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乖離戦国伝  作者: 藍上男
第3部 天下の分裂
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77話 濃尾戦線3

 小牧の戦場から、やや離れた地。

 中入り軍の士気を執る事になった、池田恒興の軍勢は静かに行軍をしていた。


 ……この中入り策が成功すれば。


 池田恒興は、考える。


 家康の本貫である、三河を奪い三尾の連携を絶てる。

 徳川軍は、窮地に陥り兵を戻すほかなくなる。

 そうなれば、分散した軍勢を信孝の軍勢が押しつぶす。


 ……この中入り部隊の士気を執る儂の武功は第一のものとなる。


 そうなれば、信孝を当主とした新たな公儀で自分は確固たる地位を築く事ができる。

 筆頭家老の座は、柴田勝家がいるので駄目だとしても、それに次ぐ地位は手に入るかもしれない。


 そのためにも。


 ……何としても成功させるっ。


 そう強く恒興が決意すると、握られた両の手がぎゅっと強まる。



 そんな風に恒興が決意している中、部隊の先頭に異常があった。


「? 妙だな」


「どうかしたのか?」


 足軽の一人が疑問を口にした。


「いや、何か今聞こえたような……」


「そうか? 俺には何も聞こえんぞ。気のせいではないのか?」


「そうか、では気のせ……がっ!」


 と、最後まで言い切る事はできなかった。

 不意に、その足軽の身体が崩れ落ちたのだから。


「ど、どうしたっ!?」


 心配して、声をかけた足軽がいた。

 が、その足軽も小さく呻くような声を出すとその場に崩れ落ちた。


「な、なんなんだ!?」


 混乱しつつも、その足軽は自分達の前方に黒い影がいくつかあるのを確認する。


「て、敵だ、敵がいるぞ!」


 誰かが叫んだ。

 それは、伝播されるように混乱が先手の全域に広がっていく。



「な、何事じゃ!?」


 恒興の元にまで、その混乱は伝わる。


「前方より、攻撃が!」


 伝令からの報告を受け、恒興は思わず叫んだ。


「て、敵か、ならばすぐに臨戦態勢をとれっ!」


 が、恒興の指示通りに足軽達が戦闘態勢に入るのよりも早く、前方の黒い影の使用する飛び道具によって次々と絶命していく。


 やがて、馬の嘶きと思しき音が、恒興の耳に入る。


 ……まさか。


 恒興に、嫌な予感が急速に募る。

 ドドドド、と馬の足音がする。

 それも大量にだ。


「て、敵ぞっ!」


 誰かが叫んだ。

 すぐに、こちらが武器を構えるが遅い。


 またたく間に、現れた軍勢によって蹂躙されていく。


「なっ……」


「殿……」


 池田家、家臣団の顔面も蒼白である。


「これは……」


 恒興の表情も青白くなる。


 ……しまった、大失態だ。


 既に、迎撃態勢を取った敵。敵。敵。

 その敵勢が、既に臨戦態勢に入り、こちらへと向かってくる。


 ……読まれていたのか。


 徳川軍は、こちらの中入りを察知し、万全の準備をしていた。

 この長久手の地で、迎撃態勢をとっていた事を察したのである。


「い、いかん。撤退だ。撤退せいっ」


 恒興が叫ぶように声を出した。


「うおおおっっ!!」


 雄叫びが聞こえる。

 徳川軍が、池田恒興の部隊を押し込むようになだれ込んでくる。


「い、いや、応戦しろっ」


 この状況での撤退は逆に危険だと考えた恒興は、命令を変えた。

 慌てて恒興は叫ぶが、聞く耳を持つ者はほとんどいない。

 武具を捨てて逃げ出すもの、混乱のあまり同士討ちをはじめてしまうものまで出る始末だ。


「くそっ、戦え! 戦え!」


 恒興は、必死に采配を振るうが混乱状態から池田軍は立ち直らない。


「やれ、やれーっ!」


 大換声をあげながら、勢いよく精強で知られる徳川軍が池田軍を突き崩していく。


 それでも、辛うじて戦おうと一部の将兵達が踏みとどまる。


「いいようにやられるなっ!」


 が、それも散発的な抵抗に過ぎなかった。

 大局的には、徳川軍が優位に戦いは進む。


 池田軍の兵士達が、血に染まる。

 前線に踏みとどまり、必死に戦おうとするもの。

 逃げようとしたところを、背後から切りつけられるもの。


 多くの池田軍の将兵達が倒れていく。


「くそっ、それでも儂の臣下か!」


 激怒した恒興が、自ら槍を振るって戦う。

 さすがに、恒興は歴戦の将であり老齢の域に入っているとはいえ気迫は十分だった。

 押し寄せる敵勢に向かって、自らが戦った。


