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乖離戦国伝  作者: 藍上男
第1部 天下人の誕生
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33話 朝鮮戦線1

 天正17(1589)年。

 ついに、大陸出兵を決断した織田信忠は日本列島中の大名に大動員令をかけた。


 織田信忠の命令の下、日本列島中の大名達が名護屋城に集まった。

 その数は、30万を超えていた。


 もちろん、この数が全て朝鮮に上陸するわけではない。


 先陣となるのは、羽柴秀吉旗下の羽柴軍団だ。

 加藤清正、小西行長らをが先陣となる。

 その数は1万。


 それを柴田勝家などは苦々しげに見ていた。

 元は、織田家の序列では秀吉より勝家の方が上だった。

 だが、この時点で両者の立場は逆転してしまったといってもいい。


 勝家も、北陸遠征や北条征伐でかなりの武功をあげたとはいえ、秀吉は光秀討伐以降は西国方面軍の総責任者となり、織田政権で信忠に次ぐ事実上第二位の椅子を手に入れていた。長宗我部攻めや島津攻めでもあげた功績は大きい。

 四国や九州で得た領土の多くは秀吉の組下の大名に宛がわれたし、秀吉の仲介で滅亡を免れた毛利や島津も潜在的な親秀吉大名といっていい。

 西国に秀吉は今や多大な影響力を持つのだ。


 勝家とは対照的に、落ち着いた様子で秀吉を見送る者がいた。

 関東・東海の覇者である徳川家康だ。秀吉が、西国一の大大名であるならば家康は東国一の大大名いってもいい。

 その石高は、200万石にも達しており、伊達や最上などともつながりもあり東国に多大な影響力を持つ。


 今回、地理的な問題もあって東国の大名に課せられた軍役は軽いもののそれでも当主である家康の他、伊達政宗や最上義光といった面々も名護屋の地にいた。

 もちろん、毛利輝元、上杉景勝、宇喜多秀家、長宗我部元親、大友宗麟、佐竹義重といった有力大名達の姿もある。

 唯一の例といえたのは、島津だった。

 今なお、軍備が整わずにこの地に来れずにいた。


 もちろん、織田家の有力家臣団もこの名護屋城にいる。

 その織田政権の現時点での序列は、事実上、信忠を頂点として羽柴秀吉、徳川家康、柴田勝家、丹羽長秀を順番とした序列となっている。その下に、池田恒興や蒲生氏郷などが続く。

 なお、丹羽長秀の姿もこの場になかった。ここ最近、病にかかっておりこの名護屋城にも来ていない。来ているのは子の丹羽長重だった。



 そして、出陣を控えた前日。

 名護屋城下に作られた、秀吉の屋敷。


「虎之助、見事な城ができたのう」


 そこで、秀吉は数人の武将達と共に名護屋城に集まってくる兵士達を眺めていた。


 その羽柴秀吉に、幼名で呼ばれた加藤清正が頷く。


 この名護屋城の築城を任せられたのは秀吉だが、実際にその普請の大半を担ったのはこの加藤清正だ。

 まだ30前と若いが、その実力は秀吉も認めていた。

 知行は、この時点で1万石を超えており、大名の末席に名を連ねるようになっていた。

 だが、かつて同格でありながらすでに10万石の中堅大名となっている福島正則がいる。

 正則は、清正の親友だが、いや親友だからこそその対抗意識は強い。

 この名護屋城の普請を買って出たのも、自分の築城技術を羽柴秀吉を含めた織田家の幹部達にも見せつける為でもあった。


 そして、それは半ば成功したといってもいい。

 ほとんど無名に近かったが清正だが、この名護屋城普請により、いくらかは名前が知られるようになっていた。


 ……だが、俺の実力はこんなものではない。


 清正はそう思った。

 そして、やはり武士であるのならばそれを証明するのは武功でしかない。その武功を立てる機会が朝鮮ではいくらでもあろう。


 彼もまた、強い野心を持つ男なのだ。


「しかし、私は不満です」


 むう、と不快そうに目を細めている男がいる。

 亀井茲矩である。


「琉球守として、その職務を全うするべく私は琉球出兵に備えておりました。にも関わらず、琉球出兵は中止とは」


「まあそう言うな」


 秀吉が思わず苦笑した。


「琉球王国は、島津を通じて上様に従うといってきておる。忠誠を誓う相手を討伐するわけにはいかんのじゃ」


 実のところ、九州征伐の後に琉球征伐を行うという計画自体はあった。

 だが、島津が降伏の条件の一つに琉球に関する利権を要求してきた。そしてそれを信忠も認めた為、琉球は事実上島津の属国のような扱いになっている。


 つまり、琉球に関するあらゆる利権は島津に与えられる事になり、公式に認められた以上は茲矩が琉球守を名乗り続けるのには問題があった。

 そこで秀吉は琉球守を茲矩から没収せざるを得なかったのだ。


「かわりに台州守の官位をやったではないか」


「そうですが……」


 台州は、琉球からさらに海を先にいった先にある、明の領国だ。

 当然、織田領ではない。少なくとも今は。


「何、明征伐がなれば台州をそちに譲るよう上様に掛け合おう。この秀吉が約束する」


「……約束ですぞ」


 茲矩が念を押すように言う。


「分かっておる。武士に二言はないわい」


「では、その件はそれとしてこれは今回の渡海でも持っていきたいと考えております」


「な!? そ、それは……」


 茲矩が取り出したのは、かつて秀吉が渡した「亀井琉球守茲矩」と書かれた扇だ。琉球守という架空の官位を与えた際に同時に手渡したものだった。


「まだ持っておったのか……」


 秀吉はどこか呆れたように言った。


「むろんです。元とはいえ私は琉球守なのですから」


 どうだ、と言わんばかりに茲矩は胸を張った。


「分かった分かった、そちの活躍には儂も期待しておく」


「むろんです。今回の大陸遠征に最も、高い意欲を持つのはこの茲矩と自負しておりますゆえ」


 そういった茲矩の間に、清正が割って入った。


「殿、亀井殿、それは聞き捨てなりませんな」


 ずい、とその体を二人の間に入り込ませる。


「今回、最も大陸遠征に意欲を持っておるのは自分です。断じて、貴殿ではありませぬぞ、亀井殿」


「……ほう、なかなかいいますな」


 ぴくり、と茲矩の眉が動く。


「何、亀井殿の手を煩わせる事はありません。この清正のみで、脆弱な朝鮮軍など一撃で粉砕してみせましょう」


「まあ、落ち着け二人とも」


 秀吉が清正との間に割って入った。


「お前達が争わんでも、二人の見せ場は十分に用意されておる。味方同士で争ってどうするというのじゃ」


「……」


 清正も言い過ぎたと思ったのか、ばつが悪そうに目を伏せた。


「だが、その意気は良し。戦場で見せよ。期待しておるぞ」


 そう言って秀吉は快活に笑った。


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