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乖離戦国伝  作者: 藍上男
第3部 天下の分裂
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88話 近江乱入

 森忠政は、鬼武蔵こと兄・森長可の元を訪れていた。


 長可は、この時は信濃にある飛び領にいる。

 この時、信濃は松平秀康率いる徳川軍と安土方に組する反徳川勢力との戦いの舞台となっており、安全地帯とは言い難かったが、危険を承知の上で向かった。

 何せ、もはや時間の猶予はまるでないのだ。


「兄上、一刻も早く決断してくだされ!」


 対面して、開口一番に飛び出した言葉がこれである。


「いきなりじゃのう」


 長可は苦笑して弟・忠政を見つめた。


「いきなりも何も、何度も書状を送っていたではありませんかっ」


「ま、そう騒ぐな」


 はは、と小さく手を振りながら長可は笑う。


「兄上はご存じないのですか! 状況はこれまでとは違うのですぞ」


「ああ、信孝様は負けたらしいのう。岐阜城も徳川に奪われた」


 濃尾決戦の情報は、既に長可にまで届いていたらしい。

 にも関わらず、実に飄々とした態度である。


「分かっているのであれば何故! もはや、中立などと言っておられる状況ではないのですぞっ」


「大坂方が勝つ、か」


「その可能性が極めて高いかと」


「うむ。儂も同じ読みじゃ」


「だったら何故……」


「以前にも言ったであろう。あの気に食わん田舎大名が大坂方についておる」


 気に食わない田舎大名、というのは朝鮮の地での因縁がある伊達政宗の事を言っているのだろう。


「それに、信忠公は儂の意見を退けてあの田舎大名を庇った。仇討しようという気にはあまりなれん」


「しかし、信忠公は兄上と浅からぬ縁がある。恩もあろう」


「それはそれ。これはこれじゃ」


 実にそっけない態度で長可は答えた。

 確かに、信忠と長可の間には浅からぬ縁があった。

 彼の初陣は、第二次伊勢・長島侵攻戦だ。その時、信忠の元に属した。信忠との縁はこの時からある。

 第三次伊勢・長島侵攻でも信忠と共に参戦している。

 また、信忠が家督相続と同時に美濃・尾張を領する事になった為、自然と美濃に所領を持つ長可との交友も増えた。

 武田征伐などでも、信忠と共に戦い、武功をあげた。


 それらの縁があった、というよりか縁がありながらも政宗優位の判決を下した事が長可には許せないようだった。


 が、それでも多少の恩義は残っているらしく安土方にも組する気はないようだったが。


「ですが、このままいけば森家は間違いなく取り潰しですぞ」


「ならば、お前だけでも徳川のところに向かったらどうじゃ。何なら、家督を譲ってもよい」


「しかし……」


「お前ならば、森家の当主は十分に務まるであろう」


「私には、兄上ほどの戦の才はありませぬ」


「戦の才はなくとも、大名としての才はある」


「私にそのようなものは……」


「ある。本能寺で上様が亡くなった時の事を思い出してみよ」


 忠政はかつて、兄・成利(蘭丸)と同様に織田信長の小姓だった。

 だが、同僚と諍いを起こしてしまい、未だ幼年である事を理由に母元へと送り返された。


 結果的には、これが幸いする。

 本能寺の変が起き、上の兄達の多くが亡くなった中、難を逃れる事ができた。


「しかし、あれは誇れるような事では……」


「誇れるような事じゃ。お主には、運という大きな才があるではないか」


 からかわれたと思ったのか、忠政の顔が渋いものになる。


「そんな顔をするな。素直に褒めておるのだ」


「……とてもそうは思えませぬ」


「何、運というのはどの大名でも欲しがるものよ。上様とてそれを欲しておった」


「上様が、ですか?」


 神のように信長を崇拝していた長可とは思えぬ言葉に、思わず忠政は驚いたような声を出した。


「うむ。まずは桶狭間じゃな。あの時、今川義元を討つ事ができたのは幸運によるものと生前の上様は常々言っておられた。それだけではない、美濃侵攻を志した途端の当主・斎藤義龍の死。傑物の義龍の死がなければ、上様が美濃を併呑する事はできず、下手をすればお父上と同じような結末に終わったかもしれん」


 かつて、尾張のみならず、三河や美濃にも強い影響力を持っていた信長の父・信秀もかつての美濃守護・土岐頼純の復権を大義名分に美濃に本格的に侵攻した事がある。

 加納口の戦いである。

 だが、斎藤道三の軍勢に打ち破られ、野心は頓挫。

 三河でも、小豆坂の戦いで今川義元の軍勢に大敗し、最終的には尾張一国の維持すら危うい状況で没したのである。


「はあ……」


「それだけではない。武田信玄の時もそうだ。三方ヶ原の戦いで、徳川の軍勢を打ち破り、尾張の手前にまで迫っていたにも関わらず信玄の急死によって武田軍は撤退した。上杉謙信の時も同様じゃ」


