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乖離戦国伝  作者: 藍上男
第1部 天下人の誕生
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4話 丹波亀山

 丹波国――亀山城。

 かつて、丹波を平定した明智光秀が居城としていた城である。

 丹波経営の本拠としても使われていた重要拠点だ。


 だが、その主である明智光秀は既に山崎の合戦で敗れ去り歴史から明智光秀の名は消え去った。

 明智は滅び、当然のことながら明智領は全て織田領として接収された。


 そして清州会議の結果、光秀討伐に功のあった秀吉にこの丹波一国が与えられる事になっていた。


 現在、多くの人間が亀山の城下を行き来している。

 多くは織田家の人間、それも丹波を与えられる事になった羽柴家の人間だった。新たな領国となるこの地の実入りや国内の様子、を調べるために、羽柴家の人間が数多く出入りしていた。


 そんな亀山城の光景を金剛秀国は眺めていた。


「――」


 光秀の与力だった彼は、丹波領内に所領を持っていたが丹波一国が羽柴領となった為に彼自身の所領は失われていた。

 が、代替地として近江領内でいくらか微増された上で改めて領国が与えられる事になっていた。


(まあ、こんなものか)


 光秀の謀反を密告した秀国ではあったが、その恩賞はさほど多くなかった。だが、彼自身はそれでいいと考えていた。


(主を売って領地を得たなどと陰口を叩かれては困るからな)


 本格的に加増を受けるのは、別の形で功績をあげてからでいい。

 秀国はそう考えていた。


 秀国の生まれは、三河国永禄3(1560)年生まれ。

 秀国の父は、今川家に仕えていた。


 だが、ちょうど秀国が生まれた年に桶狭間の合戦が勃発。

 駿河・遠江・三河の太守である今川義元が桶狭間の地に散った。


 義元という絶大な当主を失い、混乱状態にあった中、当時松平元康と名乗っていた現在の徳川家康が今川に叛逆。

 岡崎にて独立する。

 氏真も、討伐の軍勢を差し向けたものの巧みな采配の前に今川軍は敗走。

 三河において、家康の名声はあがり、逆に氏真の威信は失墜した。


 その折に、今川の将来性に見切りをつけた父は今川から離反した。

 以後、その父の見込んだ通りに家康は三河から今川勢力を駆逐。三河国主としての地位を固めた。

 が、そんな中三河一向一揆が勃発。

 松平の家臣達をも二分する巻き込んだ大騒動へと発展する。

 熱心な一向宗の門徒でもあった父は、一向一揆側についた。

 が、結果は敗北。謀略や武力を持って家康は、一揆勢を鎮圧。三河一国を再度固め直した。

 一揆側についた松平家臣達は、渡辺守綱や夏目吉信のように帰参した者も多かったが本多正信や加藤教明(加藤嘉明の父)のように出奔した者もそれなりにいた。

 秀国の父も、そのうちの一人だった。


 浪人となり、しばらくは斎藤家に仕えたもののその斎藤家もすぐに滅んだ。

 斎藤が滅んでからは、再び浪人となったがしばらくして織田家に仕えた。ちょうどその当時の織田家は足利義昭を奉じて上洛を果たしており、新たに多くの武将を召しかえており働き場所は十分にあった。


 そんな中、秀国は元服後に長篠で初陣を飾った。

 その数年後の、手取川の戦いで父が討ち死にした後は金剛家の跡を継いで光秀の与力として丹波平定戦などで功をあげた。


 が、その光秀はすでにいない。


 他ならぬ自分が見限ったからだ。

 その事は後悔していない。

 あのまま、光秀の謀反は失敗すると考えていたし事実そうなった。

 仮に信忠の生還がなかったとしても、秀吉の逆襲の前にあえなく散っていたことだろう。


 光秀を嫌っていたわけではない。

 憎んでいたわけでもない。

 むしろ感謝していた。

 父を取り立て、その子である自分にも目をかけてくれていた。


(だが、それとこれとは話が別だ)


 光秀には恩がある。

 光秀は武将としての力量も十分にあった。


 だが、それ以上に自分は自分の勘を信じた。

 そして、それは吉と出たのだ。


 あのまま光秀に加担していれば間違いなくこの首は胴体から離れ、晒されていた事だろう。

 あるいは、誰にも知れる事なくどこぞで野垂れ死に、その甲冑は落ち武者狩り達にでも剥ぎ取られ、無様な姿を長々と晒していた事だろう。

 そう思うとぞっとする。


(光秀様。この地で安らかに眠っていてくだされ)


 そう思って、かつての主の居城だった亀山城を秀国は見つめ続けた。


「良き城でござるな」


 不意に話かけられる。


「?」


 ふと、そちらに目をやると巨体の武士の姿が目に入った。


 大きい。

 平均身長が、5尺(約150センチ)前後のこの時代ではありないぐらいの高さであり6尺(約180センチ)を超える長身だ。


 失礼した、といってからその巨漢は自己紹介をはじめる。


「某は羽柴秀長様にお仕えする、藤堂高虎と申す」


 藤堂高虎。

 当初は、浅井長政に仕えていたものの、浅井家滅亡後は浅井旧臣の阿閉貞征、磯野員昌、そして信長の甥である津田信澄といった具合に相次いで主君を変えている人物であり、現在は羽柴秀長に仕えている。


「いや失礼。城をじっと眺めてのが、つい気になりましてな」


「何、かつての主に別れを告げていただけでござるよ」


「すると貴殿は……」


「はい。某は、金剛秀国。旧主は明智光秀。この城の城主だったお方です」


「ほう……」


 感心したように、高虎は目を細めた。


「すると、貴殿が上様に光秀の謀反を密告したという」


「はい。その金剛でござるよ」


 はっきりとした口調で秀国は言ってのけた。


「堂々としたものですな。明智と縁のあった人間は皆、窮屈そうにしているのに」


 現在、光秀の関係者が深かった者たちは肩身の狭い思いをしていた。

 本能寺の変以降に、光秀の関係者が全員処罰されたわけではない。光秀に組して、秀吉の長浜城を攻撃した京極高次なども現在は柴田勝家のところで保護を受けている。


「はは、こういう場合は必要以上に卑屈になる方がまずいのですぞ。上の者にも下の者にも不快に思われる」


 そう言って秀国は快活に笑った。


「それに、某は自身のあの時の判断を間違えたと思えないしあの時に戻れたとしてもおそらくは同じ判断をする事でしょう」


「ほう……」


「第一、そんなに汚名が気になるのであれば武功をあげてしまえばいい。華々しい武功をあげれば、そんな些末な事は皆忘れます。言う者が残ったとしても、賞賛の声で大きければ自然とかき消す事ができましょう」


 その言葉に納得したように高虎は小さく頷いた。


「なるほど。面白い方ですな、貴殿は」


「いえ、それよりも今度は藤堂殿の話でもお聞かせくだされ」


「そうしたいところもやまやまですが、某もこれから亀山城の接収作業に加わる必要がありますゆえ、この辺りで失礼させていただきたい」


「そうでしたか。お忙しいところに失礼を」


「何、話しかけたのはこちらの方でござる。また、いずれ貴殿とは親交を深めたい」


 そう言って高虎は、亀山城の方へと向かっていった。

 最後に、


「確かに亀山城は良い城でござるが、某に普請を任せていただければあれ以上の城に改修してみせますぞ」


 と言い残した。


 その高虎の向かった亀山城を、秀国は再び見つめ始めた。

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