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乖離戦国伝  作者: 藍上男
第3部 天下の分裂
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68話 家康西上

 この日、徳川家康は岡崎城にいた。

 この岡崎城に集まった軍勢はおよそ1万5000ほど。

 今の家康の石高からすれば、その倍ほどの軍勢を動員することも可能だが安土方として行動する北条再興軍や動向が不明の北関東の諸将、それに北信濃の真田の対策の為に兵を分散しているためこの数字となった。


 尾張・伊勢・伊賀を領する織田信雄の軍勢を含めれば3万を超えるが、それでも劣勢は否めない。


 安土方の盟主・織田信孝は、織田信雄配下の大坂織田軍と、徳川軍への対応として5万の兵を濃尾国境に動員しているという。

 織田信孝は、柴田勝家と別れた後、4万の兵を率いて安土城に戻った。さらには、元々岐阜城にいる池田恒興や美濃衆らの軍勢1万と合流する。そうなると最終的には、5万ほどになると伊賀者は報告していたのである。

 それに対し、織田・徳川連合軍の総勢は3万5000人。1万以上の兵力差だ。


 だが、家康はその程度の戦力差を恐れていない。

 これまで、多くの劣勢を跳ね返してきた家康の精神力は強かった。

 そして、それが徳川軍幹部も同様だ。


 むしろ、天下人を分ける大戦に挑むという高揚感すらある。

 浜松城を発した徳川勢は吉田城に一泊した後、この岡崎城に到着したのだ。


 浜松城へと拠点を移して以降も、岡崎城に何度か訪れることはあった。

 だが、それでも徳川首脳陣にとってこの岡崎城は特別の城なのだ。

 広間に集まった徳川軍幹部は和やかな雰囲気で雑談をしていた。この日は岡崎泊りなのである。



 そんな中、顔色を変えて広間に乗り込んできた者がいた。

 勢いよく、襖が開かれる。


 見知った顔だ。

 家康の近習である。


「犬山城が、犬山城が……」


「犬山城がどうした?」


「い、池田恒興の軍勢によって陥落したとのことです!」


「何じゃと!?」


 家康が驚愕する。 

 徳川軍幹部達の、楽しげな雰囲気も瞬く間に消え失せてしまった。


「詳しく話せ」


 家康に促され、近習が話し始める。


 前々日の出来事だ。


 岐阜城の恒興が信孝の着陣を待つことなく2万ほどの兵を率いて出陣。軍勢を南下させ、犬山城を攻撃した。


 こんな単独行動を行ったのには、理由があった。

 恒興は信孝に対してそこまで好意的だったというわけではない。

 恒興の母は、信長の乳母だ。

 また、信長と幼年期から親しい間柄でもあった。

 そのため、信長は恒興を比較的優遇していた。

 が、信忠政権と代わってから、以前ほどの優遇はなくなった。一時、本能寺の変の後に秀吉が明智光秀に代わる新たな家老にと推薦した事もあったが、信忠が恒興をさして優遇する事なく、織田家中での地位が低下しはじめると秀吉も恒興から離れた。


 結果として、信忠から冷遇というほどではないが以前ほどの厚遇されるわけでもなくなり、恒興の心は信忠から離れていった。


 が、それでも信孝に崇拝しているわけでも心の底から忠誠を誓っているわけでもない。

 栄達を望み、安土方に組したまでだ。

 そのため、言いように使われるのは面白くない。信孝が着陣後、発言力を少しでも増すように手柄を欲していた。

 犬山城攻めはそのための行動だった。


 恒興は犬山城の城主だった時期もあり、犬山城に関しては精通しており、弱点も知り尽くしている。

 当然、守備兵はいたが恒興の巧みな采配の前に敗走。

 犬山城は瞬く間におち、5000ほどの留守兵を残し、恒興は岐阜城に引き上げたのである。


 いずれにせよ、濃尾国境が舞台となる事が予想されるこの戦いで安土方は大きな楔を尾張に打ち込むことに成功した。


 ……信孝が合流するまで、安土方は木曽川を超えることはないと思っていたが……くそっ、読みが外れたか。


 家康は内心で舌打ちするが、立ち直りは早い。

 もとより、戦で予想通りの流れで行くことの方が珍しい。問題は、その予想外の出来事にどれだけ早く、なおかつ的確に行動できるかである。

 そして、家康はそれを実践し続けてきたからこそ、「東海一の弓取り」と言われる名将になり得たのである。


「それで、尾張の織田勢は?」


「はっ、犬山城の後詰に失敗して以降は清州城に。御屋形様の着陣を待つとのことです」


「それが正解だな」


 家康も頷く。

 家康がここで最も恐れていたのは、犬山城を奪われたことに腹を立てた織田の将兵が勝手に動かれることである。

 尾張にいる織田の軍勢が壊滅するようなことがあれば、以後の戦略に大きな支障が出てしまう。


 だが、尾張にいる大坂織田軍の武将達は冷静な行動をとってくれたようで家康は安堵する。


「恒興は?」


「家臣に犬山城預けた後、一旦は岐阜城に戻った様子です。犬山城に残った軍勢もそれ以上の行動を起こす様子はありません」


「……そうか」


 家康はふーっ、と小さく息をついた後、全員に向き直る。


「聞いての通りだ。犬山城が敵の手に落ちた。だが、行軍の予定は変えん」


「すぐに清州城に向かわなくてよろしいのですか?」


 家臣の一人が訊ねた。


「構わん。恒興が勢いに乗じて清州城に攻めかかったというのならともかく。岐阜城に戻ったそうではないか。下手に強行軍を続けて兵を疲れさせる必要もなかろう。久々に岡崎の地を踏んで、懐かしむものも多かろう。今宵はゆっくりと休め」


