42話 朝鮮戦線8
朝鮮国咸鏡道。
この地の攻略を任された龍造寺政家――実質的には、鍋島直茂と加藤清正であるが――は、まずこの地に逃げたという二王子臨海君・順和君の捕縛を目指す事にした。
が、それは意外な結果が出た。
あろう事か、地元の民が自分達の統治者であるはずの二王子を捕縛。
鏡城にて、清正たちに二王子を引き渡したのである。
これは、この地が中央から離れており、民達の信望が乏しかったのが理由として大きい。
それに加え、この地は流刑地としての側面もあり中央への反抗心は強かったのだ。あちこちで、反乱が勃発していたため、実質的にこの地の朝鮮軍は機能していなかった。むしろ、織田軍に積極的に協力を申し出てくるものも少なくなかったのだ。
いずれにせよ、地元の民が協力してくれるというのであれば、拒む必要はない。第四軍の幹部達は彼らを積極的に受け入れた。
引き渡された二王子を漢城へと送り届けると、第四軍幹部達は、会寧の地にて今後の方針を巡って軍議を開始した。
本来、この第四軍の司令官は龍寺政家だ。
だが、この政家は病弱でもありかつて肥前の熊と恐れられた九州三雄の一人・龍造寺隆信の子とは思えないほどだった。
大名としての発言力も乏しく、実質的な議論は政家の家臣である鍋島直茂と清正に任せられていたのである。
「予想以上にも順調でござるな。どうされるおつもりか?」
「うむ。そうよのう。ここは、北の方を攻めてみようかと思っておる」
「北の方、ですか?」
「この地に住む者どもが言う、おらんかいとやらにな。朝鮮を完全に制圧すれば、その先は明じゃ。その明へと進む経路も見つけておく必要があるしのう」
ふふふ、と清正は微笑む。
充実感に満ちた、生き生きとした笑顔だった。
まさに若さ溢れる、といった様子だ。
「幸い、この地の民は我らを歓迎しておる。鍋島殿、この地を慰撫するのはさほど難事ではありますまい」
「そうは思いますが……」
直茂は言いよどむが、清正はうむうむと勝手に頷くと直茂に安心させるように言う。
「何、そう無茶をする気はありませぬ。上様や殿に迷惑をかけるような事態に発展すると考えれば、即座に撤退しますゆえ」
「しかし、今行う必要はないのでは? この地の住民の慰撫に専念した方が」
「逆ですぞ。鍋島殿。異民族の討伐がこの地の住民たちの慰撫につながるのです」
清正が言った。
断言するような、強い口調だった。
「この地の民は、おらんかいとやらに強い恐怖を抱いております。彼らを討滅する事は、我らの強さを知らしめる事につながるかと」
清正は、強い口調で直茂に訴える。
戦国大名にとって、人気を高める方法は善政を敷く事だけではない。
強さを認めさせる事だった。
原則、民が大名に従うのは単に自分達の殿様だからではない。血筋だけで従っているわけではない。
強いからだ。
大名は異敵と戦い、民を守る盾であり剣でもある。
だからこそ、民は大名を自分達の君主として認め、税を治める事ができるのだ。
そういった理屈から、清正のオランカイ侵攻案は必ずしも悪い事ではない。
直茂もそう思えるようになってきた。
「そういう事ならば構いませぬが……」
「鍋島殿、それではこの地の留守は任せましたぞ」
「は、はあ。加藤殿がおっしゃるのであれば構いませぬが……」
直茂は押し切られるように頷くと、清正はその後、会寧を発した。
こうして加藤清正は豆満江を超え、北の地であるオランカイへと侵攻する。
当時、後に清と称されるようになるヌルハチによる女真族の統一戦争が進められていた。
そこに清正の軍勢は侵攻した。
あまりにも急な来襲に、驚いた彼らだったが慌てて迎撃態勢を取ろうとする。が、清正の猛襲の前にほとんどなす術もなかったのだ。
清正の軍勢もそれなりの被害を出しながらも、13の城を占拠。
織田軍のあまりにも急な襲撃による衝撃から立ち直り、本格的な反攻に転じようとした時には清正は既に占拠した13の城を放棄。
鍋島直茂らのところへと、戻っていった。
わずか、一月足らずでの出来事だった。
元々、明へと侵攻する経路を探すのが第一目標であり、しかも貧しい土地でありこの辺りの地を統治する利益がほとんど見つからなかったというのもある。
だが、それ以上にこの地の実態を清正は正確に把握していた。
「この地に、守護者と呼べる存在はおらず、まるでかつての伊賀や甲賀のようじゃ。独立意識が強く、統治するのは相当に手間がかかろう。ただでさえ、兵站が伸びきっておる現状でやるべきではない」
そう、清正は直茂に報告した。
その後も加藤清正はこの地に留まり続ける事にした。
そのまま、この地で清正が何をしていたかというと、この地の統治に真剣に考えていた。
オランカイに侵攻してみて、これ以上の北上の危険性を理解した清正は、足場を固める事を決意したのだ。
