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乖離戦国伝  作者: 藍上男
第3部 天下の分裂
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92話 大坂戦線5

 ついに、柴田勝家の恐れていた事態が起きてしまった。


 ――大陸遠征軍、名護屋城に帰還。


 時間切れ、である。

 名護屋城が落ち、大陸遠征軍がついに九州の大地を踏んだのだ。

 大陸遠征軍のみならず、名護屋城を囲んでいた軍勢も他の戦線に投入できるようになった大坂方は、10万近い大軍を得たのである。

 一部は他の戦線に投入されるかもしれないが、その大半が向かってくる先はこの大坂城だろう。

 そうなれば、人数の優位は消え失せてたちまちのうちに寄せてである勝家らが苦境に陥る羽目になる。


 この大坂方にとっては朗報、安土方にとっては凶報となる知らせを受け、幹部武将達を呼び集めた。

 どの顔も、暗い。


「ついに戻ってきてしまったか……」


 滝川一益の顔は、苦渋に満ちている。


「……何という事だ」


 筒井定次は、絶望的な顔をしていた。


「このままでは我らは……」


 佐久間安武の顔色もよくない。


「もはや、引くべきでは? とても勝ち目はない」


 徳永寿昌が言った。

 どこか諦めたような、投げやりな口調である。


「何を弱気な!」


「では、どうするというのだ!」


 反論するような声に、寿昌も強く返す。


「……」


「……」


「……」


 沈黙が、場を支配する。

 空気は重い。

 最悪の事態に、安土方の幹部武将達はどうするべきか即座に判断ができずにいた。


「各々方! 何を恐れている!」


 そんな空気を払拭するかのように、皆を叱責したのは佐久間盛政である。


「なるほど、敵は大軍。ならば、その大軍が到着する前に大坂城を落としてしまえばいい。ただ、時間制限がついただけで我らのやるべき事は何も変わらぬではないですかっ」


「それは……」


 誰かの声があがる。


「このまま何が何でも大坂城を攻め落としましょうぞ。それ以外に勝つ手はない」


「しかし……」


 なおも否定的な意見を口にしようと誰かが口を開きかける。

 だが。



「……その通りじゃ」


 ぽそり、と誰かが言った。

 それは小さいがよく通る声だった。


 皆がはっ、としてその声の主を見る。

 この包囲軍の総大将である柴田勝家だった。


「盛政の申す通りじゃ」


 軍議が始まり、はじめて口を開いた勝家の言葉に皆の耳が注目する。


「……生きる為に、前進するほかない」


 勝家の声ははっきりとしていた。


「仮に、このまま京や安土城に兵を引いたとしても先は見えておる。挽回の可能性が十分にある撤退ならば儂は受け入れよう。だが、ここでの撤退にそれがあるとは思えん。唯一、我らが逆転できる可能性があるとすれば大坂城を落として、秀吉達の首を刎ねる事だけだ」


「……」


「……」


「……」


 強い決意の色の籠ったその言葉に、皆は黙り込む。


「その通りじゃな」


 やがて、一益がぽつりと言った。


「退いても、勝てる戦いとは思えぬ。ならば、進んで勝つしかない」


 その言葉に一斉に各武将達が同意し始める。


「その通りよ! 元々我らはこの城を落とす気でいたのだからな」


「うむ。弱気になりすぎたわ」


「滝川殿や佐久間殿の言う通りよっ」


 空気が、変わった。

 絶望的な空気が消え去り、強い意思を感じさせる空気へと。


 だが、それは同時に虚勢にも見えた。

 圧倒的不利でありながら、大坂城の攻略という小さな。しかし、光り輝く希望に縋りつく。


 ……だが、それに縋るほかない。


 勝家は、強く決意する。

 不利な戦いである事を勝家は自覚していた。


 これまで落とし続けなかったのだ。

 秀吉も、援軍が来る事が分かれば決死の覚悟で城を守りぬくだろう。有力な武将がほとんど籠っていないとはいえ、黒田孝高や堀秀政のような戦上手もいる。

 兵の数でもこちらに劣るとはいえ、決して侮れない。


 だが、勝つしかない。

 大坂城を落とし、何が何でも秀信と秀吉を討ち取るほかないのだ。


「……結論は出たようじゃな」


 小さく。

 だが、威圧感のある声で勝家は言う。


「大坂城を落とす! そしてこの戦を我らの勝利で終わらすぞっ!」


 応! と強く勝家の言葉に答える声が響き渡った。






 勝家の指揮の元、激しい城攻めが開始された。

 もはや、時間に余裕がない。

 戦上手と言われた勝家とは思えないほど、荒く多くの犠牲を強いる戦となった。


 武具や竹束を手に、安土織田軍の兵達が迫っていく。

 だが、ほとんどは無残にも大坂城に籠る大坂織田軍の銃弾の餌食になる。わずかに城門に辿りついたものも、必死に城門をこじ開けようとするがさして時間がかからずに先に撃ち殺されたものの後を追う事になった。



