90話 安土決戦1
安土城を、包囲するのは徳川家康を総大将とする5万の軍勢。
対する、籠城側は2万5000。
大将は、安土方の盟主・織田信孝だ。
2倍の人数だが、城攻めをするには少し厳しい。
だが、安土方の士気は低く、逆に大坂方の士気は高かった。
――あと少しで、この大乱も終結する。
立場は違えど、安土城の陥落が近い事をどちらも確信していたのだ。
「一気に安土城を落とす」
徳川家康が、開口一番に軍議の席で言った。
「長い、戦いであった」
ぼつり、と家康が言う。
「だが、それも今日まで! この安土城を落とせば此度の大乱も終結する! 勇んで戦え! 恩賞は望みのままぞ!」
鼓舞するような家康の言葉に、皆は気合を入れる。
「応!」
「やるぞ!」
「安土城を落とす!」
皆はそれに答えるように叫んだ。
細かい担当部署が決められ、城攻めは始まった。
南に位置する、大手口に徳川軍が殺到する。
先陣の指揮を執るのは、井伊直政だ。
「井伊の赤鬼」として、知名度も跳ね上がっている。
井伊隊を支援する大鉄砲による攻撃で、矢倉や石塁が崩れていく。
だが、それでも部分的な破壊に過ぎない。
にも関わらず、大鉄砲による攻撃は中途半端なままに終わり、井伊隊に突撃命令が下る。
徳川軍の硝煙が底をつきつつあることを知る、幹部武将達は鉄砲の節約を命じていたのだ。
その少ない銃火器で、この安土城を攻略したがっている。
鉞や斧などを持って、城門に井伊隊の兵士達が殺到していく。
「やれ、やれーっ!」
直政が自ら前線に立ち、声を張り上げる。
が、守る安土織田軍からの猛反撃を受ける。
――ダダダダッ!
鉄砲による、緻密な射撃攻撃だ。
雑賀衆が多く籠っていることもあり、見事な射撃だ。
「ぎえええっ!」
「ぐわぁっ」
「いかん、肩を、肩を撃たれた!」
井伊隊の兵士達の悲鳴が響く。
先頭の方にいた兵から倒れていき、後方にいた兵達にも動揺が走る。
が、さすがに直政は動じない。
「うろたえるなっ! お前達はそれでも儂の家臣かっ!」
直政が、甲冑だけでなく顔まで赤く染めて怒鳴る。
何とか気力を取り戻し、必死に井伊隊の兵士達も攻撃を再開するが、再び猛烈な反撃を食らった。
――ダダダダッ!
相変わらず、緻密な射撃攻撃だった。
井伊隊の兵士達は、再び悲鳴を上げて相次いで倒れる。
……くそっ!
直政は内心で毒づく。
が、無謀ともいえる城攻めを命じる主を非難する気にはなれない。
それに、何故このような無謀な城攻めを命じているのか直政はよく分かっているのだ。
……西にいる禿鼠が戻ってくる前に。
既に、伊賀者を通じて大陸遠征軍の帰還を知っていた。
大陸遠征軍が戻ってくれば、大坂戦線も大きく変わる。柴田勝家も、大坂城の囲みを解かざるをえない。
大坂城の陥落と、織田秀信の死が大坂方の敗北を意味する以上、それは家康にっても吉報だ。
だが、そうなれば秀吉もいずれはこの安土城の攻防戦に加わるだろう。
安土城と信孝に単独でとどめをさし、一気に権勢を高めたいと考える家康にとって、それは歓迎したくない事態だ。
直政も、それが分かっているからこそ焦りがあった。
……何がなんでも、安土城を落とす!
並ならぬ決意で、城攻めを続けた。
「やれ、やれーっ!」
本多忠勝率いる部隊も、城攻めに力を入れていた。
――ダダダッ!
轟く銃声に、ばたばたと味方の兵が倒れていく。
だが、忠勝の軍勢は止まる事はなかった。
思いは、直政と同じである。
「ひるむなっ! 織田の弱兵共に、三河武士の力を見せつけてやれ!」
城門にたどり着こうと、凄まじい勢いで迫る。
しかし、敵の銃火器は豊富だ。
……いかに、銃火器が豊富であってもいずれは尽きる。
忠勝は、そう確信していた。
紀伊や国友を支配下に置く安土方とはいえ、安土城に籠城せざるをえなくなった現状では外部から補充する事は不可能だ。
となれば、いかに鉄砲や弾薬を蓄えていようといずれは底を突く。
安土城は、既に四方を大坂方の軍勢によって完全に包囲されている。
脱出も補充も不可能だ。
この無謀に見える突撃であっても、決して無駄ではないのだ。
勇猛果敢に突撃をかける、本多隊に安土織田軍は怯む。
しかし、彼らも必死である。
何せ、この安土城を落とされたらもはや後はないのだ。
――ダダダダッ!
