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乖離戦国伝  作者: 藍上男
第2部 大陸への挑戦
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51話 信忠帰国

 釜山城。

 小西行長からの報告を受けた織田信忠は、悩んでいた。


 ……明め。朝鮮の半分を寄越すから予に野心をおさめろと言う気か。


 先ほど、小西行長と沈惟敬を通して来た明国からの提案を受けての感想である。


「……」


 苛立った様子で、信忠は頬杖をついている。

 小姓達は、先ほどから不快そうな表情をしている信忠に近づく事すらできない。

 信長の面影が強く出るようになった、今の信忠の機嫌を損ねれば、どのような折檻を受けるか分からないからだ。


「むぅ……」


 信忠は唸りながらも、思考を進める。


 ……だが、このままでは埒が明かん。


 朝鮮の絵図、それに各地から送られてきている報告書を見つめる。


 ……一時ほどではないにせよ、未だに義勇兵を名乗る不埒者の騒ぎは収まっておらん。


「弥助」


「ハイ」


 傍らに控えていた、弥助に指示を出す。

 顎をかすかに信忠は動かす。


 驚いた事に、それだけで弥助は何を求めているのか察したようだった。


 朝鮮の絵図を何のためらいもなく選ぶと、それを信忠に差し出した。


「将棋の駒を持ってこい」


「は?」


 怪訝そうに言う小姓を信忠は睨んだ。


「将棋の駒じゃ。予の言葉が分からんのか」


「は、はいっ」


 冷たい視線を注がれた小姓は、慌てて外に飛び出し、やがて将棋盤と駒を持って戻ってきた。

 それを見て、信忠は冷ややかに言う。


「予は将棋の駒としか言っておらんが。何故、将棋盤まで持ってきた」


「は、は……申し訳ありません」


 慌てた様子で、小姓は平伏する。


「まあよい」


 それだけ言うと、小姓の事など関心がなくなったのか、将棋の駒をいじりだした。


 王将を取り出す、釜山の位置に置いた。

 そして、王将を釜山の位置に。

 玉将は、この時点で朝鮮国王である宣祖のいる平壌の位置に置いた。


 それ以外の大駒を、朝鮮八道の各地に置く。

 そして、歩の駒をその大駒を囲むように置いた。


 ……これが、今の状態よな。


 織田軍の大駒達の動きを塞ぐように、大量の歩兵に囲まれている。


 ……何とかする必要がある。


 そう思った信忠は、北端部にある駒を掴むと、それを南端部へと戻した。


 …………。


 ……やはり、これしかないか。


 思考を終えた信忠は、唇を動かした。


「加藤清正を呼べ」


 この時期、本格的に朝鮮の南端部制圧を考えている信忠によって加藤清正ら第四軍の一部の軍勢を釜山へと戻らせていた。


 その清正が、入室してくる。


「……お呼びでしょうか」


 清正がじっとこちらを見つめている。

 礼を失するというほどではないにせよ、他の織田軍将校と比べると信忠や織田家に対する敬意の念は薄い。

 羽柴秀吉によって育てられた彼らは、織田の家臣というよりも羽柴の家臣という認識が強いのだろう。


 が、それに気にする事なく信忠は言った。


「咸鏡道の制圧、それに北の地への遠征、ご苦労であった」


「はっ」


「だがな、清正よ。申し訳ないが」


 その言葉で、清正の瞳に警戒の色が浮かぶ。

 彼も、現状はよく理解している。

 それゆえに、信忠が何を言うのかも察しているのだろう。


「咸鏡道にいる軍を撤退させてくれ」


「……」


「予は、明と和議を結ぶ事にした。南四道の割譲が条件だ。その為には兵がいる。北の地に大軍を逗留させておくわけにはいかん」


「……」


「それに、そちの捕縛した王族も解放する必要があるがよいな」


「……上様の命令とあれば」


 清正は、そう答えた。

 しかし、肩は震え、言葉もいくらか不満の色が感じられた。


 ……まあ、無理もないか。


 清正は、この戦役で大戦果をあげた。

 にも関わらず、その成果を放棄するような和議を結ぼうと言っているのだ。


 織田軍の北端部からの撤退も、清正の捕縛した二王子の解放も、彼の功績を否定するととられかねないものだった。


「ところで、和睦の条件にもあった朝鮮の二王子に無礼を働いてはおらんだろうな」


「丁重に保護しておりました。漢城に送り届けて以降の事は、某の管轄を外れておりますゆえ分かりませぬが」


 清正は答える。

 それは事実だった。

 順和君・臨海君ら二王子を清正は厚く保護していた。彼らのみならず、彼に付き添って逃亡していた朝鮮の高官も同様である。

 敵であっても、高貴な生まれである彼らに清正は礼を失しる事なく接していたのだ。


「それは良かった。後で、我らの待遇が悪かったのだと文句を言われては敵わんからのう」


 そういって信忠は苦笑する。


「ご苦労であった。下がっておれ」


「……はっ」


 清正が下がると、再び信忠は思考にふける。


 ……清正も一応は納得した。これで、明との和議はなる。朝鮮単独であれば、朝鮮に残った者達で十分に対処できる。予もそろそろ帰国せねばならん。予想以上に、この地に長居しすぎた。


