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寝坊者の真実

 ◇Real◇2019/05/10 6:02◇


 全身に走る鈍痛に目が覚める。

「――――あ」

 遅刻か!? と俺はロケットよろしく垂直に飛び起きた。急にエンジンをかけた足腰に激痛ぅっ……。

 がたん、と床を打つのは椅子の音。どうやら俺は着席姿勢で眠りこけていたらしい。

「……くっそ、いてぇし……」

 携帯の時計を見ると俺的には大遅刻な時間帯。それでも起きた体に感謝して、その体にご褒美の鞭を打つ。断じてMではない。

 昨晩は松竹梅太郎さんの応用カバン講座ののち、ヴァーベルの塔について調べものをして、結局たいした情報も得られぬうちに眠りこけてしまったのだ。いわゆる寝落ちである。

 今日は学校、支度は昨日のうちにしてあるという優等生っぷりがここで光る。

 洗面所と自室を一往復。両親が一度も視界に入らぬままに家を脱出。


 ◇Real◇2019/05/10 7:06◇


 ――――校門着。

 教師陣営もまだ完全に出揃っていない時間帯。

 控えめの朝風に砂塵渦巻くグラウンドには、他ならぬ初夏の日差しとの戦いである朝練に励む生徒達がちらほら。そんな青春を謳歌してるやつらの横をスルーして俺は教室へ向かう。

 三年生の居城である三階に辿り着くも、もちろんそこには人っ子ひとりいない。トイレの花子さんだってまだ安らかに寝ていることだろう。空調の整っている現代のトイレは最高の立地条件に違いない。

 自分の教室にするりと入り、窓際の一番後ろというファーストクラスへ着席。過去数十回に渡る席替えがあったが、目が悪いから前の方を希望というヤツの反対の、"目が良すぎるから後ろの方を希望"ということを理由にここに座らせてもらっていたのだ。

 ……それにしてもだ、毎日あんだけゲームをやって一向に初期値から下がらない視力に運命を感じる。あるいは今は単に眼球が気合で耐えているだけで、いつの日か力尽きていきなり視力ゼロになったりするかもしれない。いわゆる眼鏡秒読み族である。

「さて……」

 途中のコンビニで買ってきた『朝食セット洋』を机に広げて一息。ギンギンに冷えてる缶コーヒーを都度傾けつつ、トマトサンドとツナサンドを交互につまむ。帰宅部であるがゆえ、"行き"にコンビニへ立ち寄るのはオーケーだ。

 窓からグラウンドを眺めれば、掛け声やサッカーボールやバットが飛び交う風景が眩しい。ちなみにバットは下級生に怒った上級生がぶん投げたものだった。本来あれはぶん投げられたものをぶち返すのに使う代物だろうが……。

「――――ま、俺もこうして朝練に励まないとな」

 微笑ましい光景を眺めつつ自身に喝をいれる。

 クラスの誰よりも早く来て、誰よりも早く帰る。他の追従を許さない次元の速度で行う登校と帰宅。

 他人からは滞在時間を考えるとチャラだろうと言われるが、時間帯の違いによる充実感というものがまるで違うという事実を、いつしか教えてやりたいものだ。いったん帰宅部に入部することでの意識の改革は充分に可能である。

 開け放した窓から聞こえてくるのは小鳥のさえずり。初夏が過ぎ、それがやがてセミの大泣きに変わるその時を、今はただ静かに待っている――――。

 これが帰宅部部長こと俺、羽賀崎真堵君の青春である。かっこよすぎ。

「……さて」

 これから教室が騒がしくなるまで、至高の刻と呼ばれるお昼寝ならぬ"お朝寝"の時間だ。

「おやすみ、俺」

|超短期凝縮型高効率睡眠法いねむりである。


 ◇Real◇2019/05/10 8:05◇


「おい! 羽賀崎! さっさと起床せよ!」

 俺の体を揺すっているのは担任だ。怒堂忠志(どどうただし)とかいうレアな名前の、若くも親父っぽい担任教師は、俺が目覚めたのを確認するとさっさと教卓へと戻りホームルームを再開した。

「んじゃ続けるぞー、日比谷ー、穂積ー、前田ー、磨木ー」

 担任は出欠確認の途中で麗菜がいないことに気付き、あれ、と首をかしげる。そして、きてないでーす、と揃って女性陣の声が上がり、直後に担任の視線が俺を射る。

「ん?」

「おいこら羽賀崎! なにしたんだおまえ!?」

 どっ、と笑いのハリケーンが巻き起こる。とんだとばっちりを受けた俺は大混乱。

「な、なにってなんで俺がなにを――は?」

「おまえは部長だろ? 副部長は今日体調でも悪いのか? まだ磨木は今年フル出場中だぞ、おまえと同じでな」

 きちんと帰宅部を部活として認めてくれるところが素晴らしいのだが、あいにくと遅刻の理由は聞いてない。どうしたんだろ?

