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ヴァーベル登頂記

 ◆Virtual◆2019/05/10 19:00◆


 ――――かの神話の中でも名高い建造物を模したダンジョン。俺と麗菜の目前には古風なレンガ造りの『ヴァーヴェルの塔』がそそり立っていた。いわゆる上級者達が出入りする狩場のひとつであり、俺達にとっての定番狩場でもある。

 もちろんここは麗菜と何度も訪れているから、いまさら腰がひけるなどということはない。だが今日は事情がいつもとえらく違うわけで、震えこそはしないが小麦粉百パーセントのジュースを飲んだかのように喉が砂漠化しちまってる。

「麗菜――――」

 話しかけようとして、俺は言葉を切ってしまった。つい数十分前に麗菜の事情を知ったからには、話しかけるのに少し工夫がいるんじゃないか、なんて思ってためらってしまったのだ。

「なに?」

 俺の心配をよそに、さもめんどくさそうな口調で一蹴される。むかーしは蚊の羽音のほうが大きいんじゃないかっていうくらいの小声で、なぁに? なんて返してきたというのに……どういうことだ。

「あ、いやなんでもない。がんばろうぜ」

 だが結局、いつも通りいくことに決めた。これでいいんだ。昔々の掘り返しをするほど趣味は悪くない。話したくないから話題に出さないのだろうし。

「……もうフラグを立てるの?」

 いつもの麗菜の調子に負けぬよう、切り返しを考える。

「立てるだけ立て、回収せずに、置いていく。映画で最初に死ぬキャラの真似さえしなきゃぁ、エンディングまで生き残れるさ」

 肩をすくめてそう言って、慣れた手付きで塔の扉を開き、俺と麗菜はヴァーヴェルの塔へと転送された。


 ――――『一階層』。


 見慣れた光景が広がりこれでもかとほっとする。若草色の床は草原を彷彿とさせ、平坦で盛り上がりには欠けるが目に優しい、実に健康的なマップだ。

 なによりも人が多いところであり、視界には何十人という中級者プレイヤー達が狩りに勤しんでいる。上級者向け狩場とはいえ狩り方さえ工夫すれば中級者でも充分に狩れるからだろう。

 外見から予想はつくが、この塔は一階が一番広く、階層が上がるに連れてマップが狭くなっていくという構造になっている。モンスターの数も下層が多く、上層部にあがるに連れて数は少なくなるがその分個々が侮れなくなるという仕組みだ。

「なんか久しぶりね、こうして二人で来るのも」

「なんだ、おまえもフラグ用意してきたのか。準備がいいな」

 舌打ちが聞こえたのはさておき……ここの頂上は五十階なのだが、今の俺達は三十階であれども普通に狩ることができてしまう。四十階がちょっと未知数だなって感じ。

「とりあえずワープで四十階まで行っちまうか」

「そうね。可能な限りゆとりで行かなくちゃ」

 ヴァーヴェルの塔にはワープゾーンという便利でちょっとずるいシステムがある。それは一階と、それから十階ごとのマップの中央に設置されており、それを使うとそこから十階分ワープできてしまうというすぐれものなのである。

 ワープゾーンを使うべく、一階層の中央へ向かって歩く途中、モンスターを狩る人達を悠々と眺める俺達。苦戦している人、ちゃちゃっと倒してる人、追われる人、逃げる人。軽いお祭り騒ぎである。

 ほとんどのモンスターは、キャラクターが一定の範囲に近づくと自動的に襲ってくるのだが、モンスターに組み込まれているプログラムもまた優秀であり、ある程度の強さを持つプレイヤーには安易に近づかないようになっている。要するに、学校の不良よろしく堂々と廊下を歩けるようなものだ。もちろんそれなりの不良(モンスター)とぶちあたればそりゃ襲ってくるけど。

 そんなこんなの機能のお陰で俺達はちゃちゃっと目的地のワープゾーンまで辿り着く。そこに浮かんでいる青い水晶のような頭サイズの球体に触れると、画面が暗転する。


 ――――『十階層』。


 あまり広さは変わらない。けれどモンスターは少し強くなっていて、周囲に見えるプレイヤーの装備がなかなかごっつくなっている。

 淡い水色の床の表面には足首くらいの高さの水が溜まっていて、歩くとちゃぷちゃぷと飛沫がはねる。水中をイメージしたかのようなフロアで、モンスターも水をすっとばしてくる種類が多い。あとワカメのような水生植物が生い茂っていて滑ったり。

