充実差異
◇Real◇2019/05/08 22:12◇
「開けなさい!」
ベッドで不貞寝中、部屋の戸を叩く爆音と爆声で耳が覚め目が覚めた。親かと思えばもっと若々しい声。
――――麗菜である。扉の向こうに警察がいる時の立てこもり犯の気持ちが今なら解る。…………ん、ちょっと待ったおかしな点がひとつあるぞ。
「お、おい! なんで玄関スルーして俺の部屋の前にいるんだよ!?」
飛び上がりざま扉越しにツッコミをいれる。
「いいから大人しく開けなさい!」
「反抗期の息子対母親かっ!」
文句垂れつつもまぁ追い返すわけにもいかないので仕方なく扉を開けにいく。きぃ、と扉が開いたと思えば目の前には爪先だ。だが――
「――遅い」
ひらりと風に吹かれる暖簾のごとく体を傾けると、外れた飛び蹴りは椅子の背を無残に蹴り砕く。器物半壊ってとこである。……まぁ安物だしめったに使うことがないから構わないっちゃ構わないが。
「痛ったぁ! もう! なんで避けるのよ!」
「おまえだって目の前に時速八十キロくらいのトラックが突っ込んできたら避けるだろ? 同じ思考回路さ」
憤慨するも、応答無し。予想外の痛みに悶え苦しんでいる模様。爪先を押さえて小さく縮こまる姿はちょっと拍子抜け。だがその姿勢はミニスカでしちゃいけない。白。
しかしながらしっかりと私服に着替えて、おまけに俺の部屋に似つかわしくない柔らかな香りまで。風呂まで済ませてきたか、こやつ……。
「……で、自業自得ってのは自覚十分だと思うが。見た目に免じて一回だけ訊くぞ。大丈夫か?」
「…………」
まぁ正直。ギガバイト級の痛みだろう。薄いとはいえなんたって木製の椅子の背をアイスの棒みたいに折り砕いたのだから。しかしつまりはそういうことだ。わりと本気で俺を蹴りにきたらしい。
「だめならだめでお帰り願おう。これは優しい優しい部屋主からの帰宅命令だ。"帰りたい"だろう?」
帰宅部がヨダレを垂らして飛びつく甘い甘い言葉の誘惑作戦。
「くっ……いいわ、か、帰らないもん!」
気持ち揺らぎつつも誘惑に耐え、若干震えた声で強がりを申す。語尾に、もん、なんて付け足すところ、帰宅の誘惑で頭がどうにかしてしまったらしい。
「はぁ……んで、うちの玄関のセキュリティを突破したのはよしとしよう。一階の親はどう攻略した? いただろ?」
「おじゃましますって言ったら通してくれたわ。それだけよ」
「あ……そう、そんなんでいいのかよ……」
「あんたこそそんなんでいいの? ほら」
麗菜がぽいぽいと俺に投げてよこしたもの。受け取ったそれはラップに包まれた温かく白い物体。
「は……おにぎり? なんだよ、これ」
「素直にいただきます、でしょ。さっき下でアンタのお母様から預かったものよ。アンタ最近、コンビニ野郎らしいわね」
痛いところを突かれて思わず反応ができなかった。
「だ、だからなん――」
「たまには温かい料理でも食べたら? なにもかも冷めきったどこの誰が作ったのかも判らないものばっかじゃなくてさ」
「…………あぁ、まぁ。たまには」
まだ半分涙目の少女に促されると、自然と素直にならざるを得ない。眉の角度が緩やかな時だけは、保護欲のかきたてられる少女であるには違いないのだが。
「ん…………」
腹も減っていたのでとりあえず一口食べてみる。だがなにも変わらない。コンビニのと同じ。
しかし二口目。違ったのはここだった。なにも、入っていない。だからこそ無心で、あっという間に俺は二つたいらげてしまった。
「ふぅ……こりゃとても売れねぇな」
値段が付けられないって意味で。
――――実のところ、原因不明だが俺の父親と母親は今、あまり仲がよろしくない。高校入学直後くらいの時からだったか。
バイトを終えて帰って食卓に着く。その頃には父親が帰ってきて些細なことで母と再び喧嘩。夕飯を黙々と食べ終えた俺はささっと自分の部屋へこもる。以後朝食時まで外へは出ない。
そんな繰り返し。俺はそこそこ限界だった。けれどそこで癇癪のひとつも爆発させなかった俺は素晴らしく優秀な子だった。正確にはそれすらもめんどくさかったっていう。
で、高校生活も慣れた頃。未だ離婚しない両親に驚きつつ、ついに俺は完璧に自室にこもることに決めたのだ。いわゆるひきこもりではなく、立てこもり。ちゃんと学校行くし。
溜まるストレスは学校で解消。不良まがいのことは多くやったが、他人に大きな迷惑をかけるようなことはしなかった…………はず。っと、いい加減掃除くらいはさぼらずやるか。
まぁそんな高校生活を数週間続けたのち、俺は自室で楽しくストレス解消できるオンラインゲームというものに出会ったわけだ――――。
「…………ところでおまえ、時計の読み方は習った? 確か小学校でやるはずなんだけど。あぁ、小学校行ってなかったんならごめん謝る。親が心配するんじゃねぇのか?」
