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乖離戦国伝  作者: 藍上男
第3部 天下の分裂
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89話 北陸戦線4

 越前北庄城。

 この地は今、大変な騒乱に陥っていた。


 それは、前田・金森両名率いる北陸勢が帰ってきたからだった。


 織田信孝による撤退命令は、北庄にも届いている。

 それ故に、上杉と和議を結んだ上での帰還と思われた。


 だが、それは違った。


 当初、今もなお味方だと思い込んでいた柴田勝政は笑顔で出迎えようとしていたが、槍を突きつけられて事態を察した。


 そう。

 前田利家、金森長近の両名は上杉と和議を結んだが、それは安土方を支援する為ではない。

 大坂方に下る事を決意したからなのだ。

 大坂方への恭順を決意した利家と長近は、そのまま上杉勢と共に北陸道を西に進んだ。

 そして、遂に北庄城に到達した両名は上杉勢と共に北庄城を囲んだのだ。


「これで良かったのか、前田殿」


 長近に聞かれ、利家は答える。


「まあ、な。こうなってはやむをえんだろう」


 利家は、かつては「槍の又左」と言われ、槍働きで出世街道を上り続けた。また、若い頃は信長お気に入りの茶坊主を斬ってしまうなど、若気の至りとはいえ血気盛んであり、愚直な武者だった。

 だが、齢を重ね、数十万石の大名になってからは老練な政治家へと利家を変貌させた。


 ここが、安土方の見限り時だと利家は判断した。

 これ以上、安土方に留まり続けると下る時期を逃すと。


「柴田殿には思い入れもあるが、ここは家名を優先させてもらう」


 かつて、北陸方面軍の長であり利家直属の上司だった柴田勝家には愛着がある。前述の出奔の後、織田家への復帰を手助けしてくれた事もあり恩もあった。

 だが、それにも限界がある。

 これ以上、義理立てする気にはなれなかった。


「――左様か」


 長近も答える。

 彼もまた、信長の馬廻出身であり、若い頃は槍を片手に武功を重ね、一国を任されるまでに出世した男だ。

 だが、手に入れたものが大きくなるにつれ、彼もまた得る喜びよりも、失う恐怖の方が勝るようになっていた。

 この時で彼は、すでに60を超えた老人なのだ。


 二人の間にそれ以上の会話はなく、北庄攻めの軍議に取り掛かる事にした。


 ほどなくして、北庄攻めの軍議が開始される。

 上杉景勝や、直江兼続ら、上杉軍の幹部武将達もこれには参加する。


「さて、囲みはしたものの北庄城は広大でござるな」


 兼続の声には、どこか賞賛するかのような響きがある。


 北庄城は、城の屋根が越前国特有の笏谷石で覆われており、天守が九重にも築かれている巨城だ。

 かつて、越前の一向一揆を討滅し、越前一国を勝家が与えられて以後、越前のみならず北陸方面軍の総司令官として、織田家の筆頭家老として恥じないようにと、精魂込めて築いた城である。


