46話 朝鮮戦線11
釜山海戦で、朝鮮水軍に完勝した織田信忠だったが、依然として各地で苦しい状況が続いていた。
「制海権を取り戻した今、陸路の方も足元を固めてしまう必要がある」
慶尚道は、朝鮮八道のうちで最も早く上陸した場所という事もありほとんどが制圧下にあった。
が、それでも完全にというわけにはいかなかったのだ。
「今月中には、慶尚道を完全に統一してくれる」
そこに、信忠の並ならぬ決意があった。
「晋州城を攻める」
信忠は決断した。
晋州城は、慶尚道の南西部にある城。
慶尚道を守る朝鮮側の重要拠点であり、この地を得れば全羅道への本格侵攻も可能になるのだ。
「予自らが指揮をとり、連れて行くのは……」
毛利輝元、細川忠興、小早川隆景、吉川広家、佐々成政、長谷川秀一、金剛秀国らの名前があげられる。
総勢は、およそ4万5000。
何が何でも、この城を得ようとする信忠の気概が感じられた。
信忠は、未だに義勇兵が盛んな各地の情勢を考え、一度は散らばっていた軍勢を釜山に集結させ、その後に出立した。
義勇兵らの妨害や予想されたが、意外にも何もなかった。
釜山浦での戦いの事が影響しているのか、それとも何か考えがあるのか。
やがて、晋州城へと到達する。
「敵勢はどうなっておる?」
先に、囲ませていた忠興に訊ねる。
「正規兵は2、3000といったところです。しかし、朝鮮の民衆も城に籠っているようなので、実数はそれ以上かと」
「……そうか」
信忠の返答には、苦々しいものが籠っている。
朝鮮半島に上陸した初期のころ、こちらが困惑するほどに協力的だった朝鮮の民衆がはっきりと敵側になってしまったのだ。
その事を嫌でも理解させられる出来事である。
その原因の一旦を作ってしまったのは、恐縮した様子で目の前にいる毛利輝元らであった。
「もっと、早い段階で手はなかったのですか。民衆を慰撫するとか……」
金剛秀国が言った。
「過ぎた事を言っても仕方あるまい」
成政がそれを咎めた。
「織田の統治が長く続いて、李氏王朝などより織田統治下の方が良いと民衆が判断すれば不満の声などそのうちに消える」
「それは、そうですが……」
「それよりも、晋州城攻めについてです」
広家が言った。
「敵城は、思ったよりも堅固です。いかにして攻めるのですか?」
「力攻めしかあるまい。調略して靡くような輩はいないだろうし、兵糧攻めなどをしておったら4万を超える大軍を動員したこっちが先に干上がりかねん」
信忠が言った。
「それはそうですが……」
「数に物を言わせても苦戦は免れんだろう。 ……城攻めに使える大砲が間に合えば良かったのだがな」
信忠がぼそりと言った。
「大砲? 何の事ですか」
「以前、平壌で明との援軍を叩きのめした際に明の大砲を鹵獲しておるのよ。その構造を調べさせ、国友村の鍛冶職人ともに同様の性能のものを作らせる気でおる。あれが揃えば、城攻めの歴史は変わる」
「おおっ、さすがは上様」
感心する声があがる。
大砲の量産に成功すれば、城攻めだけでもなく海戦にも用いる気でいた。大砲の威力は、釜山海戦で十分に実証済みなのだ。
だが、それが完成するのはまだまだ先の話になるだろう。
「ですが、今は手持ちの兵で戦うほかありませんな」
忠興の言葉に、信忠も頷いた。
「分かっておる。人数に差はあるんだ。一刻でも早くに落とすぞ」
が、実際に攻めてみると晋州城は予想以上の堅城だった。
何より、この城を守る金時敏という人物の采配を巧だった。少ない兵を巧みに操り、織田の大軍を翻弄した。
信忠の攻撃命令が出された織田勢が、迫る。
突撃部隊を支援する、織田軍の銃声が轟き渡った。
――ダダダダッ!