緻密な銃撃により、さらに本多隊の犠牲者が出る。
それでも、忠勝は突撃命令を下し続けた。
が、結局城門を破る事ができずにいた。
そんな戦局を、家康は本陣で見ていた。
苛立った様子で、爪をかんでいる。
「……」
「御屋形様……」
本多正純が、不安げな様子で家康を見る。
だが、声をかける事ができずにいた。
……もはや、安土城を落とすだけだというのに。
そうすれば、この大乱は勝利に終わる。
徳川家が、武功第一という形で。
そうなれば、「今後」がやりやすくなるというのに。
「……っ!」
家康は、無言で床几を蹴りつけていた。
近習が慌ててそれをよける。
「まだ落ちんか……」
ぼそり、と家康が呟く。
「御屋形様、もはや信孝に後はありませぬ。援軍の見込みもありませぬゆえ」
「……うむ」
何とか冷静さを取り戻したように、家康は言う。
「確かに、焦るすぎたな。 ……どちらにせよ、もうこのような刻限だ。今日はもう無理だな」
既に日は傾いている。
夜間での戦は同士討ちの危険も伴い、避けるべき事だった。
「……はい」
正純は頷いた。
さして戦に明るいわけではない正純でも、今の戦況は自軍の不利だと分かる。
「……使番を」
小さく呟くように家康は言った。
はっ、と正純は頷き使番を送るように指示を出す。
やがて、城攻めをする部隊に撤退命令が出された。
結局、この日の城攻めは失敗に終わったのである。
「徳川殿、いかに徳川軍の勇猛さは我らも知っておりますが、此度の城攻めはあまりに無謀ではござらんか」
信包が、その夜に行われた軍議の席で言った。
大坂織田軍の幹部達も、同意するかのような空気が生まれる。
「……」
家康が、小さく唸った。
信包の発言は業腹だったが、間違っていない。
事実、今回の城攻めでは少なからぬ犠牲が出た。
対する、安土方の犠牲者はほとんどいない。
「そのような事はありませぬ。確かに此度の城攻めは失敗に終わった。だが、次は必ず」
忠勝が、割り込むように言った。
「うまく行くというのですかな」
信包の発言に、忠勝は即答する。
「はい、必ずや」
「……」
その力強い発言に、織田軍幹部達も強く出れないでいた。
今回、包囲する大坂方の軍勢を実質的に仕切っているのは徳川軍の幹部武将達なのだ。
だが、このまま続けてもこの巨城を落とせる可能性はかなり低い気がした。
徳川家としても、ここで引くわけにはいかない。ここで安土城を落とせば信孝討滅後の、織田家の主導権争いで優位に立てるのは間違いないからだ。
ゆえに、羽柴秀吉の軍勢が安土城にまで来る前にけりをつけたいという思いが強い。
「御屋形様っ!」
不意に、軍議に割り込んできた声がした。
「何事だ?」
家康の小姓だった。
小姓は、少しばかり興奮した口調で言う。
「こちらを」
書状が手渡される。
何気なく読み進めていたが、やがて家康の顔色が変わった。
「どうかされましたか?」
怪訝そうに、そんな家康を徳川軍や大坂織田軍の幹部武将達が見やる。
そんな彼らに、書状を一人ずつ見せた。
「!」
「これは!」
「何と!」
一様に驚愕の表情を浮かべる。
「上杉景勝殿……それに、前田勢と金森勢が北庄城を落とし、我らに加勢するべくこちらに向かっていると……」
上杉景勝、それに前田利家、金森長近から送られた書状だった。
越前を制圧し、ただちに安土城の包囲に加わると書状にはあった。
「となると、上杉や前田勢が我らに加わるわけですか」
忠勝が興奮気味に言った。
彼らの参戦は想定していが、予想以上に早かったのだ。
「それだけではないぞ」
家康が言った。
「越前が制圧されれば、若狭の丹羽長重殿も動ける。そうなれば、丹羽勢も計算できる」
上杉景勝、前田利家、金森長近、丹羽長重らが加わればその数は4万を超える。
そうなれば、一気に城攻めは優位になるのだ。
「この軍勢を持って、安土城を落とす! 何がなんでもだ!」
家康の強い決意するような声が、この場に響いたのである。




