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乖離戦国伝  作者: 藍上男
第3部 天下の分裂
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82話 関東戦線2

 関東戦線。

 上方や、大陸を隔てた先で大坂方・安土方で激しく争っている中、この地でも戦いの火蓋が切られようとしていた。


 松平康元率いる、関東徳川軍は武蔵と上野の国境近くにある金久保城へと入っていった。

 金久保城は、平岩親吉の城。

 親吉の彼らが、金久保城に入った関東徳川軍の幹部武将達を労った。


 その後、ほどなくして軍議となった。


 上野周辺の絵図が置かれ、皆がそれを眺める。


「今の北条再興軍の動きは?」


 議長役の松平康元が発言した。


「はっ」


 平岩親吉が報告するように言った。


「大半は、厩橋城に詰めております」


 厩橋城は、北条氏政時代の旧北条家の城。

 が、上杉謙信、武田勝頼、織田信長といった相手に奪い奪われを繰り返していたが、本能寺の変で信長が横死し後は神流川で滝川一益の軍勢を叩きのめして再び旧北条家の城となった。

 しかし、直後の織田信忠の侵攻により、柴田勝家率いる北陸勢によって攻め落される。

 以後、前橋城は勝家与党の佐久間盛政に与えられた。

 が、その盛政は勝家と共に大坂攻めに参加しており、この城は氏直に明け渡されていた。


「では、厩橋城で籠城する気か?」


「それはないであろう。敵勢は我らとそう変わらん」


「では、撃って出るか」


「おそらくは」


 幹部達は、議論を続ける。


「ならば。利根川付近が戦場になるでしょうな」


「野戦か。腕がなるわい」


 野戦に関して、徳川軍は無類の強さを誇る事で知られる。

 だが、ここ数年、その実力を見せる機会はなく鬱屈とした思いを抱く武将も少なくはなかったのだ。


「一つ、よろしいでしょうか」


 ここで、声があがった。

 真田昌幸の子である、信幸である。


「何卒、ここは某を先陣に」


 そう言って頭を低く下げる。

 安土方に父が組している以上、その忠誠を疑われるのは当然であり、危険な前線に立つ事によってそれを払拭したい、という思いが信幸には強い。

 危険の多い先陣に志願したのはその辺りが理由だった。


「うむ……」


 康元も、どう返すべきかと考える。


「お待ちくだされ」


 ここで、声をあげたものがいた。

 こちらは、池田恒興の子・輝政だった。


「真田殿の手勢だけでは足りますまい、是非とも某も」


「池田殿か」


 輝政も信幸と同様に父・恒興が安土方に組している。

 その為、大坂方、そして徳川家に忠誠を示す必要があった。

 最も、この時点でその恒興は三河中入り策の失敗により、討ち死にしていたが、輝政はその事をまだ知らない。


「そうよな。勇猛な池田殿にもぜひ加わってもらおう」


 康元も頷き、利根川付近で合戦が行われる事になった。






 目の前を流れる利根川の先。

 すなわち、北条再興軍の本陣。


「叔父上はやはり敵か」


 そこで、北条氏直は暗い表情を浮かべる。

 重臣である松田憲秀が、慰めるように言う。


「これも、覚悟していた事ですゆえ、やむをえないかと……」


「それはそうだが」


 氏直は、悔しげに唇をかみしめた。


 ……長らく、北条家の栄光を支えてきた叔父上が敵か。


 やはり、複雑な思いが胸中にはある。


「御当主」


 傍らから、憲秀が声をかける。


「戦場で会う以上、氏規様といえども敵ですぞ」


「分かっておるわ」


 そうは言いつつも、複雑そうな顔をする氏直だった。


「敵勢が見えました」


 物見からの報告である。


 先頭に立つのは、真田信幸、池田輝政ら父が安土方に組した両将、それに北条氏規、同氏勝ら北条旧臣が中心だった。

 

