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乖離戦国伝  作者: 藍上男
第3部 天下の分裂
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76話 濃尾戦線2

 美濃――岐阜城。

 その本丸にて、有力幹部達を集めて何度目か分からない軍議が開かれていた。


 織田信孝を筆頭として、岡本良勝、池田恒興、高山重友、中川清秀といった濃尾戦線にいる有力諸将たちが集結し、この場に集まっていない者達は今も濃尾国境に築いた砦に点在していた。


「場が硬直してしまったではないか」


 不満そうな様子で、信孝は上座から言った。


 伊勢・伊賀侵攻戦から半月ほど経つ。

 伊賀の侵攻には成功したものの、伊勢攻めでは少なくない犠牲を出し、撤退する羽目になった。

 それから暫くは、濃尾国境での睨みあいが続いていたのである。


「しかと、上様。徳川家康は海道一の弓取りと呼ばれるほどの戦上手。下手に攻撃を仕掛けては大きな痛手を被りましょう」


 岡本良勝が言った。


「だが、このままでいいはずがない」


 信孝が強い口調で言う。

 怒りと焦りが籠った口調だ。


「大坂城を攻める柴田勝家は苦戦しておる。いったい、いつになれば大坂城を落とせるのか分からん状況だ」


 しかも、と信孝は続ける。


「朝廷への工作がうまくいっておらん。儂の将軍就任もいつになるか分からん」


 羽柴秀吉の、大坂城帰城後、朝廷は急に態度を固くした。

 足利義昭も、信孝を自身の養子にするという話に対して否定的になってきている。

 彼らもまた、現在の戦況を贔屓目に見ても五分五分と考えていたのである。


「ですが、名護屋城の明智殿は未だに粘っているではありませんか。毛利輝元の軍勢も、佐々成政殿や島津歳久殿の軍勢と対峙しており動く事ができません」


 重友が、励ますように言った。

 名護屋城の明智光秀は、未だに粘っており名護屋城を抑えていた。これにより、今なお九州と朝鮮の連携を絶てていたのである。


「だが、時間の問題にすぎん。後詰のない籠城戦は、いずれ自滅の道を辿る」


「では、大坂城も同じ事がいえます」


 重友が言った。


「大坂方も、動員可能なほぼ全ての兵が籠っており、これ以上の援軍の見込みはありません。名護屋城が落ちるよりも早く、大坂城を柴田殿が落とし、秀信と秀吉の首を刎ねればこの戦いは我らの勝利です」