 かつて、第一次信長包囲網に加わった武田信玄は三河・遠江・美濃へと大規模な侵攻企てた。

 遠江へと進行した武田軍本隊は三方ヶ原の戦いにおいて、徳川軍と織田の援軍3000を叩きのめし、その勢いのまま尾張にまで攻め寄せると思われた。が、三河へと侵攻した辺りで信玄の体が急変。武田軍は撤退し、信長は窮地を脱した。


 手取川の戦いにおても、柴田勝家率いる軍勢を謙信は撃退する。能登・越中をほぼ完全に制圧し、柴田勝家の越前へと攻め入ろうとした。が、この時も謙信の体が急変。そのまま亡くなった。以後は、謙信の跡継ぎの座を巡り上杉景勝と上杉景虎が争う事になり、上杉家は泥沼の争いに陥る事になった。


「いわば、豪運ともいうべきものを上様は持っておられたのだ。運も立派な才能よ。そうむくれるな」


 ふふ、と上機嫌そうに長可は笑った。


「ですが、やはり兄上があってこその森家です」


 真剣な目で、忠政は長可を見返す。


「某では、森家を現状のまま維持するのがせいぜい。当家が繁栄するには、兄上の武勇が必要です」


「うむ……」


 弟の強い視線に、長可もかすかに表情を変える。


「お願いでございますっ! どうか是非! 大坂方に。これ以上時期を逃せば、森家は取り潰し。最悪の場合、兄上が腹を切らされる可能性すらあります」


 兄に、頭を下げて頼み込む。

 その態度に、さすがの鬼武蔵も困ったように頬をかく。


「そうじゃのう……」


 この態度に、兄が揺れている事を敏感に察した忠政はさらに続ける。


「どうか、是非!」


 忠政も必死だった。

 森家が存亡するかどうかの瀬戸際なのだ。


「……」


 そして、ようやく長可も決断を下した。


「良かろう」


「は?」


 不意に何を言われたのか分からず、忠政は聞き返す。


「ま、このまま取り潰されてはあの田舎大名にやり返す機会もなくなるかもしれんしの。良いだろう、大坂方に組してやる」


 こうして、森家も遂に大坂方に着く事を決めたのである。






 美濃――大垣城。

 斎藤利堯が、1000人ほどの軍勢で籠り、奮戦した。

 攻め手の、徳川・大坂織田連合軍は4万を超える。


 にも関わらず、最後の一兵に至るまでが決死の抵抗を見せたのである。

 が、それでも多勢に無勢。

 最終的に、城は陥落し、城主の利堯も討ち死にした。


 徳川家康が、大垣城に入ったのと信濃方面から松平秀康が到着したのはほぼ同時だ

った。当初、家康は対面すら拒否した。

 が、秀康と共に赴いた本多正信の必死に説得によりようやく対面を果たした。


「――信濃の平定ご苦労であった」


 開口一番に家康は言った。

 上田城での苦戦に関しては、特に触れない。

 信濃平定の功を称え、秀康を下がらせた。


「――御屋形様」


 秀康を下がらせた後、正信が家康に言った。


「信州上田にて、真田如きに手こずったのは我ら帷幕の責。秀康様に責はありませぬ」


「何も言っておらんであろうが」


 家康の声は静かだ。

 その声からは、特に憤っているようには見えない。


 だが、激情を押し隠し平静を装うなど家康の得意とする事だ。

 正信のような親しい者にはそこまで隠そうとしないが、親子での事となると別だった。

 正信にすら、家康は本心を晒そうとはしない。


「まあ、上田城でけちがついたとはいえ、その真田も無事誅を下した事だし、信濃も平定した。戦後は、大きく加増してやる」


 家康の言葉に、正信は平伏する。


「ははっ」


 そこで、近習から声がかけられた。


「御屋形様。森殿が到着されました」


「おお、来たか」


 家康は腰を浮かせて立ち上がった。


「正信、これで、美濃も信濃も安泰じゃ」


「は、左様にございます――」


 正信の言葉に、家康も気分良く頷いた。

 今度は、先ほどと違いはっきりと上機嫌である事が伝わってくる。


 美濃衆も下り、信濃も完全平定した事により、安土近辺の安土方と関東以北の安土方との連携絶つ事に成功したのだ。

 越後の上杉との連携も容易になる。

 家康の上機嫌もある意味当然といえよう。


 そんな中、森長可、忠政兄弟が到着した。

 3000ほどの兵を引き連れての参陣である。


 松平秀康隊と、森兄弟の軍勢を取り込んだ軍勢は4万数千となり、近江へと突入する。まずは、岡本良勝の籠る佐和山城を囲んだ。

 こちらも、籠る軍勢は大した事がない。

 それでも、油断は禁物だった。



 佐和山城も、決死の抵抗を見せた。

 容易に落ちると考えた城だが、なかなか落ちない。


 家康に、焦りが生まれた。

 この城を落とせないなどとは考えていない。

 家康は城攻めが苦手、などという印象があるが、実際のところ今川や武田との攻防戦で多くの名城・堅城を開城させており、決して城攻めが駄目なわけではない。野戦の方が華々しい実績を残している為そう見えるだけだ。

