同じだったとは言えまい……。
「ようするにおまえのアイテムやらゴールドは全て泥棒さんに持ってかれたってことさ」
「………………え、えぇえぁあうえ!? どぅいうことぁですっか!?」
ありふれた驚きよりややスパイスの効いた驚愕。ちょっとうるさかったので麗菜も連れてビルとビルの隙間に入り込む。
「だからおまえのその例の友達は実は詐欺師で、そいつにだまされたってわけよ。恐らくな」
自分に言い聞かせてるようでどうも気分が悪い。
「…………え、じゃぁアイテムは戻ってこないんですか?」
「詐欺師とか泥棒の定義知ってるか? 返してくれないからそういう名前がついてるんだぜ」
「そ、それはそうですけど……。なんとか言えば……その、返して……」
ぼそぼそと呟く栗原に麗菜が厳しめの視線を向ける。ひぃっと小さく萎む栗原を気の毒に思うほどの。
「あのね、今はそんな甘口カレーな状態じゃないわ、栗原クン。私達昨晩ネットで一緒に調べたんだけど、けっこう被害が出てるらしいのよ。今後も広まりそうだから対策を考えてるところなの」
「……夜、一緒に調べたんですか?」
ほら、つっこむところが既に常人とはちょっと違う。
「なっ――なんで君はそういうところを訊いてくるかな……。そこは関係ないでしょ?」
慌てふためく麗菜に同意。慌てる理由は見つからないのだけど。
「えっ、ただちゃんと調べてたんですねって感動してただけですけど。なにか夜あったんですか? そんな強く否定するなんて」
笑いもせず淡々とかつ的確に難しいところをついてくる栗原もやりおる……。純心に悪意なし。
「まぁなんもなかったよ。だからとにかく対策を考えないといけねぇわけだ。ほら、見ろよ? 俺のファッションが流行り始めたぜ」
俺のマイルームのあるビルの前にあるメインストリート。その中に絶え間なく流れる人々のなか、白いファッションをしたキャラクターがちらほら現れ始めた。
「まじかよ……。あれじゃ犯人は複数だろうな」
「はぁ、まったく! それじゃ犯人は何人いるっていうの!?」
麗菜が俺の代理を務めて叫んだ。周囲のキャラクターが何事かと覗いてくる。慣れたもんだが。
「"信頼できる人の数"だけだろ。そうなるとアレだな、お友達のたくさんいる人なんて爆心地じゃねぇか」
まったくもってその通りだった。友人がいればいるほど、そしてそれが親友であればなおさら。なんと皮肉なことか。距離が近いほどに危険とは……。
「しっかしなぁ、犯人探しっつったってこれだけのプレイヤーがいるんだぜ。一発かましてやりたいところなんだけどさ、いかんせん手数が足りねぇ」
事実それが一番比重を占めている問題だ。何万というプレイヤーを調査して運営に通報なんてしてちゃぁそのうちゲームのサービスが終了しちまう。そうなりゃ本末転倒。なんのゲームだし。
「んー、やっぱり数には数、じゃないですか?」
さっきから悩んでいた栗原が閃いたっ、とばかりに飛び上がる。だがそれは麗菜に刹那の却下を頂くだろう。
「まぁどうせ却下さ――」
「――数には数が昔からの定石。挑むなら相応の数を、ね。人海戦術よ。うん、確かにいいわ栗原クン」
にやり、とキャラクターの表情はさすがに変わらないが、口調からするに現実の麗菜はにんまりと笑っていることだろう。あの悪党のボスが浮べる絵に描いたような笑みを。
「はぁ? 被害者の会でも結成しようってのか?」
「会長は既にいらっしゃるんだから、あとは会員を募集するだけでしょ」
「へぇ、会長なんていたんだ」
「私の目の前にね」
びしり、と麗菜の指先が俺を射る。
へ…………?
「…………は……俺?」
己の胸元を指差し連打。
「そう、アンタよ。"文句"は?」
「………………」
いつも通り憤慨しかけるも、今ばかりは文句の言葉が喉元でジャムる。
――確かに、やられたら三割り増し程度の仕返しをするのが俺の信条である。二倍返しなんてよくいうけど、ありゃどう考えても正当じゃあないからこの数値。俺優しい。
被害者の会とかテンプレな集団だけど、一切の効果がないというわけでもないだろう。ならばやるんなら徹底してやってみてもいいんじゃないか。
「――――――ねぇな。では口を慎みたまえよ? "副会長"」
勝手に決められたからには勝手に決めてやる。部活だってそんなもんだった。俺が役職を定めると麗菜はフフっと満足げに笑って腕を組む。仮想は腕の上に"乗っかるモノ"があるんだがなぁ……。
「では会長。早速お尋ねしますが、本日の議題はどうされますか?」
「議題……か」
「ちょっと! 勝手に進めないでくださいよ! 会長、僕の役職はなんですか!?」
「…………よぉ『会員A』さん。そうだな、まずは被害者集めだな」
それじゃ『会員Z』までいっちゃったらどうするんですか! なんて文句をたれる栗原をスルー。そんなの『会員A1』にすりゃいい。
んま、よくて『会員D』くらいまでしかいかないだろうけど?