75話 大坂戦線3
大坂城を包囲する、安土方の将である柴田勝家がわずかながら苛立ちが混じり始めた。
当初、多少時間がかかったところで兵は優位という気持ちもあったが、濃尾戦線に暗雲が思いのほか手こずっており、前田利家と金森長近は延々と魚津城を攻め続けている。
大友吉統の、豊前侵攻もうまくいっていない。佐々成政と島津歳久の軍勢も、毛利輝元の軍勢によって牽制されており、なかなか北上する事ができずにいた。
肝心要の、大坂城攻めの進捗も順調とはいえないのだ。
そこで勝家は、硬直した現状を打破すべく有力武将達を集めて軍議を開いた。
紀伊の国主・滝川一益、益重ら滝川一族。
大和の国主・筒井定次、松倉重信、島清興ら筒井家の者達。
佐久間盛政、同安武、不破直光、徳永寿昌、徳山則秀、毛受勝照、拝郷家嘉らいわゆる勝家派の有力武将達の姿もある。
無論、濃尾戦線にいる者達の姿はない。
「皆の者の意見を聞きたい」
勝家がまずは言った。
「意見、と言われましても」
直光がは困惑したような声を出した。
「このまま包囲を続ければよいのではないかと。大坂城の兵糧もいずれ尽きるでしょうし」
勝照も続いた。
「冗談ではありませんぞ」
その言葉に、怒りを見せたのは筒井定次だった。
「その間、浪費される事になる兵糧のほとんどは我らが負担しておるのですぞ」
大坂城を包囲する、安土織田軍の兵糧の大半は近隣に所領を持つ筒井定次や滝川一益が負担していた。
それゆえに、長期戦となるのを定次は望まないのだ。
「それに」
清興が、主君に続くように言う。
「お忘れですか。名護屋や朝鮮の軍勢がいずれ戻ってくるかもしれないのですぞ」
「むぅ……」
筒井家の主従に反論され、勝照らは黙り込む。
兵糧の大半を負担する彼らに反論されては、彼らも強く言うわけにはいかないのだ。
ところで、とここで定次は続く。
「本当に食料を補充される事はないのでしょうな」
定次が疑問を投げかけた。
「それはなかろう」
盛政が言う。
「猫一匹逃さぬよう、しっかりと大坂城は包囲してある」
「それに、海上からも輸送は不可能じゃ」
一益が口を挟んだ。
「大坂方の水軍のほんとは朝鮮の地じゃ。大坂城を包囲しておる、我らの水軍を蹴散らす事はできん」
一益は、紀伊を与えられた際に雑賀衆らを多く雇い入れ、水軍を編成した。それは、志摩の九鬼水軍にも負けない程のものだった。
その水軍に、大坂の海を閉鎖させていたのだ。
一方の大坂織田軍の水軍の大半は、朝鮮や九州にいる。
滝川水軍を追い払うだけの力は、今の大坂織田軍にはなかったのである。
「やはり、力攻めにすべきなのでは?」
清興が言った。
「島殿、何故そう考える。大坂城は天下無双の堅城だぞ」
重信が疑問を口にする。
「理由は、やはり時間です」
一瞬だけ、重信に視線を動かしてから清興は説明を続ける。
「時間が経てば、経つほど不利になるのは我々。ならば、多少危険であっても強引に大坂城を落とすべきかと」
「しかし、大坂城に籠る敵勢は4万だぞ。力攻めをするのは……」
「4万といっても、大半が戦闘能力のない擬兵ではないですか。実質的には、2、3万と見積もるべきでござろう」
それに、と清興は続ける。
「兵はいても、将はおりません。秀吉の連れてきた武将達はともかく、大坂城に留守役として残ったものの器はたかが知れています」
「うむ……」
「島殿は、力攻めをするべきだと?」
盛政が訊ねた。
「その通りでござる。このまま、囲み続けても意味はありませぬ」
その言葉に、何人かの武将が同意する。
「確かに……」
「このままでは埒が明かん」
「こちらから攻めた方が……」
その反応を勝家は悩みながら、
「うーむ……」
唸っていた。
確かに、島清興の言う通りに力攻めするべきかもしれないと勝家も考え始めた。
だが、同時に気にかかるのは濃尾の戦線だ。
「信孝様はどうしておる」
「徳川の軍勢と対峙したままです」
岐阜の戦場にいる父・順慶から、情報を得ていた定次が答えた。
「まだ長引きそうなのか?」
「おそらくは」
「……」
勝家は黙り込む。
思いのほか、信孝は苦戦している様子だ。
そちらからの援軍はまず見込めない。
なら、現状の戦力で力攻めをするべきなのか。
それとも、兵糧攻めを続けるべきか。
力攻めを決断するには、何か決定打が足りない気がする。
かといって、清興の言うように現状では兵糧攻めも上策とは言えない。
暫し沈黙してから、勝家は言った。
「とりあえず、今日はここまでとする次の軍議までに、各々で意見を考えておいてくれ」