無損、その事は漢城にいる秀吉に許可を求めて了解を得ている。
まずは、民衆たちに手厚い保護を約束。
農地を検査し石高を調べ上げ、さらには朝鮮国租税帳と呼ばれるものを作成し、この地の統治に真剣に取り組んだ。
鞠世弼、鞠景仁といったこの地をおさめる李氏朝鮮の役人たちも積極的に協力した。多くの織田軍将兵達が、明へと進む道としか考えていなかったこの朝鮮の地で、清正は本格的に統治する事を考えていたのだ。
それらの報告を秀吉は平壌で受け取っていた。
……正則と比べると素質に欠けると思っていたが。
この段階では、秀吉は子飼いの武将達の中では正則を一歩飛び出した存在と認識し、その後に清正、石田三成、加藤嘉明といった面々が来ると考えていた。
が、良い意味で勘違いしていたようだった。
清正には、正則に勝るとも劣らない素質がある。
……戦後、一国を任せてもいいかもしれんな。
統治に励む清正の報告を聞き、秀吉はそう思っていた。
……まあ、儂は儂の仕事をせねばのう。
現時点で、明の援軍を叩きのめした第一軍の陣に明からの使者が訪れた。
使者によると、明は50日間の休戦協定を結びたいとの事だった。
……ふん。その間に体勢を立て直す気か。
秀吉はそう考えた。
おそらくは、今回の援軍が少なかったのは織田軍の戦力を過小評価したというのもあるだろうが、それ以上に大軍を準備する時間がなかったのだろう。
では、このまま一気に明まで攻め込めばよいではないか、という考えもあるかもしれない。
だが。
……下策だな、それは。
現状では、朝鮮八道ですら完全に制圧しているとはいいがたいのだ。
こんな状態で明にまで攻め込めば、さらに兵站は伸びる。
短く長く伸びきった兵站が叩かれれば、悲惨な事になりかねない。
……しばらくは朝鮮全域の統治に専念する。明の料理はそれからでよい。そちらがよこした50日間はこちらも有効に使わせてもらう。
そう考えた秀吉は、休戦協定を受け入れた。
明と戦わずに、足場を固める事に決断したのだ。
ちなみに、これはあくまで明国と結んだ休戦協定であり朝鮮は入っていない。事実、朝鮮軍は休戦協定が結ばれてからも活発に日本軍に襲いかかってきていた。
……その間に、朝鮮全域を平定する。
この時点で、森長可や伊達政宗らは一時帰国していたが、かわりに毛利輝元や小早川隆景といった有力大名が渡海。
彼らを忠清道や全羅道の平定に当たらせていた。
……儂らの役割は、当面はここで平壌の朝鮮軍に睨みを利かせる事じゃ。
秀吉はそう考えて平壌に留まっていた。
「殿っ!」
慌てた様子で駆け込んでくる声が聞こえる。
今、考えていた子飼い武将の一人である石田三成である。
「何じゃ、騒々しい」
「それが……」
三成の歯切れは悪い。
「どうしたというのじゃ」
秀吉は、三成を落ち着かせる。
すると、三成は胸元から書状を取り出した。
「こ、これを……」
「うむ……」
秀吉は書状を読み始める。
すると、秀吉の顔色が変わった。
「何っ!?」
それは、彼らの主君である織田信忠からの書状だった。
「どうかしたのですか?」
慌ただしい様子が部屋の外にまで聞こえたのか、福島正則や小西行長といった面々もこちらに近づいてくる。
「上様が……」
「上様がどうかされたのですか?」
行長が訊ねる。
「上様が渡海されるというのだ」
秀吉に代わって、三成が答えた。
「何ですと?」
「それは真ですか?」
行長と正則が、驚いた様子で秀吉に訪ねた。
秀吉は黙って頷く。
「……うむ。上様の書状にはそうある」
そう言って、二人の前に書状を差し出した。
最初は、行長が。続いて、正則が書状を読む。
この時点で、朝鮮八道を点による支配とはいえ概ね制圧。
李氏朝鮮の正規軍も事実上、壊滅した。
どうやら、このあまりにも順調な侵攻撃を見て、織田信忠は渡海を決断したようだった。
すぐにでも名護屋城を経つという内容の書状である。
「日付は……」
秀吉は日付を確認する。
「日付からするに、もう釜山に着いていてもおかしくないな」
うーむ、と秀吉は唸る。
「航路の方は大丈夫なのでしょうか?」
正則が言う。
現状、制海権は完全に織田軍が握っている。
それでも、海の上というのは極めて危険な場所だ。
万が一という事がないとは限らない。
「今のところ、対馬から釜山の制海権は我らが握っておる。大丈夫だとは思うが……」
それでもなお、不安げな様子の秀吉だった。
だが、子飼い武将達が自分を見る目に気づいた。
……おっと、いかんいかん。儂はこやつらの大将じゃ。その大将が、家臣達を不安にさせるような真似をしてはいかんの。
安心させるように言う。
「何、不安になる事はない。上様は無敵だ。万一の事などありえぬよ」
そう言って、秀吉は快活に笑った。




