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乖離戦国伝  作者: 藍上男
第3部 天下の分裂
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79話 信濃戦線1

 少し時間は遡る。


 駿府城で、徳川家の方針が決まり尾張・信濃・上野の三方面に軍勢を向ける事になった。

 信濃では反徳川を表明した、真田家をはじめとする信濃諸侯を征伐するべく徳川家康は次男・秀康に8000の兵を与えて差し向けた。


 松平秀康はこの時14歳。

 これが初陣になる。


 信濃方面を攻略する軍勢は、さらに二手に分けられた。

 遠江から信濃を攻める秀康本隊と、甲斐方面から信濃を攻める別働隊にだ。別働隊の指揮は榊原康政が執る事になる。


 秀康率いる本隊は、遠江から信濃伊那郡へと攻め込んだ。


 しかし、実際にはほとんど戦闘らしい戦闘は発生しなかった。

 信濃南端部は、織田信孝の領国だ。

 城兵の大半は、信孝と共に岐阜城に集結している。

 ほとんどの者は戦わずして、下る道を選んだ。

 徹底抗戦を選んだ城もあったが、いとも容易く城は落ちた。


 この時、役立ったのは木曽義昌だった。

 彼は、元々この辺りの領主。

 この周辺の地理や城に詳しく、地元の豪族達とも親しかった。

 そのため、彼の説得を受け下った者も多かったのだ。


 義昌は必死だった。

 武田征伐の際、織田家に下り、本能寺の変以後の混乱により徳川家に下った。

そこまでは問題なかった。

 が、問題は北条征伐の後だった。

 小田原北条家を滅ぼした織田信忠は、徳川家康に旧北条領のうち三ヵ国を与える代償に信濃の地を差し出させた。

 その際、信濃に配置されていた武将達は強制的に関東の地に移住させられた。

 元々、徳川家の臣下だった者達はいい。

 しかし、すでに信濃に根付いていた木曽義昌ら武田の旧臣達にとってはたまったものではなかった。

 それだけに、今回の大乱で徳川家が信濃を取り戻せば、恩賞として故地に戻して貰おうと義昌は思っていたのだ。


 こうして、伊那・諏訪・佐久・筑摩郡の信濃南半を徳川軍は短期間で制圧。

 未征服地域は安曇・更級・高井 ・埴科・水内・小県郡の信濃北部となった。


 ここで康政の別働隊と合流した秀康は、真田昌幸の上田城を攻める事になった。上田城には2000ほどの兵を率いて立て籠もっており、せいぜいが数百単位だったこれまでと違い、初めてのまともな戦闘になると思われた。



(これが戦場の空気か)


 上田城を囲む本陣にて、普段と違う熱気に秀康の気分は高揚する。

 周りにつき従う将校達も普段とはまるで様子が違う。


 だが、秀康胸中にはそれと同時に強い思いがあった。


(……手柄をたてねばならん)


 父・家康、およびに徳川家臣団に認めさせるだけの大きな手柄をあげる。

 それが秀康の思いだった。


「……若殿」


 その言葉に、秀康は振り向く。

 声をかけたのは、鳥居元忠だ。


「そろそろ軍議を始めませんと……」


 その言葉に秀康は我に帰る。

 目の前に、徳川家臣団が揃っている。

 榊原康政、鳥居元忠、本多正信といった面々だ。

 本多忠勝、石川数正、井伊直政といった小牧や関東にいる面々こそいないものの、錚々たる顔ぶれである。

 この真田征伐に発する前、家康は言った。



 ――家臣達の言葉によく耳を貸すように。



 素直に解釈するなら、徳川の繁栄を支えた有力家臣団の言葉をよく聞け、という意味に受け取っただろう。

 だが、秀康はそうではなかった。



 ――儂の子ではないお前になど期待はしていない。お前はただ、家臣達の言葉のままに行動すればいい。



 頭の中で翻訳し、解釈した。


(何を……。私は私の判断で行動して手柄をたててみせる)