雷鳴にも聞こえるこの音にも、朝鮮軍もようやく慣れてきた頃だった。
当初は銃声だけでも威圧として、多大な効果を発揮していたのだが、その効果も薄れつつあった。
朝鮮軍の動揺はあまり見られない。
突撃部隊が、城へと近づく。
が、ここで思わぬ反撃を受ける。
黒い塊が、織田勢を襲う。
一部の織田勢の間に、以前の悪夢が蘇る。
それは、大砲を用いた攻撃だと考えたからだ。
だが、実際には投石による攻撃だった。
一見、古く見えるが意外と有効性はある。
鉄砲と違い、数を揃えやすいし、訓練も不要である。非戦闘員であるはずの民衆ですら、楽に扱える代物なのだ。
そのため、予想外にもこの投石作戦は効果があった。
「何をしておるっ! こんなものに怯えるなっ!」
軍勢を指揮する侍大将も怒鳴るが、なかなか攻めきる事ができない。
三日ほど城攻めは続いたが、ほとんど成果があがらないまま三日間が経過した。
さらに、織田軍の幹部武将達を暗鬱にさせる報告が飛び込んできた。
「兵糧が届かなくなっているだと……」
信忠が苦々しい表情で言った。
「はっ、どうも輸送する途中を襲われているようでして……」
この時、郭再祐率いる義勇兵らによって晋州城包囲軍へと届けられるはずの輸送部隊が襲われていたのだ。
なまじ大軍を動員してしまった分、大量の兵糧が必要となってしまい兵站の心配がでてきた。
「……いかがなさいます?」
「……むぅ」
対策を練るべく軍議が開かれる。
だが、信忠をはじめとして皆に有効な意見は出ない。
「……」
「……」
「……」
「遠慮は無用だ、話せ」
信忠がそう言っても、諸将は口を閉ざしたままだ。
「……やはり」
ここで、ようやく忠興が口を開いた。
「ろくに準備をする事なく、攻撃を仕掛けてしまったのが失敗の元だったのではないかと」
「……」
信忠への批判ともとれる発言だったが、特に咎めようとはしなかった。
「こうなった以上、これ以上の対陣は避けるべきと某は愚考します」
「兵を引けと申すか」
「はい」
忠興は答える。
続いて、信忠は諸将の顔へと視線を移す。
口には出さないものの、皆撤兵案に賛成しているように見受けられた。
「分かった。次にこの城を攻める時は、十分な用意をしてからとしよう」
信忠も決断する。
やがて、織田軍は撤退する事になった。
この包囲戦は、実質的に一週間ほどだったものの織田軍に与えられた徒労感は大きい。
これほどの、大軍を動員しておきながらの攻城戦失敗である。
季節は、冬に迫りつつあり肌に当たる寒風が余計に冷たく感じられた。
信忠は、移動中の馬上で無念の思いを抱えていた。
……予とした事が。急すぎたか。
釜山浦の戦いでの勝利に気をよくして、無謀な城攻めをしてしまったという思いが強かった。
……傷口を広げぬよう、撤退したがある程度の損害覚悟でも無理にでも落とすべきだったかもしれん。
一度は出した結論を、内心ではいくらか後悔していた。
……予自ら出陣しておきながら、城攻めに失敗しての撤退とあっては朝鮮に在住しておる我が軍全体の士気を下げるは必定。
そうなれば、「負け戦」の印象を織田軍全体に強く広めてしまう事になるかもしれない。
……亡き父の夢を追う。その思いは今も変わっておらん。
だが。
……一度、その足を止めるべきかもしれん。夢を追うのは少し休んでからでもいい。
信忠は、明と和戦協定を結ぼうと考えていた。
朝鮮全土に広がりすぎた戦線を維持するのは、今の戦力では困難だ。ならば、ここは朝鮮南端部の割譲だけでも明に認めさせ、大陸に橋頭堡を残した上で撤退する。そうするほかないかもしれない。
……一応、明との伝手は用意しておくか。
馬上で、そんな考えに揺れていた織田信忠だった。




