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乖離戦国伝  作者: 藍上男
第3部 天下の分裂
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81話 朝鮮戦線17

 朝鮮半島――釜山。

 この地に、朝鮮にいる織田軍のほぼ全てが集結していた。

 脱出に成功した小西行長、それに島津隊や加藤隊もそのまま、そのまま釜山へと無事に帰還していた。

 留守部隊の責任者である羽柴秀長や前野長康を中心に、細川忠興、黒田長政、蜂須賀家政らと合流したのである。


 その広間で軍議が開かれた。


「皆の者、ご苦労」


 秀長がまずは労いの言葉をかける。

 いくらか頬はやつれており、その蓄積された疲労は相当なものである事が分かる。


 だが、ここに集った武将達はみな大なり小なり似たような状況なのだ。

 ろくに補給ができず、援軍の見込みのない死闘を続けていたのである。


「それぞれ、ここに来るまでに多大な苦労があったと思う。その疲労を癒すために酒宴の一つでも開いてやりたい。だが、残念な事に今はそのような余裕はない。労いの言葉も酒宴も故地に戻ってからゆっくりと行いたいと思う」


 秀長がそう言って切り出した。

 皆が、真面目な顔で先を聞く。


「すでに知っていると思うが、改めて言う。現状、上様に反旗を翻した信孝によって織田家は真っ二つに割れている」


「秀信様を盟主として信雄様、羽柴殿、徳川殿が支える大坂織田軍と安土織田軍ですな」


「その通りだ」


 長康の言葉に秀長が頷く。


「大坂織田軍は、現状京の都を奪われて劣勢にある。濃尾国境でも信孝の軍勢と信雄様や徳川殿が戦っているらしいが、数の上で劣勢にあるらしい」


 秀長は先を続ける。


「そこで、兄上や秀信様を助けるために一刻も早く大坂まで戻る必要がある。一兵でも多い状態でだ」


 そこで周りの武将達を見渡して言う。


「だが、上様は亡くなられてしまったし、跡を継ぐべき秀信様からは未だに何の連絡も届かない状況だ」


 織田秀信は大坂城に留まっているし、ましてやいまだ9歳の少年だ。

 このような一大事にまともな判断が出せるはずがなかった。


「朝鮮残留軍の総責任者は儂だ。兄上から託されている。じゃが、これほどの一大事を儂一人の判断で決める事はできかねる。よって、皆の意見を覗いたい。皆は、朝鮮から完全に撤退するべきか否か。どう考えているかを聞きたい」


「それは、この釜山に軍勢を残すかという事ですか?」


「そうだ」


 義弘の言葉に、秀長は頷いた。


 この時点で、織田軍の撤退はほぼ完了。

 織田軍の活動範囲は釜山とその周辺にまで、縮小していた。


「つまり、朝鮮征伐を完全に諦めるか。それとも、一時的な中断にするか、という事ですか?」


「そうだ」


 清正の言葉を秀長が首肯する。


「しかし、この状態で朝鮮征伐を継続するのは……」


 忠興が苦々しげに言った。


 この状況で、明に攻め入るなどほとんど不可能に近い。

 だが、釜山とその周辺のみを保つ事だけならば可能かもしれない。

 そうすれば、信孝の反乱を終結させた後、改めて大陸侵攻を再開する事も夢ではなくなる。


「失礼ながら」


 軽く手を挙げる者がいた。

 行長である。


「某の意見を」


「うむ」


 発言の許可をもらった行長が唇を動かす。


「亡き上様、それに秀吉様は大陸進出に対して並ならぬ執着を持っておられた。それをこのような形で潰されるのは無念の極みでありましょう」


「つまり?」


「某は、ここに残るべきと存ずる」


 釜山残留案へと行長は一票を投じたのだ。

 場がざわめく。


「失礼、次は某の意見を」


 清正が挙手する。

 発言の許可を貰った後、清正も言う。


「某は、撤兵案に賛成でござる」


「ほう、何故でござるか?」


 秀長ではなく行長が言った。

 その行長と視線をあわせる事なく、清正は続ける。


「こうなった今、半端な数を残すのは逆に危険。朝鮮水軍は壊滅したといはいえ、いずれ再建するであろう。そうなれば最悪、制海権を奪われて対馬に帰還することすらできなくなるのででござるぞっ!」