「私の家庭のことはアンタに関係ないでしょ?」
「……ハイ、ソノトーリデス」
そういうわけで今はありがたく甘えよう。あとで麗菜の親御さんに怒られた時の言い訳を考えつつ。こんな時間から女子が不良らしい男子の部屋に行くだなんて、親の怒りのタコメーターが振り切るんじゃないかしら。
「パソコンは――ついてるわね。ミラワーもログイン画面か。じゃぁアンタはミラワー内で、私はパソコンで調べるわ」
なんてさっさと背の折れた椅子に座りパソコンを立ち上げる麗菜。主導権は完全にあちらにあるようだ。
「あいわぁった、それでいこう」
「パソコンのIDとパスワードは?」
「おまえが詐欺師だったか」
「試しただけよ、ほら打ち込みなさい」
麗菜がそっぽを向いているうちに、俺はしぶしぶパソコンにIDとパスワードを入力しログインをする。どんなに親しい仲であっても、教えていいこと悪いことがあると痛感したのがつい最近だ。
◆Virtual◆2019/05/08 22:17◆
ログインすると、心がカキ氷機に削られるような画面。おまけにシロップは傷にじわじわしみる柑橘系。
「ほらよ、マイホームがこの有様さ。ゴミ装備のひとっつも残ってない。清掃業者に任せた覚えはないんだけどな。一個くらい残してほしかった……」
傍らでパソコンをいじくる麗菜にマイホームを公開する。
「へぇ、なかなか綺麗に整理整頓されてるじゃない。見直したわ。あー……」
そしてぐるりじろりと俺の現実の部屋を見回す麗菜。
「仮想も現実も――いいえ、充実の違いなんでしょうね、きっと」
「いやまったく、それは否定できねぇ。でもどっちかの世界が充実してりゃそれで満足だろ?」
双方の充実を奪われた今、俺に生きた心地なんてものは存在しないが。
「私は両方満足しないと気がすまない性質なんだけど。さすがに上品?」
「下品な上品にはなるなよ。あぁいうのには意外と簡単になれる」
ならないわよ、なんて傍らから一蹴される。本当に蹴られたし。手癖ならぬ足癖の悪さは天下一品だ。そして白。
「俺、"知り合い"をあたってみるよ」
「えぇそれが一番ね。私はサイトチェックと掲示板を泳ぐわ」
宣言して麗菜は俺のパソコンと睨めっこ。あっちは彼女に任せて、とりあえず俺は知り合いという名の"怪しい人物達"にあたってみる。
狩り仲間、世間話仲間、取引相手……等々。知り合いと呼べる人は数十人といるけど、ほんとに親しい人なんて片手で数えられるくらいしかいない。だったらとりあえず――
「厳さんだな」
一番親しいといえばそうかもしれない厳さんに相談すべく、コミュニケーション系統のメニューを開く。ミラワーでは周辺にいるキャラクターに声を発すれば聞こえるし、吹き出しにして話もできるが、ログインはしてるけど遠くのマップなどにいるキャラクターとはそのままでは喋れない。そんな時に便利なのがコミュニケーションメニューにある『遠距離対話』のコマンド。選択すれば対象のキャラクターがログインしていれば、どこにいても会話をすることが可能となるのだ。いわゆる通信みたいなもの。
指先を広げ腕を軽く持ち上げると、画面の中央に半透明のキーボードが浮かび上がる。指先をたたたん、とリズミカルに動かして『コラー厳』と打ち込む。
「厳さん、いますか?」
「はいはい、どうしました?」
「突然すみません。厳さん、さっきのことで相談したいことがあるんだけど。今いいですか?」
「おぉおぉ。運営には報告をしたんですかい?」
「いや、今友達と相談してるところで。俺はこっち側で相談相手探し中……。なにかそれっぽい情報とかありました?」
「あいやぁ……んん、わるいんだけどもそういう情報はまだ誰からも聞いてないすなぁ。今あっしが手助けできることといえばマップの移動くらいよ」
「多分そのうちまたお世話になるかもしれません。もし知り合いとかで被害にあったとか、そういう人がいたら教えてください」
「あいよ! 情報収集ならまかしとき! おっとお客さんだ。そいじゃぁシンさん、また!」
通信が切れ、厳さんは仕事をしに――というかゲーム内のだけど。フラットフロートでタクシー業を営む厳さんならお客さんから情報を得られるかもしれない、と少し期待。
「――――さて、他はっと……リューガさんか」
とある名を呟くと麗菜がむすっとしたような声色で、ふむ、と唸る。さながら部下が気に食わないことをしでかした時のボスのごとく。
「私、あの人嫌い」
砂漠のように、カラっとストレート。
「あ? あぁー……まぁ俺も苦手なタイプだけど。しょうがないだろ、ミラワートッププレイヤーなんだし、知識は確かにあるだろ。だからいっぺん相談してみようかと思ってさ」