 土と血の匂いが、戦場には漂っている。

 三桁、いや四桁にすら達するであろう骸が戦場を見渡す限り見える。


「柴田殿もむごい命令を出しますな」


 その光景を見やりながら、島清興は主君である筒井定次に嘆息気味に言った。


「……」


 定次も、その光景を見ながら強い焦慮の念を浮かべていた。

 この戦い、筒井勢の犠牲は凄まじいものがあった。

 定次は9000ほどの兵を率いてこの戦いに赴いていたにも関わらず、今や半数ほどの5000ほどでしかなかった。

 これは、いかに筒井勢が酷使されたかを物語っている。

 加えて、遠方の地である北陸勢は兵糧の負担をほとんどしておらず、紀伊の滝川一益とこの筒井定次が多くの負担をしていた。


 無論、戦後には多くの見返りを織田信孝も勝家も約束していたが、その約束が行使される可能性はほとんどなさそうだ。

 それどころか、筒井家そのものが取り潰される危険すらある。


「……殿」


 清興が、囁くように言った。


「決断するのならば、時間はあまりないかと」


「……分かっておる」


 定次の顔が、苦々しげに歪む。

 定次の手には、大坂方から届いた書状が握られている。そこには、名護屋城への大陸遠征軍の帰還を知らせると共に、定次に鞍替えを進めていた。

 応じれば、処遇は応相談。刃向えば問答無用で取り潰しとあった。


「何せ、当家は二度目ですからな」


「……何?」


 清興の皮肉とも取れる言葉に、定次は目を吊り上げる。


「失言でしたな、これは」


「……」


 清興は、発言を取り消したものの定次の額に浮かんだ青筋は消えなかった。


 ……この男は。


 定次は、目の前の男に強い敵意を覚える。

 松倉右近重信と共に、「筒井家の右近左近」などと称され、筒井家を支える重臣ではあるが、どうもこの男と定次は反りがあわないようだ。

 むしろ、反発すら覚える。


 ……くそ、父上はこやつらを優遇しておるようだが、儂にはあわん家臣ばかりだ。


 舌打ちしたい気持ちを必至に抑える。


 ……そもそも、儂が安土方についたのを根に持っておるのか。


 定次は、キリスト教に深い関心を抱いていた。

 そもそも、定次が安土方に加担したのは、安土方が「キリスト教の保護」を建前にしていたからというのが大きかった。


 だが、親羽柴色の強い島清興。そして、親徳川色の強い松倉重信の両名は、これに強く反発。

 最終的には主君の命令と言うことで二人は納得したものの、家中によくない空気が残った。


 ……だが、こやつらを優遇しておった父上は既にいない。


 小牧合戦の結果は、既に定次も知っている。

 父・順慶――といっても、定次は本来は分家筋の子であり養父というべきだが――がそこで討たれた事も。


 ……こやつらとの関係も考え直した方がいいかもしれんな。


 そう思う定次だったが、今は目の前の戦場に集中する事にした。


 大坂城攻め()を凌がなければ未来は来ないのだ。




「無理だな、これは」


 城攻めを続ける安土織田軍を冷めた口調で眺めていたのは、徳永寿昌である。

 彼はもはや、安土方の勝利はないと確信していた。


 こんな賭けにも近い、無謀な城攻め以外に選択がないという時点で負けは見えている。

 だが、それでも万一という事もある。


 ……この城攻めが成功すれば、安土方にも勝利の目はわずかにある。


 しかし。


 ……失敗すれば、それを覆すのはもはや不可能。


 ならば、下るか。大坂方に。


 ……だが、その機会を間違えれば私も破滅だ。


 冗談ではない。

 安土方に近い立場にいた為、挙兵には加わったが心中してやるほどの義理はない。


 ……だが、大坂方が私を許すだろうか。


 一度は、安土方として挙兵してしまったのだ。

 簡単に、許すとは思えない。


 ……良い機会を狙うか。


 もはや、大坂城攻めなどより、いかにして大坂方に加わるかしか寿昌の頭にはなかった。




 士気が下がっている安土方にあって、大坂城攻めの強行を訴えた佐久間盛政は特に必死である。


「やれ、やれーっ!」