 城攻めの天才と言われる秀吉と対になる存在である為、そのような印象が根付いたのであろう。


 そして、その家康が考えてこの城はいずれ落ちる。

 どれだけ良勝が粘ろうとも多勢に無勢だ。


 佐和山城も名城だが、数万の軍勢を相手に1000ばかりの兵でいつまでも支えられるはずがない。


 だが、問題はむしろ味方にあった。

 この時点、家康の元に名護屋城の奪還と大陸遠征軍が帰還したという報告が届いていたのである。


 ……まずいな。


 家康の内心に強い焦りが生まれる。

 天下を志した家康にとって、この後の後継者争いを優位に進める為にも、信孝を自らの手で討っておきたい。


 それ以上に問題だったのが、硝石の浪費だった。

 これまでの戦いで徳川軍は、大量の硝石を浪費している。

 その補充がろくにできていない。

 主な産地である、紀伊は安土方の滝川一益の版図だし、堺から仕入れようにも広大な安土方の領土に阻まれている。

 海路も安全ではない。

 これにより、徳川軍は硝石が不足した状態だったのだ。


 だが、秀吉がいつ帰ってくるかわからない状況では一刻も早く安土城を。そして、佐和山城を落とすしかない。

 強引に城攻めを行った。

 先鋒として使ったのは、松平秀康と森兄弟だ。


 秀康は上田城攻めの恥を雪ぐため、自ら志願した。

 一方の森兄弟も、兄の方はともかく弟・忠政はわずかでも家康や信包の心象を良くするべく必死に働いた。


 結果、城は落ち岡本良勝は自害した。

 これにより、近江への入り口の確保に成功したのだ。

 それと同時に、朗報が届いた。



「――御屋形様」


 佐和山城が落ち、その検分をしている最中に本多正純が家康の前に現れた。


「む? どうした。この城に何か異変でも? それとも、城のどこかに残党でも潜んでおったか」


「いえ、そのどちらでもありません。安土方から使者が来ております」


「何?」


「はい。長浜城の方からです」


「長浜城というと、確か守っているのは柴田――」


「柴田勝豊殿です」


 長浜城には、柴田勝豊が籠っていた。

 その勝豊は、柴田勝家の養子だ。

 が、同じく養子という立ち位置にある柴田勝政を優遇する為に父親とは不仲だった。実際、今回の戦いでも本拠の北庄城の留守を任せたのは勝政であり、勝豊の方は長浜城の留守役だった。

 与えられた兵も、わずか2000ほどに過ぎない。


 だが長浜城は、羽柴秀吉のかつての拠点であり、北陸へと通じる要所だ。

 この地が大坂方の勢力圏に加われば、越前以北の安土方勢力との連携も断てる。


「ほう、この情勢では攻められる前に下った方が得策と考えたか」


 ふむ、と家康は顎に手を当てる。


「でしょうな。このままでは、次の標的は自分だと思ったのでしょう」


 正純が同意する。


「では、申し出を受け入れるのですか?」


 正純が訊ねた。


「うむ。長浜城が無血で手に入れば、北陸勢がとの連携が取りやすくなるしの」


 この時、既に前田利家と金森長近が大坂方に着くといった内容の書状が家康や羽柴秀吉の元に届けられていた。


「北陸勢が加われば、我らの抱える軍勢は10万近くになりますな」


「10万か――」


 家康の声にも、喜色が混ざる。


「それだけあれば、いけるかもしれんな」


「いけるというと?」


「無論、安土攻めじゃ」


 大垣城から撤退した軍勢に加え、元々いた留守兵を加えると安土城に入る安土織田軍の数はおよそ2万5000ほどになる。


「御屋形様、しかし……」


 正純が、言いづらそうに口を挟んだ。


「硝石の事か」


「はい」


 この時点、徳川軍の硝石はほぼ尽きかけていた。

 北陸勢も、多少の火器は携行していたが、その量は決して多くはない。


「構わん。城攻めは予定通り行う」


「よろしいのですか?」


「やるしかあるまい」


 だが、家康は確固たる口調で応じた。



 やがて、勝豊がこの佐和山城を訪れた。

 家康はその勝豊を嬉々として出迎え、


「勝豊殿の軍勢が加わってくれるとあれば、これほど頼もしい事はない。貴殿には、是非儂の傍に控えていて欲しい」


 と頼み込んだ。

 言い方は丁重だが、人質として傍にいろという意味だった。

 勝豊としても、了承するほかない。


「後は王将の首を取るだけじゃ。信孝の安土城を攻める!」


 こうして、勝豊勢と長浜城を接収した家康を総大将とする大坂方5万の軍勢が、安土城を囲む事になる。

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