「ですが、籠る兵は少ない」


 と兼続は付け加える。


「そうですな。この動乱が始まる前、信孝は越前にいる軍勢の大半を柴田殿に動員させて大坂攻めに当たらせましたからな。ほとんど留守兵はおりますまい」


 利家は信孝、と呼び捨てた。

 信孝への気持ちはすでに吹っ切れているらしい。


 だが、勝家は「柴田殿」と呼ぶ辺りこちらの未練は断ち切れていないようである。


「2、3000といったところですかな」


 長近は言う。


「我らの合計はおよそ4万。10倍以上の軍勢であれば、難なく攻め落とす事ができるな」


 景勝が言う。


「とすると、上杉殿は力攻めをするべきだと?」


「うむ」


 景勝が短く返事をする。


「私も、主の意見に賛成ですな」


 兼続も続く。


「いかに、堅城といえども10倍の兵で攻めれば短期での攻略も可能かと」


「そうですな」


 利家も頷く。

 北庄攻めが長引くのは、利家も好まない。

 大坂方についていた上杉と違い、安土方からの返り忠である利家や長近にとっては少しでも多くの功績をあげる必要がある。

 できる事なら、これから行われるであろう近江での安土城攻防戦でも武功をあげたいと考えていた。


「某も、力攻めに賛同いたす」


 長近も同意する。

 前田、金森の両家臣団、それに上杉家臣団のほぼ全てが城攻めに賛同し、北庄攻めが始まった。






 実際に、北庄攻めが始まると、あっけないくらいに簡単にいった。

 何せ、まともに戦う兵がほとんどいないのだ。


 前田、金森らの大坂方への寝返り、さらには小牧での信孝の敗戦の報はすでに届いており、雑兵達は我先にと、逃亡を始めている。


 それを柴田軍の将達も必死に止めようとするが、まるで効果はなかった。


 たちまちのうちに、城の大半を制圧される。

 そんな中、留守居役の柴田勝政が呼び出しを受けて五層九階と巨大な天守の最上階へと向かった。

 が、そこを見て愕然とした。


「お方様……」


 柴田勝家の正室である、お市の方が白を基調とした服を身に纏っていたのだ。しかも、片手には短刀がある。

 何をする気なのか瞬時に悟った。


「勝政、この城はもう落ちよう」


 勝政が口を開くよりも先に、お市が唇を動かした。


「そのような事は……」


 勝政は否定しかけるが、途中で言いよどんだ。

 何せ、ここまで城内の喧騒が聞こえるような状態なのだ。下手に誤魔化しても滑稽でしかないだろう。


「よい、この城はもう持たん。わらわにも良くわかっておるのじゃ」


「しかし、その御姿は……」


「見ればわかろう、わらわはここで敗軍の将として、責任を果たす気でおる」


「な、なりませぬぞっ!」


 勝政が止めようとするが、お市の決心は固かった。


「よいか、勝政。わらわは女子ではあるが、今回の挙兵で勝家()を説得する為に心は武士だと言った。ならば、その言葉の責任を取る必要がある」


 そう険しい顔で言った後、傍らにいる三人の娘たちを差し出した。

 浅井長政の血をひく娘達である。かつて、長男は浅井家滅亡の際に殺されたが彼女達は助命されたのだ。


「だが、この娘らは別だ。そなたが敵陣に届けてやって欲しい。景勝はともかく、利家と長近は元々織田の臣。兄上の血もひくこの娘共の命を奪ったりはすまい。むしろ、兄上とわらわの血をひくこの娘らを尊重しよう」


 まあ、とお市は付け加える。


「尊重、ではなく利用の間違いかもしれんがな」


 そして、ふふ、と妖艶に笑った。

 そこには、いまだに失われない美しさがあった。


「そのような事は……」


「よい。命が助かるのであれば、利用しようと構わん。お前達も良いな。秀信や信雄、あるいは秀吉や家康に媚び諂ってでも生き残り子をなす事を考えい。そして、母や父の血を残す事を考えよ。間違っても母に後を追おうなどと考えるな」


「し、しかし母上……」


 一番上の姉である、茶々がはじめて口を開く。


「父上だけでなく、母上までもが逝くというのに、私達には惨めにも生き延びよというのですか?」


「そうだ。惨めであっても、無様であってもよい。とにかく生き延びよ。生きて権力者に取り入れ。さすれば、女子であってもそこいらの男では味わえぬほど生活を手に入れ、この世の春を謳歌できよう」


「な、ならば母上も……」


 何とか母にも生き延びてもらおうと、茶々は説得しようとするがぴしゃりとお市は一蹴した。


「わらわは、女子ではなく武士であると今、勝政に言ったばかりであろう」


 ここで、勝政の方を再び見る。


「良いな、勝政。わらわの最後の命令じゃ。この娘らを利家や長近のところに送り届けい」


「……わかりました」


 勝政も、もはや説得は無意味だと感じ取ったのか頷いた。


「さ、娘様方。某と共に……」


 茶々達の瞳から、涙が零れ落ちる。

 それを必至に留めようとするも、堪えきれないように涙は流れ続ける。頬を濡らしても、拭おうとしない。


「さ、これでお別れじゃ。なかなか楽しい人生であった。そろそろわらわは、兄上や長政公に会いに行くとしよう」


 一方、お市の方は凛々しい表情をまるで崩していない。

 そこには、敗戦国の哀れな妃などではなく、そこらの男など比べ物にならないほど、立派な武士が立っていた。


「すまぬが、勝政、介錯を頼めるか」


「まさか、切腹を?」


「うむ。見ればわかろう。たった今、わらわは武士だと言ったばかりであろう」


「……承知しました」


 勝政も頷くほかない。


「わらわも、作法は知っておるが試すのははじめてでのう。うまく逝ける自信がない。それに、わらわでは死にきれんかもしれん。その時は、ばっさりと頼む」


 お市はそう言うと、娘達に顔を向けた。


「良いか、これが武士として死ぬ母の最期じゃ。しっかりと目に焼き付けよ」


 そう言うと、畳の上へと座り、短刀を見やる。


「では、逝くとするか」


 ぐさり、と脇腹に短刀が突き刺さる。

 一瞬、苦悶の表情を浮かべるが、すぐに元の凛々しい表情へと戻る。


「ぬう……」


 再び、短刀を動かす。

 おびただしい量の、血が流れる。

 下の娘二人は、目を背けたが、茶々だけはおそるおそると言った様子でだが母の最期を見届けようとした。


「では、頼む。 ……ああ、最後は火をつけてくれ。身体だけとはいえ、敵勢に穢されては敵わんからのう」


 一切の、恐怖を感じさせない声でお市は勝政に言った。


「……御免っ!」


 次の瞬間、お市の首が胴体から離れる。

 最期まで凛々しい表情を浮かべたままの首が、落ちた。


 その後、お市の言いつけどおりに天守に火をつけた。

 織田家の筆頭家老として、北陸方面軍団の長として築かれた、巨城の最後である。だが、感慨にふけるような暇はない。


 勝政は、お市の娘達をつれて敵陣へと向かった。


 前田軍へと、三人の娘は引き渡される事になった。

 それを確認した後、勝政もお市の後を追った。



 この瞬間、北庄城は大坂方の手に落ちたのだ。

 そして、北庄城にわずかな留守兵のみを残し、上杉・前田・金森の連合軍は近江へと南下していく事になる。

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