「うむ……」


 信孝は頷く。


「北陸の方はどうなっておるのだ?」


「上杉景勝の軍勢は、我らに組した大宝寺領の切り取りに向かっているようですが、魚津城に残った上杉軍を前田殿と金森殿は攻めあぐんでいるようです」


「利家も長近も何をしておるのだ……」


 信孝は苛立った口調で吐き捨てた。

 実際のところ、内心では大坂方に心を寄せる彼らが意図的に城攻めを長引かせていたのだが、信孝はそれに気づいていなかった。


「関東の方も、北条再興軍と関東徳川軍の睨みあいが続いております」


「どこも、硬直状態に陥っておりますな」


 清秀の言葉に、恒興も同意した。


「うむ。やはりこのままでは埒が明かん」


「だからどうするというのだっ」


 立ち上がって怒鳴る信孝に、恒興が提案した。


「三河への侵攻です」


「三河だと……!?」


 信孝が、驚いたように口を開いた。


「今、家康は兵の大半を尾張に集結させております。関東や甲信の兵もまた、真田軍や北条再興軍と対峙しており動かせません。当然、三河の留守兵は少ないはず」


 そこを、と恒興は続ける。


「我らが別働隊を率いて侵攻し、三河に中入りし、岡崎城を奪います」


 ざわ、と場がざわめく。

 恒興は、三河への中入り策を提案したのである。


「本拠を失えば、家康は周章狼狽し、三河に逃げ帰る他ありません。そうなれば、残るのは……」


「脆弱な信包叔父の軍勢のみというわけか」


 にやり、と信孝が口角を釣り上げて笑った。


「奇策ではあるが、おもしろいかもしれんの」


 恒興の策に興味を持ったらしく、腕を組んで考えている。


「なるほど……。確かに、そうすれば、三河から徳川軍を挟撃する事も可能になりますな」


 良勝も、賛意を示した。


「なるほど……」


「確かに危険も大きいが、硬直した今の状況ならやるべきかもしれん」


「場が硬直している今、やってみる価値はあるな」


 他の武将達も、口々に言う。

 だが、そんな中で重友は懸念を示した。


「しかし……」


「しかし、何じゃ?」


 煮え切らない様子の重友に、信孝は訊ねた。


「危険ではありませんか? 三河は家康の本貫だけに警戒も厳しいでしょうし……。だだでさえ、家康は伊賀者という強力な間諜集団を飼っております」


「それは、そうじゃが……」


 信孝は、重友の言葉に即座に反論できなかった。


「では、貴殿には他に策があるのか?」


 代わりに発言したのは恒興だった。

 自分の提案を否定され、不満らしい。


 その言葉に重友はでは、と答える。


「再び伊勢に侵攻してみては如何でしょうか?」


「伊勢だと? 長島城攻めが失敗に終わったばかりなのだぞ」


 信孝は、眉間にしわを寄せる。


「しかし、それでも三河に攻め入るよりかは危険が小さいかと」


「某も高山殿に同意いたす」


 重友とは、荒木村重の与力であった時代から親しい間柄にある清秀が擁護するよに言う。


「三河への侵攻策を取った場合、うまくいけばよろしいですが、失敗した場合の撤退が難しくなります。周囲一帯は家康や信雄の領国ですゆえ。伊勢であれば、失敗したところで紀伊や大和はお味方の領地。撤退も容易でござろう」


「うむ……」


 信孝が考え込む。

 清秀の言葉に一理あると思っているのだろう。


 それに、と重友が付け加える。


「伊勢をそのままにした場合、伊勢方面から我らの背後へ攻め入ってくる恐れもあります」


「伊勢街道を通って、垂井辺りに進出させる事もできますしな」


 清秀が言った。


「むむむ……」


 信孝の眉間に寄ったしわが強くなる。


「そのような事は考えにくい」


 恒興が反論した。


「伊勢から別働隊を動かすとしても、人数は大坂織田・徳川連合の方が劣っているのだ。その人数をさらに割く余裕などない」


「相手は、徳川家康でござるぞ。常道だけでなく、危険を承知の上での策も取ってくるはず」


 重友も、すかさず恒興の意見に反論する。


「うーむ……」


 信孝はまたも考え込む。

 その信孝の前で、重友と恒興の議論が交わされ続ける。


 半刻ほど経った頃、信孝は言った。


「恒興の策を取る」


 その言葉に、恒興の顔が歓喜に。重友の顔が失意へと変わる。


「信孝様っ」


「反論は受け付けん。儂が考えた上での結論だ」


「……」


「これは、織田家当主としての決定だ」


 重友の顔に不満が浮かぶが、当主命令とあれば逆らえない。

 重友も従うほかない。


「依存はないようだな」


 他の家臣達を信孝は見渡す。

 が、反論の言葉が出てくる様子はない。


「では決まりだ。池田恒興、中川清秀に命じる。2万の兵を率いて三河に侵攻せい」


「はっ」


「承知しました」


 恒興、清秀両名が応じる。


 かくして、三河中入りという奇策を用いる方針が決まり、この日の軍議は幕を閉じたのである。







 ――小牧山城。


 徳川家康の寝所。

 戦時であり、この場所は安土織田軍と対峙する前線だ。

 大坂方の城とはいえ、安全地帯とは言い難い。

 

