97話 安土決戦2
この日、安土攻めの方針を巡って軍議が開かれた。
軍議の席には、徳川家康を筆頭に織田信包、松平秀康、森長可ら。
無論、本多正信・正純親子や本多忠勝、井伊直政といった徳川家臣団もいる。
それだけではない。
上杉景勝、前田利家、金森長近、丹羽長重といった北陸勢が加わっている。
北陸勢と合流した事により、攻め手となる大坂織田軍はおよそ9万にもなる大軍勢となっていた。
だが、安土城は信長が心血を注いで築いた巨城だし籠る兵も2万5000もの数だ。
3倍以上の軍勢を抱えても、攻め落とすのは容易ではない。
豊富な銃火器を未だに残す安土織田軍を相手に、相当厳しい戦いを強いられる事になろう。
この軍議の席で、入ってきたばかりの情報を吟味していた。
「大陸遠征軍がついに戻ってきた。柴田勝家の軍勢も、大坂城の囲みを解いて撤退したらしい」
大坂へと忍ばせた伊賀者からの報告である。
「勝家は、どうするつもりなのだ?」
信包が疑問符を浮かべた。
「どうやら、山崎の地で信雄様や羽柴殿と一戦したようですな」
家康が答えた。
「ほう。それで結果は?」
「結果は……」
一呼吸してから、家康は続ける。
「大坂方の勝利。勝家も討ち取られたようです」
おお、と歓声に近い声が場にあがる。
「安土方の軍勢はほぼ壊滅。佐久間盛政は討ち死に。筒井定次や、不破直光も安土方を見限ったらしい。残った兵は、滝川一益がまとめあげて大津城まで引き上げたようです」
「という事は京は……」
「はい。信雄様や羽柴殿が奪還したようですな」
再び歓声があがった。
やはり、日の本の中心である京を敵に奪われた状況というのは彼らも落ち着かなかったのだろう。
「それにしても、あの鬼柴田もこれで終わりとは。何ともあっけないですな」
「そうですな」
景勝の言葉に利家は応じる。
「戦場で交える機会はありませんでしたな」
そう答える利家の顔はどこか複雑そうだった。
やはり、安土方、そして勝家を見限った事にどこか後ろめたさを感じているのかもしれない。
「羽柴勢は、奪還したばかりの京の治安の回復に努めているようですが、時間が経てば安土城攻めに加わる事でしょう」
……できれば、その前に決着をつけたいものよ。
家康は内心でそう付け足す。
ここでところで、と長近が話題を転じた。
「長浜城に籠っていた軍勢の一部が安土城に向かったそうですが……」
柴田勝豊の投降後、長浜城は開城した。
が、勝家や信孝になおも忠誠を誓うものは琵琶湖を渡り安土城へと合流してしまった。
もっとも数こそ、百人前後と多くはなかったが。
「阻止はできなかったのですかな?」
上杉景勝の言葉に、信包が答えた。
「無理よ、奴らが安土方に味方しておる」
「奴ら?」
「堅田衆でござろう」
森長可が代わって応えた。
堅田衆は、堅田に本拠を置き琵琶湖の水運を支配していた。
その彼らは安土方に組しており、長浜城や佐和山城を落とした今もなお、近江に広がる広大な琵琶湖は安土方の勢力圏といって良かったのだ。
「仰せの通りです。船を持たない我々ではどうしようもなく……」
信包の家臣が、申し訳なさそうに答える。
大坂方に、琵琶湖を渡れる船はほとんどない。その数少ない船も、地元の漁師から無理矢理接収したものであり、とてもではないが水軍と戦えるような実態ではなかった。
「それに」
さらに信包の顔が曇った。
「おそらく、大津城に逃げ込んだ軍勢の一部も湖上から安土城に逃げ込む気だろう」
「そちらも阻止はできませんか」
兼続の問いに、信包は黙って首を横に振る。
「となれば、安土城の敵勢はもっと増えるのか……」
大きく減じたとはいえ、柴田勝家の配下にあり現在は滝川一益がまとめている軍勢は今でもなお1万5000ほどが残っている。
そうなれば、4万ほどの兵が安土城にいる事になる。
3倍以上の兵力差の今ですら苦戦しているのだ。
さらに苦しい戦いを強いられる事になるだろう。
場の空気は重くなる。
「……」
家康は暫く右指をかみながら考え込んでいたが、
「丹羽殿」
家康の視線が、丹羽長重に向けられる。
「一つ、よろしいでしょうか」
