37話 朝鮮戦線5
織田の軍勢は、順調に行軍を進め、ついには李氏朝鮮の首都・漢城にまで迫ろうとしていた。
ここまでは、予想通り。いや、予想以上に順調に来ていた。
朝鮮軍弱し、と考えていた織田軍首脳部だったが、実際に戦ってみるとその弱さは予想をさらに上回っていた。
予想外だったのは、それだけではない。
朝鮮国は、各地の統治の為に中央から文官が派遣されているが、彼らは織田軍の侵攻を前に自分達の責務を放棄。
各地を守る事なく、中央にも無断で撤退してしまったのだ。
山に隠れるもの、実家に帰るもの、漢城に戻る者……様々ではあるが、いずれにせよ彼らは消えた。
軍を束ねるものがいなければ、抵抗する気にもなれはしない。
いとも容易く、織田軍は進軍途上にある町や村を占拠する。
それ以上に予想以上だったのが、半島の民衆たちだった。
支配階級である両班の圧政に苦しんでいた彼らは、その不甲斐ない様子を見てこれまでに募っていた不満を爆発させていた。
進んで織田軍を招き入れ、勝手に両班の屋敷を襲う者までいる始末だった。
織田軍に下る者も続出した。
その大半は、奴隷階級である奴婢と呼ばれる者達だったが、中には支配階級であるはずの両班まで織田軍に下る者も出た。
これにより、行軍がより順調になったのは言うまでもない。
「まさか、これほどとは……」
首都・漢城に向かう道。
行軍中の加藤清正が、馬上で言った。
福島正則が応える。
「うむ。予想以上に、朝鮮上層部は人気がないようだな」
彼らのように、馬に乗れている者は少ない。
海を渡る先にある朝鮮の地では、馬を運ぶだけで大変な為、馬に乗る事自体が一部の幹部武将達しか許されなかった。
大半は徒歩での移動となる。
だが、兵の大半に疲れは見えない。
予想を超えて順調な行軍に、皆の顔色は良かった。
兵糧も豊富だ。
腹を空かせる兵もいない。
「もしやとは思うが、何かの罠なのではないか?」
清正が言う。
「罠とは?」
「例えば、我らを油断させて首都で一戦する為とか……」
「その可能性もなくはないが……低いだろうな」
正則が応える。
「低いか」
「うむ。低い」
「理由は?」
「いくら何でも、罠にしては大がかりすぎる。首都まで攻め寄せられる事が前提の罠など考えられん。成功しても、失うものが大きすぎる」
「我らで言うと、大坂城まで敵を攻めさせて叩くという策を取るようなものか」
「そうだ。本拠にまで、攻め寄せられるというのは最悪の局面。信長公も、そういう事態は極力避けるようにしておった」
正則が続ける。
「桶狭間の時を別にすれば、信長公は極力、他家の領地で戦をするようにしておった。美濃攻め、上洛戦、北陸遠征、そして秀吉様の元で行われた中国平定戦。守りに回っての戦いというのは、それほどに不利なのだ。首都まで攻められるような、領主であっては家臣や民衆も見放す。実際、浅井長政や武田勝頼などがそうなってしまったではないか」
かつての信長の義弟・浅井長政や宿敵・武田家の事実上最後の当主だった武田勝頼を正則は例に出した。
「長政も、勝頼も武勇に優れた人物で民からの信頼も厚かった。だが、守りの戦を続けるようになってしまった為に民から見放された。結果、寝返る者も続出した。そのような主君では頼りないと判断されてしもうたからの」
「そういうものか」
「そういうものだ。お主も、一国の領主を目指すのであれば覚えておっても損はない」
「すでに、10万石の大名であるお主がいうと説得力があるの」
「からかうな。わしとお前にそう器量の差があるとは思えん。わしの方が先に出世できたのは、たまたま運が良かっただけよ」
「そうだといいが……」
清正は口をへの字にする。
「わしとしては……。お主よりも先に10万石の大名になってみたかったわ」
「ならば、この地でなればよいではないか」
「朝鮮でか?」
「おお、そうよ。正確な検地をしたわけではないが、朝鮮の地の石高はおおよそ200万石から1400万石と推定されておるぞ」
「……なんだそれは」
あまりにも、開きのありすぎるその数字に清正は呆れた。
「まだ、しっかりと調べたわけではないゆえに仕方がないであろう。だが、朝鮮の地は思った以上に荒れ果てておる」