 恒興自らが槍を振るっている事により、押されるばかりだった池田隊の士気が回復する。


「殿が自ら槍を振るっているというのに、貴様らは何をしておる!」


「踏みとどまれ、戦え、戦えーっ!!」


「敵を恐れるな!」


 恒興配下の武将達が、必死に声を張り上げる。

 池田軍が、意地を見せるかのように押し返す。

 これまで、押されてばかりだった戦場の空気が少し変わった。


 だが、その反撃も長くは続かなかった。

 徳川勢を、いくらか押し返した時たった。


「あ、赤備えだ……」


 池田郡の足軽の一人が怯えたように声を出す。

 どどどど、とこちらに凄まじい勢いで突っ込んでくる赤一色の集団が見えた。


「い、井伊の赤備えだ!」


 井伊直政の部隊だった。

 この時点、直政の名は「井伊の赤鬼」としてかなり高まっている。


 池田軍の諸将を恐れさせるのには十分だったのだ。


「やれ、やれーっ!!」


 直政も、自ら先陣で槍を振るう。

 その恐ろしいまでの形相に、池田軍は怯えた。


「あ、赤鬼じゃ! 井伊の赤鬼が来たぞ!」


「や、やられるぞ!」


 折角、回復した戦意がすぐに崩壊した。

 足軽達が一人、また一人とこの場から離脱しようとしはじめる。


「馬鹿者、戦え、何をしておる!」


 恒興の配下が必死に叫ぶも、ほとんど効果はない。

 その間にも、再び徳川軍の猛攻が始まる。


「やれ、やれーっ!」


「くそ、踏みとどまれ! 踏みとどまって戦え!」


 徳川軍と、池田軍の間から怒声が飛び交う。

 恒興が、直々に指示を出しても効果は薄かった。


「大将首を取れ!」


 徳川軍の兵が、恒興の方に殺到する。


「下郎がっ!」


 混乱した状況にありながらも、必死に戦う恒興直属の配下が奮戦するが、勢いは完全に徳川軍にあった。

 突撃をかける井伊の赤備えの部隊は、たちまち甲冑の色と同じ赤に染まり始める。もちろん、その大半は池田勢の血である。


 勢いのある、井伊隊が突撃をかけてくる。

 恒興の配下達は、反撃しようとするが間に会わず、血飛沫をあげて、この場に倒れる。


 一人、また一人と数を減らしていくがそれでも必死に戦う。


「くそっ」


 恒興の槍も、既に赤く染まっていた。

 脇腹を刺されたらしく、そこからもかなりの量の血が流れているが気にする余裕などない。

 脇腹を抑える事もないまま、馬腹を蹴り、この場から脱出しようとした。


 そんな時だった。

 一人の立派な甲冑を着けた武者が、恒興の前に進み出て恒興の馬を止めた。


「某は、徳川家の臣・永井直勝。そちらの御仁は、池田恒興殿とお見受けしたが?」


「いかにも」


 恒興もまた、織田家の繁栄を支え続けた重鎮である。

 無様な姿をさらす事もなく、直勝に応じる。


「その首、貰い受けるっ」


「若造がっ、なめるではないわっ」


 恒興が、馬腹を蹴る。

 恒興の馬が、直勝に接近する。


「やあっ!」


 恒興の槍が直勝に迫る。


 ――ガチィンッ!


 恒興・直勝両者の槍が激しく交差する。


「やりおるな、若造!」


「御老体こそ!」


 再び、恒興と直勝の乗った馬が距離を取る。


「御覚悟っ!」


 直勝が、馬腹を蹴る。

 勢いのつけられた、直勝の馬が恒興に近づく。


「やあっ!」


 恒興の、力の込めた一撃を繰り出す。

 再び槍が交差する。


 ――ガィンッ!


 鈍い、音が響く。

 今の一撃は、若さのせいか直勝の方が重かったようだ。

 ぐらり、と恒興の身体が揺れた。


 その機を逃す直勝ではない。


「覚悟っ」


 ぐい、と直勝の槍が突き出される。

 喉首に、槍が突き刺さる。


 うぐっ、と小さな声が恒興の口からもれる。

 すかさず、直勝の槍が引き抜かれた。


 恒興の甲冑が、赤く染まる。

 恒興の体が、どさりと崩れ落ちた。


「とどめを……さすまでもないか」


 直勝が、死を確かめるまでもなく恒興は絶命していたのである。


「直勝様、首を……」


 直勝の家来が言う。


「下がれ。お前たちは手を出すな」


 恒興のような、中堅大名格の男が戦場で散るなど極めて異例の事だった。

 それだけに、直勝も恒興に敬意を払い、端武者に首を刎ねられるような屈辱を与える気はなかった。


「儂が自ら首をとる」


 直勝は馬から降り、刀を懐から抜いた。

 そして高く振り上げ――振り下ろした。


 斬っ!


 先ほど以上の大量の赤に、恒興の甲冑が染まった。

 それを見て、直勝が宣言するように言った。


「池田恒興――討ち取ったりっ!」

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