7話 甲信併呑1
北条家と、上杉家の軍勢が若神子の地に布陣している。
北条軍の総大将は北条氏直。
北条家の5代目の当主――最も、実権は今もなお父の北条氏政が握っていたが――自らの出陣である。
関東に覇を唱える北条家が本格的に兵を動かしただけあり、今回の動員兵力は凄まじい。それも、善政を行い家臣団の統制もしっかりとしている北条家ならばこそだ。
北条の築いた組織力は、他家よりも一歩も二歩も先を進んでいるのだ。
その力が、兵の大量動員を可能にしている。
この大軍を使って、一気に甲信を併呑しようという目論見だった。
上杉軍の総大将は上杉景勝。
上杉景勝と上杉景虎の家督争奪戦――いわゆる御館の乱で、辛勝。家督を継いだものの、織田軍の猛攻により領土をじりじりと削られ、滅亡の危機にまで陥っていたが、織田信長の死と柴田勝家の撤退によりそれを脱する。
甲信を得て、版図を拡大する事によって織田に対抗する気でいた。
そんな両家が手を取り合って徳川や、その背後に控える織田に対抗しようとしていた。
不仲の両家ではあるが、もはやそのような事を言っていられるような余裕はなかったのだ。
北条家は、神流川の戦いで滝川一益の軍勢を叩きのめしてしまっており、織田とは敵対関係になってしまっている。
上杉家も、柴田勝家の指揮する北陸方面軍によって滅亡の一歩手前にまで追い込まれた。本能寺の変の影響で勝家は撤退し、当面の危機は脱したものの、いつ織田に再侵攻されてもおかしくない状況にいる。
その織田家も、信長が逝ったとはいえ当主の信忠が生き残った為に思いのほか混乱は少なく、体制を立て直しつつあった。
その織田に対抗する為の、北条・上杉同盟でありこの甲信併呑作戦であった。
この二つの家が手をとりあい、甲信を版図に加えれば東国に織田家と徳川家を阻む大きな壁ができる。
そのため、両軍とも必死である。
北条軍は4万5000、上杉軍は1万で合計は5万5000。これだけの数で、徳川軍を追い払う気でいた。
一方の家康も新府に布陣する。
その数は、1万2000。
徳川軍の精強さは、全国に知れ渡っているがそれでも戦は数がものをいう。
桶狭間のような例外を除いた、大規模な大軍同士の戦いとなれば数の多い方が勝つ場合の方が圧倒的に多い。
三方ヶ原然り、長篠然り、武田征伐も然りだ。
それが分かっている故、家康も迂闊に兵を動かさなかった。
かといって、新府城に籠城する気はなかった。
新府城は武田征伐の際、この地を捨てて逃亡する事になった武田勝頼によって火を放たれており、その際に焼失した。今ある新府城は最低限の修復をしただけにすぎない。
防衛能力は低く、籠城したところで守り切れる見込みは薄い。
若神子の地にて、両軍の睨みあいが続く。
北条・上杉連合軍も下手に動かない。
何せ、家康の戦上手は北条や上杉にも知れ渡っており、かつての主君である今川義元の異名である「東海一の弓取り」は今や家康の異名となっていた。
北条・上杉連合軍も数で勝るとはいえ迂闊に攻め込めずにいた。
一方の家康も、数倍の相手の軍勢では容易に勝てないと考えておりうかつに兵を動かせずにいた。
最悪、織田家から援軍を得る必要があるかもしれないが今後の為にも独力で甲信の地を切り取りたいと家康は考えていた。
そんな両者の思惑が交差し、両軍の対陣は長引く。
だが、北条は大軍である事の優位を活かす策を取る事にした。
北条氏忠に別働隊・1万を指揮させて別方面からも侵攻を試し見たのだ。
家康は鳥居元忠に2000の兵を与えて、それを迎撃させる。その元忠の軍勢と、氏忠の軍勢と黒駒の地で対峙する。
だが、人数では圧倒的不利な状況でありながら鳥居元忠は奮戦する。巧みな采配で、北条の大軍を撃退したのだ。結果、北条軍は300人ほどの犠牲者を出して撤退することになった。
この黒駒の戦いは徳川軍の勝利に終わったのである。
しかし、それでも大局的にはあまり影響がなく対陣はそのまま続いた。
そこで、焦れて来たのは人数で勝るはずの北条の方だった。
何せ、織田が力を取り戻す前に甲信に確固たる基盤を築く気でいたのだ。これでは、織田に再挙する為の時間をくれてやっているようなものだ。
そんな中、上杉景勝から北条氏直にある提案が出された。
「北条殿、こちらに提案が」
実際に提案を口にするのは、口数の少ない景勝ではなく、その景勝の代弁者ともいえる直江兼続である。
「……何ですかな?」
わずかに嫌な予感を感じながら氏直が訊ねた。
「この地で睨みあっても、埒があきませぬ。それに、兵の数では圧倒している現状では徳川軍の方から仕掛ける可能性も少ないでしょう」
「……そうですな」
氏直は黙って先を促す。
「ですが、時間は我々の敵です。時間がかかりすぎれば、いずれ織田の大軍が援軍として来るやもしれません」
「それで、何でしょうかな?」
「この機に、我らは木曽を攻めようかと思いましてな」
本能寺の変まで織田が支配していた信濃だが、信長の死後、この地は混乱状態に陥っていた。
だが、比較的混乱が少なかった地もある。
