67話 北陸戦線2
越後上杉家当主の、上杉景勝は1万5000の兵を率いて春日山城を経った。
大坂方に着く事を鮮明にした上杉家は、素早く越中に侵攻した。
羽柴秀吉から、「安土方の城は切り取り次第」と書状を受け取っており、景勝の胸は踊っていた。
……ようやくだ。
景勝には、万感の思いがある。
苦難の果てに、家督を継いだと思ったら織田軍の北陸侵攻だ。
すでに、抵抗する力を失っていた。
屈辱に塗れ、織田や格下だと侮っていた徳川に這いつくばって家名を残した。その後、関東征伐や九州征伐、朝鮮征伐などにも従軍し、必死に織田に忠実である事を示し続けた。
それというのも、いずれこのような好機が訪れると期待していた為だ。
まぎれもなく、領国拡大の機会が景勝に訪れたのだ。
軍議の席でも景勝は上機嫌だった。
「ようやくですな。殿」
直江兼続が、ふっふ、と笑う。
「無論だ。この日の為に、我らは忠実に織田に仕え続けて来たのだからな」
普段、あまり表情の変化を見せない景勝であったが今日は分かりやすく喜色が浮かんでいる。
「さて、ここに羽柴秀吉からの書状がある」
ぱさり、と景勝は手元から書状を取り出した。
兼続も、それにはすでに目を通している。
が、さして景勝と近い立場にない家臣にとってははじめて見るものだった。
「安土方についた大名の領土は切り取り次第、とある。我らの周りで安土方についたのは出羽の最上義光を除けば、ほとんど全てといっていい」
「ですが、当面の目標は越中となりますな。越中は元々は、我らの領土ですし。しかも、その越中を治める柴田勝家は、兵の大半を引き連れて上方におり、留守兵はほとんどおりません」
兼続が傍らから言った。
越中は、上杉領だった時期もあるが、本能寺の変以降に上杉が織田に従属した際に織田家に召し上げられた。
その後、佐々成政が治めていたが九州征伐が完了した後に成政は筑後へと加増転封された。
それ以降は、柴田勝家が治めている。
「だが、前田利家や金森長近はどうするのですか? 奴らは安土方として挙兵しております。越中の城を我らが攻めれば、その後詰に駆けつけるは必定かと」
家臣の一人が質問した。
能登・加賀を領する前田利家と飛騨を領する金森長近は安土方だが、大坂攻めを行うべく京の都にいる柴田勝家に同行していない。
両名合わせて、2万ほどの軍勢がいまだに国元にいた。
「確かに、厄介ですな」
兼続が言った。
「当面の敵は、前田勢と金森勢という事になりましょう。ですが、両名は周り一帯が安土方である事と、柴田勝家が安土方の重鎮という事で安土方に組したに過ぎないようですし、戦意は低いようです。奴らの領国に手を出さない限り、積極的に戦おうとはしないでしょう」
上杉もまた、各地の情報を収集しており、前田利家や金森長近に関する情報も集まっていた。
それゆえの、判断である。
「とはいえ、越中攻めが長引けばいずれは駆け付けるやもしれんが」
「ならば即、片付ける事しましょう」
兼続が言った。
上杉軍が、魚津城攻めを開始したのは越中侵攻とほとんど同時期だった。
兼続が言ったように、柴田勝家の兵の大半は勝家と共に畿内にいる。
そのため、留守兵は少ない。
その魚津城を、上杉軍は攻めた。
元々、魚津城は上杉の属城だった時期もある。
構造もよく分かっているのだ。
城は、わずか3日で陥落。
その間に、北陸の安土方の援軍が来る事はなかった。
兼続の予想通りの事である。
「あっけないものよのう」
景勝は上機嫌な様子で、魚津城に入った。
もちろん、これほどの好機に城一つで満足する気はない。
この騒乱が集結するまで、少なくとも北陸一帯を切り取りたいという思いがある。
この魚津城を拠点に、本格的に越中制圧を考えはじめた時に報告が入った。
ここで前田利家は能登小丸山城、金森長近は飛騨鍋山城から出兵した。
前田利家の引き連れた軍勢は、1万2000。金森長近の軍勢は、1万。
両名が合わされば、2万を超える大軍だ。
無論、それで諦めるような景勝主従ではない。
この北陸勢への対応策を議論している際に、さらなる報告が入った。
――大宝寺義興、最上義光から離反。安土方につく事を鮮明。
「ほう……」
その報告に、景勝・兼続主従は強く興味を示した。
大道寺義興は、大坂方の最上義光の与力だ。
元々は、独立した勢力だったのだが織田信忠の東北仕置の際に、信忠の裁定によって義光の与力という扱いにされてしまったのだ。
その事に、義興は大きな不満を抱いていた。
何せ、義光は先代当主であり義興の兄でもある大宝寺義氏を討った仇敵でもあるのだ。
だが、信忠の力は絶大。
蘆名や葛西のような、大大名ですらあっさりと取り潰されたのだ。下手な抵抗は命取りだと悟った義興は信忠の裁定を受け入れた。