 大声を張り上げ、前線に立って兵達を鼓舞する。

 一向に後退する様子を見せない。


 凄まじい気迫だ。

 それにつられるかのように、佐久間勢も迫る。


 迎撃するのは、織田信雄配下だ。

 以前、滝川一益の調略により、家老達数名の捕縛という事態になってしまっており、指揮系列に乱れがあった。

 津川義近・義冬兄弟、浅井長時、岡田重孝らの配下達である。


「敵は怖気づいておるぞ、一気に城門にまで迫れ!」


 盛政も、敵勢に勢いがない事は察している。

 それだけに、気合も入る。


 ……大坂城さえ落とせば、戦局は変わる! 変わるのだっ!


 凄まじい気迫の佐久間盛政がそこにいた。






 だが、全体から見たらやはり大坂城攻めの進捗は芳しくない。


 各地から、芳しくない報告が本陣の柴田勝家の元に相次いで届いている。

 勝家は、ほとんど言葉を発しない。


 やがて、夜になった。

 同士討ちの危険のある夜間での戦闘は行われない。

 兵士のみならず、将達も睡眠をとるがほとんど睡魔は訪れなかった。早く攻め落とさねば、と強い焦慮の念ばかりが勝家達にはあった。


 翌朝、まだ日も昇ったばかりの刻限に勝家は目を覚ます。

 早くも、近習を呼んだ。


「もう少し休まれた方が……」


 心配するような口調だ。

 既に勝家も60を超えており、身体も健康ではないのだ。


 が、勝家は首を横に振った。


「この状況では、その少しが命取りになるやもしれんのだ。一刻も早くも大坂城を落とさねば……」


 勝家は鬼気迫る様子だ。

 それは、思わず近習を引かせた。



 この日も、明け方から激しい城攻めが始まる。

 大量に集められた大筒も、何の惜しげもなく次々とぶっ放される。


 だが、天守をはじめとする城の主要部はほとんど無傷だ。

 むしろ、扱いになれていない安土方の兵が負傷するような事態になる始末である。それでも、攻撃をやめなかった。

 佐久間盛政を始めとする、積極案を当初から唱えていたものを除いて筒井定次、不和光治らから悲鳴のような報告が届く。

 勝家はそれをはねのけ、城攻めを続けさせた。


 ……後少し、後少しなのだっ!


 それは、あまりにも無謀な攻撃命令だ。

 だが、それに縋るほかないのが今の状況だ。



 この日の夜。

 遂に、恐れていた報告が届いた。



 ――大陸遠征軍及びに名護屋包囲軍、姫路城着。



 羽柴秀長ら大陸遠征軍と、羽柴秀次ら名護屋城包囲軍が姫路城にまで到達してしまったのだ。


 播磨から摂津は、目と鼻の先だ。

 もはや、いつ後詰に来てもおかしくない状況なのだ。


「間違いないのか……」


 勝家の顔に、強い失意の色が浮かぶ。


 ……失敗だ、これは。


 完全に大坂攻めは失敗したのだ。

 となれば、これ以上留まるのは危険だ。


 下手に留まれば大陸遠征軍と、大坂城にいる大坂織田軍によって挟撃される恐れもある。

 そうなれば、甚大な被害を受けるのは必定だ。


「……引くほかないのか」


 勝家の表情には、凄まじい無念が籠っている。


 かといって、引いたところでも展望はまるで開けない。

 引いて地獄、進んでも地獄だ。


「……」


 暫し、沈黙する。

 だが、どう考えても他に道はない。


「ただちに、各陣に伝えねばならん――使番」


 はっ、と使番が勝家の傍に現れる。


「各部署に伝えい。一刻も早く撤退する」


 使番が、各武将に伝えるべく各陣所へと散っていく。

 大坂攻めを続けるべきだ、と強く主張する者もいたが勝家は受け付けなかった。


 大坂城の囲みを解いた安土織田軍は一気に京の都にまで引き上げた。大坂攻めの

疲れも取れないままの撤退である。安土織田軍の足は重かった。



 一方の大坂織田軍も即座に追撃する余裕はない。

 無理な追撃をする事なく、大陸遠征軍の救援を待った。


 そして翌日。

 ついに、大陸遠征軍と名護屋城包囲軍が大坂城に帰ってきたのである。

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