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乖離戦国伝  作者: 藍上男
第3部 天下の分裂
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87話 信濃戦線2

 信濃――上田城。

 当初、安土方の真田軍と大坂方の徳川軍の戦いは、当初こそ真田軍が優位に進めていたが、徐々に状況は変わっていった。


 真田昌幸が上田城に籠城した当初、追撃する徳川軍を翻弄した。


 ……濃尾で、徳川軍が大敗すれば秀康は兵を引かざるをえなくなる。それまでの辛抱じゃ。


 この機に勢力拡大を目論む昌幸は、大坂方が敗れる方に賭けた。

 徳川軍が敗れれば、目の前に広がる広大な徳川領を食らい、一躍大大名になる。それが昌幸の野望だった。


 だが、その賭けは完全に裏目に出た。



 ――小牧にて、安土織田軍と徳川・大坂織田連合軍激突。


 ――安土織田軍、敗走。


 ――織田信孝、岐阜城を放棄。大垣へと撤退。



 濃尾戦線からもたらされた情報に、昌幸は愕然とした。


 ……くそ、儂とした事が読み違えたか――っ!


 昌幸に後悔の念が募る。


 武田家崩壊後、北条家に仕えたもののその北条家は滅亡した。時勢を読んで、織田家に鞍替えしたものの、織田信忠によって天下は平定されてしまった。

 これにより、真田家が巨大な織田家傘下の小名として格付けが決まってしまった。


 それに納得できなかった昌幸は、いずれ来るであろう好機を待ち続けた。

 そして、それが来た。


 今回の大乱で、信孝に味方した理由は単純だ。

 信孝に味方した方が切り取れる領土が多いからだ。信濃は勿論、駿河も甲斐も越後も周囲一帯は徳川と上杉の勢力圏だ。

 奪える領土がそこら中にある。


 徳川軍も、中央での戦いに破れればそれらの領土を守る余裕がなくなる。

 その機をついて勢力を拡大しようと目論んだ。


 だが、小牧の戦いは徳川・大坂織田軍の勝利。安土織田軍の大敗となってしまった。

 今や、岐阜城を占拠した徳川軍は美濃西部へと攻め入ろうとしている。この状況下で信濃にいる徳川軍が撤退する事はなかろう。

 上野でも、北条再興軍が関東徳川軍を相手に痛手を被り、前田・金森両名が大坂方に寝返った事もあり、越中は上杉軍によって平定された。

 つまり、真田家は大坂方の勢力圏の中で完全に孤立してしまったのだ。


 そして、このまま上田城を攻め続けらればいずれ開城せざるをえなくなる。

 それは認めざるをえない状況になっていた。


(やむをえんか……)


