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乖離戦国伝  作者: 藍上男
第3部 天下の分裂
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60話 北条旧臣

 伊豆――韮山城。

 徳川家が、駿府城で軍議を開いていた少し前の出来事。


 北条家四代目当主・氏政の弟であり五代目当主・氏直の叔父にして、北条一族の重鎮だった北条氏規の居城である。

 織田信忠による、関東征伐の後も家康の幼馴染という点が考慮され、命のみならず領土も安堵され今なお韮山城の城主として残っていた。


 が、今現在主君と仰ぐのは甥の氏直でも今は亡き兄の氏政でもない。

 北条家ですらない。


 徳川家であり、徳川家康である。

 かつて、幼年期を過ごした駿府時代に家康とは親しい間柄だった。桶狭間の戦い、そして家康の岡崎城への復帰、三方ヶ原の戦い、そして天正壬午の乱と徳川家と北条家の関係が目まぐるしく動きながらも家康との関係は変わらなかった。

 そして今は、主と家臣という主従の関係にある。


 だが、それまでの交友とは別に自身の助命に尽力してくれた家康に感謝していたし、主君と仰いでいた。


 そんな中である。


 ――北条氏直、北条再興を表明。上州松井田城にて挙兵。


 織田信孝の元に身柄を預けられていた甥の氏直が、安土方の首魁である信孝からの支援を受け、北条再興軍を名乗り上野松井田城の地で挙兵したのだ。

 しかも、北条氏邦、松田憲秀、大道寺政繁といったかつての北条家の重臣達も数多くその挙兵に賛同しているというのだ。


 それを聞いて、氏規は慌てた。


 ……余計な事をっ。


 確かに、かつて繁栄を願った北条家の再興に未練がないわけではない。だが、今の氏規は徳川の臣なのだ。

 この状況下で、北条再興軍などというものが関東に出現するなど迷惑でしかない。


 氏規のみならず、徳川家に仕えるようになった北条の旧臣達はようやく新たな主家に馴染つつあるのだ。


 その徳川家から、使者として朝比奈泰勝が訪れていた。


 韮山城の一室で、二人は対峙する。


「氏規殿、此度は――」


「長い挨拶は無用」


 氏規は答える。


「御屋形様に、これを渡してくれ」


「は――?」


 氏規から、差し出された書状の意味が分からずに泰勝は困惑する。

 が、そこに北条氏直の花押が押されている事を知り驚愕する。


「こ、これは――」


「見て分からぬか。北条再興軍を称しておる、北条氏直からの書状じゃ」


「な、何と――」


 実のところ、泰勝が訪れた理由は北条再興軍を称し松井田城で挙兵した旧北条家から、この氏規に誘いの手が伸ばされていないか確かめに来ていたのだ。

 書状の一つ二つ届いているかもしれないという事は考えていたが、よもや自発的にその書状を差し出してくるとは予想外だった。


「受け取ってくだされ」


 す、と書状が泰勝に手渡される。

 一瞬、何かの罠ではないかと泰勝も警戒するも、結局その書状を受け取った。


「それで、内容は何と?」


「知らん。読んでおらんからの」


 氏規はあっさりと言った。


「よく見てみよ、封は開けておらん」


 す、と指を書状に向ける。


「だが、この時期に書状を送りつけるという事は、此度の騒動絡みとしか考えられんからのう」


 泰勝が確かめると、確かに封は切られていなかった。


「なるほど……」


 感心したように、泰勝はその書状を確かめる。


「感服いたしました。氏規殿の忠誠は、必ずや御屋形様に伝わる事でしょう」


「今の私の御屋形様は、徳川家康様のみ。北条家ではない」


 氏規はきっぱりとした口調で言ってのけた。


「そして、こちらは我ら北条の翁当てに送られたものだ」


 そういって、もう一通の書状を差し出す。

 北条の翁というのは、北条幻庵の事だ。幻庵は北条家の初代当主の北条早雲の子だ。そして、この時点では早雲の子の中で唯一の生き残りであるいわば北条一門の長老だ。

 今は、伊豆の氏規の領地で隠居生活を送っていた。


「確認くだされ」


 二通の書状を、仕舞い込みながら泰勝は尋ねる。


「では、やはり北条再興軍に手を貸す気はない、と」


「ない」


 これまたはっきりと、氏規は言い切った。


「確かに、私はかつての北条一門。兄・氏政や甥の氏直に仕えた。しかし、今は徳川家の禄を食んでいる。その徳川家に弓を引く事はありえぬ。御屋形様には、余計な心配する事なく、賊軍に誅を下す事に専念してするよう言ってくれ」