「ほう、ずいぶんと弱気でござるな」


 行長が言った。

 その言葉には嘲りの色が多分に含まれている。


「某が弱気だと……?」


「その通り。とても、咸鏡道を超えて北の僻地にまで勇名を轟かせた猛将の加藤殿の言葉とは思えませぬ」


「なんだと!?」


 清正は激昂して立ち上がるが、それを秀長が手で制した。


「落ち着け、清正」


「……失礼いたした」


 清正が軽く秀長に謝罪して座る。


「だが、小西殿の意見には賛同できませぬ」


「その理由は?」


「簡単でござる。秀吉様は窮地に陥っている現状、一兵でも多く秀吉様のところへと向かわせるべきでござる」


 ここで織田家当主であるはずの秀信の名ではなく、あえて秀吉の名を清正は出した。

 だが、ここには親羽柴大名や秀吉子飼の武将達が揃っているせいか特にそれを非難する声は出なかった。


「ふむ……」


 秀長は口髭をいじりながら言う。


「すると、釜山は放棄するべきと」


「むろん、こうなった以上はやむをえない事かと」


 清正が答えた。


「朝鮮へと再度、出兵する時の橋頭堡を自分から捨てるというのか」


 行長の言葉に清正に眉を不快そうに釣り上げ、


「現状、再度の出兵を考える余裕などはなかろう。秀吉様に万一の事があればその夢も叶うまい」


「ふん、やはり臆病風に吹かれましたか」


「なんだとっ!」


 清正が再び立ち上がって行長の元へと向かう。

 そして、行長もそれを挑発的な目で見つめ返した。


 元々、この二人の関係は良くない。

 順天城にて窮地に陥っていた小西行長の救援に赴いたりしたものの、それは自身の名誉回復の為、という色合いが強かったのだ。


「二人とも落ち着け。この場にいるのはお前達だけではないのだぞ」


 秀長の言葉に、二人は落ち着きを取り戻す。


「失礼いたした」


「秀長様、申し訳ない」


 共に、秀長に謝罪して元の位置に戻る。


「他の方々の意見は?」


「では、某が」


 前野長康である。


「何かな、前野殿」


「はっ、某もこうなった以上は撤退もやむなしと考えている。だが、小西殿の意見も分からなくはない。ここはどうですかな、軍勢の一部を残して撤退するというのは」


 要は、両者の案の折衷案ともいうべきものだった。

 だが、それにも清正は納得しかねる様子だ。


「某は反対ですな。先ほども言ったように、半端な数を残す事こそ危険かと」


「某もここは加藤殿と同意です。残すのであれば、最低でもこの場にいる軍勢の半分以上は必要かと」


 行長もだ。


 それぞれ、真逆な意見を持つ二人だが長康の折衷案に対してはどちらも反対らしい。


「……うむ」


 秀長は悩む。

 秀長個人の意見としては、清正の撤退論に賛同だった。


 が、先ほどから皆の顔を覗っていると行長の残留論に関してもそれなりに賛同者がいるようだった。

 ここを、責任者としての権限で無理やり撤退させてしまうと後々に禍根を残す事になりかねない。


「こうなった以上、多数決で決めるほかないか」


 秀長は、嘆息して改めて皆を見渡す。


 改めて、意見がかわされた。

 清正の意見に賛同する者が7割ほど。

 残りの3割が行長に賛同した。


「どうやら、決まりのようだな」


 清正がどうだ、と言わんばかりの表情で行長を見た。

 秀長も落ち着いた様子でほっ、と一息ついていた。


「お待ちくださいっ! 秀長様!」


 行長慌てた様子で言った。


「どうか、各々方の意見が撤退に傾いているのは分かりました。ですが、せめて賛同した者たちだけでもこの釜山に残る事をお許しください」


「何?」


 その言葉に清正の眉が不快そうに吊り上る。

 秀長も驚いたように目を見開いた。


「小西殿、何を言っておる」


 清正が咎めるように言うが、それを無視するかのように、


「はっ、なにとぞ、お許しを」


 秀長に平伏した許可を求めた。


 この場で賛同した者の配下の兵を合計しても2万強。

 この数でこの地に踏みとどまる事ができるかは、かなり疑問だ。

 これからは、対馬や名護屋からの補給にも難儀する事になるだろうし兵糧も十分とはいかなくなるだろう。


「むぅ……」


 秀長は考え込む。


「勝手な事を申すな! お主だけでなく残る兵達にまで危険にさらす事になるのだぞっ!」


「分かっておるわっ! だが、戦とはそういうものだ」


「薬屋風情が戦を語るかっ!」


 清正が再び激昂する。


「それを言ったら、貴殿の親友の福島殿とて桶屋の倅ではないかっ!」


「儂だけでなく、市松まで愚弄するか!」


 まさに売り言葉に買い言葉であり、互いに抜刀しかける騒ぎにまで発展した。

 秀長をはじめとする将達の仲裁により、何とかこの場は治まったものの雰囲気は最悪となった。

 結局、議論の結論が出ないまま翌日を迎える事になった。




 だが、その翌日。

 行長は悲鳴の混じる騒ぎで目を覚ました。


「何の騒ぎだっ」


 慌てて、近くにいる者に声をかけた。

 小西家の家臣の者である。


「と、殿。そ、それが……」


「一体、どうしたというのだっ」


「し、城が……」


「城が? 燃えております……」


「な、何じゃと!?」


 行長は驚愕し、慌てて外に飛び出した。

 すると、確かに家臣の言う通りに釜山城が燃えており、その消火活動に皆が四苦八苦していた。


「何故このような事に……」


 行長は唖然とするが、どうにもならない。



 一刻ほど経った頃、消火には成功したもののすでに釜山の城は焼け落ち、防衛機能の大半が失われてしまった。


「こうなってしまえばやむをえんな。小西殿も某たちと共に対馬に帰るとしよう」


 清正が提案した。


「……」


 出火原因は結局のところ、不明のままだ。

 だが、行長は目の前の男、清正が火をつけたのではないかと疑った。


 ……まさかこの男、残留軍を残さないため、強硬策に出たのではないのか。


 強い疑念が行長を支配する。

 だが、証拠はない。


「こうなってしまっては……」


「やむをえんか」


 行長に賛同していはずの、残留派の武将達もこうなってしまえば帰国するほかない。結局、小西隊を含む全軍撤退という事になったのである。

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