 こうなっては、昌幸も決断するほかない。

 やむをえず、昌幸は徳川軍に降伏するべく使者を送った。




 昌幸から降伏する為の使者が送られ、徳川軍幹部武将達は緊急軍議を開いた。

 皆の表情は複雑そうだ。


「真田は降伏すると言っているそうですが……」


 榊原康政が訪ねた。


「うむ。城兵の助命を約束するのであれば、城を明け渡すといっておる」


 鳥居元忠が答えた。


「それでしたら、応じてもいいのではありませんかな。これ以上、上田城に時間をかけても仕方がありますまい」


 本多正信も言う。

 徳川軍幹部の大半は、降伏を受け入れる方向へと向かっているようだった。

 小牧の戦いでの味方の大勝を知った上田城包囲軍は、味方の大勝を喜ぶんだ。だが、同時に焦った。

 何せ、自分達は家康と信孝の運命を賭けた尾張での一戦に間に合わず、上田城で時間を浪費し続けていたのだ。


 である以上、せめてこれから行われるであろう安土方との最終決戦にまで遅参するわけにはいかないという思いがある。

 そのためには、これ以上、上田城攻めに時間をかけるわけにはいかないのだ。


「……いいだろう」


 会議が始まってから無言でいた秀康が言った。


「真田の降伏を認める」


 ただし、と秀康は付け加える。


「真田昌幸、およびにその子である信繁は腹を切らせろ。それが条件だ」


「な――っ!」


 一瞬で、徳川軍幹部達の表情がこわばる。

 14歳で、しかも初陣の人物の言葉とは思えない苛烈な発言に皆が驚いているのだ。


「し、しかし。降伏するといっておりますし、真田の力は我らにとっても必要かと……」


「黙れっ!」


 強い口調で秀康は一括する。


「なればこそ、ここで腹を切らせる必要があるのだっ! 徳川を散々に虚仮にした真田を赦免しては徳川の面子はどうなる? 丸潰れであろうがっ!」


 これは、ほとんど本心だったが厳密には違う。

 「徳川」ではなく、「松平秀康」の面子を丸潰れにさせられたことについて彼は激怒しているのだ。


 秀康の昌幸に対する怒りは強かった。

 上田城攻略にこれほどまで手間取ったせいで、家康・信孝との決戦となった小牧の戦いに遅参した。

 これで、徳川の家臣も他の大名達も秀康の事を「小勢である真田に手間取った挙句に本戦に遅刻した愚将」と侮ることだろう。

 少なくとも秀康はそう思い込んでいる。


(くそ……っ!」


 秀康は手柄を欲していた。

 家康は、自分よりも秀忠を後継者に、と考えていることを秀康は敏感に察していた。

 というよりも、自身が疎まれている事を察していたというべきだろう。



 だからこそ、手柄を立てる必要があった。

 家康が自身を嫌っていても、それをはねのけるだけの武功をあげれば家康も認めざるをえない。

 仮に家康が認めなくても、徳川家臣団に認めさせればいい。

 それだけの手柄をあげる。


 そう意気込んでの初陣だったが、結果はこのざまだ。

 その元凶である真田に対しての怒りは強い。


「親子ともども死ね! 切腹を許すだけでも感謝しろっ!」


「秀康様、何とぞ御慈悲を! 愚兄は無理でも、せめて子供達の命だけでも……」


 土下座するような態勢で頼み込んだのは、真田昌幸の弟である真田信尹だ。

 立場上、口を挟みづらく先ほどから黙ってやり取りを見守っていたが、さすがに黙っていられなくなったのだ。


「くどいわっ!」


 秀康は一括する。

 14歳とは思えない凄まじい気迫である。


 だが、それにもひるまずに信尹は頼み込む。


「秀康様は、某に戸石城攻略の恩賞を授けると仰せでしたが、それを返上いたします。ですので、何とぞ……」


 信尹は必至に懇願を続ける。

 やがて、秀康の怒りが収まったのかあるいは信尹の説得に心を動かされたのか。

 いずれにせよ、秀康が折れた


「……いいだろう。だが、助けてやるのは倅の方だけだ。親父の方は断固許さん」


 秀康も次男・信繁の助命を認めた。





「某に腹を切れと……」


 それを聞かされた昌幸は驚愕によって、顔が醜く歪んだ。


「それが条件でございます。信繁様及び城兵は助命いたします」


 昌幸は、剃髪すればまさか命までとられるまではないだろうと高をくくっていた。

 自身の行動が予想以上に秀康の怒りを買っていることに、この時まで気づかなかったのだ。


「……」


 昌幸は無言だ。

 頭の中にさまざまな言葉が浮かぶ。それを出そうとして直前でやめ、といったことを繰り返した。

 数十秒ほど経った後、使者が再び口を開いた。


「むろん、あくまで抵抗するというのであれば受けて立つ用意がありますが」


「……」


 使者の言葉に、昌幸はがっくりと項垂れた。

 もはや策は尽きた。

 こうなった以上、従うほかなしと悟ったのだ。



 翌日、昌幸は自害した。

 上田城は徳川方に明け渡された。


 次男・信繁は助命こそされたものの身柄を一時、徳川軍に預けられることとなった。

 さらに、この大乱終結後に長男である信幸は父との完全な決別を決意し、父の「幸」の字を捨て、これ以後は「信之」と名乗るようになる。


 いずれにせよ、上田城の明け渡しは終了した。

 そして事後処理を榊原康政、鳥居元忠に任せて秀康は本多正信と共に兵の一部を率いて美濃へと向かう事にしたのである。

 これは、秀康を高く買う正信が大乱の決着には家康の子として立ち会った方がいいと判断した為だった。

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