35話 朝鮮戦線3
釜山を落とした、織田軍はその勢いで軍勢を進めた。
元々、織田軍の方針としては釜山周辺に橋頭堡を築いた後は、軍勢を北進させて王都を制圧。
王都を制圧後、李氏王朝が軍門に下るのであればよし。
下らないのであれば、改めて軍勢を送り込んで各地を平定する。
そういったものだった。
一にも二にも、ひとまずは漢城の攻略が優先されるべき目標だった。
軍勢を北へと向けるのも自然な流れだったのである。
この時点で、朝鮮の地に上陸しているのは大きく分けて5種類の軍勢だ。
第一軍――羽柴秀吉、小西行長、宗義智、松浦鎮信、福島正則、加藤清正、石田三成らの率いる部隊であり、これを事実上の総司令官である秀吉が率いている。
第二軍――森長可を大将とし、毛利長秀、川尻秀長らが率いる東濃、信州勢。
第三軍――伊達政宗を大将とし、相馬義胤、岩城貞隆らが率いる奥羽勢。
第四軍――龍造寺政家を大将とし、鍋島直茂ら、龍造寺家臣団が率いる龍造寺軍。
第五軍――羽柴秀長を大将とし、藤堂高虎、桑山重晴ら秀長家臣団が率いる秀長軍団。
第五軍は、釜山に留まり釜山城の築城、及び今後上陸予定の部隊を出迎える為の準備をしていた。
予想以上に呆気なかった初戦の戦果から、即時行動を良しと考えた。本来は第六軍が渡海するまでは釜山周辺での足場固めに専念するはずであったが、方針を転換。本来の目的である漢城陥落を目指して軍勢を北に向けた。
第一軍・第二軍・第三軍は、慶尚道を隔てる鳥嶺を超えて忠清道にまで到達。
首都・漢城を一気に近づく。
李氏朝鮮は、この地で敵を止めるべく一軍を動かした。
しかも、軍を率いるの申リツ(リツは石立と表記)将軍は、戦闘慣れしていない朝鮮の者では珍しく、戦の経験が豊富であり、北方の地で女真族との戦いを続けている猛者であった。
配下も戦闘経験が豊富だ。
申リツ将軍は、1万近い軍勢を引き連れて布陣した。
申リツの部隊には、釜山での戦いから逃げてきた者も多い。
彼らは、一斉に織田軍の保有する鉄砲の脅威を主張した。
だが、申リツはそれらの主張を一笑した。
朝鮮では、未だに鉄砲に対する評価は低い。
鉄砲の存在そのものは認識していたが、狩りなどに使う代物であり戦場で使用する武器という認識に乏しかったのだ。
結局、申リツは鉄砲の力を過小評価したまま弾琴台と呼ばれる地で、李氏朝鮮軍は織田軍と対峙する事になった。
「鳥嶺で迎撃があるかと思いましたが……」
織田軍の軍議の席。
この軍議の席には宗義智、小西行長、福島正則らの姿のみならず森長可や伊達政宗といった姿もそこにあった。
王都への、進軍では慶尚道と忠清道の間を隔てる鳥嶺。
その地の突破、が最大の難所になるであろう。
朝鮮の事情に詳しい義智は主張していたが、彼の予想の斜め上を行く事態が起きた。朝鮮軍は、交通の要である鳥嶺で迎え撃つ策を取らなかったのだ。
「どうにもわからん。一体、何を考えているのだ?」
「何かの罠なのでは?」
そう言った声を聞こえる。
朝鮮の事情に疎くい彼らでも、この拍子抜けともいえる快進撃に疑問を唱える者も少なくなかったのだ。
「宗殿、そなたの考えはどうなのだ?」
秀吉が訊ねた。
「敵の指揮官――申リツという者なのですが、かの将は野戦に自信を持つと聞きますゆえ、野戦で決着を着ける気なのではないか……」
義智は自信のなさそうな口調で言う。
彼の主張していた、「鳥嶺での迎撃策」を朝鮮がとらなかった事により、自身の考えに自信が持てなくなっているようだった。
「だとしたら、なめられた者よのう。人数では勝っておる上に、我が軍は精強だ。今は亡き野戦の名人である上杉謙信や武田信玄とも野戦で戦い、生き延びた者も多く揃っているというのに」
秀吉は少しばかり面白くなさそうだった。
「しかし、大丈夫なのでしょうか。申リツはかなりの戦上手と評判ですが……」
義智はいくらか不安の色を浮かべていた。
「安心せい、宗殿」
秀吉が安心させるように笑みを浮かべる。
「相手が、いかに戦上手といえども我らはその上をいく。他愛なく一蹴して見せようではないか」
「そうですか……」
いくらかは安心したように義智はほっとする。
「羽柴殿」
ここで、発言した男がいた。
伊達政宗である。
本来、東国に領土を持つこの男の渡海ははるか後になるはずだった。
が、しかし如何なる思惑か早い段階での渡海を希望していた。
信忠も、その好意を無碍にはできずに受け入れた。
そのため、この場にいたのだ。
「この戦いの先鋒は、ぜひ某に」
「お待ちくだされっ!」
同じく、口を挟んだ男がいた。
鬼武蔵こと森長可である。
彼の渡海も、もっと後の予定であったが織田の大事を決める戦とあっては黙っていられる男ではない。
一早い渡海を信忠に希望。
それがかなえられた。
「此度の戦い、織田軍の今後を占う一大事。ぜひとも某に」
「うーむ……」
秀吉は悩む。
政宗も長可も、秀吉とはそれほど親しい間柄にない。
それゆえに、どちらを優先するべきか悩んだ。
だが、先鋒というのは華々しくはあるが犠牲の出る役割だ。
ならば、織田家の中軸である森よりも未だ属して日の浅い伊達に命じるべきか。秀吉はそう考えた。
「では、伊達殿に任せるとしよう」
途端に、政宗の顔が輝く。
逆に、長可の顔が見るからに不機嫌になった。
「羽柴殿っ! なにゆえ、このようないな……」
とここまで言いかけて長可は口をつぐんだ。
「いな? どういう意味だ?」
政宗の隻眼がギラリと光る。
無礼な発言は許さんと言わんばかりだ。
が、長可も負けてはいない。
反論の言葉を口にしようと口を動かしかけ――、
「――やめい」
秀吉の言葉に止められた。
「陣中での喧嘩は法度ぞ」
普段は、「人誑し」などと呼ばれ、温厚な性格に見えるが彼もまた多くの修羅場を潜った戦国武将。
その眼光は鋭かった。
政宗、この時23歳。
長可、この時31歳。
二人とも、まだ青年の領域を出ていない。
この時、52歳の秀吉とはあらゆる意味で格が違ったのである。
「……」
「……」
「上様不在の今、儂がこの軍の総大将ぞ。何ぞ、不満でもあるのか」
彼らに関する指揮権は、秀吉にあった。
それは、長可も知っているはずだった。
「……」
「ないようだな。では、先鋒は伊達殿だ。頼むぞ」
「ははっ!」
政宗はここで、頷いた。
こうして、この日の軍議は終わった。
今なお不満げに政宗を睨む、森長可を残して。




