64話 北陸戦線1
「どうやら、皆、儂を取り込みたいようじゃのう」
越後――春日山城。
その一室で、上杉景勝と直江兼続は密談を行っていた。
安土方、大坂方から送られた書状が手元にある。
「安土方は、味方すれば最上義光と伊達政宗の領土を。大坂方は、安土方の領土を切り取り次第、ですか」
兼続は書状を読み終えてから、言う。
「しかし、秋田や南部らの動きも読めませぬゆえ、迂闊にはできませぬな」
最上と伊達を除く奥羽勢の大半は、中央から離れているのをいいことに日和見を決めこもうとしているようだった。
もし、上杉が最上や伊達に助勢するような事態になれば状況は大きく変わる。
「どう思う、兼続」
景勝が訊ねた。
「難しい問題ですな」
兼続が腕を組んで答える。
「しかし、考えるのが楽しい問題でもあります」
「そうよな」
くくく、と景勝が小さく笑う。
「織田に勝てぬと悟り下った際は、いずれまた好きに領国を切り取れるようになる時代が来ると信じておった。が、結果は違った」
「あんなにもあっさりと、織田が天下一統を成し遂げるとは思いもしませんでしたなあ」
当時の事を思い出したのか、兼続が苦々しい顔を浮かべる。
「だが、それでも儂らは待ち続けた」
「関東征伐、東北仕置、九州征伐、そして朝鮮への遠征。これらの命令を信忠の命令に従い、従い続けました」
「ようやく、それが報われようとしておる」
じっ、とここで景勝は二通の書状を見比べる。
「ついに、儂らの望んだ乱世が戻ってきた」
「これで、ようやく好きに領土が切り取れますな」
ふっふっふ、と兼続も愉快そうに笑う。
「だが、問題はあるな」
「はい」
「着く方を間違えれば、当然破滅だ。命は助かっても領土は大幅に減らされよう」
領土に対して強い執着を見せる景勝からしてみれば、領土を減らされるなど身を切り裂かれるよりもつらい事なのだ。
「それだけは、避けねばなりませぬな」
「避けねばならんな」
景勝は言う。
「どちらが有利だと思う?」
「現時点は、六・四といったところですな」
「どっちが六だ?」
「安土方です」
兼続は答える。
「大坂方は、西国の大名が中心です。我らのように、東国の大名は自領に戻っておりますが、西国勢の大半は名護屋か朝鮮にいます」
「名護屋城が乗っ取られた今、朝鮮半島に残っている連中もすぐには戻って来れんであろうな」
「名護屋城に籠る明智光秀がいつまで粘れるかは、読みかねます。ですが、後詰の見込みがない以上、そう長くはないでしょう。名護屋城は堅城。光秀も、名将。半年ぐらい粘る可能性はありますが、人数に差がありますし、早ければ一ヶ月ほどで落ちてしまうかもしれません」
「すると、そろそろ陥落してもおかしくないということか」
この時点で、名護屋城の奪取劇から既に三週間ほどが経過していたのだ。
無論、越後の地から遥か遠方である肥前の名護屋城の情報などすぐには入ってこない。幾分か、遅れて景勝らは知る事になっていた。
「そうですな……。ですが仮に、名護屋城を奪い返してもすぐに朝鮮の遠征軍が全軍大返し……とはいかんでしょう」
「しかし、羽柴秀吉はかつて中国地方の毛利輝元と和議を結び、神速の大返しをした事があったではないか」
「本能寺の変ですか」
「うむ」
「その時とは状況が違いすぎます。あまり参考になりませぬな」
兼続が言った。
「あの時は、毛利家は信長が健在だと信じており、あのまま続ければ毛利領の全てを飲み込まれかねない状況でした。当時の我らと同じように」
「……うむ」
当時の苦境を思い出したのか、景勝の顔にも苦いものが浮かぶ。
「ゆえに、多少疑わしい状況であっても羽柴秀吉と和睦する事が急務でした。しかし、明や朝鮮は違います」
兼続は続ける。
「今なお、意気軒昂であり、信忠公が存命だった頃も和睦案をはねのけていたそうではありませぬか」
「しかし、和議が結ばれる事になっていたではないか」
「信忠公の死や、安土方の決起はいつまでも隠し通せませぬ」
兼続は首を横に振って応えた。
「和議を結ぶはずだった、織田信忠が死んだ以上は当然、和議は流れるでしょう。それに、ここまで派手な大戦になった以上、安土方との戦いが気になるから朝鮮から撤退させてくれなどといったところで、朝鮮が納得してくれるとは思いませぬ。かの地には我らを怨んでいるものも少なくないでしょうからなあ」
その一因が、上杉軍の乱取りにあり、それを兼続も黙認していたのだが、そんな事はまるで気にしている様子はなかった。
実に太太しい。
だが、景勝もそれを咎めようとはしない。
兼続のこういった性格を、乱世を生きるものとしてはむしろ頼もしい事だと思っていたのである。
「となれば、撤退も容易ではありますまい。名護屋城を奪還して、朝鮮から全軍を撤退して……と、これだけでかなりの時間を擁しましょう。九州の島津の動向は未だよく分かっておりませぬが、少なくとも島津歳久と、筑後の佐々成政、それに豊後の大友吉統は安土方のようです。彼らも撃破、少なくとも九州の地に抑え込んでおく必要があります」
通いて、と兼続は続ける。
