50話 朝鮮戦線15
碧蹄館の戦いが終決した後。
明からの使者、沈惟敬と小西行長は謁見していた。
儀礼的な挨拶がすまされたあと、対談ははじまった。
「平壌での件では世話になりましたな」
行長が言った。
皮肉の籠った物言いである。
以前、明との間で結ばれた50日間の休戦協定を一方的に反故にされ、平壌の地を失陥した事があるのだ。
織田家中において、その休戦を主導した行長の立場は芳しくないものとなり、白い目で見られていた。
そういった不満が込められている。
「一応、弁明をさせていただきたいのだが」
沈惟敬が言う。
「私個人としては、あの休戦協定は守る気でいた。だが……」
「だが、何ですかな?」
「強硬派の李如松の意見を抑える事ができなんだ。私も、単なる遊撃将軍に過ぎない身ですからな」
「つまり、貴方個人としてはあの約定は守る気でいたと」
「そうだ。貴殿には申し訳ない事をした」
沈惟敬は謝罪するように言う。
「……これ以上、その件で攻めても仕方がなさそうですな」
行長は嘆息する。
個人的には、もっとこの件に関して不満をぶちまけたい。
しかし、ここには使者として赴いているのだ。
「それでは、そろそろこちらの条件を言っても?」
「どうぞ」
沈惟敬が促す。
「まずは、日明貿易の復活。そして、漢城以南の南五道に加えて咸鏡道の割譲」
「つまり、平安道と黄海道を除くほか全てを差し出させろというのですか。相当に厳しい条件ですな」
沈惟敬の顔が曇った。
信忠は、落としどころとして南四道の割譲で済ます気でいた。
だが、最初から要求を南四道にしては足元を見られる。
それゆえの、強気の発言である。
「それに加え――」
行長は続ける。
「明国の皇女を、日の本の皇族の室として迎え入れる事」
「なんですと!?」
沈惟敬の顔が驚愕に歪む。
「そんな事……陛下が認めるはずがありませんぞ」
「以上の三点でござる」
行長が言う。
それから、必死に条件を緩めるように沈惟敬が訴えはじめた。
……やはり、思った通りだ。
……苦しいのは、明国も同様のようじゃな。本当に楽なのであれば、こんな要求を即座に突っぱねる。
「……そうですな。使者殿の心中はお察しする」
行長が、労わるような口調で言う。
「しかし、某にもこの交渉を任せられた責がござる。生半可に条件を緩めるわけにはいきませんぞ」
そういった後、行長は首よ左右に振り、
「そうはいっても、このような条件を持ち帰っては使者殿の立場も悪くなろう」
そこで、と行長は続ける。
「明国皇女の件は取り下げ、領土の割譲も京畿道と咸鏡道を除いた南四道といたそう」
「おおっ」
沈惟敬の顔に喜色が浮かぶ。
その条件ならば何とか、といった様子である。
「さらには、今はこちらで預かっている朝鮮国の王子達も返還いたそう」
加藤清正が捕縛した、朝鮮二王子は依然として織田軍の監視下にあったのである。
「それだけの条件ならばまだ……」
沈惟敬の顔には、安堵の色が浮かびつつある。
だが、それでもまだ不安が残っている様子だ。
……無理もない、か。
この条件を飲めば属国の危機を見捨て、領土を差し出させた事になりかねず、宗主国としての面子にも関わる。
面子を第一に考える明国としては、大きな問題になる。
「……使者殿。ここはもう、本音を出し合いましょうぞ」
行長が言った。
「正直、我が方も泥沼に突入しつつあるこの戦に異議を唱える者、不満を持つ者が出かかっております。そちらとて、朝鮮にまで遠征する負担は小さくないのでしょう」
「……確かにその通りですな」
沈惟敬もやむをえず、と言った様子で頷く。
実際問題として、数万もの兵を朝鮮まで動員した費用は決して安くない。
兵糧も十分とはいえず、朝鮮半島の村々からの「現地調達」に頼らざるを得ないというのが現状だったのだ。
精強な日本兵との戦闘になれば、人的被害も馬鹿にならない。
事実、碧蹄館の戦いの戦いで明軍は甚大な被害を出していた。
本音を言えば、日本が手打ちするというのならばそれに答え、北の蛮族に備えたいというのが本音なのだ。
「ですが、貴国の条件を我らが飲むというのも問題ですぞ。交易の復活はともかく、領土の割譲など、敗戦国のする事だ」
「……」
沈惟敬のその様子を見て、
……やはり、無理なのか。
行長の心中にも軽い失望が浮かぶ。
だが、これ以上条件を緩める事はできない。
明にも面子があるように、織田にも面子があるのだ。
そんな行長の心中を知ってか知らずか、ぽつりと沈惟敬が言った。
「……一つ、提案があります」
「何ですかな?」
「我らが負けを認める事はありませぬ」
「……」
「ですが、それでも我らも貴殿らも面子を保って終戦させる方法があります」
「それは?」
行長が興味を示した。
「信忠公には降伏していただきます」
「何ですと!?」
行長が驚愕した様子で口を開いた。
「そんな事、絶対に認められませんぞ!」
「まあ、落ち着いてくだされ。認めるといっても、あくまで建前上はの事となります」
つまり、表向きの話としてはこうなる。
日本が、明国皇帝に臣下の礼を取るべく渡海。
朝鮮半島に上陸したが、李氏王朝は日本軍を拒絶。明国へと通じる道を塞いだ。
その非礼に対する制裁として、日本軍は朝鮮軍と交戦。
それを李氏王朝は、日本軍の侵略だと宗主国である明に詐称して報告。それに激怒した、日本軍は明への忠義を尽くすために朝鮮軍と衝突した。
明は、その仲介をしたという形でこの戦争を終結させる。
つまり、全ては李氏王朝の責任。
日本も明も悪くない。
朝鮮は、その賠償として半島南四道を割譲する。
日本は、朝鮮の領土が手に入る。
明は、表向きは日本を下した事になり面子は守れる。
言い事ずくめだ。
無論、朝鮮を除いてはの話だが。
「納得しますか? それで」
「国王殿下には納得してもらうほかない」
「陛下」という敬称は、明国皇帝にのみ用いられる。
ゆえに、沈惟敬にとって朝鮮国王は一段下の「殿下」と呼ぶ相手だ。
「朝鮮が領土の割譲を大人しく飲まなかった場合は?」
「それは、我らの関知する事ではない」
「随分と勝手な物言いではありませんか」
「だが、関知する事ではないゆえ、援軍を送り込む事はない」
「……つまり、朝鮮半島南端部の切り取りを認めると?」
「そうなる。朝鮮の民が認めないというのであれば、貴殿らの判断で対処すればいい」
「むむむ……」
行長も唸る。
確かに、落としどころとしてはこの辺りが妥当かもしれない。
明国まで攻め寄せるのは現状では相当に厳しい。
ならば、この辺りで和議を結ぶほかない。
だが、明は面子に拘る国。
容易く譲歩する事はありえない。
なら、朝鮮に全ての責を押し付け、織田家にも得るものがあるこのあたりが限界だろう。
これを飲めば、朝鮮半島南端部四道の割譲は認められる事になる。
無論、朝鮮もはいそうですかと素直に納得する事はないだろう。
素直に領土を明け渡すとは限らない。
抵抗はまだ続くかもしれない。
だが、少なくとも明の援軍は出てこなくなる。
「……分かりました。その線でいくように、報告しておきます」
「良い返事を期待しておりますぞ」
こうして、小西行長と沈惟敬の交渉は終わったのである。