「言っとくけど俺はなんにもしてねぇし、なんもする気もねぇよ、先生。今連絡するから出欠確認続きどうぞ」

 とりあえず変な言いがかりをつけられそうなので、理由を聞くために携帯オープン。そのまま麗菜に電話だ電話。

 一分程度のコール。諦めるか、と思ったところで画面が写り、これまたどんまいな姿が映ってた。

「っ……麗菜、おまえ朝からメデューサごっこでもしてんのか? 楽しいなら今度俺も混ぜてくれ」

 寝ぼけ顔プラス爆散してる髪に思わずニヤリププー。

「ほぇ……? 真堵……? あれ、今何――」

 時、と言いかけて次の瞬間映像は途切れ、通話もぷっつり。映像が途切れる瞬間、鬼の形相を俺は見た。確かに鬼は現代にいた。

「…………一限の終わりくらいまでには、だそうだ。寝坊だな」

 携帯をポケットに滑り込ませてそれくらいだろうと報告。

「寝坊? 珍しいな。おい羽賀崎、おまえ磨木に暴言とか吐いてないだろうな? いじめたりしてないだろうな?」

「むしろ毎日吐かれていじめられてるのは俺の方さ。校内カウンセラー増やしてくれよ。じゃないとメンタルいくらあっても足りねぇ」

 冤罪もいいところである。むしろ暴言の酷さに関して麗菜に勝てる人類はまずそうそういないだろう。

 結局、俺の要請は却下され、まぁたまには遅刻もあるか、などと先生は電子黒板に指を這わせて授業の準備を開始した。

 たかが遅刻で先生がこうも驚くのは無理もない。麗菜はこの学校屈指の優等生なのである。そんなのが帰宅部に所属していて、なおかつ似非不良小僧こと俺と一緒に帰宅してるってのは学校の七不思議のひとつになっているらしい。

 ――ま、帰ってネットゲームをやってるだなんて、俺しか知らないんですけどね。

「よぅし、授業開始だ。全員口を溶接しろー。来週はレッツ小テストだ」

『えぇえーー!?』

 誰もが溶接不良だったのは言うまでもない。

 先生は喚く生徒達に背を向け、電子黒板に慣れた手付きでテストの内容を書き込んでいく。そういえばこの学校もようやくになるが去年電子黒板を導入してたな。なんでもチョークの粉による人体への超々地味な弊害が云々で、ほとんどの学校には電子黒板が導入されたのだ。

 若い先生や生徒にはその利便性や見た目やらが人気だが、チョーク慣れしていた先生方にはちょっと苦いお話なのでしたっと。まぁ確かに手は汚れないし黒板消しをポンポンやらずに済むし、チョークは飛んでこないから俺はこっちのほうが好きだけど。

