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乖離戦国伝  作者: 藍上男
第2部 大陸への挑戦
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45話 朝鮮戦線10

 釜山城。

 この地で、織田軍団の幹部達が集まり、軍議が開かれていた。

 あれ以後、釜山に留まっていた羽柴秀吉の姿もここにある。


「問題は、朝鮮水軍ですな」


「うむ。あの連中がいる限り、我らは十分な補給ができん」


 この時期、織田軍の海上交通路を乱す朝鮮水軍は織田軍にとって深刻な問題となっていた。

 九州から届く兵糧の多くを、沈められ朝鮮遠征軍の多くは兵糧に困るようになっていた。


 しかも、その不足した兵糧を補う為に領民から強奪し始める兵も出る始末だ。

 そうなれば、領民達は遠征軍に不信感を抱き義勇兵を支援するようになり、さらに兵糧の輸送が妨害され……とまさに悪循環に陥っていたのだ。


 朝鮮の統治を志す信忠にとって、朝鮮の民に織田不信をこれ以上抱かせたくないという思いが強い。


「ゆえに、朝鮮水軍を一挙に壊滅させる」


「一挙に壊滅、ですか。しかし、どうやって……?」


 秀吉が訊ねた。


「餌をばらまくのよ」


 信忠が言った。


「餌があれば、亀も食いついてこよう」


「餌、ですか?」


「予じゃ」


 実にあっさりと、信忠が言った。


「上様が餌とは、いったい……?」


 困惑した様子の諸将たちに、信忠は説明する。


「よいか、予の目的は朝鮮水軍を一挙に崩壊させる事。それが無理であるにせよ、壊滅的な被害を与える必要がある」


「それは分かりますが……」


「そのためには、ちまちまと戦力を小出しにされてはかなわん。一挙にけりをつけてやる必要がある」


 よいか、と言って続ける。


「予は、我が軍のあまりの脆弱ぶりに失望し、この地を離れるという事にする。その噂をばらまけ」


「噂……ですか?」


 秀吉が首をかしげた。


「しかし、噂程度で朝鮮水軍が動きますかな」


「動かないのであれば、動かせばよい。そのためには、ちょうど良い連中がいるではないか」


「連中、といいますと?」


「この釜山には、朝鮮の民も多くいよう」


 不意に、信忠が話題を転じた。


「はい」


 朝鮮に見切りをつけ、織田軍の元へと走った者は決して少なくはなかった。

 そういった民の事を信忠は言っているのであろう。


「朝鮮の地の言葉を理解できるものも、我が陣中には少ない。間諜が紛れこんでいても気づくのは難しいであろうな」


「そうですか……なるほど、そういう事でございますか」


 秀吉も、頭の回転は速い。

 信忠の発言の意味を理解し、にやりと口角を釣り上げた。


「上様の、名護屋に帰還する事を朝鮮の民にも広く言いまわるよう、指示を出しておきます」


「うむ、頼むの」


 やがて、秀吉の配下の工作により信忠が名護屋へ帰還するという情報が釜山に残っていた朝鮮の民の耳に入るよう広められた。

 信忠や秀吉が考えていたように、釜山の地で投降した朝鮮人の中にも多くの間諜が紛れ込んでいたのだ。


 彼らにより、全羅道を中心に活動を続ける朝鮮軍にもその情報が届けられる。

 その情報に義勇兵や朝鮮水軍は、歓喜した。

 総大将の織田信忠を討ち取ってしまえば、この戦役に一気に決着を着ける事ができるかもしれないのだ。

 その勢いで、釜山まで奪ってしまえばその可能性はさらに高まる。


 朝鮮水軍の総指揮を執る、元均は釜山に水軍のほぼ全てを差し向ける事を決断。多くの軍船を釜山へと動かしたのだった。







 永楽丸――織田信忠の乗る船の名称である。

 南蛮の技術も取り込み、完成させた黒で着色させた軍船だ。

 この軍船で、信忠は朝鮮水軍を叩きのめす気でいた。


 ……織田の繁栄は、永楽銭と共にあった。


 この船の名前の由来を信忠は思い出す。