「ま、しかたない。でもあの人、朝から晩まで狩ってるから……。そんな相談に乗ってくれるような時間あるのかしら?」
「なに、大親友シン君の悩みくらい聞いてくれるさ」
とあるプレイヤー『流蛾』。いくらかミラワーに携わった人なら誰もが知っている名前。通称『リューガ様』。俺はリューガさんと呼ぶ。
プレイ技術、装備、お財布の重量とそのどれもが強大にして最強を誇る人物。ミラワーにおいてのトッププレイヤーである。隠れた別名、『ゴッドオブニート』。
そりゃそうだ、朝から晩まで三百六十五日、ミラワーにログインして活動してるわけで。ログアウトしてる時は週に一回、数時間程度あるゲームのメンテナンス時くらいなのだ。性格やら言動がなかなかアレなので、憧れの対象と同時に批判の対象にもなっている二面を持つ人物である。
そんな人に気軽に話しかけようとする俺は、どうしたものかミラワーの最初期メンバー。いわゆるベータ版からのプレイヤーであり、リューガさんもまた同期であるわけで……。最近はめんどうなのであんまり関わってないが、やはりその知識量に関しては認めざるを得ないし、利用しない他はない。
「……暇だけど暇じゃないんだろうな。ようするに。あれこそが真の充実ってやつだ」
うぬうぬ、と一人納得してキーボードに『流蛾』の文字を入力。続いて声をかけてみる。こちらは音声対話だ。
「リューガさん、いますか」
承知のうえだが訊く俺。すぐに聞き慣れた、やけに癇に障る甲高い声がする。
「オオっとぉ! こりゃぁシン君じゃないかぁ。どうしたんだい?」
なんだか騒々しい戦闘音が混じってるところ、まさに戦闘中か。それでいてこの余裕の会話だ、恐れ入る。
「今、お時間大丈夫ですか」
ひどく棒読みな俺。こんな態度をあからさまにしたって、あっちはお構いなしである。
「んん、よし十秒待っていたまえ。今ヴァーベルタワー最上階のボスとソロで手合わせ中だ」
さらっと言うが、ヴァーベルタワーとはミラワー内のダンジョンのひとつであり、難易度は相当の高さを誇る場所である。何万といわれるプレイヤーのうち、最上階にソロ、つまり単独で挑める人物なんでこの人くらいしかいないだろう。古参プレイヤーである俺と麗菜ですらまだ一度も挑んだことがない。
そして約束どおりの十秒経過。背筋が震えるほど禍々しいモンスターの断末魔の叫び声。同時に討伐完了時に流れる勝利音。
「ふん、雑魚にしてはまぁまぁだな。さて回収回収。……んー、アイテムはまぁまぁってとこか。真新しいものは無し。あ、失礼。それでシン君、今日はどうしたのかね? 久しく連絡を取ってなかったけど」
「ええ久しぶりですね。ちょっと相談したいことがありまして。それが――」
「お! 君ほどのプレイヤーがボクに訊いてくるとは。武器かい? 防具かい? タワー攻略法かい? あぁいや、残念ながら今ボクが戦ってた最上階のボスの情報は規制されててね、他人にはなんにも教えることができないのだよ」
…………いやいや、ボスの話なんて俺には関係ない世界の物語だって。
「あ、いえ。それ以前の問題です……。それについてなにか情報をお持ちではないかなと」
ほぉ? と不審がるリューガさんに俺は一連の事件を手早くノンブレーキで説明した。この人とまともに会話するともなると、いつまでたってもゴールが見えないからだ。高速道路の渋滞に似た感覚になる。
――――で、さらっと話は終了。
「そ、それは本当の話なのかい!? ど、どうやられたんだ……?」
話を聞いてどうしてか極度に焦りだすリューガさん。やっぱり自分が俺みたいな状況に陥るのが末恐ろしいのだろう。ちょっと笑える。本音を言えばざまぁみてほしいところだが。
「いやそれが俺、寝ぼけてたときにやられたみたいで。どうもIDとパスワードを教えちゃったらしくて……。リューガさんなにか知ってる情報ありませんか?」
「ふーむ……。確かにその手の話題は最近あがってきてるらしい……か。あいにくとその手の情報には僕は疎いからね。よし、マネージャーに訊いてみるから待っていたまえ!」
ゲーム内でマネージャーとは…………。ほんとこの人にとっては"こっちの世界"が仮想になっちゃってるんだな。
「麗菜、そっちは?」
リューガさんがマネージャーと連絡を取っている間、俺は隣の麗菜に進行状況を尋ねる。
「んーそうね、掲示板で同じような被害にあった人が嘆きを書き込んでるわ。ほら見て、『今朝全ての装備とゴールドを盗難されました(泣)』とか、『運営に連絡たが返答無し(怒)』とか。他にも数十件――あちこちでタコの子を散らすようにわらわらと」
麗菜がスクロールする掲示板にはかなりの被害報告の羅列が見える。新しく立ち上がってる掲示板の題名は『ミラワー詐欺被害報告スレ』。つまるところ、詐欺が蔓延してるってことか?