「四国では土佐の長宗我部元親は、嫡男の信親が信忠公と共に海の藻屑となってしまって以降は腑抜け状態になっているようですが、安土方には変わりません。伊予や阿波は、大坂方の羽柴秀吉や毛利輝元の勢力圏。これらとぶつかる事になるでしょう」
「讃岐の丹羽長秀は?」
「これまで動向不明でしたが、どうやら大坂方として戦うようです」
「うむ」
兼続の言葉に、景勝は頷いた。
「中国地方の大半は、羽柴秀吉や毛利輝元、宇喜多秀家といった大坂方ですが、彼らの軍勢は先ほどいったように海を隔てた先にある朝鮮の地――そう簡単には戻ってはきませぬ」
続いて、と兼続は続ける。
「畿内の情勢は、今のところ大坂城に1万ほどの軍勢が籠っております。それに、秀吉の援軍も。その大坂城に、織田信雄と彼に近い立場の武将達を除いた大半は安土方に組し、大坂城攻略を目指して軍勢を進めております」
「大坂城は大丈夫なのか?」
「大坂城は、小田原城以上の天下無双、金城湯池の城。そう簡単には落ちないでしょう」
ですが、と兼続は言う。
「有力武将の大半は、名護屋や朝鮮。今、大坂城に残っている武将だけでは厳し戦いになるやもしれません。城主の秀信も未だ10歳と若年ですし」
「徳川家康はどうでると思う?」
「秀吉に次ぐ、大坂方の大物ですな。おそらく、尾張を領する織田信雄と連携して濃尾国境に軍勢を進めるでしょうな」
「岐阜城は、織田信孝の城であるしな」
「はい。美濃の地を奪えば、安土方は一気に傾きます。ですが、信孝もそれは十分に分かっておるでしょうし、岐阜にそれなりの軍勢を配置しましょう」
「だが、家康は東国一の戦上手と評判だ。信孝が勝てるのか?」
「家康がいかに戦上手といえども、十分な兵を集める事ができないでしょう」
「関東か?」
景勝が聞いた。
「さすがは御屋形様ですな。鋭い」
「世辞は良い」
満更でもなさそうに景勝はふふ、と笑った。
では、と兼続も続ける。
「上野松井田城にて北条再興を掲げ、北条氏直が挙兵しており相当な軍勢が集まっております。家康も放任できず、これに対処せねばならでしょう。信濃も安土方ですゆえ、こちらにも軍勢を向ける必要があります」
「では、家康は大軍を動かせないと?」
「おそらくは1万数千。せいぜいが2万ほどですな。信雄と合力しても、せいぜいが3万数千。一方、信孝は10万以上の兵を集めております。大坂攻めに、それなりの人数を割くでしょうが。それでも相当な数を濃尾国境に回せます」
「なるほど。いかに、家康が戦上手といえども互角以上にやりあえるというわけか」
景勝が納得したように頷いた。
「――以上の情報から吟味した結果、安土方が六、大坂方が四と考えました」
兼続がまとめるように言った。
「参考になった」
景勝が短く言う。
「それでは、兼続は安土方に着いた方がいいという考えか?」
「それを決めるのは、御屋形様です。しかし、某は大坂方に着く事を進めまする」
「ほう……それはまた、何故じゃ?」
「御分かりの癖に」
くっくっく、と兼続が笑う。
「安土方の方が、御屋形様の倒したい相手が揃っておりましょう」
「……」
その言葉に、景勝は押し黙る。
「図星ですか?」
「まあ、な」
景勝は目を逸らした。
「何度も過去に争った、北条の残党。それに、織田の旧北陸勢。彼らは、安土方に組しておりますからな」
「……うむ。確かに、それも理由ではあるな」
「最初から、決めておいでだったのでしょう」
兼続の言葉に、景勝は小さく頷く。
「兼続の申す通りよ。確かに儂は、奴らと同陣するような真似はしたくなかった」
「やはりそうですか」
「待て話は終わっておらん」
と景勝は続ける。
「だが、それだけではない。儂は奥羽の山奥の領土よりもかつて謙信公が領していた越中や能登が欲しいのだ」
景勝は言った。
全盛期の上杉謙信は、織田信長の討滅を大義名分に大遠征を実施。
手取川の戦いで、柴田勝家率いる織田軍団を叩きのめして領土を拡大した。この時の上杉の領土は越中や能登、加賀の一部なども加えて北陸一帯を支配をする巨大勢力にまでのし上がったのだ。
無論、これはあくまで一時的なものであり領国化はほとんど進んでおらず、謙信の死後に勢いを取り戻した柴田勝家率いる北陸方面軍により一気に戦線は縮小。
本能寺の変の際には、越後一国を保つのがようやくという状況だった。
それだけに、謙信存命時に領していた越中や能登の地に景勝は執着していた。
「前田利家や金森長近は、安土方だ。奴らを倒せばその領土が手に入る」
柴田勝家と近い立場にいた、前田利家や金森長近はごく自然な流れで安土方と組みこまれてしまっていた。
安土方の領国切り取り次第の許可が出ている以上、前田や金森の軍勢を打ち破れは自然とその領土は上杉家のものとなる。
「なるほど、確かにそれも魅力ですな」
兼続も納得したように頷いている。
「ではもう、これ以上の議論の必要はないな」
景勝の言葉に兼続も頷く。
「某にはありませぬ」
「うむ。それでは」
一呼吸おいてから、景勝は続ける。
「我ら上杉家は――大坂方に味方する」
こうして、上杉家は大坂方に組する事が決まった。