 他にも強そうな印象を与える名前の候補はあったが、信忠はこの「永楽丸」という呼び方を気にいり、名付け親となった。


 ……ふん。いかなる生物よりも強いのは、人よ。そして、その人も銭の力には勝てぬわ。


 津島を、そして堺を父・信長がかつて欲していたのは少しでも多くの金を欲したから。

 そして、その金を集める事ができたからこそ、天下人にまでなれたのだと信忠は確信していたからだ。


 いずれにせよ、この永楽丸を中心とした織田水軍で朝鮮水軍を壊滅させる気でいた。


「罠の可能性を、敵も疑いませぬか?」


 斎藤利治が訊ねた。


「無論、疑うかもしれんの」


 信忠は答える。

 永楽丸の、船の外での会話である。


 海風が、信忠の頬に当たった。

 冬が近づいたこの時期、少し寒さを感じてはいる。

 だが、戦の近い今、そんな事を気にする気にはなれなかった。


「だが、罠だと分かっても来るじゃろう」


 不敵な笑みを信忠は浮かべて答える。


「何せ、予が釜山からこの海峡に来るという情報そのものは事実なのだからのう」


 信忠の視線の先の海は穏やかだ。

 これから、大規模な海戦が行われるとはとても思えない。


 ……あるいは、この広大な海にとって船の上で派手に血が流れようとどうでもよいのかもしれんのう。


 ふと、信忠はそんな事は思った。


「しかし、上様」


 利治が訊ねる。


「本当に大丈夫なのでしょうな。もしも万一の事があれば……」


「うむ。事は、予の首だけではすまんかもしれんな」


 信忠は事も無げに言ってのけた。


「勢いのまま、一気に釜山まで攻め落とそうとするかもしれんの」


「一大事ではありませぬか。そのような事になっては……」


 利治の顔が青ざめる。


「そうよのう」


 と信忠は相変わらず平静な顔のまま答え、


「何せ、予の首をとってしかも釜山が奪われるとあれば、名護屋からの補給も完全に絶たれて織田軍は壊滅する」


 じっ、と海を眺める織田信忠だった。


「これは、予にとっても賭けのようなもの。だが、この賭けに予は勝つ。必ずな」




「上様っ! 朝鮮水軍が現れました」


 監視をしていた兵からの報告が来た。


「きおったか」


 ふふふ、と信忠が笑う。


「やはり、餌に食いついてきおったな」


「……ですが、やはり危険なのでは?」


 信忠の傍らに控える斎藤利治が言う。


「何をいうか、戦に危険はつきものよ。それを恐れて天下に武を敷く事はできぬわ」


 朝鮮水軍の姿が、信忠の目にも映る。


 兵士や水主が戦闘準備を始める騒がしい声が、信忠の耳にも聞こえてくる。

 武将達が叱咤する声も聞こえる。


「以前の借りを返してやれっ!」


 水軍衆の大将格の者達は、特に気合が入っている。


 今回の織田水軍は以前に沈められた時とは違う。

 大量の大砲を備え付けた、艦隊となっていたのである。


「大砲をぶっ放してやれ」


 信忠の言葉に答えるかのように、落雷かと思うような音が響く。


 ――ズドォンッ!


 永楽丸を始めとする、織田の艦隊に備え付けられた大砲が一斉にぶっ放されたのだ。


 織田水軍の砲撃に、朝鮮水軍は驚愕した様子だ。

 日本には、大砲はあまり伝わっていない。それが、朝鮮水軍首脳部の認識だったからだ。


 それは事実でもあったし、釜山上陸以降の朝鮮での戦いでは、陸戦でも海戦でも大筒を使う事はほとんどなかった。


 だが、海戦での大敗の報を受けた信忠は、大急ぎで大砲の急増を指示。平壌の戦いで、明から鹵獲した大砲なども国元に持ち帰り、大急ぎで大砲の鋳造を急がせた。無論、半年足らずのわずかな時間で大量の大砲を造れるわけがない。


 それでもかき集めたわずかな大砲の大半を、今回用意した艦隊部隊に備え付けた。

 だが、それでも足りない。


 そこで、信忠は明やフィリピンなどを行き来して交易を行っている南蛮船に目を付けた。彼らは、単なる商船であるがこの時代、安全な航路などありえないといっていい。ただ航海しているだけで、海賊船に襲われるなど日常茶飯事だった。