被害について書き込まれた日付を確認していくと、初出が先週あたりから、それで最新の報告が本日朝。プレイヤーの悲痛な書き込みが痛々しい。俺だって冷静でいられなかったらここに書き込んでいたことだろう。
「……なんだろ、突然って感じだよな。流行ウィルスの集団感染みたいにさ。今までこんな書き込みなかったのに」
「運営からの連絡が小さな注意喚起だけってことは、やっぱりまだ具体的な救済策とかはないみたいね。多分あっちも対応に追われてるんでしょう。それか――――ほら」
麗菜がミラワーの公式サイトを開いてチェックするも、変わっているのは詐欺行為等に注意を、といった小さな見出しのみ。あとはキャンペーンやら最新ゲーム内容情報などいつもの感じ。
「はーん。あれだな、なんかあんまり表に出したくないって雰囲気じゃねぇか? コレ……」
よくあるあれだ、大企業とかのバレたら垂直落下街道まっしぐらのやつ。
「うーん……そうね。変なプライドというか、不祥事を隠し通そうとする気満々って感じ」
「こんだけでかい会社だからな。ちょっと踏み外したらそこはオイルまみれの坂道さ。このまま放置されてたら訴えるやつととかマジででてきそうだし。どっちにしろこの様子じゃ俺が報告したって変わらねえな」
多分報告したとしても返信はないか、テンプレ回答だけがよこされる始末であろう。
「とりあえず盗まれたものはしょうがないわ。反撃もしてやりたいところだけど、私達は被害の拡大防止策をまず考えないとダメかもしれないわね」
麗菜が私"達"って言ってくれたことに少々感動。俺よりやる気になってるのもどうかと思うが、やられてなくてもやり返すという彼女のありえない性格上、しょうがないことなんだろう。かくいう俺は、"やられたら三割増しでやり返す"。
「隙あらば反撃してやるさ、絶対にな」
もうここまでくれば落ち込むことに意義は見出せない。やるんなら徹底的に反撃してやる。当分は輝かしいミラワー生活とはおさらばかもしれないが。
「おーい! シン君いるかい!?」
不意に耳元での甲高い声に飛び上がる。
「あ、はい、いますいます」
「おお、よし。ちょっとマネージャーに訊いたんだけどね、明日になるかもしれないけど調べてみるってさ。すまないね、今日中には無理みたいだ」
「わざわざすみません。では用件はそれだけなので」
「おっと待った待った、シン君。なんならゴールドの寄付と僕のお古の装備でよければプレゼントしようか? 僕のマイホームがもう溢れちゃいそうでさ」
一瞬、盗まれて新居になっちまえ、なんて思ってもみたり。しかしリューガさんともなる人が装備を盗まれたら現実で発狂どころじゃないだろうに。
「いえ、なんとか自分で取り戻してみせますよ。さすがにリューガさんの激強装備には俺のほうが追いつかないですよ」
持ち上げて断る。基本、好まない人物に対してよく使う。
「ははは! そうかいそうかい。それはうん、しかたがないよ。しかし君だって相当なプレイヤーなんだから、早く復帰しないとみんなきっと待ってるぞ」
「はぁ、そうかもしれませんね。でもまだまだリューガさんのつま先にも届きませんよ。では」
感情を押し殺して可能な限り棒読みで言う。それでもリューガさんは満足げにそうかー、と言ったので俺はそこで会話を切ることにした。
「なんつーか、相変わらずめんどくさい人だな」
しっかり会話を切ったのを確認し、麗菜に愚痴をこぼす。
「アンタなかなか見る目ないわね。でも驚いた、装備をもらわないだなんて。それに隠してるんだと思うけど、べつにあの人が扱う装備くらい余裕で扱えるでしょ?」
「さぁな。ただこれだけは言える。おまえは見る目あるよ」
それだけ付け足して、俺は再び知り合いをあたるため、浮かび上がるキーボードに次々と名前を打ち込んでいった。
とにかく麗菜が帰るまでには、なにかひとつでもいいから有用な情報が得られると信じて。