86話 北陸戦線3
越後――春日山城。
この城に、上杉景勝は凱旋していた。
安土方として決起した、大宝寺領へと侵攻してその地を制圧したその帰りである。これで、景勝は庄内三郡を版図に加えた事になる。
自然と顔も緩む。
「殿、やりましたな」
直江兼続も笑みを浮かべている。
「うむ。この遠征は大成功じゃ」
ふふふ、と景勝は笑う。
「義光は、特に介入しませんでしたな。こちらは、最上との戦闘も覚悟していたというのに」
最上義光は、結局伊達政宗と共に寺池城を攻め続けたままだった。
離反した大宝寺など、もはや敵同然と考えていた為なのか、あるいはこちらに兵を向ける余裕はなかったのか。
「あるいは、この大乱が終結した後に秀吉か家康に大宝寺領の返上を攻める気かもしれん」
「ありえますな」
兼続の顔が真面目なものへと変わる。
「そうすると、さすがに厄介な事になる」
「ですな」
しかし、と兼続は続ける。
「幸い、羽柴秀吉と当家は友好関係。羽柴殿には、今まで以上に贈り物もして揉め事になった際、我らに優位な結論を出すように働きかけましょう」
「うむ」
景勝も頷いた。
「まあ、庄内の問題はこれでいいとして。此度、版図に加えたのはわずか10数万石ほど。これだけで殿は満足なさるおつもりですか?」
「とんでもない。まだ、とってくれと言わんばかりの土地があるのだ。この儂がとってやらねば失礼というものだろう」
「そうですな。大坂方が優位になったのはいいですが……下手をすれば、時間切れになりかねませんからな」
先ほどから、彼らは大坂方勝利の前提で話をしている。
既に、小牧の戦いでの信孝の敗走、それに名護屋城の大坂方による奪還などの情報は入ってきている。
この大乱の終結は近いという読みなのだ。
「それまでに、少しでも多くの土地を切り取る」
「では、次の遠征先は当然」
「越中だ」
既に、越中には一度侵攻して魚津城を奪っている。
その魚津城は、現在は前田利家や金森長近ら安土方の軍勢によって囲まれている。
「前田勢も金森勢も、ろくに城攻めを進めていないようですし……当分は落ちるとは思えませんがな」
「いつまでも放置しておくわけにはいかん」
丸一日、軍勢の休養に当て、その翌日に上杉軍は春日山城を経った。
魚津城攻めの本陣。
前田利家と、金森長近は密談を行っていた。
「上杉景勝の軍勢が戻ってくるか……」
「数では、我らが勝っているが難敵だのう」
そう言いながらも、彼らの頭の中には上杉軍の事などあまり関心はない。
それよりも、他の戦線の事に注目が集まっていた。
「尾張で、安土方と大坂方の軍勢がぶつかったらしい」
「勝ったのは、大坂方らしいの」
「うむ、信孝様は敗走、美濃衆も離反したらしい」
尾張は、彼らの故地でもあり情報も手に入りやすかった。
「まだ確定情報ではないが、どうも肥前の名護屋城も落ちたらしい」
「となると、大陸遠征軍も戻ってくるか……」
長近は、黙考するように顎に手を当てている。
「この大乱の流れは、完全に大坂方にあると思うがどう思う?」
「儂も同意だ。信孝様や柴田殿には悪いが、もはや安土方に勝ち目があるとは思えん」
長近が冷たい口調で言った。
「……やはりな」
利家も同意するように頷いた。
大坂攻めもうまくいっておらず、どう考えても大陸遠征軍が戻る前に大坂城が落ちる事もないと思われた。
「金森殿」
「何だ?」
改まった口調で利家は言った。
「安土方と心中する気か?」
「……」
長近は即答できなかった。
「……」
そして、それがある意味答えだった。
しばらくの時が流れた後、長近はぽつり、と話し出した。
「……儂ももう若くない。既に60を超えておる」
不意に話題が変わった事を気にする事なく、利家は聞き入っている。
「若い頃なら、柴田殿に殉じる道を選んだかもしれん。だが、今はこれまでに築いた金森家を守りたいという気持ちが強い」
「……」
「儂に既に実の子はいないが、養子の可重がおる。あ奴には、金森家を継いでもらいたいと思っておる」
長近の子である長則は、本能寺の変の際に信忠と共にいたが、脱出に失敗して打ち取られており、この時点で他に実子はいなかった。
「……儂も同意だ」
利家が言った。
「柴田殿に恩はあるが……優先するべきは、前田家の存続だ。このまま安土方に留まれば、儂らは間違いなく破滅だ。 ……そこでだ。」
利家は、一通の書状を懐から取り出した。
「言っておらなんだが、儂は秀吉から誘いを受けておる」