 そして、強く反発した。

 秀康は、父が自分よりも三男の秀忠を可愛がっていることを知っていた。


 秀康の母親は、家康の側室である於万の方だ。


 だが、今川義元の姪であり、今川時代の象徴ともいえた家康の正室である築山殿が当時は健在だった。

 義元を討った、仇敵・織田信長と結んだ夫・家康との関係は秀康誕生の時点では完全に破綻していた。

 家康は、今川領を侵食し続けて遠江の大半を領するようになると、三州岡崎城から、遠州浜松城へと本拠を移した。

 この場合、正室である彼女も浜松城に移り住むはずだが、彼女は岡崎城に残ったままだった。


 その築山殿に、於万の方は目をつけられた。

 夫・家康の手つきとしった築山殿は、於万の方に怒りをぶつけた。

 家康との夫婦仲は完全に破綻していたが、家康の正室であるという自尊心はまだ強く残っていたのだ。

 当時腹に秀康を身籠っていた於万の方に拷問紛いの事までやりかけた。


 本多重次の取り成しもあり、事なきは得たものの、築山殿の怨みは消える事なく、於万の方とその子を呪い続けた。そのせいかは不明ながら出生の頃から秀康にはつきがなかった。

 生まれた時から、当時は不吉とされた双子として生まれた。

 これが原因だったのか、家康は秀康とまともに会おうともしなかった。


 双子云々は関係なく、当時の於万の方が別の相手との間で不貞を働いた末の子であると勘繰ったとも。


 いずれにせよ、幼少期の秀康に決していい感情を抱いているとはいえなかった。

 それどころか、会おうともしなかった。


 今は亡き長男・信康の嘆願の結果、対面こそしたものの、内心では息子と認めたのかは分からない。


(だが、手柄さえたてればいい。私だけの力で誰にも真似できないほどの大きな手柄をたてれば……。父上も私を認めざるをえないだろろう)