「な、何でしょうか」
まだ年若い長重は、総大将の家康に急に話を振るわれて思わず体を震わせる。
「丹羽殿の配下に、猪飼昇貞の子である猪飼秀貞という者がおりましたな」
「は、はい」
猪飼昇貞は、かつて六角家、そして浅井氏に仕えた人物だ。
琵琶湖の海運を支配していた、湖賊――いわゆる堅田衆の取り纏めをしていた。
信長包囲網が敷かれ、浅井氏が劣勢に立たされると織田信長の軍門に下った。以後は明智光秀の配下として活躍。
本能寺の変では、そのまま光秀に組して以後の消息は不明となった。
が、彼の子である秀貞の方は父と決別し、現在は丹羽長秀に仕えていた。
だが、四国で父・長秀が長宗我部の軍勢と戦った安芸城の戦いには参加しておらず子の長重と共に若狭にいた。
「働きかけて貰えぬでしょうか、堅田衆に信孝への協力をやめるようにと」
「命じてはみますが……」
長重は自信なさげに言った。
かつて、父が琵琶湖の海運を支配していたとはいえその父は既になく、今の影響力はかなり落ちている。
「信孝に協力する益はもはやありませぬ。いかに、湖賊の支援があったとしても、いずれは各地から援軍がかけつけ、安土城は落ちます。その事をよく説明すれば、堅田衆も納得するはずです」
最も、そうなる前に家康としては安土城を落としたいのだが。
「敵が増えたといっても、我らが数では優位なのは変わりません。城攻めは、これまで通りに。羽柴殿が到着する前に安土城を落としてしまいましょう」
家康のその言葉で、軍議は締めくくられた。
その日、安土織田軍の軍議。
織田信孝は荒れ狂っていた。
「北陸勢は何をしておるっ!」
信孝は、安土城に籠った当初、北陸勢の後詰に大きな期待を持っていた。
だが、その信孝を絶望させる情報が相次いで舞い込んでくる。
――北庄城、落城。
――お市の方、自害。
――前田・金森両家、安土方から離反。大坂方に着く事を表明。
――上杉軍、前田・金森軍と共に南下を開始する。
――上杉・前田・金森連合軍包囲する大坂織田軍に加勢。
――大陸遠征軍、帰還。
――柴田勝家、第二次山崎の合戦にて敗戦、討ち死に。
――京の都、奪還される。
――羽柴秀吉、包囲陣に参戦。
「……」
もはやこれまで。
そう思わせる、絶望的な情報ばかりだ。
「くそっ!」
肘掛を乱暴に蹴る。
それが、諸将の前に転がったがそれを戻そうとする者はいない。
重苦しい沈黙が流れる。
ちっ、と小さく舌打ちすると信孝もまた黙り込んでしまった。
「……」
「……」
誰も言葉を発そうとしない。
かつて、この城を占拠して決起した当初は、この大広間を埋め尽くさんばかりに
いた諸将だが、今はその数も少ない。
減ったのは、雑兵だけでなく指揮を執る将達もなのだ。
討ち死にするか、寝返るかでその数はかなり減っている。
「……ここは」
重苦しい沈黙の中、数少ない生き残り組の一人である滝川一益が発言した。
「某の領国に残った配下に命じ、大坂城に攻め寄せるよう指示を出します」
一益の領国は紀伊にある。
「しかし、滝川殿は兵の大半を連れてきたはずでは……」
中川清秀が疑問を口にした。
「まだわずかではあるが、兵はいる。大坂城を攻め落とす事は無理でも、ある
程度攪乱する事はできよう」
一益は答える。
「九州では、大友吉統殿や佐々成政殿がまだ健在だ。直接の支援は無理でも、背後
を脅かす事はできよう」
大友吉統は、安土方として参戦したものの、大乱が始まった当初に先代当主である大友宗麟が没してしまい、家中に混乱が起きた。
それを鎮めるのに時間がかかり、本格的に参戦するのに時間がかかった。
今は、豊後と豊前の国境にて、秀吉が残した軍勢と対峙している。
が、参戦が遅れた分、兵はまだ十分な数が残っている。
佐々成政と島津歳久もまだまだ健在だ。
「だが、九州の大名である大友殿らに期待をかけても……」
九州は遥か遠方。
どの程度の支援になるか。
「では、他に手はあるのか?」
「……」
そう言われると、清秀も返す言葉はない。
もはや、降伏するかわずかな勝機に縋るかの二択しか彼らには残されていなかった。