 その為、家康も就寝時も警戒態勢にあった。


「――御屋形様」


 ゆえに、不意に聞こえた声ですぐに目を覚ます事ができた。

 すぐに、意識を覚醒させる。


「お前か」


 が、声の主を確認して警戒態勢を一気に落とす。

 顔見知りに伊賀者だと分かったからである。


「はい」


「何か動きがあったか」


 伊賀者のまとめ役であり、後世、服部半蔵の通称で知られるようになる服部正成を通して聞かされる事が多い。

 にも関わらず、直に家康に報告に来たのだ。

 そして、それは一刻も早く情報を伝える必要があったからだろう。


「一大事にござります」


 伊賀者は、無表情のまま告げる。


「敵勢に、動きあり。2万ほどの軍勢が移動を開始しました」


「……何?」


 家康が状態をはね起こす。


「詳しく申せ」


 はっ、と頷いてから伊賀者は続ける。

 岐阜城から、2万ほどの軍勢が南下を始めた事。

 その行先は、どうやらこの小牧の地ではないらしい事などを話した。


「三河か――」


 家康は、信孝達の思惑を察した。


「おそらくは」


 伊賀者も頷く。


「……即時に、対策を練った方がよさそうだの」


 家康が軽く合図をする。

 即座に小姓が入ってきて、部屋を明るくする。


「忠勝や直政を起こして来い。緊急事態じゃ」


「このような刻限にですか?」


「うむ」


 家康は頷く。

 それぞれの陣所に赴いて幹部武将達を起こすために、小姓達は散って行った。


「儂は着替える」


 残った小姓が、家康の着替えを手伝う。

 家康の着替えが完了し、半刻も絶たないうちに本多忠勝、井伊直政ら幹部武将達が集結し始める。


「何用ですか? 緊急事態と聞きましたが……」


 まだ太陽も昇り切っていない刻限に呼び出された事に、不満を口にする者はいない。

 目をこする者もいない。


 その辺りは、さすがに戦場と共に生きる戦国武将だった。


「伊賀者からの報知があった」


 家康が話し始める。


「敵勢が、三河に侵攻しようとしておるらしい」


「何ですと?」


 ざわり、と場がざわめき始める。


「どうやら、儂らの背後を奪い我らを分断する気でおるらしい」


「一大事ではありませんか」


 忠勝が驚いたように言う。


「うむ。このままではまずい。三河に兵を送り、信孝の別働隊を叩く必要がある。三河が奪われるような事態になれば、我らは窮地に陥りかねん」


 なにより、と家康は続ける。


「三河の地は、我らの本貫。信孝如きに荒らされるわけにはいかん」


「そうですな」


 忠勝が頷く。

 他の三河武士達も続いて頷いていく。


「そうじゃ!」


「あの地は儂らが道を切り開いた地!」


「好きにされてたまるものか!」


 三河の地は、徳川家にとって神聖な地だ。

 今川従属時代は、織田信秀・信長親子との前線となり苦境を強いられた。主君である今川義元が横死した後も、今川氏真の軍勢との戦いの舞台に。氏真の軍勢を三河から駆逐したと思ったら、今度は一向一揆だ。それも鎮圧したと思えば、今度は武田信玄だ。奥三河は武田との激戦区となり、三河の民に苦境を強いる事になった。長篠の戦いで武田勝頼の軍勢を叩きのめし、以後はようやく安住の時間が訪れた。少なくとも、三河が戦場になる機会はほとんどなくなったのだ。

 それが、今荒らされようとしている。

 彼らとしても気合が入るのは無理もないだろう。


「三河の地は、我らの手で守りましょうぞ」


 三河武士らに、直政も続いた。

 直政は、遠江の出身ではあるが彼らが三河にどれほどの思い入れがあるかはよく知っていた。


「ところで――」


 本多正純が、ここで一つ懸念を示した。


「信包様にこの事は?」


「この後で話しておく。緊急時ゆえ、儂らだけで決めたところで問題なかろう」


 家康はそっけなく言った。


「そうですな」


 忠勝も同意する。

 かつて、似たような状況。


 筒井順慶や高山重友らの伊勢・伊賀侵攻の際、信包は家康の説得を無視して、伊勢の救援に赴いた。

 その時、手薄になった美濃岐阜城を攻める事を家康達は提案したのだが、信包は聞きいれてくれなかったという過去がある。


 その件の意趣返しという思いが、彼らの心には少なからずあったのだ。


「ま、よい。儂自らが動くわけにはいかんが、三河へ向かう別働隊の指揮は忠勝と直政が執れ」


「異存はありません」


 忠勝と直政が頷く。

 こうして、忠勝・直政は兵の一部を率いて三河へと赴き、三河の地で新たな戦いが始まろうとしていた。

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