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乖離戦国伝  作者: 藍上男
第3部 天下の分裂
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74話 朝鮮戦線16

 大陸遠征軍の臨時司令官となった羽柴秀長は、釜山にいた。

 既に名護屋城占拠、の報は既に届いている。


 当初、朝鮮側にこの決起の情報が漏れないように気を使っていた。

 が、朝鮮側も情報網を張っている。

 いつまでも隠し通す事はできなかった。


 今は、遠征軍がこのまま朝鮮に居続けられる状況でない事を分かっている。それゆえに、反撃に出ていた。

 これにより、遠征軍の戦線は大きく下げられ、半島南端部に逼塞するのみの状況となっていた。


 正式に、大陸遠征の中止命令が秀吉から下されるはずだが、今の状況でそんな命令など待っていられるはずがない。

 秀長は、独自の判断で戦線の縮小――いや、全軍の撤退を決断。


 全軍に釜山集結命令を出した。


 が、それでも朝鮮全域に分散している織田軍全てにその情報を届けるだけでかなりの時間を要してしまった。

 しかも、義勇兵を名乗る朝鮮民衆による妨害があったり、すぐにはその情報を信じる事ができずに撤退が遅れた武将もいた。


 そのため、全軍のほぼ全てが釜山に集結できたのは、名護屋城占拠から一か月以上も経ってからの事だった。


 羽柴秀長の家臣団を筆頭に、羽柴秀勝、前野長康、加藤光泰、島津義弘、加藤清正、細川忠興、吉川広家、加藤嘉明、蜂須賀家政、脇坂安治らである。

 が、未だに全軍ではない。


 まだ、小西行長と宗義智率いる軍勢が残っていた。

 全羅道の、順天城に取り残されていたのだ。

 しかも、朝鮮軍によって包囲された状態なのだ。


「まずい事になっている」


 秀長の顔色はよくない。

 ろくに寝ていない為か、目元にはくまができている。


「少し休んだ方がよいのではないか?」


 加藤光泰が、心配するように言ったが秀長は首を横に振った。


「いや、儂ならば大丈夫じゃ。それよりも、貴殿の方こそ顔色がよくないぞ」


「む……」


 秀長の言う通り、光泰はこの時点で病を患っていた。

 それも、かなりよくない。

 だが、この状況では休んでいるわけにはいかず、軍議に無理をしてに出席していた。


「とにかく」


 ごほごほ、と少し咳き込みながらも秀長は続ける。


「小西殿や宗殿を、放っておくわけにはいかん」


「そうですな」


 蜂須賀家政が同意するように言った。

 細川忠興も続く。


「だが、包囲する朝鮮軍はそれなりの数だというぞ」


「うむ。陸からも海からも囲まれておるらしい」

 