 父への反発心や、初陣ということの重圧。

 それらの事が重なりあい、秀康は興奮状態にあった。


「若殿、聞いておられるのですか?」


 再度、思考の海に沈もうとしていた秀康を咎めるように元忠が言った。


「聞いておる。なんだというのだ」


「ですから、真田昌幸から会見を開きたいと使者が来ておられるのですが……」


「なんだと?」


 その言葉に、秀康は目を見開いた。

 やはり聞いていなかったのかと内心でため息をつきながら、元忠が続ける。


「いかがいたしますか?」


「その使者は何と言っているのだ?」


「それが、真田家当主・昌幸が会って話をしたいと……」


「降伏の申し出か?」


「かもしれませんな。だとしたら願ってもない」




 使者の話を受け入れ、真田家当主・昌幸と会見が行われることになった。

 会見の場は、上田城近隣にある国分寺で行われた。


 徳川方は、秀康以外にも真田信尹、康政、正信らを伴っている。

 真田信尹は、昌幸の弟でありそれゆえの同伴だった。


 そんな中、昌幸が現れた。


「兄者、その姿は……」


 信尹が驚いたように、目を見開く。

 何と、昌幸は白装束で。それも、剃髪した状態で現れたのである。

 とてもこれから戦を始める姿には見えない。


「うむ。信尹。それに、徳川の若殿も。私のために貴重なお時間を割いていただき感謝しますぞ」


 異様なまでに丁重な態度だ。


「もしや、降伏の申し出ですかな?」


「さすがは、秀康様。話が早いですな。実に察しが良い」


 昌幸は巧に秀康の自尊心をくすぐるような言い方をした。

 秀康もまんざらではなさそうな態度で、先を促す。


「では、降伏を?」


「はい。我ら如きの力では、到底秀康様には敵いそうにありませぬ。おとなしく城を明け渡すとしましょう」


 そう言って昌幸は笑みを浮かべ、ただ、と続ける。


「この城はわれらにとっても思い出深い地。せめて、一晩だけでも思い出に浸らせてはいただけませぬでしょうか?」


「……ふむ」


 遜ったような昌幸の態度に、秀康も機嫌を良くしていた。

 少し考えるそぶりをしたものの、ほとんど間をおかずに告げた。


「承知した。真田殿にとってもこの城は思い出深い地であろうからな」


「若殿、しかし……」


 正信が、何か言いたげに口を開きかけたが秀康の意見を尊重する事にしたのか結局は口を閉ざした。


「だが、われらもいつまでもこの地に留まるわけにはいかぬのだ。1日しか待てんぞ」


「分かりました。それでは、明日に間違いなく」


 そう言って、この場の会見は終わった。



 だが、翌日になっても城を明け渡す様子はない。

 当然、秀康も使者を送った。


「未だにこの城に未練を持つものがいるゆえ、その説得に手間取っている」


 との返事だった。

 やむなく、その日を過ごすことになる。


 翌々日になっても同様だった。

 だが、送られた使者に対しての返事はこうだった。


「申し訳ないが、徳川様に下ることを良しとしない家臣がいるゆえ、納得させるための時間をいただきたい」


 こんな事が繰り返された結果、徳川家の信濃方面軍は数日の時間を無為に過ごす羽目になった。


「どうなっているのだ!」


 秀康は、本陣で怒鳴り声をあげる。


「これは、もしや……」


「もしや何だ?」


「われらは昌幸に謀られたのではないかと……」


「何?」


「あの会見は、籠城の準備を隠すための偽りだったのではないかと」


 元忠が遠慮気味に言う。


「私が昌幸に騙されていたと申すか」


「はい。そうでなければ、翌日といったにも関わらずもここまで延引する理由がありませぬ」


「むむ……」


 秀康は唸り声をあげた。


 その後、また使者が上田城内に送られた。

 もはや、説得のためのものではない。

 最後通牒のためだ。


「いい加減にしていただきたい。明日になってもこの城を明け渡さないというのであれば、力付くで接収いたす」


 その使者に対する返事はこうだった。


「ほう、それはそれは。大変ですな」


 まるで他人事のような返事である。


「しかし、我らもこの二日間でそれなりの準備をさせていただいた。天下の徳川軍が相手といえども、それなりの戦が出来ると自負しております。いつでも、歓迎いたしますぞ。むろん、酒肴ではなく弓矢でですが」


「……」

 

 その返答に使者は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべ、秀康の本陣に戻った。


 当然、その返事を聞いた秀康は怒り狂った。


「おのれっ!」


 怒りのあまり、力任せに床几を叩きつけた。


「昌幸め、謀りおったな!」


「秀康様、やはり……」


「おのれ……」


 秀康の顔が怒りに染まる。

 結果として、秀康は見事に昌幸の策に嵌り、貴重な数日間を捨ててしまったのだ。


「ふざけおってっ!」


 秀康は、激怒し、即座に上田城攻めを命じた。


「信尹を呼べいっ」


 激怒したまま、昌幸の弟・信尹を呼んだ。

 慌てた様子で、信尹が現れる。


「どういう事だ! 貴様の兄はわしを謀って、上田城に立て籠もったぞ!」


「はは……」


 信尹としては、ひたすら恐縮して頭を下げるほかない。


「もしや、貴様も兄と共にわしを謀っているのではあるまいなっ」


「そ、そんな。某の主は御屋形様――徳川家康公ただ一人です。兄が、徳川家、そ

して大坂の上様を裏切るというのであれば、袂を分かつまでです」


「その言葉、本当だろうなっ」


「無論です」


 信尹の言葉に、秀康が言った。


「ならば、行動で示してみい」


「と申しますと……?」


「戸石城を攻めてこい」


 戸石城は、真田郷が一望できる位置にある、真田家の支城だ。

 この城を攻めさせる事で、信尹の忠誠心を試そうとしているのだ。


「承知しました」


 信尹も、徳川家に仕える身だ。

 この命令に、頷くほかなかった。



 戸石城に籠るのは、昌幸の子である信繁だ。

 が、ここでは叔父との戦いを嫌った為か、それとも元々戸石城で防衛する気がなかった為か、あっさりと城を放棄。

 戸石城に籠っていた兵と共に、上田城へと撤退した。

 信尹は、血を流す事なく戸石城を手にする。



「よくぞやったっ」


 秀康は、戸石城攻めに成功した信尹を歓喜の表情で迎えた。


「この勢いで上田城も落とすぞっ!」


 秀康の鼻息は荒い。


 上田城は北条征伐の後に、信忠から恩賞として信濃の一部を与えられた際に昌幸が拠点とするべく築いた城だ。

 それだけに、昌幸の心血が注がれており、容易に落とせる城ではない。

 

 それらの事情を知る正信は警告したが、秀康は受け入れようとしなかい。

 正信の不安をよそに、上田城攻めが始まった。


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