 ちなみにミラワーにおいては水属性の攻撃を受けると、画面にリアルな水滴模様がついてしまって、雨の日のガラスのように視界がめっちゃ悪くなってしまう。そんなのが理由で、このフロアにいる人達は揃って耐水性の上昇するシュノーケリング系統の装備をつけてるからこれまたシュール。

 ――といった感じでヴァーヴェルの塔は十階層ごとにマップの属性が変化していくわけで、その階層にふさわしい装備を選んでいかなければ、狩り以前に移動でダメになってしまうのだ。

「初めて来た時は海パン装備だったな、俺」

「なんで頭にかぶってたのか未だに解らないわ」

「俺もわからねぇ」

 次のワープゾーンは今ワープしてきたすぐ隣にあり、今度はごてごてした気持ち悪い緑色の泡で覆われた水晶に触れた。


 ――――『二十階層』。


 毒々しく鬱蒼と生い茂る森。膝元にまで及ぶ草。足元でうごめく見えないモンスター。そして時折ギャグよろしくはまる泥沼落とし穴。そしてどこを見渡しても見当たらないプレイヤーの姿。

「…………はっ、早く……!」

 麗菜の悲痛な声が聞こえる。実は俺も全身鳥肌絶好調。

 ゲームいえどもこのリアリティではさすがに俺も背筋が凍る。なんたって、足の甲に巻きつけたミラーズパッドが微弱な振動を起こすのだ。リアルすぎて引き剥がしたくなるくらいに。この広がる草を全部引っこ抜いたら……と想像もしたくない。なにが潜んでいるのやら。

 二十階層はテンションを限界まで下げる視覚的攻撃と精神的攻撃が厳しくて、この手の映像が大丈夫な人しか狩れない場所だ。サバイバル好きさん向けってところか。初めて来た時は速攻でフロアの上から飛び降りたという始末。

 無論、用事はなんもないので今度はまたすぐ横にある、今度は赤い光芒をメラメラと放つ脈動的な水晶に急いで麗菜が触れた。


 ――――『三十階層』。

 

 途端、視界がにわかに曇る。そして画面の端に小さな水滴が付着して、それがたらりたらりと汗みたいに落ちていく。

 ぼっこぼこと気泡の浮き出ては消えていくマグマ色の床と壁がもう目に熱い。床からは白い湯気が立ち上り、広さは失われつつあるもそのぶん複雑に入り組んでいるマップだ。灼熱の洞窟フロアである。

 立っているだけで体力や精神力を削られるという上級者向けの階層であり、ここまでくるとキャラクターの強さもなかなかだといえる。並大抵の装備と技術じゃすぐに丸焼きごちそうさまでした、になってしまう。

「ちょっと、あれ見て」

「ん? 誰かいるな。あ……あー……」

 ちらっと遠くにキャラクターの姿が見えたが、下に向かって崩れるように消えていったのは見なかったことにしよう。ご愁傷様、と二人で呟いておいた。恒例のお約束。

「俺達もここ、だいぶ苦労したな。"熱いのに厚い装備"してった方がいいのかダメなのか、って喧嘩もしたな……」

 さすがに現実では熱くならないから大丈夫だって結論で、軽装で行って秋刀魚の塩焼きになったのはまだ記憶に新しい。

 当然、本日はここにも長居は不要なので次の水晶に手をかざす。ブラックホールみたいに輝かず、無音で腰を据えている闇色の水晶。二十階層の毒水晶の次に触れるのが怖い。なにもないというのが一番おっそろしい……。

 いよいよ俺達も滅多に向かわない、四十階層へのワープだ――――。


 ――――『四十階層』。


 暗転からの――暗黒。視界は月明かりすらない深夜のそれ。数メートル先の視界が薄っすらと見えるくらいで、足元も平坦でなにもないのが逆に怖い。今までの複雑さがいっきに取り払われ、シンプルな虚無に変わる階層。

 言っておくがこのゲームの臨場感は半端ない。専用の機器が値段相応の働きをしてくれて、その限界の映像の中に自分はいるのだ。余裕で気持ち悪くなれる。それは傍らの麗菜も同じのようで、神をも黙らせるおしゃべりなヤツでも口を開こうとしない。