 武蔵――玉縄城。

 北条家旧臣である北条氏勝が、祖父のところを訪れていた。


 祖父の名は、北条綱成。

 旧北条の重臣であり、主だった北条家の戦の大半を潜り抜けてきた猛将である。北条家二代目当主の北条氏綱から、三代目当主氏康、四代目当主氏政、五代目当主氏直と仕え続けて来た古参中の古参である。

 既に隠居していたものの、北条旧臣での影響力は未だに強かった。


「……そうか。氏直様から、誘いの手がきておるのか」


 孫からの話を聞き終わり、綱成は言った。


「はい。かつての北条一門として、ぜひとも我らにも協力を、と」


「じゃが、今のお前の主は徳川家。徳川家は大坂方であろう。それに、北条家の再興となれば、当然今の関東の統治者である徳川家と並び立つ事になる」


「その通りです」


 氏勝は頷く。


「氏直様に味方するという事は、徳川家にも反旗を翻す事になります」


「そうなるな」


「かつて、私は織田軍が関東に侵攻してきた際、当時守っていた山中城を攻めた織田と徳川の軍勢に下りました。私が下り、北条家の家臣達を説得すれば無駄に北条家の血が流れる事はなくなると」


「確かに、結果的に考えれば織田軍の関東侵攻で北条家の血はあまり流れずにすんだ。一門で亡くなったのも、小田原城開城の際に腹を切った御隠居(氏政)様と、八王子城で討ち死にした氏照様ぐらいであった。それには、お前の働きも決して少なくなかったであろうな」


 あの関東征伐の際、氏勝は織田軍に下って以降、北条家の支城を回り、城主達に無駄な血を流す事の無意味さを解き、次々と開城させていった。

 その功績が認められたのか、新たに関東の地を治める事になった徳川家に仕える事が許されたのだった。


「ですが、徳川家にも大きな恩があります」


 旧北条家の家臣を取り込む事により、関東の統治に利用しようという思惑もあったかもしれないが、それでも家康は氏勝を厚遇していた。

 この玉縄城の城主としての地位もくれた。


「北条に味方する事は、同時に徳川家に対する不義になります」


「つまり、どちらに味方するべきか悩んでおる、と?」


「情けないと思われるかもしれませんが、その通りです」


「うむ、そうじゃのう……」


 じっと、孫の顔を見つめながらも綱成の顔はどこか遠くを見るかのようだった。


「お前も知っていると思うが儂は、元今川の家臣。じゃが、北条家、そして今は徳川家に仕えておる」


 北条綱成は、かつて今川家に仕えていた。

 だが、今川義元と腹違いの兄である玄広恵探との間で家督の争奪戦が勃発する。いわゆる、花倉の乱。

 綱成の父は、この時に玄広恵探を支持してしまった。

 これは、完全に裏目に出る。


 彼の支持した玄広恵探は敗北。

 勝利した今川義元が、見事に家督を相続した。当然、不穏分子となりえる玄広恵探派の者達をそのままにしておく理由がない。


 身の危険を感じた綱成は、北条家へと落ち延びる事になる。

 そこで、当時当主だった氏綱に気に入られ、北条姓まで与えられた。


 その後、北条家と今川家の関係は凄まじい勢いで変化していく。


 義元家督相続後は、それまでの反武田、親北条路線を一変。敵対していた武田信虎と和解する。それに激怒した氏綱は、今川家との関係を破綻させ、駿河へと軍勢を差し向ける。

 この際に、駿河の東部――河東地域を義元は失うが武田家との協調路線は崩さずに信虎の娘(信玄の姉)を嫁に貰い、武田との関係を深めた。

 その後も今川家と北条家の対立関係は続く。

 その後に行われた北条軍対反北条連合軍の戦い――河越城の戦いの際、今川家も反北条軍の支援として北条家の背後を脅かした。

 この時、当主となっていた氏康も今川家との関係再構築を考える。関東制覇を考える氏康にとって、背後を常に脅かす存在である今川家といつまで敵対関係でいるわけにはいかなかったのだ。