 ……だが、予が帰国する前に最後の手土産が欲しい。


 ……もう一つ、もう一つ戦果を手にしてから帰国する。


 近習に命じ、朝鮮の地図を持ってこさせる。

 慶尚道を中心とした、周辺の地図だ。


 ある一点に、信忠の目が集中する。


 ……やはり、ここじゃな。


 信忠の目は、「晋州城」と書かれた箇所に釘づけになっていた。






 数日後、再び晋州城を目指して織田信忠率いる大軍を出立した。

 織田信忠を総大将に、細川忠興、黒田長政、蜂須賀家政、羽柴秀勝、前野長康、加藤清正、浅野幸長ら総勢7万の大軍勢だった。


 浅野幸長は、姫路城に留守役として残っている羽柴家の重鎮・浅野長政の子であり、これが初陣となる。


「加藤殿、これが戦場の空気でござるか」


 軍議の席で、幸長は発言した。


「うむ。貴殿も早く慣れるがよい」


 先輩格である、清正が答えた。

 信忠の決定に、少なくない不満を抱いてはいるが長政の子であり後輩格である幸長の前でそのような不満を顔に出す事はなかった。


「それで、どう攻めるのですかな?」


 幸長は訊ねた。


「この晋州城の石垣はあまりにも険しい」


 前回の晋州城攻防戦にも参加した、細川忠興が苦々しげな顔つきになって言った。


「そうですな。これを落とすのは相当な骨ですぞ」


 幸長も言う。


「心配されるな、両名とも」


 不敵な笑みを浮かべていたのは、黒田長政である。


「今回は、秘密兵器を用意してある」


「黒田殿、秘密兵器とは何でござるか?」


「去年の戦いの後、加藤殿に相談して作り出した秘密兵器でござるよ」


「加藤殿が……」


 皆の視線が、加藤清正のところへと注がれる。

 自身の功績を否定されるような撤兵命令が出ている事から不機嫌なのかと思いきや、意外にもそれは吹っ切っているようだった。


「うむ。去年の末に、相談を受けた際にわしが案を出した」


「それで、秘密兵器というのは?」


 幸長が怪訝そうに聞いた。


「亀甲車、というべきものでござるよ」


「亀甲車、でござるか?」


「うむ。奴らが亀の甲羅のように中を守る船を作っていたように、こちらも亀の甲羅のように鉄と牛の生皮で覆い、投石や火矢による攻撃も防ぐ物でござるよ」


 ふふふ、と清正は笑った。


「前年の戦いでは、投石攻撃に苦戦したと聞きましてな」


「うむ。あれは……」


 忠興が苦い顔を浮かべる。


「亀甲車は、竹束や持盾などとは比べ物になら固い守りでござる。それで敵の攻撃を防ぎ、なおかつ城に近づく事ができるしろものでござる」


「ほぅ……」


 他の諸将も感心を示している。


「なるほど。そのようなものがあれば、行けるかもしれませぬな」


「うむ」


 やがて、諸将も納得した様子で晋州城の攻略戦は始まった。



 清正考案の亀甲車は、思いのほか効果をあげた。

 投石による攻撃を防ぎ、火矢などによる攻撃も防いで城に近づく事ができる。

 山城が多い日の本では、運用の難しい亀甲車だが、平城であるこの晋州城相手には極めて有効な兵器だったのだ。