「……御当主」


「分かっておる」


 氏直は頷くと、声をあげた。


「決着をつける!」




 北条勢との戦が、神流川を渡った先にある利根川の付近で始まった。

 先陣の真田信幸と、池田輝政は北条の大軍を前によく戦っていた。


 奮戦しているのは彼らだけではない。


 ……北条旧臣共もよく働いてくれおるわ。


 その様子を見て、大久保忠世は安心する。

 氏直が、北条家の再興を建前に挙兵した際は、彼らも寝返るのでは疑ったものの、今ではむしろ積極的に北条家と戦っている。


 かつての主君に決死の覚悟で戦い、血を流している。


 ……やはり、奴らの言葉は本心とみて間違いないか。


 旧北条家を、織田信忠が潰した後徳川家に仕えた彼らは、常に徳川家からその忠誠を疑われ、厳しい立ち位置にあった。


 だが今回の戦いは、その疑いを払拭する好機と考え、勇んで戦っていた。


 一方の北条再興軍も、この戦いで北条家を再興するのだという思いが強い。容易に崩される事はなかった。

 人数は、ほぼ互角。

 兵の士気も互角では、なかなか突き崩せない。


「本陣から、もっと兵を前衛に送るように頼んで来い」


 忠世のこの進言は受け入れられ、前線に多くの徳川兵が投入された。

 これにより、この戦場はさらに激しい戦いが繰り広げられる事になる。




「まさか。この儂が北条の軍勢と戦う事になるとはな」


 北条氏勝は、複雑そうな様子で戦場で呟いた。

 敵となる兵の大半は、旧北条の将兵達だ。


 かつて、戦友として多くの戦場を共にしてきた者達である。

 よく目を凝らせば、見知った顔もいるかもしれない。


 ……だが、容赦はせん。


 今の自分は徳川の臣。

 そう決めたのだ。


 ならば、かつての同僚といえども今は敵。

 それ以外の何物でもない。


 そして、それは相手も同様のようだ。

 かつての同輩といえども、今は敵となった北条氏勝の軍勢を相手に容赦なく攻撃を仕掛けてくる。


 北条旧臣同士が激しく槍を付き合い、血をふいて倒れていく。

 そして、倒した相手も新たな獲物を求めて次の首を求める。


「兵をもっと前に進めいっ。臆病者はこの儂が叩き斬る!」


 鬼気迫る顔で、氏勝は指示を出し続けた。

 それにつられたかのように氏勝の軍勢が、さらに北条勢を押し込んでいった。




「ぬおーっ!」


 突出した徳川兵が、氏直の本陣の付近へと迫る。


「下郎がっ!」


 が、この兵は突出しすぎだった。

 たちまち北条兵によって討ち取られてしまう。


 護衛が、徳川兵の返り血を浴びているのが見える。


「……」


「御当主様……」


 松田憲秀が不安そうに声をかける。

 混戦とはいえ、本陣にまで敵が迫るような状態なのだ。

 これは、当主の安全第一で撤退させた方が良いのではないかと思えてきた。


「ならん」


 が、そんな憲秀の内心を見透かしたように氏直は言った。


「我らは背水の陣だ。撤退はならん」


「ですが、このままでは……」


「儂は死なん」


 氏直の顔には、強い決意の色が感じられた。


 ……出なければ、父上に申し訳がない。


 氏直の脳裏に、小田原城開城の日が思い出される。

 あの時の父・氏政の無念は未だ忘れていない。


 こうして好機が訪れた今、絶対に逃す気はない。

 この場から、決して動かないという強い氏直の決意がそこにあった。


 その時。

 伝令が、本陣へと駆け込んできた。



「何だ!」


 憲秀の声が響いた。


「北条氏房様の部隊が、平岩親吉の部隊を壊滅させました!」


 途端、本陣が沸いた。


「おおっ、氏房がやったかっ」


 氏直は思わず歓喜する。

 北条氏房は、氏政の子であり氏直の弟だ。


「大道寺政繁様の部隊、松平康元本隊の襲撃を開始!」


「遠山直景を討ち取ったとの事!」


 相次いで吉報が届く。

 遠山直景は、かつて旧北条家に仕えていた。