 そのため、貿易船にも南蛮式の大砲が搭載されていたのである。

 これらの大砲を、信忠はある程度の黄金と引き換えに買い取る事を提案したのだ。


 南蛮商人達は困惑した。

 前述の通り、この時代の海は危険と隣り合わせだ。

 何せ、未知の海域で海賊にでも襲われようものなら、救援などどこからも来ない。自分達の身は、自分で守るしかないのだ。

 そんな時に頼りになるのが、この大砲であり、その大砲をわずかな量でも失うのは痛い。


 そんな商人達を説得したのが、宣教師達である。

 彼らは今、身の危険を感じていた。さして強制力を伴う命令ではなかったとはいえ、信忠から正式に禁教令が発せられていた。

 そのため、布教活動が以前のようにままならなくなっていたのだ。

 これが、もっと強制力を持つものになれば自分達や信者達が迫害される恐れすらある。

 そんな中、信忠の機嫌を害するような事は避けて欲しいと頼み込んだのだ。


 商人達も、それらの説得を受けて渋々と納得。

 黄金と引き換えに、大砲を譲渡した。


 そうやって用意できた大砲を、信忠の乗る永楽丸をはじめとする軍船に備え付け、対朝鮮水軍艦隊部隊が誕生したのである。


 特に、本来は攻城兵器として用いる南蛮製の大砲である『国崩し』も、この永楽丸には備え付けてある。

 朝鮮水軍の殲滅を目論む信忠がこの戦いの為に、海戦用に改造したのだった。



 いずれにせよ、朝鮮水軍は予想していなかった織田水軍の大砲による攻撃に混乱した。

 これまで通り、織田水軍の戦法は炮烙火矢を用いるか、直接船に乗り込んでの戦いを挑むとばかり考えていた。

 そのため、亀甲船さえあれば織田水軍に対抗できると思い込んでいた。


 だが、予想外の反撃を受け、朝鮮水軍は劣勢となっていた。


「上様、敵勢は撤退していきます!」


「そうか」


 くっくっく、と信忠は愉快そうに笑う。

 織田水軍の完勝といっていいのだ。


「追撃は?」


「無論、かける」


 この戦いで、完膚亡きまでに朝鮮水軍を叩きのめす気でいた信忠は即座に追撃を命じた。


 勢いは完全に織田水軍にあり、織田水軍に勢いは凄まじかった。


 潮の流れも、織田軍に味方した。

 織田水軍が、朝鮮水軍に迫る。


「撃て、撃てっ!」


 大筒が朝鮮水軍にぶっ放される。

 朝鮮水軍の軍船に、命中する。


 致命的といえるほどの打撃は与えられていない。

 だが、船が進む速度は大きく減じた。


 そこに、織田水軍はさらなる砲撃を仕掛ける。


 ――ズドォン! ズドォン!


 やがて、ゆっくりとだが朝鮮水軍の船が少しずつ沈み始める。

 中に乗っていた兵士達や水夫達は、脱出を試みるが、それを許すはずがない。


 もはや、この海を支配するのは織田水軍なのだ。

 海へと逃れた者達を容赦なく撃つ。兵士達の、悲鳴の声も織田軍による射撃音によってかき消される。


 そして、さらなる獲物を狙い織田水軍は他の軍船を狙い撃つ。


 ――ズドォン! ズドォン!


 他の朝鮮水軍の船も沈み始める。


「予の覇道を邪魔立てするもの達だ、遠慮は無用ぞ」


 信忠が不敵に言った。


 それから、半刻後。

 文字通りの意味で、全ての敵戦力を沈める「全滅」とはいかなかったものの、それでも半数以上の船を沈める事に成功した。


 織田水軍の大勝といってもいい。

 戦場に、織田水軍の歓声が起こる。


「我が軍の勝ちだな」


 信忠が、永禄丸の上で呟いた。


「はっ。さすがは上様……」


 利治が言う。


「予の手柄ではない。水軍衆の手柄よ。後で十分な褒美をやらんとの」


 ふふ、と上機嫌そうに信忠は笑う。


「ま、少し喉が渇いたわ。酒の用意をせい」


「は……。すぐにでも」


 近習に命じ、祝杯の為の酒を持ってこさせた。


「うむ、美味い。やはり、勝利の美酒は格別よのう」


 杯を口に運び、信忠はにぃっ、と笑みを浮かべる。


「……この船が沈められんで良かったわい」


 ぼそり、と信忠が呟く。

 何せ、この船に備え付けた大砲は極めて貴重な品なのだ。

 今回の戦いで使用したものの、織田軍の大砲の数はまだ少ない。この船が沈められるという事は、その大砲も沈められるという事になる。

 それは、信忠にとって大きな痛手になるのだ。


 ……まあ、この船が沈められるという事は予が討ち取られるという事。この船が沈められるような事態になれば――是非もないか。


 そう、信忠は呟いた。


 そんな内心を告げる事のないまま、一同に告げる。


「勝鬨を上げい、この戦、我らの勝利じゃ」


 「応!」「応!」「応!」と、勝鬨を上げる臣下達の声が戦場に響いた。


 この釜山で行われた海戦に、織田軍は完勝――釜山から対馬への制海権を完全に取り戻したのだった。


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