「……そうか」
さして驚いた様子を長近は受けなかった。
ある程度予見していたのかもしれない。
「今からでも、大坂方に組する気はないか?」
「……」
長近は、押し黙った。
「このまま、破滅を待つのか?」
「まだ安土方の敗北が決まったわけではない。柴田殿の元には、まだ7万ほどの軍勢が残っておるし、信孝様もまだ3万近い軍勢がある。連合すれば10万近くになる。挽回の目がないわけではない」
「数では、そこまで見劣りしておらんが、流れは完全に大坂方にある。この空気を感じ取れるのが、儂らだけだとは思わん。他の地でも離反者がでるかもしれん。これまで日和見を続けておる、蒲生や島津なども大坂方に組す可能性は十分にある」
「む……」
長近は利家の気迫に押されるようになった。
「それはそうじゃが……」
「金森殿、悪い事は言わん。大坂方に組せ。それが、家を保つ道じゃ」
利家の説得に、遂に長近は折れた。
利家と共に、陣払いをすると、利家と共に加賀へと撤退した。領国の飛騨へは帰らない。
当面は利家と共に大坂方として行動する気でいた。
魚津城攻めに残されたのは、土肥親真の率いる柴田勢のみとなってしまったのである。
数日後に、上杉軍は再び魚津城へと押し寄せた。
親真も、わずか3000の軍勢では城攻めを続ける事すら不可能と考え、既に富山城にまで撤退している。
なんなく魚津城に上杉軍は入った。
これで、魚津城を奪還し、留守兵5000と上杉軍は合流。
1万5000の軍勢となった。
「さて……これからどうしますかな?」
「当然、越中を制圧する」
「ですな」
兼続は頷く。
上杉軍は、一日休んだだけで動いた。
小城は無視して、富山城へと押し寄せた。
前田・金森両軍が撤退した事を、既に上杉軍幹部が知る事になっている。
いとも容易く、富山城が包囲された。
降伏勧告が行われるが、城を守る土肥親真はこれを拒否。
こうして、城攻めが始まった。
攻め手となる上杉勢は1万5000。
守る柴田勢は、わずか3000。
しかも、優秀な中級指揮官達は大坂城攻めへと加わっておりこの場にはいない。瞬く間に城は落ち、親真は討ち取られたのである。
こうして、富山城は上杉軍の手に落ちたのだった。
「あっけないものだの」
「はい」
景勝の言葉に、兼続も頷く。
城攻めの最中、撤退した前田・金森勢の動向を探らせていたが、共に国境から兵を引いた後は何もする様子はなかった。
「それにしても、利家や長近は何を考えておるのだ?」
「さあ……。元より、奴らの戦意は乏しいと見ておりましたが……」
兼続も首を傾げた。
「ですが、さすがに奴らの領土に攻め入ればしかけてくるでしょう」
「うむ」
景勝は頷いた。
「源義仲にならって、倶利伽羅峠の辺りで迎え撃つ気かもしれませんぞ」
「その辺りが戦場になるか……」
「あるいは……」
と兼続が言いかけた時、
廊下から、近習の声がした。
「何用じゃ?」
「書状が届けられました」
「何?」
景勝と兼続は顔を見合していたが、
「入れ」
ひとまずは内容を確かめてみる事にした。
「失礼」
近習が、襖を開けて入ってきた。
「こちらを」
書状である。
景勝は、怪訝そうにそれを読み始めた読み進めるにつれ、顔色が変わった。
「何!?」
「どうかされましたか?」
景勝が、黙って書状を兼続に差し出す。
読め、という事なのだろう。
兼続も、読み始める。
そして、その顔に驚愕の色が浮かぶ。
「! 何と!」
「驚きであろう」
「はい。まさか、前田利家と金森長近が……」
書状の内容は、前田利家と金森長近が安土方を見限り、大坂方につくというものだった。
「……」
その内容に、景勝は暫く黙っていたが。
「これは、めでたいというべきなのでしょうか」
「確かに、これで能登や加賀攻めの心配はなくなった。それどころか、一気に越前まで攻め寄せる事ができるやもしれん。だがのう」
「能登や加賀を所領に加える事はできなくなりましたな」
兼続が苦笑気味に言った。
「まあな」
「ですが、良いではありませんか。とりあえずは、越前を。安土方の重鎮である柴田勝家の本拠を攻めれば安土方に与える影響は大です」
「いや、そのまま南下して安土城まで落としてくれる」
「それもまた、良いですな」
兼続は小さく笑った。
こうして、前田軍と金森軍は大坂方へと鞍替えし、上杉軍は越前へと軍を進める事になった。
これでまた、大坂方は一段と優位になっていったのである。