「大丈夫か?」

 自身にも言い聞かせるかのようにして囁く。

「"まだ"ね。ただやっぱり色がよくないわ……」

 色は簡単に人間の心を蝕むことができるというが、単純な黒色がこうも精神に負担を掛けるとは……。

「人間が一番恐怖する色って、やっぱ黒なのか?」

「黒か血の赤でしょうね。ピンクに恐怖する人もいるそうだけど?」

「そりゃよっぽど女が怖いってヤツか」

「ま、女イコールピンクってのも考えものだけどね。私はピンクってあんまり好きじゃないけど……」

 麗菜はいかにも興味なさげにぽつりと呟く。

「へぇ、おまえってピンク色のパンツはいてるのかと思ってた」

「白よ、バカ」

「!?」

 口が滑ったってレベルじゃない核爆弾発言を頂き、会話が一旦途切れる。あんまりにも自然すぎて、当の本人も自分でなにを言ったのか理解できていないのか、あるいは気が付いてしまったから黙っているのか。あ――あと知っててわざと聞いた俺は悪くない。多分。

「…………さて、行きましょうか」

 妙に落ち着き払った声色で麗菜が言う。互いの意思疎通ができるのはこの声のみだから、彼女がリアルでどんな表情をしているかはわからない。是非見てみたい。

 いやぁ……しかしながらあと九階分この闇を越えていかなければならないのには参ってしまう。五十階は特別であるがゆえに、ワープゾーンは四十階までにしか設置されてない。だから五十階に行くには四十一階から四十九階までを自力で登っていかなければならない。そう考えるとやっぱりやる気が……。

 幸いなことに道は真っ直ぐなのだが、その道中に点々と存在するモンスターが調べた限りではおっそろしく強力なわけでして。フル装備ならまだ手だてはあるのだが、借りものの、しかも使い慣れていない装備ともなればまぁそううまくいくとは思えない。

『………………』

 ここまできて二人の気力がへこたれてきたその時――――突然、背後でワープの音が聞こえた。

「え、なに!?」

「うぉあ、なんだ!?」

 暗闇でちょっと神経過敏になっていた俺達は勢いよく音のした方向を振り返った。


「や、どもシンさん! レイさんも! ははw 驚かせちまってすみませんねw」


 不意に目の前に白い吹き出しの文字が浮かび上がる。

 暗闇の中、その黒に飲まれずに輝き続ける国宝級頭頂部。皺ひとっつないスーツに白いねじりハチマキ、そして極めつけは白い五本指の靴下のおじさんだ。

 なんともはや、間違いなく、むしろ間違えることができない人物。厳さんことコラー厳さんである。

「な――どうして厳さん、こんなところに?」

「いやぁ、知り合いから聞いたんですけどね、なんでもシンさんとレイさんがランクエクストラのアイテムをゲットしにヴァーヴェル最上階へ行くってんで。でもレイさんはともかくシンさんはアイテムとか全部盗られちゃってどうすんだろ、ってことでさぁ、ほら」

 そう言って厳さんは俺達に近づいてくる――と、同時にあるものが視界に入ってくる。

「"フラットフロート"…………! そうよ! その手があったわ!」

 麗菜が喚いて喜ぶのにも合点がいった。曇り空だった心が快晴になる。そういえば、上位カスタマイズされたフラットフロートならダンジョンでも使用可能なものがあったっけ……。

 ミラワーにおいての歩行以外の高速移動手段のひとつであるフラットフロート。浮遊移動ができる小さな乗り物で、現実での体重移動を駆使して操縦するもので、改造もできる便利な代物だ。高価だが、徒歩となると現実で結構な体力を使ってしまうミラワーでは必須級のアイテムとされている。

 そしてなにが嬉しいって、厳さんの乗っているフラットフロートは大型タイプに改造してあるのだ。つまりこれはまさかの――――

「乗ってきますかい? お客さん」

 きたよ、これ。こんなうまくいっていいんでしょうか?

 吹き出しのチャットだけだから感情は特定できないけど、少なくとも今の厳さんはリアルでものっすごく得意げにニヤけている気がする。正義のおっさんヒーローだぜ、まったく。

『お願いします!!』

 俺達は揃って遠慮なくお願いし、厳さんの操縦する改造フラットフロートに乗り込む。すると『シンクロしますか?』の表示が現れ、はい、と選択すればもう俺達は現実で体重移動をしなくても、キャラクターは勝手に厳さんの動きを真似してくれる。

「そいじゃ、あっしの操縦とモンスターの強さによりますが、いけるとこまで! あ、れっつらごうっっ!」

 できれば四十九階まで行ってほしいな、なんてだらけきった希望を厳さんの腕っぷしとフラットフロートに乗せたところで加速は始まった。

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