しかし、不満は今もなおくすぶり続けていたのだ。
そんな中での、織田信孝の決起である。
上杉同様に、好機であると義興は奮い立ち、義光からの独立を決意し、安土方に着く事を鮮明にしたのだった。
「大宝寺もまた、大胆な事を」
「義光は、木村勢と対峙しておりますからな。大兵は動かせないとふんだのでしょう」
「会津の蒲生が参戦すれば、最上も危ういしの」
現状、会津の蒲生氏郷は中立を保っていた。
信忠と信孝では、信忠よりの氏郷だったが安土方の大義名分に「キリシタンの保護」を掲げている安土方と敵対したくないという思いもあるのだろう。
未だに領国から兵を動かさずにいたのである。
「しかし、庄内地方か……」
しばしの沈黙の後、短く景勝に聞いた。
「とれるか」
その言葉だけで、兼続はすぐに理解した。
「今ならば、確実に」
「そうか、とれるか」
景勝の顔に、喜悦の表情が浮かぶ。
彼らは、庄内地方への侵攻を決断したのだ。
大宝寺が、安土方につく事を鮮明にした以上、庄内地方は立派な敵地だ。「安土方の切り取り次第」のお墨付きを貰っている景勝が奪ったところで何の問題もない。
旧領である、越中の地も魅力だが港を持つ豊かな庄内地方もまた、景勝の領土欲を刺激するには十分な土地だったのだ。
しかも、前田・金森勢2万を相手にする必要のある越中戦線とは違い、庄内地方に大兵を回す余裕は義光にはない。
せいぜいが2、3000ほどだろう。
その程度の軍勢であれば容易に蹴散らして庄内地方を制圧する事も不可能ではないのだ。
「しかし、前田や金森への対応はどうする?」
「5000も残せば十分でしょう。彼らの戦意は低いかと」
「それもそうよな」
景勝も頷いた。
かくして、魚津城には5000ほどの留守兵が残り、景勝は1万の軍勢を引き連れて一旦、越後へと帰国。
その後に、大宝寺領へと侵攻を開始した。
上杉軍1万が、越後に帰国した頃。
前田利家率いる前田軍と金森長近率いる金森軍は富山城で合流していた。
越中の地に元々いた、柴田勝家の軍勢は精々が3000ほどだったが、前田軍1万2000と金森軍1万が加わった事により軍勢は2万5000ほどに膨れ上がった。
一方の上杉軍は越後へと撤退していた軍勢1万を除くと、5000ほどにまで減じていた。
だが、奪ったばかりの魚津城に大量の兵糧を備蓄してあった。
しかも、魚津城は北と南は川に、西は海に守られる天然の要塞だった。
数倍の戦力でも攻略に苦慮する。
その魚津城の奪還について富山城で軍議が開かれていた。
前田利家、金森長近、及びに前田家臣団、金森家臣団が大広間に集っている。
「さて、皆も者の意見を聞きたい」
利家が言った。
「上杉軍は、本当に撤退したのですかな?」
利家家臣の、長連龍が言った。
「それは、間違いありませぬ。景勝以下、1万の軍勢が撤退した様子です」
越中に残留している柴田家臣団の代表格である、土肥親真が言った。
彼は、元上杉家臣であり織田軍の北陸侵攻の際、勝家に下り以後は柴田勝家に仕えていた。
元主家が相手とはいえ、特に気負いはないようだった。
「とすると、魚津城に籠るのはおよそ5000か」
利家は、顎に手を当ててうーむ、と唸った。
「こちらは、2万5000。力攻めも不可能ではないが……」
長近もまた、複雑そうな顔つきだった。
「そうよな、魚津城は堅城でもあるし」
利家はうむ、と頷いていった。
まともに攻めたのでは、相当な犠牲を覚悟する必要がある。
「しかも我らに、水軍衆はないのだぞ。海から攻め寄せる事はできん」
長近の声は苦々しい。
「そうよのう……」
利家の顔が歪む。
実のところ、彼は魚津城攻めに積極的ではなかった。
彼は、勝家に恩義を感じている。
だが、だからといって今回の決起に必ずしも賛同しているというわけではないのだ。それに、大坂方の重鎮・羽柴秀吉は彼と昵懇の間柄でもあるのだ。
長近もまた、心情的には決して安土方というわけではない。
勝家に近い立場にいた為、なし崩し的に安土方に組み込まれただけだった。多大な犠牲を払ってまで、城攻めをする気がしない。
そんな両名の思惑が重なり、なかなか力攻めの断を下せずにいた。
家臣団の同様だった。
主君の思いを知る、両軍の家臣団は積極的な攻撃案を出そうとしない。
そんな中、親真だけが積極案をとるが多勢に無勢だ。
2万2000を率いる前田、金森両名とその家臣団と、わずか3000ほどの軍勢しか持たない柴田勢だけでは両名の意見を覆す事はできなかった。
結局のところ、2万5000の軍勢で魚津城を包囲。
当面は、それだけという事になり軍議はしめられた。