 順天城は、元々朝鮮側が建てたもの後に、南端部制圧を志した遠征軍が沿岸沿いに新たに築いた城だ。

 築いたのは、築城の名人である藤堂高虎だ。

 だが、短期間の突貫工事で築いた城であり、そこまで信頼がおけるというわけではなかった。

 しかも、海路を朝鮮水軍に封鎖されている状態なのだ。


「秀長様、加藤殿」


 彼ら二人の会話に口を挟んだ者がいた。

 島津義弘だ。


「ここは、某に任せていただけないでしょうか」


 思わぬ発言者に、諸将が注目する。


「幸い、我ら島津は渡海の時期が遅く、兵達に疲れがほとんどありません。救援に赴いたところで問題はないかと」


「某にもお任せくだされ!」


 義弘に続いて声があがった。

 加藤清正である。


「某に、是非!」


 強い視線だ。

 清正と、宗義智や小西行長とさして親しい仲というわけではない。

 にも関わらず、彼がここまで救援を望むのは義智や行長の命というよりも、功績を欲していたからだ。

 何故、功績を欲しがっているのかというと、理由は朝鮮軍のある人物にあった。


 開戦から暫くの間、織田軍は順調に進軍を重ねた。

 首都を落とし、国境を越えて明にまで攻め入らん勢いだった。

 が、明からの援軍があって以降、進軍の速度は遅くなる。その間に、全国で義勇兵を名乗る民衆達が決起し、さらに侵攻は遅くなった。

 決定的になったのは、本国で起きた安土方の決起である。


 これにより、織田軍の士気は極限まで落ちた。

 名護屋城を占拠され、織田軍団は真っ二つに割れて大乱が始まる始末。兵糧の補充すら碌にできない状況なのだ。

 この状況を見て、朝鮮軍に下る者が次々と現れ始めたのだ。


 それは、単に朝鮮で戦う織田軍の数が減ったというだけではない。

 朝鮮側から、降倭と呼ばれる彼らは同時に陣中から鉄砲なども持ち出していたのだ。


 鉄砲だけならば、さして脅威にはならない。事実、これまで朝鮮軍は織田軍の使っていた鉄砲を鹵獲していたが、うまく使いこなせずにいた。

 しかし、今回は放ち手も同時に朝鮮軍に下ってしまったのだ。

 彼らが、朝鮮軍を指導すれば、鉄砲を使いこなせる兵はさらに増える。そうなれば、織田軍は大きなアドバンテージを一つ失う事になるのだ。


 その降倭の有力人物に、沙也加と呼ばれる人物がいた。

 元々雑賀衆の一員だったともされるが、詳細は不明。沙也加という名前も本名かどうか定かではなく、「雑賀」がなまって「沙也加」と呼ばれるようになったとも言われている。

 その沙也加は、元々は加藤清正の配下にいた人物なのだ。


 それが、いつの間にやら朝鮮軍へと寝返り、織田軍を窮地に立たせている。自然と、清正の居心地も悪くなっていたのだ。

 それを挽回するだけの、手柄を立てたい、という思いが清正には強い。


「……うむ」


 秀長も、そんな清正の思いを知っている。

 それだけに、


「よかろう」


 と頷いたのだった。


「朝鮮水軍が相手とあれば、我らの力も必要でしょう」


「うむ、某も力を貸しますぞ」


 加藤嘉明、脇坂安治らだ。

 朝鮮水軍に苦杯を舐めさせられた彼らは、汚名を返上する機会を待っていたのだ。しかも、このまま九州へと撤退してしまえば、再び朝鮮水軍と戦う機会はなくなるかもしれないのだ。