 ざわめきのなか授業が始まるも、今日はまるでやる気がなかった。窓の外を眺め今夜のことを考えてしまう。

 ――――そして、ぽけっと考えごとをしているうちに一限目の終了のチャイムが鳴り、予想通りそれと同時に麗菜が教室に現れた。

 驚くことに、見逃してあげよう、なんて超甘い裁定が先生から下されるも、それに文句をたれるのは俺くらいしかいなかった。


 ◇Real◇2019/05/10 16:50◇


 夕方。やたら長く感じられた授業も終わり、部活へ行こうと席を立つ。刹那、毎度のごとく先生の声。

「おい待て! 羽賀崎っ! 今日こそは! 残って掃除、だ!」

 いつもなら決め台詞ひとつ流して教室を脱出するのだが……。目の前に要塞よろしく構えているのを見るに、今日は簡単に脱出できそうにない。

「いいだろう。俺はやるぜ、先生」

 百年に一度の素直さで応じる。んま、夜に向けての気分転換でもしてやるか。

「な、なんだ!? 脳みそでも怪我したか?」

 面食らったのは見事に先生。

「いや無傷。皺ひとつないツルッツルの脳みそだよ。いやいっつも"免除"されてるからたまにはやらないと悪いかなってさ」

「誰も免除などしとらん! まぁいい、やる気があるうちに手伝ってもらうとしよう」

 麗菜に先に帰って準備しててくれ、とメールで伝えて、俺は大人しく掃除場所に案内するという先生についていく。

「どこ行くんだよ?」

「生憎とトイレや教室の掃除は"普通の子達"がやってくれている。おまえには相応の掃除場所を用意した」

 どうやら俺は普通の子ではないらしい。

 外へ出て、さらに校舎の角を曲がると、そこには大量の太陽光発電のパネルが敷き詰められている、いわゆる学校専用のミニミニ発電所があった。

 太陽がパネルに反射してものすごく眩しい……ので先生はポケットからサングラスをふたつ取り出してひとつ渡してくれた。

「がっはっは! 無駄に似合うなおまえ」

「先生もな。そのまま外出れば即捕まりそうだ」

「なにを……! 余計すぎるお世話だ! まったく……」

「しっかしいつの間にか発電パネル増えてるなぁ。増設したのか?」

 前に一度見たときよりパネルは遥かに増えていた。プール一面分くらいはある。

「そりゃ増やしもするだろう。もう本格的に化石燃料が枯渇してしまうんだからな。エコ発電ってやつだ」

「あー……そういやこないだ新聞にそんなこと書いてあったな。石油がやばいんだっけ?」

 先生が目を見開いて死人のごとく固まったところ、俺が新聞を読んでいるなどということが到底信じられないようだ。まことに失敬極まりないにもほどがあるっつーの。

「あ、あぁ。最悪あと二十年とか言ってる学者もいるみたいだ」

「へぇ、もし石油がなくなったら……どうなるんだ?」

「そうだな、例えば"おまえがのめり込んでるゲーム"もできなくなるかもしれんぞ?」

「…………え」

 今、この人はなんと?

 なんで俺がゲームをやってるってことを?

「その鳩が豆大砲を食ったような顔を見ると知らんようだな。親御さんから相談を受けてたんだよ。あまり言いたくはなかったが。なんでもおまえは家に帰ってもあんまり親と話さずにゲームばっかりやってるんだってな?」

「なんだよ、それこそ余計すぎるお世話だ。別に誰も困ってないのに、なんで親が相談なんか?」

 父親も母親も互いに敵対状況だし、もう俺なんて無視しているはずだ。俺のことを先生に相談するなんてありえない。

「そうだな、まぁ部外者の私には関係のない話だ。けどな、ひとつだけ言っておく。おまえの親御さんの仲が悪いのは"今のおまえ"が原因なんだって事をな」

 びしり、と真夏の日差しのように厳しい視線を向けられた。

「今の……俺?」

 あまりにもぶっとんだ理由に、俺の脳みそは冷静にその言葉を受け取っていた。

 だって、でも、それはおかしい。今の俺の悪いところが立てこもってゲームをやっているということならば、それは両親の仲が悪くなったからそうなったまでだ。俺が先じゃない。

「それはこれからおまえが考えて解決していく事だ。すぐに答えを言う教師はダメだからな。すぐに訊く生徒はまだかわいいものだが」

「あぁそうかい、じゃがんばって考えるよ。両親様の不必要さでもね」

 ムスっと答えて髪をかきむしる。

「ふむ。少しは磨木を見習ったらどうだ? いつもつるんでるのに。いや、やっぱりそういう話題はあんまりあがらないか……」

 渋い顔をして先生は小さく何度も頷いた。

「あいつの脳みそは純金製なんだよ。重くて辛そうで嫌だったから俺はアルミ製の脳みそにしたまでだ」

 なぜここで麗菜の話題を出すのかわからなかったが、とりあえず反論はしておく。

「そういう事じゃない。あの子には"両親がいない"だろう? なのにおまえときたらその両親に文句をたれるなぞ――――」

「――――?」

 気がつけば俺は凄まじい形相で先生を睨んでいた。睨むというか、問い詰めるかのように。

「ん、どうした?」 

「俺、そんなの一度も聞いてないぞ?」

 驚いたのは先生も同じだった。

 ――――知らなかった。俺としたことが膝の力が抜けて倒れそうになった。

 高校で出会ってもう三年目でしかも同じ部員。毎日のように帰宅とゲームを共にしていたやつだ。

 なんで、なんで、そんな超初歩的なことを俺は知らなかったんだ? いや、なんであいつは俺にそれを言わなかったんだ?