その言葉で、この日の軍議は終わった。
一方の、籠城側である大坂織田軍。
籠城中とはいえ、まだ大坂城の兵糧には余裕があった。
この日、籠城する大坂織田軍の幹部武将達は大広間で、酒宴を開いていた。
結束を強める、籠城が続き萎えつつある武将達の気持ちを鼓舞するのが狙いだ。
当然の如く、最上位の上座には織田秀信が座り、最寄の席には織田信雄が座る。
羽柴秀吉が座るのは、そのさらに下の席だ。
「さ、皆の衆、楽しんでくだされ」
秀吉の言葉に、皆は和やかに杯を交わす。
豪勢な食事が用意されており、外を囲む軍勢さえ見えなければとても籠城中には見えないだろう。
「ささ、まだまだ食糧はありますゆえ遠慮は無用」
秀吉がそう言って、膳を勧める。
他の武将達も上機嫌で、食事に舌鼓を打ち、杯を傾ける。
皆、顔に笑みを浮かべている。
だが、そんな中で不機嫌そうな男――というよりは少年がいた。
言うまでもない、当主の織田秀信である。
主君である自分が不機嫌であるというのに、上機嫌で酒宴を交わす家臣達に不快感を持っていた。
また、城を囲む安土織田軍に対する恐怖心もある。
身内に裏切り者が潜んでいるのではないかという気持ちもある。
誰も彼もを、疑いの眼差しで見つめている。
疑心暗鬼に取りつかれているらしい。
「おい、秀吉」
鬱々な気分のまま、秀吉をぞんざいな口調で呼んだ。
「何でございますか?」
だが、秀吉は気分を害する事なく聞く。
「お前達がもたもたしている間に、二か月も経ってしまったぞ。しかも、その間に叛徒共の囲みが解かれる様子もない」
「お言葉ですが、今を維持するだけでが我々にとって優位に働くかと」
秀信が眉根を寄せる。
「以前にも話しましたが――我らは、無理に敵を追い払わずとも時間が経てば朝鮮にいる遠征軍が戻ってきます。そうなれば、敵勢を追い払う事も簡単かと」
「そのような事は分かっておるわ!」
秀信は、苛立った口調だ。
「それがいつなのかと聞いておるのだぞっ」
「名護屋城を奪い返してから、としか」
「その名護屋城はいつ落ちる」
「名護屋城を攻めている、秀次らの働き次第としか。無論、全力を尽くすように言ってきましたが、敵も決死の覚悟で籠城を続けておりますし、簡単にはいかないかと」
「もうよいわっ」
ふん、と秀信は不快そうに鼻を鳴らすとこの場から退室してしまった。
残された武将達は、どこかほっとした様子だ。
元々、秀信など名目上の当主に過ぎない。
これでまともに話せる、と言った空気が流れた。
「……それで実際のところ、名護屋城の方はどうなっているのですかな?」
堀秀政が訊ねた。
「落ちるとすれば、いつ頃になるのか。おおよその目途がつけば、兵達を鼓舞する事もできるのですが……」
浅野長政も続く。
「正直なところ、何ともいえんな」
秀吉の顔もまた真剣なものへと変わった。
「何せ、大坂城が包囲されている現状では、外からの情報も限られておる」
そう言いながら、秀吉は内心で呟く。
……本当に恐ろしいのは、内部から切り崩される事よ。
大坂城内に籠る者達は、一枚岩とは言い難い。
なし崩し的に大坂城に籠る羽目になった者も、少なからずいるのである。そんな彼らに、調略の手を安土方が延ばしてくればどうなるか分からない。
……外と勝手に連絡を取られんよう、警戒を厳重にさせておくか。
秀吉はそう内心で考えると、後で信頼できる子飼いの武将達に、疑わしい武将達を見張るように指示を出す事を決めた。
「だがまあ、そう暗くなっても仕方あるまい」
ぱあ、と明るい顔をつくり、皆を見渡した。
「暗い話題よりも、明るい話題を。そうですな、勝ってからの事を考えましょうぞ。この戦に勝てば、数百万石もの空き領が出る。そうなれば、各々方も働き次第で数十万石の加増も夢ではありませんぞ」
その言葉に、武将達の眉がぴくりと反応する。
領国の拡大は、戦国武将であれば誰もが望むものなのだ。
「数十万石でござるか……」
どこか、夢見がちな表情を堀秀政は浮かべる。
「左様。堀殿の器量なら、一国や二国を任せられても不思議はないのですぞ。それが、不運にもその機会を与えられなかった。この大乱は、堀殿の器量にあった領土を与えられる好機でもありますぞ」
そう言って、堀秀政を煽てあげた。
「そうですな……」
秀政も、褒められて悪い気はしないらしく小さく笑った。
「ささ、戦の話はここまで。後は楽しみましょうぞ」
その言葉で締めくくると、後は無礼講となり、この日の宴は深夜まで続けられた。




