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乖離戦国伝  作者: 藍上男
第1部 天下人の誕生
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8話 甲信併呑2

 上杉軍の、木曽攻略戦が失敗に終わった数日後。

 上杉軍は木曽義昌の領国から撤退したものの、どういうわけか川中島の辺りで留まっていた。

 北条からは、再度の同陣を求める使者が送られたがなしのつぶてだ。


 何の返答もない。

 ただ、不気味な沈黙を上杉は保ち続けた。


 それを不気味に思っていたのは徳川軍も同様である。

 上杉はいったいどういう気なのか。別方面から徳川領、あるいは織田領を攻める気なのか。それとも、このまま撤退する気なのか。様々な噂や憶測が流れた。



 だが、思いもよらない方向からその答えが来た。


「御屋形様。上杉から使者が来ております」


 その日、徳川家康が朝餉をとっている最中での報告である。


「上杉からの使者だと、何者だ?」


 箸を置き、怪訝そうに家康が問うた。


「上杉家の直江兼続と名乗っております」


「直江、じゃと……」


 巧みな謀略を用い、景勝に上杉の家督を継がせた天才策略家としての才は既に徳川家にも伝わっていた。

 その兼続自らの来訪と聞き、さすがの家康も驚いた。


「上杉から接触があるとは思っておりましたが、随分と早かったですな。それも、景勝側近の直江自らとは」


 家康と共に、朝餉の相伴にあずかっていた本多正信が言った。

 正信に命じて上杉側の内情を調査させており、上杉家の苦しい実情は家康も知っていた。ゆえに、いずれ上杉の方から詫びを入れざるを得ない状況になることも。だが、これほどに早く、しかも景勝の側近中の側近ともいえる兼続自らの来訪とは家康にとっても予想外だったのだ。


「ですが、何かの罠かもしれませぬぞ。追い返しますか?」


 正信と同様に、同席していた石川数正が言う。


「いや、会おう」


 家康は答えた。

 現状、この硬直状態を打ち破るのは難しいと家康は考えていた。

 だが、上杉の使者とやらの内容次第ではそれも何とかなるかもしれないのだ。


 朝餉を急いで済まし、兼続と対面するための広間に入る。

 しばらく経つと、いまだ20半ばほどとまだ若い青年武将が入ってきた。

 が、その目つきは異様なまでに鋭く策謀家としての才能が伝わってくる。事前に、兼続と面識のある武田旧臣にも顔を確かめさせたが本人に間違いないという答えだった。


「上杉家の直江殿と申したか」


「はっ。直江兼続でございます」


 慎重に身体検査をした結果、何かを仕込んでいる様子はなかった。

 だが、それでも家康と兼続の間にはかなりの距離があった。

 しかも、屈強な家康の護衛達がいつでも飛びかかれる状態だ。


 今は戦の真っただ中であり、油断は禁物なのだ。


「上杉とは交戦中のはず。いったい如何なる用で参られた」


「徳川家との和議を、と思いまして」


「ほう……」


 家康はわずかに目を細める。


「何故、和議を結ぶ必要がある」


「確かに、現在は当家と御家の間で不幸な行き違いにより槍を交える結果となりました。ですが、我が方は平和を望んでおります」


「平和を、の」


 皮肉げに家康が言う。


「一方的に信濃に侵攻してきたのはそちらのはずだが」


「はっ。それゆえ、我が主・景勝は此度の愚挙を激しく後悔しておられます」


 そう言って兼続は頭を下げる。


「その為、これまでに占拠した信濃の地は全て放棄し、徳川様に引き渡す事にいたします」


「何?」


 思わぬ言葉に、家康がかすかに驚く。

 上杉不利な現状、ある程度は譲歩した条件で来るだろうとは思っていた。

 だが、信濃を完全に放棄とは予想以上であり、信濃四郡ぐらいは要求してくるものと思っていた。


「そして、今後はこのような不幸な行き違いが起こらぬよう、何より両家の安泰のために和議を結ぶべきと我が主は考えております」


 さらに、と兼続は続ける。


「現状、当家と槍を交えているのは御家だけではのみならず織田家もです。我らは、織田家とも和議を結びたいと考えております。幸い、徳川様は織田家の同盟国。徳川様からも、織田家との仲を取り持っていただきたいと考えております」


「……織田家との間を取り持てと申すか」


「は、織田家からの信頼の厚い徳川様ならば容易い事かと……」


 暫しの沈黙の後に再び口を動かした。


「して、望みは?」


「越後の安堵を」


「……」


「そして、今後は徳川様の為、織田様の為に粉骨砕身、働きます。北条を討てというのであれば、それに従い盟約を破棄して北条を討ちます」


 そう言って兼続は深く平伏した。

 それを家康はじっと眺めていたが、


「よい、下がっておれ」


 家康はそう言って兼続を下がらせた。


 そして、今度は他の重臣達も呼び集める。

 今の兼続の言葉を伝えたうえで、徳川家による議論がはじまった。

 家康の家臣達が、口々に喋り始める。


「驚きましたな、上杉には」


 本多忠勝が開口一番に言った。


「まさか、信濃一帯からの撤退とは……」


「我らに恩を売る事で、織田に取り入ろうという算段なのでしょうか」


 石川数正も納得しかねる様子だった。


「そうとしか思えませんな」


 本多正信も言う。


「もはや、上杉も当家や織田の力に屈しがたいと観念したのでしょう。元々、信長公が健在であれば、今頃は武田と同じ道を辿っていたでしょうしな」


「そうか……」


 家康もうーむ、家臣達を見渡す。


「それで、どう回答されるのですか?」


「上杉の主張が真実ならば、応じてやってもよいじゃろ」


「しかし……」


 忠勝がわずかに不満そうに言う。


「それでよろしいのですか?」


「良いも悪いもなかろう。戦わずして信濃が手に入るというのであれば乗らぬ手はない」


 やがて、別室に待機していた兼続が呼ばれ、上杉からの提案が応諾された。



 かくして、上杉軍は占拠した信濃の領国を放棄。

 そのまま越後に帰国していったのである。


 慌てたのは北条である。

 同盟を一方的に破棄された挙句に、撤退されたのである。


 それどころか、北信濃一帯も敵地と化したのだ。


 これで、北条も窮地に陥った。

 こうなっては兵站の不安が出てくる。

 いかに、兵が多くても、いや兵が多いからこそ背後の兵站が脅かされるようになったこの状態で大軍の維持は難しい。

 そう考えた氏直は、甲斐や信濃から兵を引いた。


 しかし、上野の領国はそのまま北条領として維持する事に成功した。

 徳川も上杉もそこにまで手を出す余裕はなかったのだ。


 いずれにせよ、これで当初の予定通りに甲信はそのまま徳川領となり家康は、甲信を加えた五か国の太守になったのである。

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