 織田信忠の北条征伐の際は、江戸城に籠っていたが本多忠勝と榊原康政率いる徳川別働隊に攻められ、降伏。

 戦後は徳川家に仕えていた。


「北条氏邦様の部隊も、松平康元本隊を襲撃、押しています!」


 氏直の表情も自然と緩む。


「やりましたなっ」


 興奮がちな憲秀に、氏直は落ち着かせるように言った。


「まだ油断はできん」


 だが、そう言う氏直の顔の紅潮も抑えられなかった。


 やがて、戦場は北条が優位へと変わっていた。

 そんな中、北条氏邦からの使者が来た。


「ここは、総攻撃を。今ならば、一気に敵勢を崩せます」


「うむ」


 氏直も頷いた。


「総攻撃をかける! 徳川の軍勢を一挙に壊滅させいっ」




 北条軍が、総攻撃をかけるべく追う。

 徳川軍が逃げる。


 神流川を渡り、金久保城へと撤退しようとするが、北条軍の激しい追撃の前に多くの兵は神流川に到達する事すらできずにこの戦場で散っていく。


「いいぞっ、追え、追えーっ」


 北条氏邦の声が戦場に響く。

 徳川軍を追撃するべく、激しく声を出す。

 配下の武将達も、必死に声を張り上げる。


 徳川軍から退き太鼓の音と悲鳴が入り混じって聞こえる。


 そして、一気に徳川勢を殲滅するべく軍勢を進めた。


 だが、思いもよらない相手が激しく抗った。

 池田輝政と真田信幸の部隊である。

 両名が、康元に殿軍を引き受ける事を志願し、これが受け入れられたのだ。

 そして、元々徳川家に忠誠を見せる事に必死になっていた二人である。決死の抵抗で北条の追撃に対抗した。


 その池田・真田勢の思わぬ抵抗を受け、氏邦は怯んだ。


 ……撤退するべきか。


 既に、徳川軍には十分な打撃を与えた。

 ここで、撤退するべきなのではないだろうか。


 だが、その反面ここで完膚なきまでに叩いておけば、一気に関東を取り戻す事も不可能ではなくなる。

 その未練が捨てきれずにいた。


 空を仰ぐように見る。

 太陽は沈みつつあり、辺りは闇に支配されようとしている。

 暗闇での戦闘は避けるべきだ。


 ……むぅ。


 未練が出る。

 同時に、多方面からの報告も飛び込んできている。


 北条には、風魔党という優秀な諜報集団がいる。

 旧北条家が崩壊してからも、既に伊賀者という諜報集団を抱える徳川家とはあまり馴染む事ができずに多くが盗賊崩れとなっていた。

 北条再興を志すと同時に、彼らを再び雇い入れていたのである。


 その風魔党からの報知によると、他戦線は大坂方優位に進んでいるようだ。

 唯一、安土方優位といえる戦線は九州の佐々成政と島津歳久ぐらいだ。彼らは、毛利輝元の軍勢を翻弄し、毛利勢は彼らの北上を止めるのが精一杯のようだ。

 が、それでも未だに九州の地に封じ込められた状態であり、圧倒するのに至っていない。


 となると、この関東戦線が「現状維持」では駄目なのだ。

 大坂方である関東徳川軍を圧倒しなければ、優位に進めている多方面の大坂方がそれぞれ目の前の敵を片付け、いずれはこの地の援軍に訪れるであろう。


「攻めろ! 何が何でも攻めろ!」


 氏邦の強い決意が全軍に伝播する。

 北条再興軍の士気があがる。


 だが、池田・真田軍も負けてはいない。

 数こそ少ないが、徳川家への忠誠を示す好機とばかりに奮戦する。


 両軍が入り乱れての大混戦となっていた。


「やれ、やれーっ!」


「何をしておるっ、立て、立たぬか!」


「馬鹿者! それでもお前は徳川の武士か!」


「関東の主が誰であるかを見せてやれ!」


 両軍の武将達から怒声が飛びあう。


 入り乱れた混戦では、この時期でも鉄砲はほとんど使われない。

 弓矢も同様だ。

 槍刀を中心とした戦闘が主だった。


「それ、兜首だ! とれ!」


 名のある武将だと察したらしい、徳川兵が押し寄せてくる。


「無礼者!」


 それらを、氏邦の護衛が切り伏せる。