 今川家もまた、三河や尾張に興味を示しており、河東地域の返還を条件に北条と和睦する。

 これは、以後に武田家も交えた三国同盟に発展していく事になる。


 だが、桶狭間の戦いで義元が横死するとこの関係も再び壊れる。

 義元の死により、混乱状態になった今川領を奪う事を考えた信玄によって、駿河侵攻が行われる事になる。

 一方的な盟約破棄に激怒した氏康は、武田家と決別。

 今川と共に、駿河や遠江で武田の軍勢と戦い続けた。


 それは、遠江掛川城で今川氏真が開城し、今川家が滅亡するまで武田との抗戦は続いた。


 そんな中でも、常に綱成も北条の家臣で居続けた。


「かつての主家とはいっても、あくまで過去の話じゃ。今の主家は徳川家じゃ。旧家が再興したので、やはりそちらに着きますなどといっていては、世間の者からの失笑を買うし、主君からの信頼も得られん」


 綱成は言う。


「では、徳川家中に残るべきだ、と……」


「そうは言わん。今の儂は隠居の身ゆえな。決断するのはお主だしのう」


「……」


 氏勝は、黙り込む。

 すぐに、言うべき言葉がなかなか出てこないのだ。


「お前に北条家に未練がある事は知っておる。そして、お主を遇してくれた徳川家に恩を関しておる事も」


「……」


「だが、北条家にも徳川家にも同時に報いるのは難しい」


「……」


「関東の領国化を進めつつある徳川家にとって、北条家の再興など認められるはずがない。つまり、共存は不可能。徳川の臣であり、北条の旧臣であるお前には二つの道がある」


「二つの道、ですか……?」


「うむ。一つは無論、北条の恩に報いるべくこの城で挙兵する事じゃ」


「御屋形様に背く、と……」


「その通り。お前も、それなりに名を知られた男。お前が北条再興軍に加担するとあれば、徳川家に与える影響は決して少なくはなかろう。氏直様も、北条家の再興がなった暁にはそれなりに厚遇しよう。無論、安土方が勝ったらという但し書きがつくがのう」


「では、もう一つの道は?」


「決まっておる。徳川家の家中に踏みとどまり、北条家とはっきりと決別する道よ」


 強い視線が、綱成から氏勝に注がれる。

 氏勝は思わず目を逸らしたくなる。だが、辛うじて視線を外さなかった。


「無論、その場合は北条家は敵。徳川家に忠誠を示すため、北条家の者達と戦う必要がある」


「……それはそう、でしょうな」


 氏勝も頷く。

 徳川方に踏みとどまれ、関東に所領を持つ氏勝は間違いなく関東徳川軍の一員として、関東に挙兵した北条再興軍と戦う必要がでてくる。


「だが、どちらを選んでもどの道危険は伴う」


 綱成の表情が厳しいものへと変わる。


「北条家について、大坂方が勝利すれば破滅。徳川家について、安土方が勝利すれば破滅。それは間違いない」


「それはそうですが……」


「無論、勝てば問題はない。勝つ方につけば破滅どころか栄達が望める」


 しかし、と厳格な表情のまま綱成は続ける。


「……じゃが、最悪なのはどちらも選ばぬ道じゃ」


 綱成は言う。


「いざという時、日和見を決め込む表裏者……そのような評判が経ったものなど北条家の御当主様も、徳川家の御屋形様も厚遇する事はありえぬぞ」


「…………」



 結局、氏勝は翌日に決断を下した。

 それは、徳川家に留まり、大坂方として北条再興軍と戦う道だった。

 こうして、北条氏勝も徳川家の一員として安土方と戦っていく事になる。

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