 そうねぎらうように家康は言った。






 翌朝、徳川軍は岡崎城を発した。

 尾張に入ったが、同盟国の領国ということもあり、順調に行軍は続く。


 清州城に着き、その門前にまで織田信包をはじめとする清州城の大坂織田軍の武将達が出迎えた。


「これは信包殿、わざわざこのようなところまで……」


「いえ、われわれは支援を受ける立場です。これが礼儀かと……」


 慌てて下馬する家康に、信包は丁重に返す。

 信包は、信長の弟で清州城の本来の城主である織田信雄の叔父だ。

 大坂城にいる信雄に代わり、尾張にいる大坂織田軍の指揮を執っているのだ。尾張にいる大坂織田軍の兵は、実質彼が差配する事になる。



 さっそく大坂織田軍幹部と、徳川軍幹部は広間に向かい、軍議が開かれた。


「徳川殿、現在の敵勢は……」


「敵の動きはこちらでもつかんでおります」


 軍議を始める直前に、家康は美濃に潜入させていた伊賀者からの報知を受けていたのである。


「今の敵勢は、犬山城に5000。岐阜城にも5000ほどの計1万。信孝は5万ほどの軍勢を率いて岐阜城に向かっており、昨晩は大垣城に泊したようですな。今頃は岐阜城にたどり着いていても、不思議ではありません」


 その正確な情報に、信包は驚く。

 そんな信包を見抜くように、


「伊賀者からの報告です」


「さすがは徳川殿。良い忍をお持ちだ」


「いえいえ、それほどでも」


 家康もまんざらではなさそうに笑った。

 和やかな雰囲気の中、軍議がはじまる。


「某から、意見をよろしいですかな?」


 織田家の、土方雄久がまず口を開いた。


「どうぞ」


 家康の了承を得て、雄久が話し始める。


「某は、犬山城の奪還を提案いたす」


「ほう……」


「信孝の軍勢は、もういつ岐阜城に到達してもおかしくありません。幸い、徳川殿の軍勢が来た事によって我らの総勢は3万を超えました。岐阜からの後詰を計算に入れても、信孝の兵がまだ来ていないのであれば、十分に戦える数字かと」


「某も土方殿に賛同します。信孝の本隊が到着する前に、犬山城を奪っておけば安土方の軍勢が再び木曽川を超えるのは困難にあるかと」


 本多忠勝もその意見に賛同する。

 次いで、信雄家臣の丹羽氏次も続く。


「そうですな。現状、我らは徳川殿の軍勢と合わせて3万5000。犬山城に籠る敵勢の7倍にもなります。犬山城を奪還するのは不可能ではないかと……」


「しかし、犬山城の攻撃に手間取れば、信孝が急いで木曽川を超えて後詰に来るかもしれん。攻城に手間取れば、信孝勢とまともにぶつかる事になるのだぞ。信孝の軍勢はおよそ5万、岐阜城の池田恒興の軍勢は5000だ。十分な脅威となろう」


 井伊直政が慎重な意見を口にする。


「うむ。その間に信孝の本隊が来れば目も当てられませんな」


 本多正純も直政に賛同した。


「……」


 不仲にある、正信の子である正純が自分の意見に反対したとあって、忠勝の視線に剣呑な色が浮かぶ。

 それを素早く感じ取った直政が、話題を転じた。


「それで、御屋形様の意見は?」


「……ふむ」


 家康は腕を組み、考え込むような仕草をする。


 実のところ、犬山城攻めには反対だった。

 犬山城攻めが成功した場合のメリットと、失敗した場合のデメリットを冷静に計算した結果、そこまで危険を冒してまでするべきではない事だと判断していた。


 が、自らお気に入りの直政や正純の意見に賛成したとあっては、彼ら忠勝らの間に溝を生みかねない。

 それに、犬山城攻めを提案した土方雄久にもだ。


「直政」


「……はっ」


 名前を呼ばれた直政がかしこまる。


「儂に意見を求めるのは間違っておろう」


 ここで、直政にしか分からないような小さな仕草で合図を送る。それだけで、直政は家康の言いたい事を察したようだ。


「……そうでしたな。これは失礼を」


 と軽く謝罪の言葉を口にした後、


「犬山城は、信雄様の領国。そして、信包様が現在はその代理として尾張を守護しておられる。ならば、それを決断されるのは信包様でした」


「わ、儂か……」


 急に名前を呼ばれた信包が驚く。


「ううむ……」


「信包殿」


 そんな信包に、家康は優しげな口調で諭すように言う。


「遠慮なさる事はありませぬぞ。当家は信包殿の決断を尊重致しますぞ」


「うむ……」


 信包は暫し黙っていたが、やがて。


「ここは出るべきではないと思う」


 と言った。


「信包様っ!」


 いきり立つように、犬山城攻めを提案した雄久が腰を浮かせるが、信包はそれを手で制した。


「静まれ」


 こほん、と軽く咳払いをしてから信包は続ける。


「今はまだ、危険を冒すべき時期ではない。機が熟すのを待つのだ」


「しかし」


「信包殿の意見に従いましょう」


 口を挟みかけた、雄久の言葉を家康が遮る。

 その一言で、決定となった。


 両軍の大将である二人が同意見とあっては、覆しようがない。

 反対意見は消え、徳川・大坂織田連合軍は即時の犬山城攻めを諦め、持久戦を選択する。

 濃尾国境に多くの砦や塁を築き、強固な防衛線を張る事にした。


 やがて、織田信孝軍が4万の兵を引き連れて岐阜城に到着する。

 こうして、信孝率いる安土織田軍と徳川・大坂織田軍の対峙が濃尾戦線で始まったのだった。

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