「そのようだのう」
清正は、街道を見ながら言う。
整備はほとんど行き届いておらず、行軍にも苦労するありさまだった。
「もしかしたら、ほとんど一から朝鮮の地を開発する必要があるかもしれん。そうなれば手間だぞ」
「手間であっても、やる気は出るな」
清正の顔に、ぱっと明るい色が浮かぶ。
「なるほど、朝鮮の地で大名・清正の誕生か。やる気が出てきたわい」
「……やる気を出すのは結構じゃがのう。その前にまず漢城を……」
と、正則が言いかけた時。
「も、申し上げますっ!」
慌てた様子で、正則の前に来たものがいた。
漢城の様子を見るように指示した、斥候部隊の足軽である。
「どうした、騒がしいぞ」
「何かあったのか?」
清正、正則が訊ねる。
「そ、それが……」
足軽がはあはあ、と荒い息を吐く。
「も、もえ……」
「もえ? どういう意味じゃ?」
苛立った様子で、清正が問う。
「虎之助、そう急かすな」
正則が苦笑して清正を制した。
「ゆっくりでいい。はっきりと申せ」
「し、城が……」
落ち着くように、足軽は呼吸を整えてから次の言葉を吐き出した。
「も、燃えていますっ!」
「何ぃっ!!」
「まことか!?」
それは、清正。そして正則を驚かす情報だった。
「……見事に燃えたものじゃのう」
清正は、派手に焼け焦げた漢城を眺めながら言う。
「全くよのう」
正則も、応じる。
「よりにもよって、民衆共に首都を焼かれるとは……哀れなものよのう」
清正の声には、同情の色が混じっている。
あの後、漢城に残っていた民衆たちから事情を聞き、おおよその事が分かっていた。破竹の勢いで進軍を続ける織田軍への恐怖。あまりにもあっけなく敗れ続ける、李氏朝鮮軍の体たらく。
それらから、多くの民は自らの君主たちに深く失望する。
それと同時に、奴隷階級だった者達に希望が生まれた。これを機に、奴隷階級から脱却し、これまで自分達を縛り続けた支配階級達へ報復しようと考える者がではじめたのだ。
これらの動きを敏感に察した王族達は、宮廷からの脱出を決断する。
だが、王達を護衛する為の兵達すら逃亡を始める始末だった。結局、漢城を脱出した国王や王妃達につき従ったものはわずか数十人。それも、ろくに食糧も持ち出す暇もなくほとんど身一つでの逃亡だった。
そんな中、民衆たちは官衛に向かう。ここには、彼らを奴婢階級である事を証明する戸籍が大量に管理されている。
これを、親の仇でも討つかのように民衆たちは焼き払い、自分たちの縛る元凶を消した。
だが、この焼き討ちにより、これまでの記録などを記した貴重な朝鮮の書籍などの類も大量に消失したのである。
その後、民衆たちは宮廷に突入し金銀財宝の類を奪い乱暴狼藉の限りを尽くした。
そして、織田軍の漢城入りを知ると進んで招き入れる。
ほとんどは、言語すら通じないが身振り手振りで織田軍の将兵達に何か困っている事はないかと聞いてくる始末だ。
それに苦笑しながらも、正則たちは漢城に入った。
焼き払われたとはいえ、一国の首都。当面はこの地を前線拠点とするほかない。
比較的無事なところを見つけ、幹部武将達はその場所で疲れを癒す事にした。
「ここは、修築工事をする必要があるな」
城一帯を見渡し終わった、正則が清正に言った。
「確かに、このありさまではのう」
清正が、辺り一面の焼け焦げた様子を見ながら言う。
すでに、消火作業は完了しているがその爪痕は甚大だ。いたるところに悲惨な状態が広がっており、とても一国の首都だった場所とは思えない。
「うむ。だが、城を築くにしても当面は、豪奢な城にする必要はなかろう。最低限の防衛機能があればそれでよい」
正則が応える。
「そうよな。だがまあ、そう言った事は軍議で決める事であろう。予想以上に、首都を落とした以上、上様にも指示を仰ぐ必要があるであろうし……」
「ま、そういう事だ。何だか、納得できん気持ちもあるが……。とりあえずは、漢城の陥落を祝うとしよう」
「それもそうだな。戦は結果が第一だ」
清正の言葉に、正則も頷いた。
こうして、朝鮮の首都は陥落した。
開戦から、わずか3週間での出来事だった。