木曽・安曇・筑摩の三郡を治める木曽義昌の領国である。
支配して日の浅い織田の家臣達が治めていた地はともかく武田時代から元々、この地を統治していた義昌の地は混乱が少なかったのだ。
義昌は織田家に仕えて日は浅い。
しかも義昌は、信濃の猛将・森長可が信濃からの脱出の際に、子を人質にとられた挙句に長可の美濃への撤退を手伝わされており織田に対して不満を持っていてもおかしくはなかった。
そこに目をつけた北条は、木曽家と盟を結ぶべく使者を送った。
しかし、あっさりとそれは断られた。
織田家が混乱状態にあったとはいえ、信忠を主とする事でその混乱から立ち直りつつあった。
もしここで北条につこうものなら、後でかならず報復の軍を送り込まれる事だろう。
しかもその信忠から、家康に協力するようにとの書状も届けられていたのだ。
ゆえに、武力による木曽領の切り取りを上杉は決意したのだ。
「木曽ですか……しかし」
言いよどむ氏直に兼続は言った。
「このままこの地にいても、埒があきません。その間に我らは信濃を平定するべきではないかと結論が出ました。そうすれば、背後から徳川軍を脅かす事も可能になります」
「……」
無言になる氏直に、兼続は続ける。
「いかがでしょうかな?」
「その為に、上杉殿は陣を離れると?」
「はい。現状、膠着状態に陥っているとはいえ兵の数ではこちらが勝っているのです。仮に徳川が兵を動かしても北条殿ならば容易に撃退できるかと。その間に、我らは木曽義昌を討つべきかと」
「我らが止めても向かう気なのであろう」
「そのような事は」
兼続は否定するが、氏直はなおも疑わしげな目で景勝・兼続主従を見つめた。
「まあ、仕方ありますまい。ですが、信濃を平定後は我らに協力していただきますぞ」
と、景勝を見て言った。
元々、上杉は単なる同盟国であり氏直に命令する権限などない。
この場が膠着しているのも事実であり、景勝の機嫌を損ねてまで上杉の大軍をここに留まらせる意味もあまりなかった。
「ご理解、感謝します」
景勝は短く答える。
そして、上杉軍は兵をまとめて木曽義昌の所領へと軍を動かした。
向かう先は、義昌のいる木曽福島城である。
その数は、1万。
上杉軍は、進軍に最低限必要な城以外の小城は無視して、義昌の住む福島城を目指した。
抵抗らしい抵抗はほとんどなかった。
徳川軍の大半は北条軍と対峙しており、織田もまだ援軍を送りこめるような状態ではないのだろう。
結局、大した障害はなく順調に上杉軍は進む事ができた。
そして、いとも容易く上杉軍は福島城に到着。
すぐに包囲した。
福島城は、木曽川と黒川に囲まれるような位置にある山城であり守りは堅固だった。
とはいえ、人数では上杉軍が勝っておりすぐに落ちるものと考えた。
しかし、そう簡単にはいかなかった。
地の利を生かした木曽義昌の巧みな采配を前に、上杉軍は散々に翻弄される。
木曽義昌も、かつて織田に鞍替えし、それに激怒した勝頼が大軍を送り込んだ際、それを見事に撃退した名将である。上杉軍が数で勝るとはいえ、そう簡単に倒せる相手ではなかったのだ。
「うーむ、福島城ごとき楽に屠れると思っていたが……」
「思いのほか、やりますな」
上杉軍の本陣にて、景勝と兼続ら上杉軍幹部達が話し合っていた。
だが、その空気は重い。
「兵糧攻めにしてはいかがです?」
武将の一人がいった。
「それは厳しいな」
景勝が黙って首を振り、兼続が続ける。
「兵站に困るのは越後から、はるばる遠征している我々でしょう。義昌は相当な量の兵糧を蓄えているようですし」
信濃の南端部のこの地までの兵站を確保するのには、兼続も苦心していた。
信濃北端部は上杉軍が制圧しているとはいえ、領国化しているとは言い難く大半の兵糧は越後から運ぶ必要があった。
最悪、現地調達という名の強奪も考えないでもなかったが民に不満を与える事になる。信濃を領国化する気でいる以上、そのような事態は避けたい。しかも、この地は対織田戦線の最前線となる可能性が高いのだ。そんな不安定な状況で統治するのは、景勝や兼続も躊躇われた。
そのため、兵糧の大半を越後から運びこむほかなく、今の上杉軍1万もの兵を養うのだけでも相当な負担となっていた。
「かといって、力攻めしたところでどうなります? いたずらに犠牲を増やすだけでしょう」
その反論に、明確な回答は示せなかった。
が、そんな中に上杉軍に驚くべき情報が入ってくる。
――森長可。信濃の奪還を目指してこちらに進軍を開始。
信濃の領国から逃げ出した、森長可が旧領の回復を目指して美濃から進軍してくるという噂だった。
これは、木曽義昌の流したはったりだった。
現状、領国に帰ったばかりの森長可にそのような余裕はなかった。
だが、何度も常識はずれの事をやっている森長可であり、「あの鬼武蔵ならばよもや」という思いが景勝主従にもある。
「……潮時、か」
「そうですな」
景勝の言葉に兼続も頷く。
これを契機に、上杉軍は木曽郡から撤兵していった。
上杉軍の木曽領への侵攻作戦は、事実上失敗に終わったのである。