「最近は、李舜臣なる朝鮮の将に手こずっていると聞くが大丈夫なのか?」


 長康が訊ねた。

 李舜臣は、ここ数か月で一躍名を挙げた朝鮮側の将だった。その名は、織田軍の間でも広がり始めていたのである。


「問題ありません。それに、朝鮮水軍ならば上様が一度撃退しております」


 織田信忠が自ら囮になった、釜山海戦の事を言っているのだろう。

 あの戦いで、朝鮮水軍は半壊した。


 が、今は立て直しつつある。

 それでも、戦力の補充の見込めない織田軍にとって相当な脅威である事に間違いない。


「そうか……」


 秀長は、黙って頷いた。

 こうして、宗義智と小西行長への救援軍が順天城に派遣される事になったのである。






 順天城へと救援部隊は向かい、朝鮮軍と激突した。

 特に、海上での戦いは激戦となった。


 織田水軍と朝鮮水軍の船が接近する。


「撃て、撃てっ!」


 この時期の船合戦は、相手の船に乗り込んでの白兵戦が中心だ。

 だが、そのような余力などない。


 火力にものを言わせて、朝鮮水軍を押し切ろうとする。


 だが、朝鮮水軍からも反撃があった。

 この時期になると、朝鮮軍も鉄砲を使用するようになっていた。

 元々、織田軍の大陸侵攻が当初順調にいった理由として鉄砲の数に圧倒的な差があったという事がある。


 だが、前述の沙也加を始めとする降倭達により、その優位は失われつつある。

 それでも、放ち手の力量という点では織田軍が圧倒的優位にあったが。


 前述の通り、島津義弘も加藤清正もこの戦いで手柄を立てなければ、という思いが強い。

 その強い思いは、前線で戦う兵達にも伝播していた。


「撃て、撃てーっ!!」


 そんな指揮官達に思いが天にまで伝わったのか、思わぬ幸運が味方する。

 風向きが、織田水軍を前へと押してくれた。

 逆に、朝鮮水軍の速度は一向に上がらない。


 織田水軍の船が海面を進む。

 朝鮮水軍も、必死に抵抗する。


「やれ、やれーっ!」


「宗殿と小西殿を助けるぞ!」


 織田水軍の兵達から声があがる。


 それを阻止すべく、朝鮮水軍も反撃に出る。

 織田の軍船と、朝鮮水軍の船が接近する。


「邪魔だくぉおおのぉっ!!」


 雄叫びをあげ、織田水軍の兵士達が鉄砲をぶっ放す。

 でたらめな砲撃であったが、それでも朝鮮側に何人か被弾したようだ。


 朝鮮側の悲鳴のような声が聞こえる。

 それは、絶叫にも近い声だった。


「おい、誰かに当たったようだぞ」


「よし、この調子で撃ち続けろ」


 闇雲に撃った攻撃であったが、かなりの衝撃を敵勢に与えたらしい。

 それを知った島津軍がさらなる攻勢に出る。


「撃て、撃て、撃って撃って撃ちまくれ!」


 備え付けてあった大筒もぶっ放す。

 当然、敵からも反撃が来る。


「その程度の腕前で当たるものか! お返しをくれてやる!」


 織田水軍が応射する。


 数ではほぼ互角。

 だが、戦場の流れを完全に支配していた織田水軍が朝鮮水軍を押していた。

 朝鮮水軍に、勢いもはやない。




 そしてそれは、救援部隊の総指揮をとっていた島津義弘と加藤清正の元へと届いていた。


「島津殿。よろしいか?」


「何かな、加藤殿」


「すでにお気づきかと思いますが……」


「うむ。急に敵兵の勢いがなくなっておりますな」


「そうですな、どういう事であろうか」


 義弘の言葉に、清正も首をかしげた。

 確かに、朝鮮水軍の勢いはなくなっている。

 むろん、攻撃自体は続いているのだが、明らかに統率力が先ほどと比べて落ちているとしか思えない。

 確かに、この戦いは織田水軍が優位になっていたが、この朝鮮水軍の押されぶりは異様といえよう。


「うーむ……」


 義弘も首をかしげる。

 歴戦の武士である義弘にとっても、理解できかねる事であった。


 朝鮮水軍は敵ではあるが、その実力まで過小評価していない。

 彼の記憶によれば、朝鮮水軍はもっと強かったはずだ。


「もしや、何かあったのではないか?」


「何かとは?」


「例えば、朝鮮の指揮官が討死したとか……」


「ですが、そのような報告は来ておりませんぞ」


「だが、それぐらいしか思いつかん」


「それもそうですが……」


 二人は考え込む。

 だが、長い間考え込む事は時間的に不可能なのだ。


「島津殿、しかしこれは好機ですぞ」


「それはそうだが……」


 義弘としても、納得しかねる思いがあるが、清正の言う通り織田水軍にとって好機である事にはかわりない。


「撤退する」


「何故です?」


「現状、こちらの損害も多い。これ以上の戦闘は危険だ」


「しかし、そうなると小西殿は……」


「それなりの被害を明や朝鮮水軍に与えている。小西殿への救援部隊としての役割はすでに果たしているといえよう。こうなった以上は小西殿が自力で撤退してくれる事を祈る他あるまい」


「……そうですな」


「撤退だ。撤退するぞ」


 島津義弘は、撤退をそのまま撤退。

 主だった幹部達に死傷者は出ずに織田軍は撤退に成功した。



 実際に何があったかというと。

 先ほど、織田水軍の流れ弾で朝鮮水軍の武将である李舜臣が戦死していたのだ。

 この李舜臣の急死により、一気に勢いがなくなっていたのである。


 朝鮮側の被害も相当なものであり、しかも李氏朝鮮軍も水軍の精神的柱になりつつあった李舜臣の討ち死にであり、衝撃は大きい。


 結果的に見れば、織田水軍は撤退してしまったものの、朝鮮軍に与えた被害も甚大だったのだ。

 そのため、朝鮮軍は追撃にほとんど力を入れる事ができず、宗義智や小西行長はそのまま無事に釜山へと帰還する事ができたのだった。


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