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乖離戦国伝  作者: 藍上男
第2部 大陸への挑戦
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39話 名護屋城2

 肥前――名護屋城。

 漢城攻略の報告は、この名護屋城の地にも届いていた。


 このあまりにも早い、大戦果に諸将は沸きに沸いた。

 今年中に北京ですら陥落できると豪語するものすらいた。


 だが、そんな中でも大将格の大名達はさすがに冷静だった。

 あまりにも早いこの攻略に、不安を感じていた。破竹の勢いで、朝鮮の首都を陥落させたものの、現時点の織田軍は朝鮮半島の要所を部分的に制圧しただけの点による支配でしかない。

 この時点で、ほとんど未征服状態である全羅道や忠清道にいる朝鮮軍が兵站を断とうと攻めよってくれば窮地に陥りかねない。


 そのような事態を危惧し、織田信忠は後続部隊の渡海を早め、全羅道や忠清道の制圧を指示した。

 この時点で、既に大友義統率いる第六軍は渡海している。


 その第六軍に続き、毛利輝元や小早川隆景らの第七軍・第八軍、第九軍の長宗我部元親、第十軍の羽柴秀勝、第十一軍の上杉景勝も渡海した。


 第十二軍の黒田孝高も、渡海の準備に入った。


 当初から渡海が確定していた面々は、これでほぼ全軍になる。

 彼らは常に朝鮮半島に在住するわけではなく、疲れが見えてきた部隊は一時的に帰国させる予定だった。


 また、現時点で渡海する予定のなかった東国勢も場合によっては渡海する必要が出てくる。


 そんな中、焦っているのは島津一族だった。

 全国の大名達を大動員しての大戦にも関わらず、十分な兵を集める事も渡海する事もできず、諸将からは白い目で見られていた。

 そんな中、島津義弘がようやく兵を整えて名護屋城にまで赴いてきたが既に漢城陥落の報告が入った後だった。


 激怒した信忠は、義弘に即座の渡海を指示し。義弘はその準備に取り掛かった。



 そんな中、渡海組でも渡海予定でもない武将達も暇ではなかった。

 いつ渡海命令が下っても答えられるよう、準備する必要もあった。海を超える必要があるのは人だけではない。

 食糧や武器といった物資も同様である。

 それらを送る為、書類作業に没頭する者も多い。


 だが、それでも時間をやりくりして空いた時間をつくり、それで他家の武将達との交流に勤しんでいる者達もいた。

 何せ、全国から多くの有力大名や武将達が集っているのだ。

 ここでコネクションをつくっておけば、後々に大いに役立つ。


 金剛秀国もその一人であり、この日は徳川家の本多正純と会っていた。


 本多正純は、徳川家康の信頼厚い家臣である本多正信の子。正純自身も、家康のお気に入りなのだ。


 その正純との友好関係になるのは、徳川家と繋がりを太くする事を意味する。

 今や、羽柴秀吉に次ぐ有力者となった徳川家康とコネクションを作っておくのは決して悪い事ではない。


「……もう、朝鮮の首都が陥落したそうでござるな」


「さすがは羽柴秀吉殿。神速の進撃でござるな」


 この名護屋城下で、しかもこれまであまり親しくなかった者同士の会話となれば、朝鮮での戦役ぐらいしかない。

 自然に、この話題になった。


「しかも、さらに平安道にまで攻めこんで平壌まで落としたそうでござるな」


「ほう、それは初耳ですな」


 秀国の言葉に、正純は驚いたような表情をつくる。

 あまりにも早すぎる進軍の為か、名護屋城にいる諸将が得る情報にはそれぞれ微妙な差異が生じていた。

 釜山陥落辺りの情報までは、ほとんどの武将達が共有していたがその後に関しては大きくばらつきがあった。

 弾琴台の戦いまでしか知らない者もいれば、漢城陥落までしか知らない者もいたのだ。


「さらには開城も、羽柴殿達は制圧したようです」


「開城というと、高麗の都が置かれていたという」


「はい。今でも、朝鮮の要所ですな」


 秀国は頷く。


「はい。その後は、羽柴殿は平壌の攻略の為に平安道に。龍造寺殿達は、咸鏡道へと向かったようです」


「なるほど……」


 正純は頷いている。


「その後、平壌もほとんど抵抗もないまま落としたようです」


「何と……」


 さすがに驚いたように、正純は目を見開いた。


「凄まじいですな。さすがは、西国一の弓取りの羽柴殿」


 正純も素直に、秀吉を賞賛した。


「平壌をのっとった後に明との援軍とも戦ったそうです」


「明の……大丈夫だったのですかな?」


 明といえば、やはり大国の印象を持つ。

 正純が不安を抱くのも当然だろう。


「はい。容易く蹴散らしたそうです」


 だが、秀国はこともなげに言ってのけた。


「明からの援軍も、ほんの数千ほどだったという。当然ですな」


「それはまた……」


「ですが、油断は禁物でしょうな。今回は偵察としての意味合いも強かったようですし、明としてもこれで本腰を入れてくるでしょうし」


「そうですな」


 秀国は頷いた。


「ところで」


 ここで、秀国は話題を転じた。


「最近では、帰国する大名もぼちぼちと出始めましたな」


「そうですな。最上殿も、佐竹殿も帰国したようですし」


 織田信忠は、出陣直前に織田軍の一大行事としてのセレモニーも兼ねて全大名の名護屋城集結を命じていた。

 その中には、出陣予定のない――渡海を強く希望した一部を除くが――東国の大名も多く含まれていた。

 だが、彼らも戦国大名であり、遠征を行い領土を得る事だけが仕事ではない。

 領内の統治も立派な仕事なのだ。


 いつまでも、当主が名護屋城に留まっているわけにはいかないのだ。

 信忠の許可を得て、一人、また一人と領国に帰るものが出始めていた。


 無論、領国に帰ってからも資材や兵糧の提出を命じられている。それもまた、ただならぬ負担となって各大名にのしかかってきているのだ。


「御屋形様はまだ、名護屋城に留まっておりますが……いつまでもというわけにはいかないでしょうな」


 正純は言った。


「確か、徳川様の御子息は……」


「駿府には、秀康様がいますがまだお若い。領国をまとめる事は難しいでしょうし」


 徳川家康の子である、松平秀康は駿府にいた。

 それに、と正純は続ける。


「秀忠様に至ってはさらにお若いうえ、この名護屋におります」


 この名護屋城の地で、家康の三男・長松も元服し秀忠と名乗るようになっていた。まだ11の少年である。


 羽柴秀吉達が、名護屋を経つ間近の出来事である。

 これは、多くの諸大名がいる中での元服という事で拍付という意味合いも強かったのだろう。

 さらには、徳川家を継ぐ者は秀忠だという事を知らしめる事の。


「それゆえに、某としてはそろそろ上様に帰国の許可を出してほしいのでござるよ」


「まあ、上様もそれだけ徳川様を頼りにしているという事なのでしょうな」


 秀国はそう言って笑った。


「だとよろしいのだが……。まあ、今日のところかは朝鮮での羽柴殿の躍進を祝って……軽く酒でも飲み交わしますか」


「そうですな」


 やがて、酒肴が運ばれてくる。

 軽い、酒宴が開かれた。



 名護屋城にいる各武将達も、そんな日々を送っていた。

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