「さぞかし名のある武将とお見受けする!」


 その前に、立派な甲冑に身を包んだ騎馬武者が現れた。

 その姿に、氏邦も見覚えがあった。


 池田輝政本人である。


「おおう、池田恒興の倅か。儂の顔を知らんか。北条家当主・氏直の叔父の氏邦じゃ」


「……」


 一瞬、驚いたような顔を輝政は浮かべる。


「これは失礼を」


「ふん。だが悪いが、相手をしてやる暇はない」


 そう言うや、氏邦は強く馬腹を蹴って駆けだした。


「な! 卑怯でござるぞ! 北条家の御一門ともあろう御方が逃げの一手か!」


 輝政は詰りながら追う。

 馬の速度は、氏邦の方が速かった。

 このまま、氏邦が振り切れるかと思われた。


 だが、ここで氏邦につきに見放されたのか。

 あるいは輝政につきが味方したのか。


 流れ矢が、氏邦の馬に命中したのだ。

 致命傷になるほどのものではなかったが、氏邦の馬が悲鳴をあげるように叫ぶ。


「ええい、落ち着け、落ち着かぬか!」


 必至に宥める氏邦に輝政は近づく。

 近づく。

 近づく。


「!」


 そして、槍をつきつける。

 それを氏邦は受け止める。

 槍は交差し、再び輝政は距離をとった。


「ちっ!」


 使い物にならなくなったと判断した馬から氏邦は降りる。

 そして、平静を装い、皮肉めいた口調で言った。


「……この氏邦を馬上から見下ろすとはいい度胸じゃのう」


「それは失礼しました」


 意外にも、その言葉に従うかのように輝政が馬から降りた。


「……」


 氏邦にとってもその行動は意外だったらしく、驚いた様子でそれを見る。


「随分と素直じゃのう」


「父からも、実直なのが某の取り柄と言われてきましたゆえ」


「ふん。ならば、その取り柄、このような場では裏目に出るぞ」


 そう言って、氏邦は槍を構える。


 ……やむをえんか。


 戦闘は避ける気でいたが、こうなっては仕方ない。


「御忠告、痛み入ります」


 輝政も槍を構えた。


「やあっ!」


 ガキン!

 ガキン!

 槍と槍が交差しあう。


 互いの距離が近づく。


 技量は互角だった。

 甥である氏直を補佐し、北条を再興しようと熱望する氏邦。


 父・恒興と袂を分かち、徳川家中で池田家の地位を築こうと強く決意していた輝政。その思いも互角。


 実力も気迫も互角であり、戦いは長引く。


 だが、この時氏邦は38歳。

 一方の輝政は25歳。


 やがては、若い輝政が優位になる。


「貰った!」


 輝政の、致命傷となる一撃が氏邦を貫いた。


「が……」


 口元からごぼり、と赤いもの流れる。

 氏邦もこの一撃が致命傷になる事を悟った。


「み、ご、と……」


 輝政を賞賛する声が口元から洩れた。

 輝政も、無傷ではない。

 頬には、氏邦からの攻撃でついた自らの血、だけでなく氏邦の返り血でも赤色の染まっている。


 辺りを見る。

 北条の兵が、氏邦の窮地を知り駆け付けようとするのが見える。

 それを、輝政配下の池田兵が必死に抑えている。


「御命を頂戴する!」


 時間をかえるわけにいかないと判断したのか輝政は宣言するように言うと、氏邦に

とどめをさした。


「ご、と、う、しゅ……あに、うえ、申し訳ない……」


 その言葉を残し、北条氏邦は逝った。

 北条氏康の子、そして北条氏政の弟として北条家最大の版図を築く事に大きく貢献した男が散ったのだった。




 北条氏邦を失った事により、北条軍の勢いは失墜。

 徳川本隊どころか、池田輝政と真田信幸の殿軍すら逃してしまった。


 かくして、この利根川の戦いは終わった。徳川軍を押し切った以上、北条再興軍の勝利といっていい。だが、北条再興軍が受けた被害も少なくなく、実質的には引き分けに終わったのである。

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