 城壁に取りつく事に成功した亀甲車は、城壁を壊し始める。

 晋州城の守りに、絶対の自信を持っていた中の籠城兵達の間にも動揺が走る。


 長政や、清正の声が戦場に響く。

 咸鏡道平定の功績を否定されたに等しい、清正にとっては他の場所で功績を立てる必要がある。

 それだけに、必死だった。

 長政も、孝高の崇拝者ともいえる家臣団に力を示す必要があった。


 前回、屈辱的敗戦の当事者である忠興も、この戦いで意地を見せる必要があった。


 いずれにせよ、その凄まじい織田軍の攻撃の前に晋州城は遂に陥落した。

 前回の恥辱を帳消しにする勝利であり、全羅道へと進む、大きな一歩である。


 織田軍の間で、歓声があがった。


 晋州城の攻略に成功した織田軍は、留守兵を残してそのまま釜山へと凱旋した。



 その報告を、信忠は上機嫌で受け取っていた。


「よくやった。これで、堂々と予は名護屋に戻れる」


 そう言って、信忠は攻城戦に参加した諸将を褒め称えた。



 そして、漢城から呼び寄せていた羽柴秀長と対面した。

 秀吉、そして信忠が朝鮮から去るとこの秀長が事実上の遠征軍総大将という事になる。


「明との和睦の話は既に聞いておるな」


「はっ」


 秀長が平伏して答える。


「これで、明は援軍を出さない来ない事を確約した。その条件を履行させる為に、未だに北に出っ張っておる鍋島直茂に撤兵させるよう指示を出しておけ。清正は既に了承しておる」


「承知しました」


 本来、指示を出すべきなのは龍造寺政家である。

 が、信忠も政家でなく直茂を実質的な司令官として認識しているらしい。


 秀長も特に訂正する事なく頷いた。


「直茂達の撤兵作業が終われば、半島南端部の本格的な平定作業に移る。その頃には、秀吉も戻っておよう」


「ははっ」


 秀長は頷く。


「そうなれば、そちも帰国する事になる。そちも秀吉同様、この遠征が始まった頃から半島の地にいるのだからな」


「上様の心遣い、深く感謝致します」


 秀長の言葉に、信忠も頷いた。


「予は一足先に帰っておる。よいな」


「ははっ」


 秀長は頷く。


 ……これで、この唐入りも終決の目途がついたか。


 ……明の援軍がなくなれば、半島南端部の平定もさして難しくはあるまい。


 ……北に出っ張っている清正は文句を言うかもしれんが、まあ納得してもらうほかあるまい。


 秀長は安堵すると同時に、胸中にどこか不安を抱いていた。


 ……なぜだ。何なのだ、この気持ちは。


 どこか、抱いていた漠然とした思いだ。

 そして、この思いはずっと前から抱いている。


 その思いの正体が分からぬまま、翌日となり、秀吉は信忠を見送った。


 信忠は、永楽丸に乗り、いくらかの護衛の船と共に釜山を経った。

 その数は少ない。

 朝鮮水軍を壊滅させて以降、釜山近隣の制海権は完全に織田水軍が握っているのだからある意味当然といえよう。


 信忠の乗る永楽丸の姿が、小さくなり始め、やがて完全に見えなくなった。

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