「…………うちの親は"放任主義"なの、だとかあの子は周囲によくそう言ってるだろう? あくまでも両親はいない、だなんて言わない。今はお婆様と二人で暮らしているそうだ」

「いつから」

「それは知らん。だがこの高校に入学するときにはもうお婆様が付き添いできていたのは見ている」

「そうか」

 もうこれ以上は自分で訊くことにした。本人から聞かないと信じられない。

「……で、掃除はどうすればいいんだよ、先生」

 話題を無理やり切り替える。

「いや、いい。今日はただこの事を話したかっただけだ。あの磨木が遅刻するとはなにかあったんじゃないかとな。なんだかんだでおまえが一番あの子と近場にいるんだからな。磨木のお婆様が言うには、あの子は中学の時あまり学校に行きたがらなかったそうだ。それが高校に入って"帰宅部に所属した"らどうだ、毎日"楽しそうに帰ってくる"って嬉しそうに話されていたよ」

 …………あぁ、そういや。先生の話が本当なら、"俺の一瞬の過ち"が、アイツの人生を変えたのかもしれないってのか。

 ――遡ること入学から一週間後。廊下に張られていた帰宅部のポスターを物珍しげに見ていた"とても大人しそうな美少女"に、俺はつい声をかけてしまったのだ。

 なんだ、こう、俺だって恋じみたものに興味がなかったわけではない。だからつい、あの時は声をかけてしまったのだ。

 帰宅部、君も興味あるのか? と。

 我ながらとんでもない第一声である。そして俺の顔が怖かったのかどうか知らないが、その少女は足下に視線を落として、少し、と小声で呟いたのだ。

 普通は、その時点でおかしな子だ、と苦笑いするだろう。だがしかし俺もまた多少なりおかしな子であったゆえ、妙な親近感がわいてしまい、それじゃあ部室を見に行こう、なんてナンパをぶちかましてしまったのだ。

 そして無事にオーケーをもらった俺は、その少女を引き連れてポスターの端っこに小さく書かれていた部室の場所まで向かった。

 やがて部室にたどり着き、失礼しますと扉を開けたら果たして――――


 ――――『こんな所に寄ってる暇があったら帰れ』、と。


 ホワイトボードの中央にはでかでかとそう書かれていたのだ。

 そう、部室には帰宅理念や各自の信条、区域別最短帰宅ルートなどの張り紙があるだけで、部員は誰ひとりとして部室にいなかったのだ。

 それを見た俺は大爆笑。今まで笑わなかった少女も楽しそうに笑った。そしてそのまま入部届けを提出した俺とその少女はその日から早速、部活動を始めたのであった――――。

 ――――しかしだ。

 笑顔が可愛らしかった不思議少女がどうしてまた"神が泣き仏がちびり猛獣が震える毒舌女"になってしまったのかは誰にもわからなんだ……………………。

 ――とまぁ昔を思い出しつつ、なんだかひどく惨めな気持ちになって立ち尽くしていると、先生はそんな俺を追い立てるようにして語りかけてきた。

「さぁ帰った帰った。おまえが生粋のワルじゃないって事は判っている。部活だけはしっかりやれよ。三年間やってきたんだ。顧問の先生も鼻が高いとおっしゃっていた」

 俺はそんな先生に黙って背を向け、帰ろうとした。あとそんな顧問は世界中探したってここにしかいねぇ。

「おおそうだ、羽賀崎」

 後ろから思い出したような声をかけられる。

「なんだよ」

「磨木を頼む」

 その言葉をどう受け取っていいかわからなかったが、真実を知ってしまったからにはそれなりの受け答えをするべきだった。

「…………カウンセラー増やしてくれればできないこともないぜ」

 あながち間違ってもいないことを言って、俺は部活に遅れた時間を取り戻すべく、我が家に向かって駆け出した。

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